ユーザー理解とは―
ユーザーを理解するというとき、その「理解」というものを間違った形でイメージし、理解しているケースが意外と多くみられます。とりわけ多い間違いは、ユーザーとなりえる人の人となりすべてを理解することが、ユーザー理解だと思ってしまうことではないでしょうか。あるいは、漠然と理解するというだけで、何を理解しようとしているのかのフォーカスがなかったりすることもあります。
そもそも、特定の人間のすべてを理解するという漠然としたイメージでそもそもどんなことを理解しようとしているのかもよくわかりませんが、普通に考えて、ひとりの人間のすべてを理解することなんて、そうそうできるはずもありません。長年付き合いのある友人や家族だって、その相手のことを理解できているなんていえないでしょう。
それなのに、ユーザー理解となると、その人のことを簡単に理解できてしまうと考えてしまうのは、ちょっと考えが足りないのではないかと思います。よく考えずに、ユーザー理解ということばを用いて、それならユーザーを調査すればよいのだと安直な発想で調査を企画実施していないでしょうか?
ユーザー理解というのはそういうものではなく、あくまで人があるモノを使う場―まさに、ある人がユーザー=使う人になる場―におけるユーザーの行動、その行動が行われる状況、その行動を行ったことによる心理的変化などを把握、理解しようとする活動です。
そのため、人間を理解しようとするだけでなく、あるモノが使われる場で「使う」という行為が行われる状況全体(もちろん、使…