身体としての書物/今福龍太
『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』を書き終えたばかり(しかも発売前)ですが、今度はインターフェイスに関する本を書きたいなと思っていて、構想を練りはじめています。
インターフェイスといっても、いわゆるユーザーインターフェイスという狭い範囲の話ではありません。ましてやGUIだけについて書きたいわけではありません。
文字や本、絵画、それから食器やこれまで歴史的に登場した民具なども含めた、もっと広い意味での人間と外界とのインターフェイスについて書くことで、現在のユーザーインターフェイス(GUIもTUIも含めて)を超えたインターフェイスの可能性を開くことができると考えています。それは白川静さんの文字学や宮本常一さんらの民具の研究、そして、バタイユの「非-知」、ベンヤミンの「幼年期」なども取り込む形でのインターフェイス論になるだろうと思います。
そうしたインターフェイス論を書く必要がありそうだなと考えていて、なんとなく構想も頭にイメージできつつあります。
当然、そうした思考をまとめていくためには、『身体としての書物』のなかで「書物とは、ただ単にそこから必要な情報や教養を得るための便利な道具ではない」と書く今福龍太さんのように、書物というインターフェイスについても考えなくてはなりません。「本とは、必ずしも簡単にデータとして利用したりコンテンツとして消費したりすることのできるメディアではない、という点こそが重要なのです」ということばを念頭におきつつ、「本と自分との関係はも…







