残念なデザイン。

うーん。これはいま実感としてすごく感じているところ。 残念なデザイナは、往々にして表面だけの議論をしたがります。「この曲線が美しい」とか。うん、そんなのね、どーでもいいの。こういうヒトは誰かの真似をした"もっともらしい"表面を並び立てるだけ。"なんだか"格好いいけど、深みがない。そして、なによりも応用が利かないから、提案としてとても打たれ弱い。 構造によって表現を創る (arclamp.jp アークランプ) なんだか格好いいけど、深みがないデザインって、本当に残念だということを、いま個人的に身にしみて感じているところです。 上記のエントリーでは、「表面」に対して「構造」の重要性が述べられていますが、僕はその「構造」の部分を「意味」と言い換えたい。

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文化が「用」と「形」を媒介する

昨夜の「日本語ということばを使う日本人」に引き続き、6/18発売予定の『デザイン思考の仕事術』のボツ原稿より・・・。 人と物との関係でも、人間同士の関係でも、そこに親しみをもった接点が生まれるためには、その間に何がしかの知覚可能な媒介が必要になります。それは言葉であることもあれば、音楽や絵だったりすることもあれば、デザインされた物であることもあるでしょう。

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コトバとモノ

ブログを書いてる場合ではないのですが、忘れないうちにメモ(まぁ、忘れませんが)。 いわゆる狭義の人間中心設計、ユーザビリティの分野では、"Context of Use"(利用状況)を大事にします。 でも、僕自身は利用状況というコンテキストだけ重視しても人間中心のデザインにはならないと思っています。

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「ペルソナを使った人間中心のデザイン」というテーマでセミナー講師をしてきました。

昨日は、コプロシステム・商品計画研究所さま主催のセミナーで、「ペルソナを使った人間中心のデザイン」というテーマで講師をしてきました。 「ペルソナ」「デザイン思考」「人間中心のデザイン」をキーワードに、マーケティングの視点からデザインのお話をさせていただきました。 普段と客層の違うところでお話しするので、「デザイン思考」についてうまく伝わるよう極力噛み砕いてお話させていただきましたが、なかなか好評だったか、と。 お話した内容は、以下。(講演資料のアウトラインより)

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『デザイン思考の仕事術』Amazonで予約開始

『ペルソナ作って、それからどうするの?』に続く単著2冊目、『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』がAmazonで予約開始となりました。 発売は、6月18日です。 今回は、ひろく一般の方向けに「デザイン思考」を仕事に活用する方法を紹介しています。  僕らは長いあいだ、勘違いしていたようです。デザインの仕事というのがあると誤解していたんです。実際にはデザインとは僕らが勘違いしていたような狭い範囲の仕事ではなかったのです。  モダンデザインのプロジェクトが教えてくれたのは、僕らはデザインによって自分たちの生活そのもの、生き方そのものを改善していくことができるということでした。もうひとつモダンデザインのプロジェクトが反面教師的に教えてくれたのは、生命そのものである僕ら自身を変えることはできないし、また、僕ら自身を含む生命そのものをおろそかにした改善活動はかならず副作用的な悪影響をおよぼすということでした。 「はじめに」より いちお、章レベルでの構成は以下のとおりとなっています。 1.デザイン思考とは2.デザイン思考の「情報収集術」3.デザイン思考の「企画発想術」4.デザイン思考の「問題解決法」5.デザイン思考の「職場作分術」 まだ、目次も書影をはじめ、何の情報もないですが、とりあえず速報です。 関連エントリー デザイン・シンキング

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ペルソナやシナリオを身につけるためのワークショップの要望ってありますか?

タイトルでは疑問形で書きましたが、なんとなくそういうニーズがあるのか、と。 いくつか企業主催のセミナー、ワークショップの講師をさせていただいてますが(たとえば、これ)、このご時世でもあり、自分の会社からは高い参加費は出してもらえないという方もいるようです。 というわけで、個人的にもご相談いただければ対応してみようか、と。

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入力したものをどうするか?

「アウトプットができない人がまずやるべき3つのこと」ではインプットの基本をまとめました。 そこでは話し相手という例をあげましたが、実際には「「我を捨て、自分の外にでる」ということの意味」で補足したように、インプットの対象は話をする相手だけでなく、もっと一般的な意味での人間だったり物事だったりします。そこでも書いたとおり、インプットを行うのは、我を捨てて自分の外に出て、自分の中にないものを発見するためです。 自分の思い込み・当たり前・固定観念の外に出るために、観察対象の立場になって観察・聞き取りをする。いわゆる質的調査と呼ばれるものです。質的調査を通じて僕たちはそれまで居た自分の内側の世界から外の世界を旅することになる。 僕は、西行や芭蕉のような歌人や俳人が日本各地を遊行してまわったり、折口信夫さんや宮本常一さんの民俗学者や、柳宗悦さんのような人が全国をフィールドワークしてまわったりしたのも、結局のところ、自分の世界の外に出て、好みをスクリーニングするために必要なことだったのだと考えています。千利休や骨董の目利きで知られる青山二郎さんがたくさんの器に接したのもおなじことでしょう。 「アウトプットは毒素の排泄活動?」であらためて定義したとおり、インプットとは、「外のものを中に入れるのではなく、自分の境界をすこし広げたり、自分の居場所を移動させたりすることで、それまで外にあったものを内にすること」です。 自ら外の世界を旅して、自分自身の内側を変える発見・出会いというインプッ…

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「我を捨て、自分の外にでる」ということの意味

「僕にはそれは無理」「私にはちょっとむずかしすぎる」 うーん。なんでそう自分を決めつけちゃうんでしょうね。自分を一点に縛りつけようとするんでしょう。 そのほうがラクだからなんでしょうね、気持ち的に。 私は○○だ。○○はそれはできない。だから、私はそれができない。 と言い訳を組み立てた方が「できない」ということが理屈にあってて仕方のないことだという気がしますからね。 実際にはそうはいってても「できない」はずのことが「できちゃった」なんてなる日が来ないとは限らないんですけど。人って自分で自分をいくら決めつけたところで変わるものですから。 その意味で、ある時点であることができた/できないということで、自分の可能性なりタイプなりを固定してしまうことには大した意味はないし、むしろ、そうした自分に対する固定観念は邪魔になるだけだと思うんですけどね。

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アウトプットは毒素の排泄活動?

昨日の「アウトプットができない人がまずやるべき3つのこと」では、インプットとアウトプットをこんな風に定義してみました。 インプット外のものを中に入れるのではなく、自分の境界をすこし広げたり、自分の居場所を移動させたりすることで、それまで外にあったものを内にすることをいう。アウトプット自分を捨てて、リスクを負い、自分の枠組みの外の世界と接することで違う自分に変わること。アウトプットとはその変わった自分自身。 どんなに創造的にみえるアウトプットであろうと人間が生みだすアウトプットは真の創造物ではなく編集物です。自然に存在する素材を加工するか、すでに誰かがつくった人工物を編集することによってしか、人間はアウトプットなどできません。 また別の視点からみると、アウトプットが誰かに何かを伝えようとするものなら、前提としてすでに相手が知っているもの(あるいは意味を理解できるもの)を使って伝えることが必要になり、結局はどんなに新しい創造物であっても人間社会におけるルールを踏襲するしかないということにもなる(言語による創作を考えると一番わかりやすい)。 僕は、人が何かをアウトプットする行為(その前提となるインプットも含めて)って、単純にいってしまうと外(外部環境)と内(自分)との差分をとる行為ではないかと思っています。なので先のエントリーでも、我を捨て相手の懐に入れといったわけです。そうやってインプットしたあとではじめて差分がとれる。この外側と宇都側の差分をとる活動がアウトプット。 いや、…

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今日のびっくりどっきりメカ発進!

これってなにかのネタ? それとも思考停止のふり? 経営者としては専門家に理論やトレンドはこうだと決めつけてもらえると、デザイン決定を進めやすい。こうした本でエイヤっと決めてどんどん先へ進めると良いな。 図解で分かるヒット商品の配色術 - 情報考学 Passion For The Future だったら、何が売れるか、どうしたら儲かるか、何もかも専門家に決めてもらって、そのとおりマネジメントしたらいかがでしょう? それで経営者といえるのかは別ですけど。 「おい、それは専門家が売れるといった色なのか?」とか部下に訊いちゃうんでしょうか? 経営層にこういう発想があるからデザインマネジメントとかいう無意味な分野がまかりとおるんでしょうね。っていうか、マーケティング的感覚で街中をみてれば何が失敗する色かくらいわかるでしょ。それができないってマーケティングの感性に欠けてるのでは? あるいはマーケティングに興味がない? ふー、やれやれ。 もっと人間や社会について勉強してくださいなと思う。自分自身の生活の見直しも含めて。 まぁ、元の本そのものがアレな感じなので、ネタだと思いますが、ちょっとビックリでした。というか、ガッカリ。  

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リフレーミング

先日からたびたび紹介ているクラウス・クリッペンドルフの『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』という本は、決して目新しい視点ではないものの、人間中心のデザインを考えるうえで大事な考え方がとてもよく整理されていて役に立つと思われることが多い(これを読まない人ははっきり言ってソンだと思っている)。 たとえば、視点あるいは物事をみるフレーム・角度を変えて、物事を多角的に理解し、深く追求するための方法としてのリフレーミング(僕もひとつの方法として「ひとりエスノグラフィ」を紹介しました)も以下のように整理されています。 既知のものを変形する代わりとなるメタファーを利用する与えられた状況の類似を探すいろいろな理論的視点、特にさまざまな分野から獲得される視点を用いるさまざまなステークホルダーの概念の枠組みを引き出す問題やデザインを概念化するためにさまざまなメディアに翻訳する これはいわゆる狭義のデザインを考えるだけでなく、物事を企画する際に発想を膨らませるやり方としては覚えておいてよいものだと思います。 ひとつひとつをみると当たり前のことだったりしますが、こうやってある程度、網羅的に整理されていると自分のなかで抜け落ちていた点もわかってよいなと思いました。

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思考のプロセスの4段階と作業空間の関係

「情報摂取の場・過程・作法をみなおす」では、本という情報メディアと本棚というスペースの関係について書きましたが、今日はそれに関連して、情報を扱う作業とスペースの関係について書いてみようと思います。 まず、情報を扱う作業をするためには、ある程度のスペースが必要だということはKJ法をやったことがある人なら誰もが実感したことがあるのではないでしょうか。たとえば、A4の用紙に書かれた文章が10数ページもあれば、大きな模造紙2枚分くらいのスペースがないとKJ法はできません。 フィールドワークなどの定性的な調査で集めた手元の情報を、ある程度、人間が把握した上で有効に活用しようとすれば、PCのモニター上のスペースではあまりに小さすぎます。情報をポストイットやカードに手書きで写すか、プリンターで出力してカード状にするかは別として、いったんは単位化した情報を大きなスペースに広げてみて全体を整理してみることが必要になります。 KJ法というのは、カードやポストイットなどの形で単位化した情報群のマップをつくる思考のための作業です。そのマップ作成の作業をするのには、情報量に応じたスペースがいる。ある程度の広さのスペースを使って情報を圧縮していく作業が、結局は頭のなかの小さな空間に情報の全体像を示した地図を刻んでいくことになります。僕は仮説として、ある程度の量の情報からしかるべき形の発想、仮説形成をするためには、ある程度の広さをもった空間が必要になるのではないかと思っています。 今日はそれにつ…

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ひとりエスノグラフィ

「2009-04-25:絵を読む、言葉を鑑賞する」で、ちょっと触れた「ひとりエスノグラフィ」というアイデア。 先のエントリーでは、自分の行動と思考のギャップに気づかない人向けに、自分の行動を客観的にみるためのものとして紹介しましたが、実はアイデアの発端はそこではなかったんです。 もともとのアイデアはエスノグラフィを簡易化するにはどうしたらいいか?というところから出てきたんです。 つまり、普通の人が本格的なエスノグラフィ調査をするのはなかなかむずかしいでしょうから、てっとり早くエスノの構成員でもある自分の特定の生活行動をビデオに撮影して、人間の行動を観察してみるということはどういうことか体験してみましょうというアイデアです。

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意味論的なデザインのアプローチへの転回

「お客さんから逃げない」というエントリーに藤井さんからトラックバックをいただきました。 使う人とその物の関係で名前が「プール」「ボウル」と変わります。 さらにいえば、たとえ名前は相変わらず「プール」と呼んでいても、意味合いが変わります。 使う人とその物がその瞬間にどういう関係であるかによって、使われ方が変わる(場合によっては名前が変わる)と捉えるとおもしろいです。 名前はまだ無い:あとちょっと良いサイト アメリカの家庭の庭にある水のはいっていないプールを、少年たちがスケートボードの遊び場として使う場合、それは「ボウル」と呼ばれるそうです。 なんで、こんな話がでてくるかというと、先のエントリーで僕がこんなことを書いたからです。 使用する前にはまだ意味が生まれていません。ただ、使用の瞬間に突然、何もないところから意味が生まれるというのでもない。使用する時点で人は自分が過去に利用してきた別の人工物と比較しながら、新しい人工物の意味を推測します。それが使用のスタートであり、物の意味のはじまりです。 と。 物は使われる前から決まった意味をもっているのではなく、人が実際に使うことではじめて意味をもつのだということをいったのですが、その具体的な例を藤井さんがあげてくれたわけです。

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情報摂取の場・過程・作法をみなおす

すこし前に書いた「テキスト情報過多の時代に人は何を感じるか」というエントリーに、べええさんがトラックバックをくれました。 この変化には、以下の2点が看過できない点だと考えました。 1つ目に、アナログ情報をデジタル化したときに情報落ちが発生します。デジタル化が進めば進むほど、欠落する情報が多くなる事実があると考えています。 2つ目に、情報過多の現代では、アテンションの方に重点が移っており、情報自体の価値がおざなりになっている事実があると考えています。 情報過多の現代における情報デザインの使命 - β. (Bee’s Blog) 僕は先のエントリーで「テキスト化された情報に接する比率が増え、まわりの環境も自然物よりも機械化、デジタル化されたものの比率が増えているいまの環境では、そうした自分自身の感覚の変化によって情報が変化したり、また対象物のほうも静止することなく刻々と姿形を変えることで、得られる豊潤な情報というものが身のまわりから失われているのかなと感じます。」と書いたのですが、それに対するべええさんの反応が上記です。 ついでなので、この点についてもうすこし考えてみようか、と。 具体的には、 場:経過とともに情報空間を経験する作法:情報摂取のやり方を見つめ直す意味:伝達ではなく相互作用として の3つについて考えてみます。 情報デザインやインターフェイスデザインに関わる人にはぜひ読んでいただけたらと思います。相変わらず、というか、いつにもまして長文ですが、印刷してで…

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お客さんから逃げない

僕自身もときどき、そういう言い方をしてしまいますが、ユーザーのことをリテラシーが高いとか低いとかいうのは正しい表現ではないと思います。 PCのリテラシーが高いとか、インターネットリテラシーが低いとかいいますが、それは単に別のリテラシーをもった人びとが存在するというだけで高い/低いという優劣の問題ではありません。PCはある人にとっては意味のある道具だとしても、別の人にとっては意味のない物であるかもしれませんし、後者にとってはそれを使うこと自体に意味がないのだからリテラシーも何もそもそも存在しません。 物の意味は、それを用いる人自身の感覚と実際の使用に結びついたものです。物そのものに意味があるのでも、個々人のなかにあらかじめ意味体系があるのでもない。 物と人が出会い、実際にそれが使用されたときに意味が生まれる。 ですから使用されていないのだとしたら、そこにはまだ、その人にとっての意味は存在しないのです。

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マーケティングとユーザビリティに対するデザイナーの失望

昨日「製品中心から人間中心のデザインへ」というエントリーを書いたが、それに関連して「デザインの新しい基礎理論」で紹介したクラウス・クリッペンドルフの『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』という本のなかに、僕がずっと感じているマーケティングやユーザビリティに対するデザイン側からの疑念と一致するくだりがあったので紹介しておこうと思います。 マーケットリサーチはデザインの革新を制限するだけでなく、人工物の生涯におけるきわめて限定された段階、すなわち販売に焦点を当てることで、デザイナーを失望させた。 クラウス・クリッペンドルフ『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』 まずはマーケティングリサーチに関してですが、ほとんどのマーケティングリサーチがデザイナーにとっては意味をなさない結果しかもたらすことができないのではないかと僕もずっと感じています。つまりマーケティングリサーチの結果を知ったからといって、デザインをするうえで役立つ情報はまったく得られないと思っているわけです。

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製品中心から人間中心のデザインへ

いま、あるUCD(ユーザー中心デザイン)プロジェクトのコンサルティングをさせていただいています。それが結構おもしろい。 守秘義務契約があるので内容はいっさい書けませんが、いわゆるつくる物(商品)が決まっていて、それをUCDのプロセスでデザインしましょうという話ではなく、人びとが生活行動として行うある類型的行動(類型的行動というのは、たとえば散歩とか祭りとかを指します)をよくするためのデザインを考えましょうということでUCDのプロセスと手法をつかって進めているんですね。これがなかなかおもしろい。やりがいがあります。 最初の段階では何をつくるかは決まっていないんです。 何のためにつくるか、人びとのどんなシーンでの利用に役立つものをつくるかというスコープだけが決まっているところからスタート。 何をつくるかは、今日の段階でようやくある特定のペルソナに対するコンテキストシナリオを書いたので、つくる物の要件がみえてきたという段階です。 残りのペルソナに関しても同様の作業を行うことで、異なる目的・ゴールをもった各々のペルソナが必要とするものが抽出でき、それを統合する形でデザイン要件、コンセプトをつくりあげる形になります。

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デザインの新しい基礎理論

1つ前の「学問・職能領域のリデザイン」というエントリーで、「そろそろ本格的に仕事のしくみにしても学問のしくみにしても近代以降のリデザインをはじめてもよいのではないか」というようなことを書きました。 そんな問題意識をここしばらくずっと抱いているわけですが、それを考えるうえで打ってつけの一冊を運良く手に入れられました。 クラウス・クリッペンドルフという人の『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』という本です。 デザインとは物の意味を与えることである。 クラウス・クリッペンドルフ『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』 初版発行が2009年4月1日となってますので、出たばかりの本ですね。 僕自身、まだ読み始めたばかりですが、すこし紹介。

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