自我という魔術
昔からこういう記述には惹かれてしまう性質です。
言葉は私たちの内部で性をほとんどまるごと吸い上げてしまう―この生のほとんど小枝の切れ端までこの蟻たち(言葉のことだ)のせっせと休みなくはたらく群れによって捕えられ、吸い上げられ、積み上げられてしまう。だがそれでも我々の内部には、無言のまま隠れていて捕えがたい部分が残っているのだ。言葉の世界、論理的言語の世界では、この部分は無視されている。
酒井健『バタイユ』
言葉でなにかを理解する、知るということは、永遠にその対象から遠ざかってしまうということになる。『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』が「バラバラの情報が散らばった世界で」という断章からはじまっているのも、そこに目を向けてもらうことができたら、と思ったからです。

