会社の外でどれだけのことができるか?

風邪が長引いています。とにかく喉がひどくて咳がとまらないのがやっかい。昨日も眠ったと思ったら咳が出て起きてしまったり、そのせいか熱も上がったり下がったりで、なかなか体調がよくならない。
今日は観念して午前中病院に行って喉の薬を吸引したら、喉はすこし楽になった。それでも外出してたら熱が上がってきたので、そのまま直帰してきました。そろそろ治ってくれないとつらいです。

ところで、話は変わって、webdogのジェット☆ダイスケさんのこの話にはすごく共感できたのでご紹介。

タイムカードを押して会社を出たあとも、コスト意識を持ち続けている。特に技術職ともなると、社外のプロジェクトをやるか飲み会に出るか、数年続けていれば差は歴然としてくる。
だから上司と酒飲んで愚痴を聞いたりしてる場合ではないのだ。
これってジェネレーションギャップではなくてワークスタイルとライフプランの違い。

「ワークスタイルとライフプランの違い」。いいこといいますよね。たまには飲み会に出るのももちろんいいと思いますけど、それはたまには社外のプロジェクトをやってる人であればの話か、と。飲み会だけに顔だしてるだけじゃそりゃだめでしょ。

まぁ、なかには飲み会も社外プロジェクトとも選択肢には入らなくて、タイムカードを押したあとは終電に乗って(あるいはタクシーに乗って)家に帰って寝るくらいの時間しかないっていう人もいるかもしれませんが、それはそれで問題ですよね。そういう時期があるのは仕方ないですけど、それが常態化しちゃってるんだとしたらいけないですよね。

会社の外でどれだけのことができるか?

ジェット☆ダイスケさんは「振り返ってみれば僕自身も、社外で色々と実績を積んでいたからこそ、出来た仕事というのも少なくない」とも書いていますが、僕も社外で実績を積むというのは大事なことだと思うんです。その時間をすこしでもいいからつくる努力をしたほうがいいと感じます。

僕が思うに「社外のプロジェクトをやるか」は単に「飲み会に出るか」と比較した場合に歴然とした差が出るだけじゃなくて、「社内のプロジェクトだけをやるか」ということを比べても差が出てくるはずです。社内だけで仕事をする・経験を積むのではなく、「社外で色々と実績を積んでいたからこそ、出来る仕事」というのがある。だから、どうにかして自分が社外の仕事をできる時間をつくったほうがいい。それが後々貴重な経験として響いてくるんですよね。

いろんな意味で、会社の恩恵にあずからず、また会社の縛りがないところで、仕事をしてみるというのは学ぶことが多いと思います。やってみるとどこが会社の恩恵があってできたことなのか、あるいは何が会社の縛りがあってできなかったことなのかが見えてきます。会社というツールを持たない状態の自分の力がわかってくるんです。

知るということは両刃の剣

また、普段の仕事とは違う業界の事情などにも触れられて視野が広くなるということもある。

そもそも「知る」「わかる」ということは両刃の剣なんですね。何かを知るということは同時に何かを見失うことでもあります。
わかるということは何かと別の何かを分ける差異を知ることですが、いったんそのひとつの差異によって両者を理解してしまうと、両者を見る目が固定されてしまうおそれがあります。ものを見るフレームが固定化してしまうんですね。

危険なのは、通常自分たちがどういうフレームでものを見ているかということは見る人の意識の外にあるということです。絵を見るとき、フレームは見ている意識はないはずです。図を見る際にそれを図として見せている地の部分が意識されないのとおなじです。自分がどんなフレームで物事を見ているかということはなかなか普段は意識されません。

ある組織の内部だけで仕事をしていると、いつの間にか思考のフレームが固定化されてほかの見方ができなくなったりしてしまいます。その無意識のフレームに気づくためには、別の視点に自分を置いてみるしかない。それには普段と違う環境で仕事をしてみるというのはひとつの手だと思います。それが社外プロジェクトをやる利点のひとつです。

中心から外に向かうベクトルにこそ創造性は見いだせる

もうひとつ、僕はそもそも、創造性の源は境界にこそ見いだせるものと考えています。それは知識の中心にあるのではなく周縁にこそある。何かこちら側にあるものとあちら側の何かが境界=周縁において化学反応を起こして創造性が発揮されるんだと思います。
何か新しいことにチャレンジするということはそういうことなんですよね。自分が慣れ親しんだ場所から冒険心をもって外に出ていく。中心から周縁へ、です。中心に向かうベクトルには創造性はなくて、むしろ中心から外に向かうベクトルにこそ創造性は見いだせると思うんです。

また、そのことは同時に「隣の芝生が青く見える」ことを否定する意味ももっているんだと思います。別に隣の庭に行ったって外から見るほど芝生は青くないんです。そうではなく本当に青い芝生を求めるなら、自分の居場所とは違う別の人の居場所にではなく、自分と別の人の居場所の境界にこそそれを見つけられる可能性はあるのだと思います。ようするに異質なものとコラボレーションにこそ創造性の源はある。
だからこそ、ある組織に属しつつも社外のプロジェクトを志向し、実際にその輪に加わってみることに意味があるんだと思うんです。それは転職などで別の会社に移ることとは異なる体験をもたらします。僕がペルソナデザインコンソーシアム情報デザインフォーラムに参加させていただいているのもそういう刺激を求めてのことです。

社員の創造性を高めようと考えるなら

ジェット☆ダイスケさんは先のエントリーで、

以前ある社長さんに聞いた話がとても良くて「最近、社外でどんな仕事したの?」と社員に尋ねるらしい。
社外プロジェクトで得たものを自社にフィードバックしてもらおうというわけだ。副業に限らず、研究成果や人脈なども同様。社外でも評価されているということが、社内にも良い結果をもたらすようにしているのだ。

という話を紹介してくれていますが、社員の創造性を高めようと考えるなら、これは正しいと感じます。前と同じことをよりうまくできるようになるための生産性の向上や効率化をテーマにするなら別ですが、なにか新しいものを生み出してもらおうということをテーマにするなら、それを社内の仕事だけから従業員に見つけ出させようというのは酷です。それは創造性ということをよく理解していないのではないかと感じます。

昨日の「机のうえを整理できない人は頭のなかの整理もできないとはいうけれど」の話ではないですが、机のうえにもある程度の無駄があったほうがクリエイティビティが刺激されるように、人生においても余剰がなければ創造性が発揮されるための糊しろがなくなってしまうでしょう。

その意味で、いまどき従業員の副業を禁止している会社はちょっと違うんじゃないかなと感じます。むしろ、従業員には積極的に社外(勤務外)での仕事を奨励するくらいでよいのではないかと。特に個々人の度量がサービス品質のカギを握るような事業展開している企業の場合は。

その意味でいまの会社はやりやすいなと思っています。

どうやったら社外プロジェクトに参加できるの?

ところで、どうやったら社外プロジェクトに参加できるの?と疑問に思う方もいるでしょう。
ひとつには知り合いのツテをたどりつつという昔ながらの方法があります。そして、もうひとつはやっぱりブログを書くこと。ブログに自分が何ができるかを書くこと。
結局、外部に出ていくということは冒険なんですから、まずはどういう冒険を望んでいて、自分のいまの装備はどうなのかをまず外部の人に知ってもらった方がいい。自分が実際に外部に出る前に、自分の言葉を先に外部に出してあげるんですね。言葉は自分の分身みたいなものです。その分身をまずは誰かに見つけてもらうことではないか、と。

というわけで、今日書いておかなきゃと思ったことは書けたので、すこし寝ます。だるさが限界。涙目で書いたエントリーでした。

  

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