2012年08月23日

映像を見ているとき、僕らは現実が見えなくなっている

様々な視覚表現による映像は、遠く離れた場所に関する情報や、遠い過去に関する情報を、僕らがそこに出向くことなく僕らに与えてくれます。



一方、僕らはそれらの映像を見ているとき、自分たちがいま生きてその場に身を置く現実から目を逸らしているのだということを案外忘れていたりします。
つまり、本や雑誌、テレビやインターネットを通じて、常に写真や動画などの映像表現に身を晒している僕らは四六時中「心ここにあらず」の状態になっている自分に気づかずにいるのです。「映像を見ているとき、僕らは現実が見えなくなっている」の続き
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2012年08月08日

記憶や観察力と考える力

普段はあまりテレビは見ないのですが、先日風邪をひいて熱をだした際に、ぼんやりとした頭で見ていたテレビ番組でやっていた「絵が描けない人」の特徴の話がとても興味深かったので、今日はその話題から「記憶や観察力と考える力」という話を展開していくことにします。



布団にはいって半分目をつむったような状態で見ていたので、番組がなんだったかも含めて詳しく覚えていないのですが、いま話題にしたいのはこんな2つの事柄です。

  1. 絵が下手で、描いた絵を人から笑われることが多い人は、そもそも絵がうまく描ける人に比べて、物事の観察力が弱く、物事に対してあいまいな記憶しかもっていないために、描こうとする対象を頭の中でさえ非常にあいまいにしか思い描けないため、当然ながら実際の絵としても表現できない
  2. 絵が下手な人の中には、目の前にある風景を描き写すといった場合でも、目の前に存在するはずのない子供が描くような記号化された雲や太陽を描いてしまったりする

絵が描けない人って、そんな風に世界を見ているの?という意味で、僕にはとてもショッキングな話でした。
「記憶や観察力と考える力」の続き
タグ:絵画 観察 記憶
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2012年08月07日

【参加者募集】第2回オブザベーション(観察)ワークショップ

7月に開催してご好評いただいたオブザベーション(観察)を中心テーマとしたワークショップを9月8日(土)に「第2回オブザベーション(観察)ワークショップ」と題して再開催いたします。



今回のワークショップでも前回同様の内容で、「観察」の体験がない方々向けに、なぜ観察が有効なのかを実際に体験していただく内容となっております。
講義も含めて3時間の、それほど長くない時間での実施となりますが、「観察」とは何か?について気づきをもって帰っていただける内容だと思いますので、ぜひご参加ください。

なお、参加者の募集は先着順で、定員に達し次第、締め切らせていただきます。
前回も早い段階で定員に達しましたので、ご興味のある方は以下からお早めにお申し込みください。
第2回オブザベーション(観察)ワークショップお申し込みページ

「【参加者募集】第2回オブザベーション(観察)ワークショップ」の続き
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2012年07月31日

自分たちでやれることの外部化が、未来を志向するために必要な人と人とのつながりを希薄化させる

いまの時代って、ひとりで悶々と悩んだり、企業などの閉じた世界のなかだけで問題を解決しようとしたりするのに向かない時代ではないかと感じます。



これほど、先行き不透明で、かつ、不透明ではない既存の安定したシステムの寿命もそう長くはないと予測される現代で、特定の機能を果たしたり、特定の戦略の実行に最適化された組織の閉じた環境のなかだけで、何が起こるか分からない状況で突如現れ出てくるさまざまな未知の問題に対処することは理にかなっていません。

だからこそ、ゆるいネットワークのつながりによって、「さまざまな未知の問題」にも柔軟に対応できる、多様性を確保しておくことのほうが必要なのだと思います。
「自分たちでやれることの外部化が、未来を志向するために必要な人と人とのつながりを希薄化させる」の続き
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2012年07月26日

「垂直」から「水平」へという変化のもう1つの意味

なぜ今「ノマド」は“炎上祭り”と化しているのか〉と題されたダイヤモンド・オンラインに掲載の佐々木俊尚さんの記事がなかなか興味深かったです。



こんな感じで「会社組織の衰退」という話から「ノマド」についての考えを展開しています。

なぜ一部の若者が大企業を辞めたり、成長もしない社会起業系の小さなビジネスをやったりしているかと言うと、これは明らかに危機感の表れ。脱サラは確かにかっこいいかもしれません。でも、起業するモチベーションとしては、かっこいいことをやりたい、といった短絡的な理由ではなく、10年後、20年後の生活設計を考えることを自分なりにやっているわけですよね。(中略)今後、明らかに社会構造は変わると思っているんです。何年か、あるいは何十年かかるか、スパンは分からないですけど、おそらく会社組織は衰退していくと思います。

この引用のすぐ前では「大企業を中心に仕事が回っていて、ビジネスの中心は会社組織であり、そこでOJTによって仕事を覚えていくという構造が20〜30年後も続くと思っているんでしょうか。僕はそうは思いません」なんてことも言っていますが、僕も同感で、企業というものが働き方の中心に位置するような社会構造はこの先、そんなに長くは続くはずがないという想定で今後のあり方を模索しています。
「「垂直」から「水平」へという変化のもう1つの意味」の続き
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2012年07月24日

デザイン思考による人間中心のイノベーション(講演資料の公開)

昨日(7月23日)に某会社向けの講演「デザイン思考による人間中心のイノベーション」で用いたプレゼンテーション資料をすこしカスタマイズした形でスライドシェアにアップしました。



普段からいろんなところで、デザイン思考はイノベーションの方法ですというお話をしていますが、今回の講演では、なぜいま「デザイン思考」や「イノベーション」が求められているのか?という理由について、世界的な「未来志向」の高まりという観点から考え、お話させていただきました。

詳しい内容については、会社のほうでやっているThink Social Blogのほうの「未来をつくる方法の1つとしてのデザイン思考」という記事で紹介していますので、あわせて参照ください。
posted by HIROKI tanahashi at 17:16| デザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月18日

【参加者募集】7月7日(土)開催 観察(オブザベーション)ワークショップ

デザイン思考で用いられる代表的な手法の1つにエスノグラフィーがあります。
従来、文化人類学などの分野で用いられてきた、この手法は、人びとが暮らす現場に出かけて直接人びとの暮らしに触れるかたちで行なう参与観察に特徴があります。
話を聞いて知るのではなく、自分で見たり体験したりする「観察(オブザベーション)」から人びとの暮らしについて、彼ら自身も知らないことまで把握するのです。



デザイン思考においては、このエスノグラフィーでの観察を通じて得た事柄から、その人たちのメンタルモデルを洞察し、その先にあるイノベーションの鍵を見つけていきます。
その意味では、この「観察」はデザイン思考的なアプローチを行なう上で最も重要な意味をもっているといえます。

今回のワークショップでは、「観察」の体験がない方々向けに、なぜ観察が有効なのかを実際に体験していただく内容となっております。
講義も含めて3時間の、それほど長くない時間での実施となりますが、「観察」とは何か?について気づきをもって帰っていただける内容だと思いますので、ぜひご参加ください。

お申し込みはこちらから。

「」の続き
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2012年06月13日

教育/コミュニケーション/経済をもっと長いスパンでみた「構造」と捉えること

社会的イノベーションってなんだろうか?

仕事では「イノベーション」という言葉を使うし、確かに社会的な意味でのイノベーションの実現を本気で目指します(技術的なイノベーションや、ビジネス的イノベーションは仕事上でもあまり興味がありません)。



けれど、一方では社会的な意味でのイノベーションにも懐疑的な考えも持っています。
果たして、人はどこまで自分たちの生物としての出自に抗って、自らが長年つくりあげてきた「生き方」を壊してしまうイノベーションが可能で、それを実現しようとするのか?と。
また、イノベーションで実現した状況が果たして、さらにその先の未来にとってもよい方向への変化といえるのか? その根拠はなんだろうか?と。
僕らは自分が向かっている先をちゃんと理解しているのだろうか?と。

そんなことを考えるとき、僕がいつも思うのは、考えるスパンを可能な限り大きくとろうということです。

このブログでは、そういう視点で、人類学、民俗学、メディア論などの人間に対して広いスパンで目を向けようとする学問を参照しながら、デザイン思考や人間中心デザイン、イノベーションというものを考えるようにしてきました。
そのスタンスはいまも引き続き変わらず持ち続けているどころか、そのあたりの知識を深めていけばいくほど、短期的な視点でのみ変革を唱えることへの危機感を感じてしまうのです。

今日はひさしぶりに、そのあたりについて最近考えていることをツラツラと綴ってみようと思います。

「人類20万年のスパンで考える社会的イノベーション」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 21:54| ソーシャルイノベーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イノベーションの方法としてのデザイン思考

6月9日の「未来のユーザー要求を創出する方法としてのデザイン思考」というタイトルで、「観察(オブザベーション)」をメインテーマにしたデザイン思考ワークショップの講師をしてきました。

mentalmodel2.png

予測に基づいて自身の行動判断を行なっている人間という生物がそれぞれ個々人で抱く「世界の物事がどう働くか」についてのイメージであるメンタルモデルの把握が、デザイン思考でイノベーションを行なう際のキーであり、そのメンタルモデルの把握のためには「観察(オブザベーション)」が1つの有効な手段であるというお話をさせていただきました。

そのときの講演資料をここでも公開しておきます(Think Social Blogでは一足早く公開していましたが… )。



上に紹介したイメージは、講演資料の一部からとったものですが、こんな風に世界の背後に隠れた仕組み・働きを想像して、自分自身の行動に役立てるための説明がメンタルモデルです。
このメンタルモデルを掴むことが、デザイン思考によるイノベーションの実現を進める上では重要になります。

ちなみに「デザイン思考」は、日本語の「デザイン」や「デザイナー」とはほぼまったくと言っていいほど無関係です。
お間違えのないように。

「イノベーションの方法としてのデザイン思考」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 10:01| デザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月24日

【参加者募集】5月12日開催「デザイン思考ワークショップ」

恒例の「デザイン思考ワークショップ」を5月12日の土曜日に開催することになりました。

内容はこれまで同様で、WebディレクターやWebデザイナーの方などを中心に​、ペ​ルソナやシナリオ、プロトタイピングなどの手法を用いて​、ユーザー視点からWebデザインを考える方法を体験的​に学んでいただくワークショップとなります。
興味のある方、友人・知人・同僚などをお誘いの上、ぜひご参加ください。

以下、詳しい内容になりますが、すでに内容をご存知の方はこちらからお申し込みください。

ワークショップ内容

参加者を2〜3つのグループに分けたグループワークの形式で、Webサイトをデザインする作業を以下のステップで行なっていただきます。

 09:30 開場〜受付開始
 10:00 60分 説明/講義/質疑応答
 11:00 60分 KJ法@(調査データの読み込み、情報の抽出)
 12:00 60分 昼休み
 13:00 60分 KJ法A(情報の統合、図式化)
 14:00 60分 ペルソナの作成
 15:00 60分 シナリオの作成
 16:00 30分 シナリオに基づく画面遷移の検討
 16:30 60分 ペーパープロトタイプの作成
 17:30 30分 チームごとの発表
 18:00 まとめ〜終了

以下、先日、昨年の7月30日に行なった同内容のワークショップからすこしその雰囲気を写真で。

KJ法を使ったユーザー分析はこんな感じでやります。
この膨大なデータからユーザーモデルであるペルソナを作成するのが醍醐味であり、このメソッドの肝になる部分です。

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ペルソナを作ったあとシナリオを考えます。
その際、こんなフロー図でユーザーの理想の行動をまとめるチームもありました。

20110804b.jpg

最後はペーパープロトタイプを使っての発表。
ただし、発表の前に自分たちでも作ったプロトタイプを使って、ユーザー体験をシミュレーションしてみることが、ユーザー視点に立ったデザイン思考の頭の使い方。

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開催日時

2012年5月12日(土)10:00-18:30
※開場〜受付開始は9:30より行なっております。
※作業の進み具合によっては、終了時間が1時間ほど伸びる場合があります。

会場

新宿伊藤ビル4F会議室(東京都新宿区新宿5-18-16)
http://success-bm.com/s-i-b/rental/

こんな昔の学校の教室風の会場です。

20110804d.jpg

参加費

9,000円/1名
※当日現金でのお支払いになります。
※基本的には企業単位での参加は受け付けておりませんので、請求書発行はいたしません。

主催、お問い合わせ

お問い合わせは、棚橋(gitanezあっとgmail.com)宛にお願いします。

お申し込みに関しての注意事項

先着順で締め切りますので、お申し込みはお早めに。
友人などと参加する場合でも、お申込は参加者1人ずつ行なってください。

お申し込みは以下

お申し込みページ https://www.q-pass.jp/surl/4tdZ

それでは、皆様のご参加お待ちしております。
ご友人など、お誘いの上、ご参加いただければ幸いです。

 
posted by HIROKI tanahashi at 12:05| デザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月23日

笑い vs. イノベーション

「笑う」という態度を保てるのは強い。最近になって、そんなことを強く感じるようになりました。

お笑い番組などをみたり馬鹿話にげらげら笑うというのではなく、目の前で起きていることを肯定的に受け入れて笑えるような笑い。目の前で起こる事柄を否定する怒りや不満の表情に対して、多少の問題があってもそれを受け入れて肯定できる笑い。そういう笑いができる精神性や社会性の強さについて考えるようになっています。

そんなことをあらためて考えていたので、実際、ある機会に「笑顔」のもつ魅力や強さについてお話させていただいたりもしました。



そういう考えが頭にあったからでしょうか。昨日までニューカレドニアに1週間ほど行っていたのですが、そこでも目に焼き付いたのはメラネシアの人びとの笑顔でした。
フランス領であるニューカレドニアでは、フランス人を中心にヨーロッパの人びとも数多くいて、リゾート地ゆえの笑顔が見られたのですが、それ以上に生活臭あふれるメラネシアの人びとの笑顔のたくましさは魅力的に思えました。

旅行中、離島であるイル・デ・パンに向かうために国内線を利用する機会があったのですが、ゆるーい土地柄を反映してか、8時半のフライトが4時間ほど出発が遅れました。そのときも待合室で不満そうな顔でぐったりとする日本人観光客に比べ、遅れをものともせずに、顔見知りの人たちと楽しそうにおしゃべりをするメラネシアの人びとの笑顔は対照的でした(もちろん、地元民であるメラネシアの人びとが遅れて待たされることに慣れているのだとしても)。

「」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 20:28| ソーシャルイノベーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月05日

モナドの窓/ホルスト・ブレーデカンプ

普段、人間観察をしていて感じることの1つに「考えることが苦手な人というのはそもそも表現することが苦手な人である場合が多い」というのがあります。
表現のための素材としての言葉や情報を知らなかったり、素材はもっていてもそれを組み合わせて別のアイデアを生み出すための組み立て方、つまり編集術が拙かったりすると、自分自身が考えていることがうまくイメージできなくて、自分の考えを展開させて論理立てて構築していくことができなかったりします。

意外とみんな気づいていないのかな?と思うのは、考えることとはすなわち書く/描くことだということです。
書く/描くためには書こう/描こうという気持ちだけではなく、具体的に書く/描くための表現技術が必要です。表現するとは、他人に対して何かを伝えるために表現する以前に、自分が理解するために必要なものです。表現できないばかりに理解できず、表現できないばかりに考えを展開できないことというのは多々あります。

江戸時代までの人びとが使った表現の方法に「列挙」という方法がありますが、これは様々なものを並び上げ、数え上げる方法で、絵画の分野では「百○図」や「○○尽くし」といった絵として表現されるものです。ただ、この列挙の方法には実はいまの僕らにとっては当たり前な接続詞が使われず、接続詞によって表現可能な関係性が表現できないのです。
だから、列挙の表現を用いていた人びとには、理由や原因と結果だったり、所有や被所有という関係だったり、逆説や反論のような論理的な関係を考えることができませんでした。
そうした論理的思考を欠いた状態では、とうぜん科学的思考は不可能です。科学的思考を可能にするためには、論理学を可能にする表現がすでに存在する必要がありました。絵画でいえば、「百○図」のような絵ではなく、前後や距離感の関係が描かれた遠近法的絵画表現が存在しているように。

1つ前の「「電子書籍」という概念を越えてテクストの新しい形を模索すること」で話し言葉、手書き文字による写本、印刷された書籍、電子書籍やWebページを含むインターネットを通じてアクセスされるデジタルドキュメントという流れのなかで、いかに人間の思考スタイルや社会の様式が変化してきたかに焦点をあてたのもまさにおなじことです。
デジタルドキュメントがあってはじめて可能な表現方法は、印刷本の時代とは別の思考を可能におり、その思考が確実に社会のあり方を変化させています。

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その思考とメディアの関係を明らかにした1人がメディア論のマクルーハンですが、それよりもはるか以前の17世紀後半から18世紀のはじめにかけて、すでにそのことに気づいてみずから実践的に思考や知的作業のための新しいメディア開発に注力していた人がいました。

17世紀後半から18世紀初頭にかけてデカルトやニュートンの同時代人として活躍した哲学者にして数学者であるゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツがその人です。

“ライプニッツによれば「マテリアルのイメージ、あるいは痕跡」を伴わない、かくも抽象的な思考は、存在しない。”

思考が必ず伴う「マテリアル、痕跡」の存在をライプニッツは決して見失わず、さまざまな痕跡の種類によって可能な思考が異なることを自覚していました。
本書は、そんなライプニッツが生涯を通して追求した、新しい知的メディア研究に関するプロジェクト「自然と人工の劇場」について論考した一冊です。

「モナドの窓/ホルスト・ブレーデカンプ」の続き
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2012年03月01日

記事紹介「フロー化するテクスト体験(動画で見る「新しい知の織物の形」)」

1つ前に書いたエントリー「「電子書籍」という概念を越えてテクストの新しい形を模索すること」の続編ともいえる話を、会社のほうで書いているブログ「Think Social Blog」のほうに書きました。


フロー化するテクスト体験(動画で見る「新しい知の織物の形」)

ルネサンス以降、近代の歴史において中心的テクストとして君臨してきた印刷本の観念の形を越えて、さらに印刷本の影響から免れることができていない従来のWebページや電子書籍なども越えて、新しい参加型テクスト体験を可能にする新たな知の織物=テクストの形を求めているのではないかと思います。それはかつて建築空間がテクストメディアそのものであったように、空間的で、リアルタイム的で、動的なアクションをともない、参加者とのインタラクションが可能な形のテクストになるでしょう。

以下では、そんな新たな参加型テクスト体験を予感させる新しいテクストの形をいくつか事例を動画の紹介も交えてみていくことにします。

といった観点から、プロジェクション・マッピングやKinect、3Dインフォグラフィック事例を紹介しつつ、読書という傍観者的なテクスト体験から、テクストへの積極的な参加を可能にする新しいテクストの形について考察を行なっています。

サービス経済、参加型の経済モデルへの変化と同時進行で進展する、そうした新しいテクストの形の模索について、議論のきっかけになればと思っております。
ご一読いただき、議論に参加いただければ幸いです。
タグ:テクスト
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2012年02月23日

「電子書籍」という概念を越えてテクストの新しい形を模索すること

最近、会社のほうで進めているプロジェクト「Think Social」では、デザインシンキングのアプローチを用いて行なうサービスデザインをテーマとして扱っていますが、その一方で、やはり個人的な関心としては、人間の知の在り方や価値観を左右する人工物全般としてのメディアに強い関心があります

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例えば、電子書籍的なものもその一部。
ただし、世間的には、講談社が今後の書籍の刊行を紙と電子版を同時に行なうという方針を発表したニュースが取りざたされたり、『WIRED』創刊時の編集長ケヴィン・ケリーがインタビューで「10年後には「本」そのものは基本的にすべて無料になる」というようなことを言ったりするなど、相変わらず電子書籍の話題には事欠かないのですが、僕自身はどうもこの電子書籍関連の話題に不満をもっています。
というのは、どうも現在の電子書籍に関する議論は、次の引用にあるような蓄音機が出始めたころのトンチンカンな話に似ていると感じるのです。

はじめ蓄音機がどんなに的はずれな受け止め方をされていたかは、ブラスバンドの主宰者であり作曲家であるジョン・フィリップ・スーザの発言によく表れている。彼はこんな意見を述べている。「蓄音機が出てきたことで、声の訓練はすたれてしまうでしょう! そうなったら、国民の喉はどうなります。弱くならないでしょうか。国民の胸はどうなります。縮んで、肺活量が減ってしまわないでしょうか。
マーシャル・マクルーハン『メディア論―人間の拡張の諸相』

先のケヴィン・ケリーのインタビューにも「テキストが登場したときも人は文句を言ったものだ。人びとの記憶力が悪くなると言って。そして次第に詩の朗読は廃れていった」という話が出てきますが、普通の人は、新しいメディアの形態が登場したときにどうしても古いメディアの価値観でそれを判断してしまう傾向があります。
同じようなことは印刷本が登場した時にもやはり起こっています。

活字による印刷がおこなわれるようになって、最初の2世紀は、新しい書物を読んだり書いたりしなければならないという必要よりは、古代および中世の書物を見たいという欲求のほうに、むしろ動機があった。1700年にいたるまで、印刷された書物の50%以上が古代あるいは中世の書物であった。
マーシャル・マクルーハン『メディア論―人間の拡張の諸相』

すでに書かれた手書きの本を印刷するという可能性以外に、最初から印刷本として出版するための新しい書籍を企画し著作するという可能性に気づいたのは、印刷術が使われるようになって200年も経ったあとのことだというのです。
それとおなじことがいま「電子書籍」という語で称される概念に対して起こっているように感じるのです。

「「電子書籍」という概念を越えてテクストの新しい形を模索すること」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 08:44| 情報社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする