ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識/バーバラ・M・スタフォード

愛っていう、この強いリンクっていったい何なんでしょうね。 バーバラ・M・スタフォードは『ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識』のなかで、こんなことを書いてます(amazonに書影がないのに写真を載せておきました)。 自ら持たぬものと結合したいという人間の欲望がうむアナロジー(analogy)は、とめどない揺動を特徴とする情熱的なプロセスでもある。身体にしろ、感情にしろ、精神的なものであれ、知的なものであれ、何かが欠けているという知覚があって、その空隙を埋める近似の類比物への探索が始められる。 バーバラ・M・スタフォード『ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識』 本当にこれ、そうですね。欠けているという知覚があって、そこに愛を見出すということがある。「つながりたい」「つなぎたい」というこの欲望。なんで人間はこんな気持ちをもつんでしょう。 この愛というリンクについて、僕はもっと知りたいと思う。

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近代文化史入門 超英文学講義/高山宏

昨日の「バガボンド(放浪者)の経験知」というエントリーでも紹介しましたが、高山宏さんの『近代文化史入門 超英文学講義』という本は、すでに「デザイン関係者必読の本」として紹介させてもらった『表象の芸術工学』同様、ぜひ読んでおきたい一冊です。 『表象の芸術工学』が神戸芸術大学でデザインを学ぶ学生、院生に対する講義の収録だったのに対して、この本では、高山さんが本来専門としている、18世紀英文学が中心テーマとなっています。しかし、高山さん自身が「プロローグ」で以下のように書くように、その範囲は「英文学」などという領域をはるかに超えています。 これから、急ぎ足ではあるが、ぼくが30年かけて考えてきた「英文学」について記す。しかし、そのカヴァーする範囲は、いわゆる文学の領域を大きく「超」えていくだろう。つまりは、近代思想の大きな潮流をとらえる試みになるだろう。(中略)メインはぼくなりに頭に入れてきた「見る」近代の歴史、その中での文学の位置づけである。 高山宏『近代文化史入門 超英文学講義』 なにしろ「プロローグ」ではいきなりニュートンの『光学』を登場させて「彼を抜きにして18世紀以降の英文学は存在しないといえるのだ」と来る。しかし、読んでいくとわかるが、ニュートンを抜きにして存在しないのは「18世紀以降の英文学」だけでなく、「見る」近代の歴史、つまりは現在につながる文化そのものが存在しないし、理解できないことがわかってきます。 ずっと前に、カンブリア紀の生物の大進化の謎を「眼の進化」とい…

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表象の芸術工学/高山宏

最初にこれだけは言っておかないといけません。 この本を読まないデザイン関係者なんてありえない、と。 「デザイン」というのは、もともとはTo do with signs、「サイン」を相手にどう対処するかという意味の哲学と手法のことなんだね。 高山宏『表象の芸術工学』 まさに、高山宏さんはこの本のなかで膨大なサイン(表象)を相手にしています。そして、これまで人類が様々な時代において、サイン(表象)を相手にどう対処してきたかを紹介してくれています。 この講義が大学で行われていたなんて、なんともうらやましい。 デザインとは「サイン」を相手にどう対処するかという意味の哲学と手法しかも、いまの「デザイン」なんて領域をははるかに飛び越えて、本来「デザイン」がどんな文脈でどのように用いられていたかを丁寧に紐解いてくれます。 例えば、エドガー・アラン・ポーの例としてはこんな風に。 ポーはこれを『詩作の哲学(Philosophy of Composition)』(1846)や『詩作の原理』といったエッセイにまとめ、詩は神から霊感を受けたある特殊な天才による特権的な仕事ではなく、音韻の持つ機能的な構造をしっかりと分析した技術者であれば誰でも作れるとまでいう。文学もデザイナーの仕事だ、と。 高山宏『表象の芸術工学』 高山氏が紐解くのは、江戸の黄表紙、ピクチャレスク、マニエリスム、英国式庭園、観相学、グロテスク、驚異の部屋など、それってデザインと関係あるの?って思える様々なもの。僕ら…

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『ペルソナ作って・・・』のジャンル問題、amazonはこう解決

「「OS」ですか?「SE」ですか?」で触れた『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』の書店のジャンル問題(はい。もはやペルソナ/シナリオ法は「デザイン」のオペレーティング・システムです!)。 amazonでは、こんな複数のジャンルで扱ってました。 デザインのベストセラーデザイン・グラフィックスのベストセラーインターネット・Web開発のベストセラープログラミングのベストセラーIT・e-コマースのベストセラー どのジャンルでも売行き好調です。ありがたいことです。 それにしてもamazonでも「プログラミング」なんてところに入るんですね。まぁ、内容的にはシステム開発なんかに携わる方の方がなじみやすいのかもしれませんね。 デザインの本なんですけどね。 そういえば、今日も2件、本屋を見たけど、いずれも並んでませんでした。本屋さん、本当に扱ってくれてます? リブロで扱ってたって話を耳にしましたが、ごめん、どこのリブロかは聞かなかった。まったくガキの使いですね。 そんなわけで東京も梅雨入りもしたようですし、書店で見つからない方、雨天の買い物も大変なので、amazonで買ってください。 関連エントリー 『ペルソナ作って、それからどうするの?』発売開始。TB&コメントはこちらへ『ペルソナ作って・・・』発売4日目までの反響丸の内・丸善に売ってました。『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト…

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『ペルソナ作って・・・』発売4日目までの反響

『ペルソナ作って、それからどうするの?』。まだ発売して4日経っただけですが、買って読んでいただいたから、早々とこんな感想が。 まだ読んでいる最中なのですが、普段本を読むスピードの3倍くらいのペースで読んでいます。一つひとつの言葉をきちんと自分の中で消化してから先に進みたいからです。つまりそれくらい価値のある内容がたくさんあるってことなんですね。 「ペルソナ作って、それからどうするの?」がずっと疑問だった僕 マーベルのアウベル的ココロ~♪ そうやって読んでいただけるのは、ありがたい限りです。疑問の答えになっていれば幸い。 まだ、ちょっと読んだだけなので、評価は難しいけど、得るものはかなり多いと感じます。個人的には、この本を教材に、ウェブデザイナーとか人間中心設計について知らない人と読書会みたいなことをしたいな。身近に興味を示してくれそうな人がいなさそうなので、ネットで探したいけど、見つかるのかな? 『マーケティングの神話』『ペルソナ作って、それからどうするの?』 知的好奇心を刺激する読書録 ぜひ読書会してください。そして、質問もお待ちしてます。 そして、献本させていただいた方からも。 まだきちんと読んでいないのですが、ここ最近ドドっと出てきた「ペルソナ」実務書の真打か?今までペルソナをマーケティング手法と捉えたり、Web開発の手段と捉える本が多かったと思いますが、組み込みシステムにも応用できるように人間中心設計の観点から書かれているのが○ですね。 ペルソナ作って…

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『ペルソナ作って、それからどうするの?』発売開始。TB&コメントはこちらへ

いよいよ僕の初の単著『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』が発売開始されました。 あらためてここまでこぎつけるのに協力していただいた方、すでに予約いただいた方に、この場を借りて感謝したいと思います。ありがとうございます。 なお、今後は当エントリーを感想やご意見などをトラックバックやコメントとして受け付ける窓口としてご活用いただければと思います。 まだ、本書をご覧になっていない方や買おうかどうか迷ってる方のために、以下で本書の内容をすこし紹介しておきたいと思います。

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『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:4.脳と意識、生物編

いよいよ明日発売の『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』。書店によっては今日から店頭に並んでるところもあるようです。献本した人からもらった最初の「読者の声」。「ケーススタディがおもしろかった」だそうです。確かにあそこは人によってはおもしろいと思う。僕自身、小説仕立てのあそこが書いてて一番おもしろかった。 さて、発売日直前に最後の「いっしょに読みたい参考文献」の紹介。 これまでの紹介はこちら。 『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:1.デザイン編『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:2.認知科学・UCD編『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:3.日本文化・ものづくり編 では、さっそく。

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『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』:書影が公開

いよいよ今週金曜日30日に発売が迫った僕の著書『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』ですが、ようやくamazonで書影が公開されました。 こんな感じ。 本の内容や目次などは、「『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』:amazonにて予約開始」というエントリーで紹介しています。興味のある方はそちらも参照ください。 ちなみにWebデザインをいちお想定して書いていますが、実は書きながら組み込みソフトのデザインへの応用も念頭には置いて書いています。 説明はWebデザイン向けになっていますが、読んでもらうとわかるとおり、方法論は組み込みソフトでも問題なく使えます。ですので、そのあたりのデザインに関わる方にもぜひ読んでいただきたい一冊です。というよりも僕の持論として、情報デザイン、特にUIのデザインにおいて、Webとか組み込みソフトとか、そんなところに境はなくて、境があるとすればそれは利用者の違いによるものだと思っています。Webと組みこみソフトでデザインが違うのではなく、ユーザーの用途や利用のコンテキストでデザインが違うというのが、ユーザー中心のデザインの発想だと考えていますので。

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グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ/バーバラ・M・スタフォード

「去年、来てたあのワンピース。ほら、花柄のやつで・・・」といわれても、まったく思い出せないものでも、「ほら、あんな感じ」と指さされた実物のワンピースがあれば、それが実際にはほとんど似ていないということまで含めて思い出せたりする。百聞は一見に如かず、とは言うけれど、視覚の力はまさに直観を呼び覚まします。 これまでも「最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と」や「レオナルド・ダ・ヴィンチの絵のような緻密さで顧客のコンテキストを描く」なんてエントリーを書いてきましたけど、言葉で理解することと視覚的イメージで理解することはまるで違うことだと思っています。言葉の秩序には不可能な、領域を超えた秩序をいとも簡単に高速で感じさせることができる。計算ではどうにも解けないロジックを、視覚的イメージを扱える生物の脳は簡単に見抜いてしまいます。百聞は一見に如かずどころではなく、どんな膨大な計算でもかなわない直観を呼び覚ます力がイメージにはある。 元々、そういう考えがあったからでしょうか。 「電子の未来、知は片はしから曖昧になり教育は大混乱するだろうという声に抗って、イメージは良い形で介入することができることを示したい」とするバーバラ・M・スタフォードの『グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ』を、amazonがしきりに「これ買えよ」っておすすめするので騙されて、同著者の『ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識』といっしょに思わず買ってしまったのかもしれません。普段は「買えよ」と言われても買…

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20世紀はどのようにデザインされたか/柏木博

最初に柏木博さんの書かれたものを読んだのは『デザイン12の扉―内田繁+松岡正剛が開く』でした。それ以来、すでに何冊か柏木さんの本を読んでいます。もちろん、何冊も読みたいと思うのは、柏木さんのデザインを見つめる視点がそれだけ魅力的だからです。ただ、その魅力というのはデザインあるいはデザイン史というものに1つ確固とした視点を明らかにしているからというよりも、その視点が万華鏡のように様々な形で披露されるところにあります。 「柏木博の本はみんなとりあげないと、そのデザイン思想はわからない。」と松岡正剛さんは言います。確かにそのとおりで、これまでこのブログでも何冊か柏木さんの本は紹介してきましたが、『玩物草子―スプーンから薪ストーブまで、心地良いデザインに囲まれた暮らし』と『「しきり」の文化論』を読むのとでは同じではありません。似たようなことが書かれている『近代デザイン史』と今回紹介する『20世紀はどのようにデザインされたか』でも、両方読んでみないとわからないことがあります。 fine artとapplied artとしての美術とデザインそれは柏木さん自身が、『近代デザイン史』の冒頭で書いている次のような感覚からくるものだろうと思います。 たとえば、日常的な言説として、デザインはますます美術との境界が曖昧になってきているということが語られてすでに久しい。こうした言説に対して同意を求められると、デザイン史を含めてさまざまなデザインの領域からは、即答できずに何かしら複雑な思いと揺らぎを感じるに…

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本は「欲しい」という前に買え

本は「欲しい」という前に買え。そう思います。 よく本が読めないとかいう人がいますが、そういう人に共通してるのはまず読めないという前に、読む本をもってないでしょ、ってこと。 そりゃ、持ってなければ読めません。読むためにはまず読むべきものを所有することです。そこからです。しかも、1つじゃなくて常に複数読みたいものを所有しておくこと。それもできるだけいろんな種類のものであった方がいい。 ちなみに僕はこうしてます。 手元に常に読もうと思える本が複数ある状態にしておく(本が読まれるのを順番待ちにしている状態)選択肢は多様性をもった状態にしておく(さまざまな分野の本を用意しておいて、飽きたら別のを読める状態にする)そんな状態をつくっておくために本は気になったら迷わず買う(ブックマークに「欲しい」とか「検討中」とか「あとで買う」とか書いてる場合じゃない)常に本を物色している状態になる(特定の分野に固執しない。特にWebやってる人がWebの本にしか興味をもっていないのは最悪) と、まぁ、こんなことしてれば、読まなきゃひたすら本がたまっていくだけなので、否応にも読むようになるでしょ。多少、がんばって無理やり読もうとするくらいじゃなきゃ、そりゃ、いつまで経っても本を読めるようになんてならないですから。 結局、本に興味をもつ目、本を選ぶ目って、その人の好奇心の広さ・深さであり、その人の問題意識の広さ・深さなわけですよ。自分がどれだけ普段問題意識をもって生活できているか。そこです。問題意識をも…

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カオス/池田研介、松野孝一郎、津田一郎

「複雑系の技術として直観を養う」。 津田 マクリントックというトウモロコシの遺伝子の研究者がいました。彼女がやったことは何かと言ったら、顕微鏡で観察するだけなんです。しかし中へ入ってしまうわけです。遺伝子の中へ自分が入ってしまう、そういう感覚を持つんです。それで予想していくんですが、彼女の予想はほとんど当たっています。(中略)私が複雑系の技術として直観を養うという言い方をしているのはまさにそういう意味なんです。だから本来ならそこは記述できないわけです。記述できないんだけれども、その中に同化するというプロセスは我々には出来る。脳はそういう作用を持っているわけです。 松野孝一郎×津田一郎「複雑系のシナリオ」 池田研介、松野孝一郎、津田一郎『カオス』 こういうことが科学の文脈のなかで語られていることがすごいな、と。

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「しきり」の文化論/柏木博

どう分けるか。あるいは、どう分かれていると認識するか。 それらは僕らがどう理解するか=分かるかに大きな影響を与えます。 仏教における「悟り」が通常の分割による「分かり方」とは別の分けずにあるがままの状態で認識することではないかという点については昨日の「空海の夢/松岡正剛」で書きましたが、そうした悟りの力を身につけていない場合での通常の「分かり方」では、どこに「しきり線」=境界を設けるかで、何を認識するかも変わってきます。 ものの見方とは、視線の位置を変えることで、このしきり=境界線をどこに見出すのかということなのかもしれません。複数の視点をもつということは、いくつものしきりを物事のなかに見出すことで、物事を異なる複数の軸で見ることなのでしょう。 しきりとデザイン僕らが見るモノには輪郭線があります。輪郭線の内側と外側で、モノとそれが置かれた環境は図と地の関係を成します。とうぜん、デザインをする際にはそれを理解した上で、様々なモノの輪郭を決めることになります。 深澤直人さんは『デザインの輪郭』のなかで、「デザインの輪郭とは、まさにものの具体的な輪郭のことである。それは同時に、その周りの空気の輪郭でもあり、そのもののかたちに抜き取られた、空中に空いた穴の輪郭でもある。その輪郭を見いだすことが、デザインである」と書いています。 モノ全体のフォルムだけでなく、パーツとしてのボタンや取っ手などの形体。あるいは、情報をどのように分類するかとかどういう順番で並べるかとか。はたまた、モノ…

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空海の夢/松岡正剛

木から降り二本足で立ち、直立歩行ができるようになった裸のサルは、両手が自由になって道具を操ったり指折り数えることができるようになり、目線が高くなって遠くまで見渡せる両眼視を手にいれ、声帯筋が直立することで声の分節化が行えるようになり、その声の分節パターンが大きくなった脳に記憶されることで言葉を操れるようになりました。 しかし、 まったく「坐る」とは東洋の恐ろしい発見だったと思う。 松岡正剛『空海の夢』 今日、暗く冷たい伽藍のなかの如来像や阿弥陀像をみてもわかるように、仏僧たちは直立歩行で自由になった手を結びなおし、両眼をあえて半眼のソフトアイにして、繰り返し経を唱えることで自由な発話・思考から離れることで、進化を抑制しようとしていたようにさえ思えます。 土橋寛さんの『日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで』という本を紹介した際に、「呪術は人間が自然物や他者を直接的にコントロールすることによって、願望を遂げようとする行為であり、宗教は超自然的な存在としての神・仏の力に頼って、間接的に願望を遂げようとする行為である」という言葉を引用しましたが、必ずしも仏教においては仏は間接的に願望を遂げるために頼る対象というよりも、「自然物や他者を直接的にコントロールする」力を失いつつある状況を脱するため、あるいは、すでに失ってしまったその力を取り戻すために、その行為を模倣する参照点ではなかったのかと、松岡正剛さんの『空海の夢』を読んで思いました。 言葉を自在に扱えるが故に頭に渦…

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『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:3.日本文化・ものづくり編

発売まであと20日をきった『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』。おかげさまでアフィリエイトやランキングの推移をみていても、すでにamazonで予約をいただいた方がいるようです。ありがとうございます。amazonでも相変わらず書影の掲載はまだですが、こちらやこちらに内容の紹介や目次など載せていますので、参考になさってみてください。 このブログを読んでいただいている方には楽しめる内容にはなっているかなと思いますので、ぜひ読んでみてもらえると光栄です。 さて、ちょっと間が空きましたが、「:1.デザイン編」と「2.認知科学・UCD編」に引き続き、『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献を紹介しようと思います。 今回の著書では「ユーザー中心設計の方法論を用い、その中心にペルソナ/シナリオ法を置き」ますが、「それを海外で用いられているそのままの状態で使うのではなく、日本型に変換」した形の日本型ユーザー中心設計プロセスを提唱しています。 もちろん、海外の技術を参照すること自体が悪いのではありません。日本ではそれは『古事記』が書かれる以前の時代からやってきたことです。というのも、『古事記』自体が文字をもたなかった日本が漢字という技術を導入して書かれたものなのですから。また、日本に限らず、海外の技術を自国に導入することはどこの国でもやっていることです。ただ、問題はその技術の導入が非常に表面的なところに終始している点で…

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日本の伝統/岡本太郎

人間にはどうも自分が見えているもの以外が見えなくなるという傾向があるのは否定できません。 目に見えるものだけでなく、普段感じていないものに関しては、感覚を失ってしまうし、そもそも、感じたことがないものに関しては、知識では得ていても、その存在を認めにくくなってしまう傾向があると思っています。 長いあいだ、木々の生い茂った山々に足を運ばなかったりすれば、すぐにその山の空気が都会の空気とどれほど違うかは忘れてしまいますし、しばらく美味しいものを食べずにジャンクフードばかり口にしていると本当に美味しいものがどんなだったか忘れてしまいます。積雪の多い場所で暮らした経験がなければ、そこでどういう暮らしを営めばいいかは想像がつかないし、盆地の夏の暑さを経験したことがなければ、夏場に備えてどんな準備をすべきかもわからないでしょう。 目に見えないものを想像できる力がないと思考パターンが単調で狭くなるこうしたことはわからないまでも想像力を働かせることで、その場になんとか意識をつなげることはできます。しかし、それが普段目の前になければ意識を保つことさえむずかしい。それはそれで仕方がないことだと思います。 ただ、問題は意識から消えたそれらのものの存在を本当に忘れて、まるでそれらが本当に存在しないかのような枠組みで思考してしまうのは、どうにかしないといけないでしょう。その場に存在しないものをいかに想像して、それらの存在を思考の枠組みに含めて思考を組み立てること。そういうことが必要な場面は往々にしてありま…

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木に学べ―法隆寺・薬師寺の美/西岡常一

先に「ほんまに賢いゆうのはどういうこと?」でも紹介しましたが、『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』は、法隆寺、薬師寺の修復・復元に関わり、最後の宮大工棟梁といわれた故・西岡常一さんが77歳当時(1985年)に語った話を口述筆記した一冊。 これを単なる仏教建築に関する本だと思ったら大間違い。ものづくりをする集団をまとめる棟梁として、木のこと、人のこと、そして、神や仏のこと。すべてにおいて学ぶものがあります。 「棟梁は、木のクセ見抜いて、それを適材適所に使う」ことと語る西岡さんは、また「木のクセをうまく組むためには人の心を組まなあきません」とも言います。 ふつうの大工と宮大工の違いを「仕事とは『仕える事』と書くんですわな。塔を建てることに仕えたてまつるということです。もうけとは違います。そんだけの違いです」と語る棟梁は、「アニミズムすぎるくらいがほんとうのアフォーダンスでは?」で紹介した中世の庭づくりの技術書である『作庭記』に書かれた「石の乞わんに従え」という言葉そのままに、木と話をし、木のクセを活かして、さらにそれを組む人のクセを活かす方法を知っていました。 しかし、それは「自分が偉いんではない」、「遠い祖先からの恩恵を受けている」と語った西岡さんは1995年に86歳で亡くなっています。 それから、すでに13年。僕らは「遠い祖先からの恩恵を受けている」んでしょうか? また、受けようとしているのでしょうか?

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『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:2.認知科学・UCD編

『ペルソナ作って、それからどうするの?』の第1章では、「デザインって何なのでしか?」という問題の整理をスタート地点にして、「ウェブの制作とデザイン」、「創造性とデザインの方法」、「ユーザーの行動とデザイン」、「ウェブサイトをデザインする際の境界線問題」と話を進め、現在のウェブデザインの問題点と課題を整理・指摘しています。 それを受けた第2章は「ペルソナ/シナリオ法とウェブデザイン」と題して、<「誰のためのデザインなのか?」という疑問に対して「誰のどんな問題を解決するのか」を明示するデザイン手法がペルソナ/シナリオ法>を紹介するとともに、「ユーザビリティとペルソナ」、「ユーザーエクスペリエンスとペルソナ」、「ペルソナを用いてインタラクション・デザインを考える」など、ペルソナ/シナリオ法を用いることで、ユーザビリティの問題やユーザー・エクスペリエンスのデザインをいかに解決できるかを考察しています。 ここではペルソナ/シナリオ法がどのような形でユーザビリティの向上に貢献しうるかという点を考察しようと思います。ただ、その考察をはじめる前に、まずユーザビリティとは何かを検討する必要があるでしょう。ユーザビリティはさまざまな形で解釈されており、理解の混乱もみられるからです。そのため、現在、どのような解釈がなされているかをざっと一望した後、本書でユーザビリティをどう扱うかをあらためて定義することにします。 「第2章 ペルソナ/シナリオ法とウェブデザイン」より さて、「『ペルソナ作って、それか…

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『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』:amazonにて予約開始

さて、突然ですが、本を書きました。 『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』という本です。初の単著になります。 発売は5月30日。気合の詰まった384ページ、¥2,940です。 追記(2008/05/02 23:25): 情報デザインフォーラムのほうにも関連情報を掲載しました。http://informationdesignforum.blogspot.com/2008/05/web.html さて、内容と構成は、というと、

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日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで/土橋寛

養老孟司さんが、佐治晴夫さんとの対談集『「わかる」ことは「かわる」こと』で、「思想が行動に影響するという考え方がまったくない」ということをおっしゃっていたのは「「わかる」ことは「かわる」こと/養老孟司、佐治晴夫」というエントリーのなかで、すでに紹介しました。 僕らはふだん自分の意志で自由に行動し、自由に考えているつもりかもしれませんが、所詮その自由も自分の信じる思想の範囲での自由でしかないことを忘れがちだし、そもそも、そのことに気づいていない人さえいるでしょう。 その意味では、「信仰」とは行動や感情を決めるシステムであるということを、もう一度見つめなおしたほうがよいのでしょうし、自分では見えにくい自分たちの信仰というものを別の信仰と比較することで浮かび上がらせることが重要かもしれません。 宗教に先行する呪術の時代例えば、信仰といえば真っ先に思い浮かぶのは「宗教」なのだと思いますが、歴史的にみれば「宗教」の前には「呪術」が信仰における方法として先行しています。 呪術は人間が自然物や他者を直接的にコントロールすることによって、願望を遂げようとする行為であり、宗教は超自然的な存在としての神・仏の力に頼って、間接的に願望を遂げようとする行為である。 土橋寛『日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで』 古代における、呪術から宗教への転換。これはある時点で世界中でほぼ同時的な現象として起こったことです。 世界はある時点でほぼ同時期的に、ブッダ、ゾロアスター、ソクラテス、老…

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