日本の歴史をよみなおす/網野善彦

日本の歴史をよく知らない人ほど、その歴史に対して漠然としたイメージをもっていたりします。 例えば、 日本は古くから農業中心の社会で、稲作を中心に据えてきた日本の人口の大部分は農業民で、多くの村は農村だった商工業民は農耕民より身分が低いものとされ、芸能民を含む非人は賤視されてきた昔は識字率が低く、一部の階層の人しか文字を読むことはできなかったかつては村などの共同体単位で自給自足の生活をすることが多かった明治期の開国において日本は一気に資本主義化、産業主義化を果たした などなど。 でも、この本を読むと、こうしたイメージがまったくの想像の産物でしかないことがわかって唖然とします。 そして、そこからはまったく別の日本のイメージがそこには浮かび上がってくる。 日本の村の四分の三が室町時代に出発点を持っている14世紀を超えて15世紀にはいる頃になると、それまで漢字中心の文章からひらがな交じりの文章の割合が圧倒的に増える金属貨幣の流通が本格化しはじめたのは13世紀後半から14世紀にかけてのこと天皇という称号が制度的に定着するのは天武・持統朝。日本という国号もそれとセットで7世紀後半に定まった。つまり、聖徳太子は「倭人」ではあっても「日本人」ではない縄文時代からすでに日本は朝鮮半島や北のサハリンと交流があった。海は日本の国境ではなく、むしろ東と西をはじめ、いまの日本の国内に複数の国が存在していた百姓は必ずしも農民を意味しない。土地をもたず貧しいと考えられていた水呑百姓は必ずしも貧しくは…

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異形の王権/網野善彦

この本は中世において「異類」または「異形」と呼ばれた人びとにスポットをあてています。 例えば、中世、河原で行われた罪人の処刑の執行を実際に行ったのは「放免」と呼ばれる非人たちでした。「放免」は、彼ら自身が前科のある者でありつつも、その罪に対する罰則を文字どおり免れた放免囚人で、検非違使庁の下級刑吏として犯罪者の探索・捕縛・拷問・処刑を職能とした人びとです。彼らは口髭、顎鬚を伸ばし、特殊な祭礼時や一部の女子にしか許されなかった綾羅錦繍、摺衣と呼ばれる派手な模様のある衣服を身につけていたといいます。 また、牛車に付き添って牛の世話をする牛飼童は、成人しても童形をした人びとで、烏帽子をつけず髻(もとどり)を結わず垂髪、口髭や顎鬚を生やしていたといいます。成人になっても童形をした人びとにはほかにも、猿曳、鵜飼、鷹飼などの鳥獣を操る人のように「聖なる存在」として、人ならぬ力をもつと畏怖された人びとが多かったようです。とうぜん、本当の童である子どもも神に近い「聖なる存在」として受け入れられていました。 このほかにも、柿帷(かきかたびら)に六方笠、蓬髪、覆面、烏帽子や袴の未着用、高下駄、蓑笠、長い鉾や杖、大刀など、本来は禁制となっていた服装を身につけた人びとは「異類」または「異形」、あるいは両方を連ねて「異類異形」と呼ばれたといいます。

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華厳の思想/鎌田茂雄

華厳経の中心仏は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)。毘盧遮那はサンスクリット語の「ヴァイローチャナ」の音訳だそうです。訳すと「光明遍照」、無限の光が遍く照らしだす。そんな太陽の輝きのイメージをもっているのがは毘盧遮那仏です。宇宙の真理をすべての人に照らし、悟りに導く仏とされています。ちなみに、真言密教における大日如来は摩訶毘盧遮那仏(マハー・ヴァイローチャナ)で、マハーはスーパー、さらに偉大なという意味。つまり大日如来は超毘盧遮那仏なんですね。 毘盧遮那仏は、もっとイメージしやすいようにいえば東大寺の大仏がそう。あの奈良の鹿たちが住まう奈良公園にある東大寺の大仏。 東大寺は現在も華厳宗の総本山です。

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無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和/網野善彦

江戸時代、女性には離縁権がなかったといいます。離縁は夫が三行半の離縁状を書いてはじめて成立したそうです。ただ、女性のほうにまったく手がないかといえば、そうではなかった。その方法というのが縁切寺=駆込寺に駆け込むことでした。妻が縁切寺に駆け込むと夫は手出しができないことになっていて、妻はそこで三年過ごすと夫と縁を切ることができたそうです。 網野善彦さんの『無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』という本は、こうした縁切寺=駆込寺で切れる縁が江戸時代より前の中世においては、夫婦の離縁だけではなかったことを明かしていきます。 外でこしらえた借金や罪も、それから主従の縁や下人や奴隷として働かされた縁も、縁切寺=駆込寺に駆け込むことで無縁となる。借金は消え、罪は問われなくなり、主人は追ってこられなくなる。そうした無縁の場というものが、縁切寺=駆込寺以外にもあったのが中世だといい、さまざまな資料をもとに中世に存在した「無縁の原理」なるものを解き明かしていきます。

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アキッレ・カスティリオーニ 自由の探求としてのデザイン/多木陽介

「どの照明器具も、器具本体よりも照明効果のほうが重視されるときだけにインダストリアルデザインとしてその正当性を認めることができる」 これは、イタリアのデザイナー兼建築家であったアキッレ・カスティリオーニの言葉です。 照明器具そのものの形よりも、それが作りだす光の形にこだわる。当たり前といえば当たり前のことかもしれませんが、これができるデザイナーってあんまりいないんじゃないのかなって思います。はっきりそれを口に出して表明し、さらに実際にデザインする際にも余計なものを極力そぎ落とそうとする人はなかなかいないんじゃないでしょうか。 「もしこのテーブルの上に乗っているものがすべてテーブルなしでも同じ高さにいられたら、ランプなしに光が出せたら、こりゃあ、なかなか悪くないよ」 こんな風に究極的にはその効果だけをとどめて、物の存在はなくてもいいといえるようなデザイナーってなかなかいないですよね。 この本の主人公であるアキッレ・カスティリオーニという人はまさにそういう希少なデザイナーだったようです。

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連塾・方法日本1 神仏たちの秘密―日本の面影の源流を解く/松岡正剛

まったくおそろしい本です。今まで10冊以上松岡さんの本を読んでますが、スピード感や勢いという意味ではこれが一番圧倒されました。連塾という講義を収録したこともあってかライブ感のある荒々しさがいいです。文面からもその場の熱気が伝わってくる。そして、この講義の場に顔を揃えた方々の興奮まで(この講義には鈴木清順さん、前田日明さん、しりあがり寿さん、樂吉左衛門さん、中村吉右衛門さんなど、そうそうたる方々が参加しています)。 なんで、本を読んだだけで熱気や興奮まで感じられるんでしょうね? これが松岡編集工学のなせる業なんでしょうか。あらためて考えると不思議です。

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かくれた次元/エドワード・ホール

3年前に4か月ほど名古屋で暮らしていた時期があります。その時、名古屋に行ってしばらくの間、僕はものがうまく考えられない状態に陥ったことがあります。頭のなかにあるものがうまくまとまらなくてブログも書けないような状態でした。 しばらく住んでみて落ち着いてくると、その症状は改善しましたが、環境が変わるとこういうことが起こるんだと、ちょっとびっくりでした。 その名古屋にしばらく住んでいて、僕がいちばん名古屋の街に感じた印象は、ここって車がよく見えるように作られた街だなということでした。名古屋に行ったことがある方ならわかると思いますが、名古屋駅周辺って基本的に人が活動する空間って地下なんですね。名古屋駅周辺に巨大な地下街があって、ほとんどのお店はそこにある。買い物をするにも、お茶をするにも地下。とうぜん、空は見えないし、両脇に見た目があまり変わらないお店が並んでいるので、しばらくは方向感覚がつかめず、どこに何があるかが覚えられませんでした。 で、地上がどうなっているかというと、完全にオフィス街。でも、丸の内のような印象ではないんですね。人がいない。代わりに車線の広い道路を車が占領している。それが駅周辺だけじゃなく、けっこう広い範囲に渡っている。住んでいたのは名古屋駅から歩いて10分ほどのところでしたが、人が歩く感じの街並みになっていなくて散歩をすることもままなりませんでした。まさに車の街だなと感じたわけです。 パリでは周知のように、戸外が魅力的であって、足を伸ばし呼吸し、空気を嗅ぎ、人と…

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デクステリティ 巧みさとその発達/ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ベルンシュタイン

運動の巧みさについて書かれた一般向け科学書。だいぶ前に読んだ本ですけど、ひとつ前のエントリーでアフォーダンスのことを書いて、読んだことを思い出しました。 この本の著者であるベルンシュタインはロシアの生理学者。この本は1940年ごろ書かれたと推測されていますが、著者の死後20年経ってようやく遺稿が発見され、英語版が出版されたのは1996年だといいます。日本語版である本書は2003年の発行です。 本書の目標として、著者はまえがきに次の2つを挙げています。 巧みさという複雑な心理物理的能力を、できるかぎり厳密かつ詳細に定義し、分析すること動作の協調や、運動スキルや練習などの性質について、現在までわかっている知見を一般読者に向けて簡潔に解説すること 巧みであるかは別にしても、人間がある特定の状況において行う動作というのは単位的な動作の複雑な協調であることは僕ら素人にもなんとなく想像できます。 昨日の「アフォーダンスとは」では、ペンを手に取る動作とペンケースを手に取る動作では、手(指)の形が無意識的に選ばれることを確認しましたが、当然、そこでは目と手(指)の協調が起こっているはずです。しかも、手(指)だけで机の上の物体を取れるかというとそうではなく、直接的には手(指)で物体を取るにしてもほとんど身体全体を使ってその動作を行っているのは想像できます。 そんな単純な日常の動作でも身体全体がうまく協調しないとその動作を成功させることはできません。机の上のペンを取り損なうことはほとんどあ…

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Amazonアソシエイト 2008年注文数ベスト20

2008年最後のエントリーはこれで。 当ブログで今年注文の多かった本、ベスト20を紹介しておきます。 昨年に引き続きランクインしている本があるのが結構驚きです。 Amazonアソシエイト 2007年注文数ベスト20 また、先日僕自身が「冬休みの読書におすすめする16冊の本」でピックアップした今年の16冊とかぶるものが少ないというのは、ちょっとさみしかったりもします。 そんなことを感じつつも、まずは20位から17位。 ※書評名/著者名のリンクは当ブログ内書評です。 20位 脳と日本人/松岡正剛、茂木健一郎今年のはじめに紹介した本です。松岡さんの茂木さんの言葉のキャッチボールのアクロバティックさに驚いたものです。科学と日本を同時に考えさせてくれた面白い一冊でした。19位 知の編集工学/松岡正剛19位も松岡正剛さんの本。松岡さん絡みは2冊の対談を含めて4冊ランクインしています。この本は松岡さんが自身の編集工学について語った一冊。前半は情報とは何かを教えてくれ、後半でその情報をもつ特徴をもとにした編集工学のテクニックの入口のところを紹介してくれています。他にも松岡さんの本を読んでいる僕にはあらためて松岡さんの考える情報観を整理できたという意味でよかったです。18位 About Face 3 インタラクションデザインの極意/アラン・クーパーほかこの本がランクインしたのはうれしい。僕はこの本がいまのところ日本語で読めるユーザー中心デザインの本ではベストだと思っているので。ユーザー…

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東洋文化史/内藤湖南

原研哉さんとの対談集『なぜデザインなのか。』のなかで、イタリアで活躍しているデザイナーの阿部雅世さんは、デザインというものを日本語に翻訳する際に「生活文化をつくる仕事」というふうに訳してみたらどうかということをいっています。そうしたデザインの仕事をするためには、前提として「質のいい暮らしをするためには、自分自身が、文化に支えられた生活をすることが必要」「自分の生活を支える哲学を豊かにすることがたぶん必要」ともおっしゃっています。 今年1年を振り返ってみると僕にとってこの1年というのは、まさにこの「生活文化をつくる仕事」ということを公私ともに考え実践してきた1年だったという気がします。 「公」というのは『ペルソナ作って、それからどうするの?』の出版や情報デザインフォーラム関連の一連の活動を含めてユーザー中心のデザインの仕事に関わってきたことを指します。「私」というのは日常の暮らしのなかでの仕事(家事やそれにつかう道具)を見直したり、いろんな場所に出かけて古い文化の名残に実際に触れてみたり、あるいは書籍を通じて文化(特に日本文化)について調べてみたことを指します。 自分の生活を支える哲学デザインを「生活文化をつくる仕事」として捉えるという点では、今年やってきた活動はまだようやくスタート地点に立てたかな、くらいの印象を僕自身もっていますので、来年以降も引き続き自分にとっての課題だなと思っています。その観点からまずは「デザイン思考(デザインシンキング)」というものを僕なりに一度まとめてみ…

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発想法―創造性開発のために/川喜田二郎

KJ法=川喜田二郎・法。 そう。この本はKJ法の生みの親である川喜田二郎さんの著書。KJ法について、もう一度、頭のなかをちゃんと整理しておこうと思って読みました。 といっても、単にKJ法だけを紹介した本じゃありません。タイトル通り、発想法について書かれた本で、KJ法はそのなかで使うツールの一部です。で、発想法とは何かというと、こんな説明があります。 発想法という言葉は、英語でかりにそれをあてると、アブダクション(abduction)がよいと思う。 川喜田二郎『発想法―創造性開発のために』 アブダクション(abduction、発想法)インダクション(induction、帰納法)デダクション(deduction、演繹法) という3つの分類はアリストテレスによる論理学の方法の分類。帰納法と演繹法については知られていますし、その方法もギリシア以来発展してきていますが、アブダクション=発想法はそれに取り残されてきた形です。アブダクションという言葉もアリストテレス以来、忘れられていて、その名前がひさしぶりに登場したアメリカのプラグマティズムの祖として知られるチャールズ・パースが取り上げたからでした。 とはいえ、発想法については、いまひとつ体系化された方法がなかったわけです。それに1つの体系化された形を与えたのが、この本の著者・川喜田二郎さんです。 この本の初版は1967年に出版されていますから、ちょうどハーバート・A・サイモンが『システムの科学』第1版を書いたのとお…

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白川静 漢字の世界観/松岡正剛

白川さんの本を読むということは、文字という形態により言葉をあらわす人工物の世界観・体系、あるいは、それを用いる人間の観念や行為と形態との関係を探ることを意味します。それはハーバート・A・サイモンが1967年の『システムの科学』("The Science of the Artificial")ではじめて描いたデザイン思考(Design Thinking)という概念もその領域に含んでいます。ものの形を吟味することを仕事とするデザイナーがこうした関係性について無視するのはどうしたことか?と疑念をもたずにはいられません。 人間中心設計を高らかにうたっている人でも同様で、いまの人間や社会だけを前提に、あきらかにそれ以前からのスタイルの影響を受けているものの形をあれこれいうのは視野狭窄の感があるのはこれまでも指摘してきたとおり。例えば、ヘンリー・ペトロスキーが『本棚の歴史』で描いたような、本がかつて書棚に鎖につながれていたこと、蔵書を収納する施設(図書館)は収納と採光のトレードオフ的な関係があったことなどを知らずに本のレイアウトや版面のデザインを云々いっても、明らかに何かが不足していると感じます。 デザインやってる人で、ものの歴史をちゃんと学ぼうとする人は建築のデザインを唯一の例外としてとにかく少ない。なぜ、ある特定の道具の形は類似するのか、どうしてそうなったのかを理解しないまま既存の物の形を模倣する。形の意味を解せずに、形の吟味を行っているということですから、あきれたものです。そのことは1つ前の「漢…

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漢字百話/白川静

「形のないものは本当は語ではありえない」 このことばを目にしたとき、僕は自分がどうして白川静さんの本にこんなに惹かれるのか、わかったような気がしました。人間にとっての形と意味あるいは価値。そして、その形を操る人間の日々の行為。僕はそのことにすごく関心がある。それは僕がデザインなんてものにずっとこだわっている理由とも関係しているのだろうと思います。 このことはまたあとで書くとして、まず、この本の内容に触れておくことにします。

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冬休みの読書におすすめする16冊の本

今年もあとすこしですね。今年もいろんな楽しい本に出会えて幸せです。その中から何冊かをご紹介。冬休みの読書の本選びの参考にでもしていただければ。おそらくここで紹介する本は、他のブログのおすすめとはかぶらないでしょうし。 では、さっそく。 (文中の書籍名にあるリンクはそれぞれ本ブログでの書評へのリンクです)

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About Face 3 インタラクションデザインの極意/アラン・クーパーほか

ゴールダイレクテッドデザインと名づけられた、ペルソナ、シナリオを用いたインタラクションデザインの手法を詳しく紹介する一冊。すでに何度かほかのエントリーで紹介してきましたが、あらためて。 本書によれば、インタラクションデザインという用語が使いはじめられたのは、本書の第2版からだそうです。初版では単にソフトウェアデザインと呼んでいたと書かれています。ユーザーインターフェイスデザインという用語もあるが、より広い範囲を対象にするため、インタラクションデザインという用語を使っているそうです。より広い範囲とは、形態、機能、内容、動作が複雑に絡み合っている状態を指しています。特に動的な要素であり、利用者との相互作用である機能と動作といった振る舞いの動的な要素をいかに形態や内容といった他の要素と統合してデザインするかということを重視して、ゴールダイレクテッドデザインというインタラクションデザインの方法が紹介されていると考えればよいでしょう。

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詩経―中国の古代歌謡/白川静

人間にとって、ことばとは何なのか? ことばを発するということはどういうことなのか? 何かしらの対象(object)を指示する記号・表象としてだけ、ことばを捉えてしまう現代においては、ことばと人間の関係はすでに壊れてしまっているように感じられます。親の庇護を失った子どもが日々無防備に大量のことばに曝されているような状況か。 現代の成人はことばに対する防御力をもたない、あるいは、ことばに対する惧れを抱かないという意味において幼児的であり、また、その幼児に道を教える親という存在の不在において、まさに現代は未来を喪失しているのではないかと感じます。そして、その未来の喪失は本来の消失に起因するのではないかという気もするのです。ことばの本来の消失に。

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日本文化史研究/内藤湖南

『日本文化史研究』上下巻は、日本近代の東洋史学者のなかで最も影響のあるといわれる内藤湖南さんが各地で行った、日本文化史に関する講演録を集め収録した本です。 内藤湖南さんは名を虎次郎といい、1866年(慶応2年)に現在の秋田(当時は陸奥国)に生まれ、上京して「三河新聞」や雑誌「日本人」をはじめ「大阪朝日新聞」「台湾日報」「万朝報」などの編集に携わったのち、1907年(明治40年)に京都帝国大学(現京都大学)の文科大学史学科に招かれ、京都支那学の創設者、京大の学宝とまで呼ばれました。1926年(大正15年)に退官し、読書三昧の毎日を過ごしたあと、1934年(昭和9年)に亡くなっています。 内藤湖南さんとの出会い僕が内藤湖南さんに興味をもったのは、松岡正剛さんが何かの著書で影響を受けたと書いていたからで、この本は9月頃には買っていたと思います。 その後しばらく読まずに置いておいたのですが、最近読んだ『白川静 漢字の世界観』のなかで松岡さんが白川静さんも内藤湖南さんに影響を受けたということが書かれていました。そして、白川さんの「内藤先生のことは、そういうふうに私が一番最初に、いわゆる私淑ですね、『孟子』がいうところの私淑である。直接にその人の教えを受けることはできんけれども、ひそかにそれに習うて自らを淑くするという、そういう私淑という気持ちで先生の著作に接しておった」という言葉が引用されていました。 松岡さんと白川さんという僕が読んで非常に惹かれる本を書かれているお2人が揃って影響を受…

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隠された十字架―法隆寺論/梅原猛

小説を読むに読めました。比較的、分厚い本でしたけど、推理小説のように読めたので一気に読み終わりました。この本は法隆寺の謎に関する本なんですが、歴史的な謎を探るというのは結局推理小説で探偵が事件の謎を解くのと同じ構造にあるのだと思います。1つの隠された事実があることを仮定して、明らかになっている事実を証拠として、その謎を論理的に説明可能な状態に導いていく。その意味では推理小説の謎を解くのも歴史の謎を解くのも科学がそれまで知られていなかったことを説明できるのと同じ構造を持っているのだと思います。言いかえれば、科学が中心の時代だからこそ、推理小説も歴史も存在するといっていいのではないでしょうか。

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呪の思想―神と人との間/白川静、梅原猛

最近、一冊読んで面白かった人の本を続けて読む機会が多くなっています。 松岡正剛さんは別格だとしても、すこし前の高山宏さんもそうだし、割と最近では田中優子さんもそうでした。そして、いまは白川静さんのサイクルに入っていて、『初期万葉論』と『漢字―生い立ちとその背景』に続いて、梅原猛さんとの対談である『呪の思想―神と人との間』を読みました。 対談当時、白川静91歳、梅原猛76歳というからそれだけですごい。しかも、お二人ともこんな素敵なお顔をしてます。 91歳+76歳に蓄積された知識の深みは感嘆するばかりです。さらに対談ですから読みやすく、ほかの白川さんの著作に比べたらはるかに読みやすく、はじめて読む方にもおすすめ(もう1冊入門書としては最近出たばかりの松岡正剛さんによる新書『白川静 漢字の世界観』なんてのもあります。当然、僕も買いました)。

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工藝の道/柳宗悦

「自分で考えろ」「答えがあると思うな」 学校でも企業でも当然のように用いられるこれらの言葉は果たして本当に正しいか? 最近、そのことに大きな疑問を感じています。 「質の劣化と文脈からの逸脱」で書いたように、歴史的には時代が下れば下るほど、ものつくりの技術は質的に劣化し、かつて可能であった品質をあとの時代には再現できなくなります。いまに生きる人たちはこのことに無頓着ですが、すこしでも関心をもって歴史上の制作物を振り返る目をもった人であればその差は歴然としています。 過去の技術の伝承・維持、あるいは個人意識の孤立を回避するにはなぜ過去にあった質を維持する技術の伝承ができないのか? それは白川静さんが『初期万葉論』や『漢字―生い立ちとその背景』で、田中優子さんが『カムイ伝講義』で描いてくれているような社会のしくみの変化、それにともなう人間の内面の変化、徐々に距離感ができ遠ざかる人間と自然との関係、そして、経済文化の変化にともなう働き方の変化や働くことの思想の変化が、生産の単位や消費の単位を今日までに徐々に個人化してしまったことにあるのでしょう。 今日美術と呼ばれるものは皆Homo-centric「人間中心」の所産である。だが工藝はそうではない。そうでないがために卑下せられた。しかしそうでないが故に讃美される日は来ないであろうか。工藝はこれに対しNature-centric「自然中心」の所産である。ちょうど宗教がTheo-centric「神中心」の世界に現れるのと同じである。 …

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