というのも、このエントリーは先の「書かなきゃはじまらない」の続きだから。
「ブログを書くことはスポーツをすることと同じだ」と思うのは、その両者がともに、練習あるのみ、繰り返しの訓練あるのみだと思うからです。
繰り返しの練習、訓練が両者に有効なのは、人間の脳がパターン認識をすることで知識を蓄え、練磨する器官だからだと思います。
学習するべきことは基本的に2種類ある。パターンの分類とシーケンスの組みたてだ。これらは記憶の要素として相互に補い、影響を与えあう。(中略)いま、子供がおもちゃを手に持ち、ゆっくりと動かすとしよう。子供の脳は、一瞬一瞬の網膜の像が同じ物体のものであると確実に判断できるので、変化していくパターンの集合を1つにまとめることができる。べつの場合には、同じ種類に属するパターンを判別するために、他人からの教育を必要とする。リンゴとバナナは果物だが、ニンジンとセロリは違うということを学ぶには、何が果物かを教える先生がいなければならない。いずれの方法にせよ、脳は徐々に同じ対象に属するパターンのシーケンスを組みたてていく。ジェフ・ホーキンス『考える脳 考えるコンピューター』
上記に引用した具合に、脳は2つの異なるやり方で徐々にパターンのシーケンスを組み立てることで学習をしていきます。
ジェフ・ホーキンスが『考える脳 考えるコンピューター』の中で語るのは、パターン認識によって知能をつかさどる器官としての大脳新皮質の機能と、その機能をもつことによって訓練をすることで創造性を高めることが可能な人間の知能の性質に関してです。
大脳新皮質といった繰り返しパターンのシーケンスを学習することで、創造性を高める人間の知能の性質を正しくとらえれば、練習や訓練、さらには実践/実戦の繰り返しにより、より高度なパターンを学習し、さまざまな場面に対応できるようになるのも当然のように思います。
野球選手が毎日素振りをしたりすることで、バットの軌道のパターンを身体に染み込ませるのと同様、サッカー選手が繰り返しの実戦や実践的練習により味方や相手の動きのパターンと自分たちの成功(ゴール)にいたる道筋をより描きやすくなっていくのと同様に、ブログを書き続け、ブログを通じて他人と意見を交し合うことで、自分の思考のパターンを日々磨き上げていくことができるのではないかと思います。
もちろん、それは「書かなきゃはじまらない」のコメントにらぶさんが書いてくれたとおり、「「言わなきゃ始まらない」ということと同じ」ことで、それならブログなど書いた人にも納得してもらえるような、ごくごく日常的な場面でも通用するものでしょう。
そういう意味ではブログなんて何も特別なものじゃありません。
単に自分磨きのためのスポーツの一種だと捉えられるんじゃないでしょうか?
そして、スポーツであるというのは、やっぱり他人と競い合うことで、他人とコミュニケーションという実戦を重ねることで、ブログは自分を磨きにつながるという意味でスポーツに似てるんじゃないかと思うわけです。
なので、はじめからうまくやろうなんて大間違い。
最初からかっこよく見せようなんて都合よすぎ。
誰かにつっこまれても書けばいいんです。
そうやってヒトはなんでも徐々にうまくなっていく生き物なんですから。
恥ずかしがってなんかいたら、いつまで経っても何も起こりません。
どうかくれぐれもラクしてどうにかなろうなんて思いませんように。
この記事へのコメント
Marlbana
読みいってしまいました!
こんなつたないコメントですが、
言わなきゃ始まらないわけですし!