携帯電話が入らないのは衣服のデザインの問題なのか?

記号としてのスーツ批判はかまいません。だが、記号批判なのか、中途半端な思い込みたっぷりの機能批判なのかは分けて考えてもらいたい。

そのうえ、言うに事欠いてこの根拠薄弱な言い方はどういうつもりなんでしょうか?元のエントリーの内容から考えるとこんなこと書く必要はまったくないじゃないですか。

その意味で服の世界にはデザイナーが不在であるのは残念なことだ。

いったい服のデザインの何をご存知なんですか、と聞きたくなります。

それに衣服のデザインを批評するのに、スーツだとかジーパンだとか白衣だとかいうカテゴリというか、記号で批判しても仕方ないでしょう。

いったい何をもって衣服のデザインがだめだとか言ってるのかわかりません。

どんだけいろんな服を着倒し、どんだけ愛着をもってさまざまな衣服と付き合ってきたうえで、そうおっしゃるのか?って思ってしまいます。
服を着るのにも本を読むのと同様の楽しみや得られる知見があると思います。批判するより、まずは着倒せ、そして、いろんなことに気づいてもらいたいなと感じました。本を読むのとおなじようにね。

衣服の記号性を批判するのはいいんです。そんなものは僕もどうかと思うから。

でも、愛着をもっていろんな衣服を着倒した経験があるわけでもなく、歴史のなかでいろんな作り手が切磋琢磨してデザインを行ってきたであろう衣服の変遷にほとんど関心もないであろう人が、衣服のデザイン一般にだめだしするなんて笑止千万です。
批判がしたいなら個別のどの衣服のどこがどうだとか、どのデザイナーがどうなのかをいうべきでしょう。

暑い地域でスーツ一般がだめだとか言っても無意味です。ペンギンが暑いのが苦手だから生物としてのデザインがよくないと言ってるのと変わりないんじゃないですか?

携帯電話が入らない?
何故それが衣服のデザインの問題だといえるのでしょうね。
ポケットに入ることができない携帯電話のデザインの問題を問わないのか、ですよ。

別の恨みか苛立ちがあるのか知りませんが、服のデザインが全部だめなんて話は筋が通らない。衣服のデザインを問うならあくまでもっと暮らしや文化もひっくるめて問う必要があるはずです。

それに携帯電話やMacはなくてもどうにかすれば仕事はできますが、どんなだめな衣服でもそれがなきゃ(つまり素っ裸では)仕事になりませんよ。批判するなら、ここをまず考えなきゃだめでしょう。

あんまり書いても仕方ないので、最後に一言。
衣服のデザインをうんぬん批評するなら、もっと愛着をもって衣服のデザインに接してからでも遅くないはずですよ。
着倒してわかる服の良さってありますから。

追記
よく考えると、歴史的にみれば、もともとスーツって仕事着じゃなかったはずですよね。
そうだとしたら、それが仕事に向いてないからデザインが悪いと言われたら、ちょっとどうかと思います。

仕事用としてはポケットにものが入らないとか機能的に不十分なところがあるのを知りつつ別の利点から採用したのに過ぎないでしょう。
ユーザビリティの定義からしても特定の目的で特定の利用状況を外れてまで、使いやすさを確保するなんてむずかしいわけですよ。だとしたら、やっぱりそもそも使用が想定されていない用途における機能性の面から、スーツという衣服そのものを否定してしまうのはどうかと。
だって、お洒落着と考えれば、別に携帯電話なんてバッグなり上にはおったコートなりに入れればいいわけだしね。日本人なら風呂敷って手もあるよね(最近、風呂敷という使わないときは小さく畳める万能バッグを見直そうかと)。

あっ、ちなみに僕は仕事のときでもスーツはあんまり着ません。スーツという服はそれほど好きじゃないので。でも、スーツが機能性が悪いとは思いません。まあ調査の準備のときとかには特に着たくないけど、それは着なきゃいいだけの話でスーツ自体に文句言うのはお門違い。

というか、携帯電話が入れられる服ってなによ?w
よく考えればシャツにもTシャツにだって入らないし、ジーパンに入れたって邪魔なのには変わりないよね。それこそ和服でも着て袖口に入れとけばいいのかもね。いっそのこと和服で仕事したほうがいいかもね。

やっぱ悪いのは携帯電話のデザインのほうじゃないですか? 携帯電話のくせに携帯方法に困らせるなんて。というか、そもそも僕は困ってないけどね。

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