次のモノづくり

数日前に紹介した西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』のなかに、「ルヴァン」という店で天然酵母をつかったパンづくりをしている甲田幹夫さんのインタビューが載っています。

僕はそのなかのこんな言葉に興味をひかれました。

パンは手段であって、気持ちよさだとかやすらぎだとか、平和的なことを売っていく。売っていくというか、パンを通じていろんなつながりを持ちたいというのが、基本にあるのだと思います。

ついつい忘れがちですが、仕事をするうえで「売る」ことは必ずしも目的じゃありません

個人にとっても企業にとっても商品やサービスを提供した対価として売上そして利益を得ることは自身の活動を維持していく上で必要ではありますが、売上や利益をあげること自体が仕事をすること事業を行うことの目的ではない。それは手段であって目的ではないと思います。
活動の目的はあくまで商品提供やサービス提供などにより社会に価値を生み出し、社会を豊かにすることのほうだと思います。売上や利益をあげるのはあくまでそうした活動を維持するために必要だからで、それは目的に向かって進み続けるための手段なのだと思います。

手段を目的と捉え間違うことによる悪循環

丁寧に時間と心がかけられた仕事をするためのワークスタイル」では、<いくらユーザー中心だとか顧客志向だとかいったところで、ユーザーや顧客に「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを発信できるようなモノづくりや仕事などできない>と書きました。

本来、手段であるはずの売上や利益を仕事の目的とはきちがえ、本来の目的である社会に価値を提供していくことを忘れて「丁寧に時間と心がかけられた仕事」ができなくなったら、企業そのものもあやういですし、社会までもが貧しくなります。

そして、西村さんが書いているように、

人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。そして、それが足りなくなると、どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。

ことにもつながるでしょう。これはとんでもない悪循環です。

矛盾を感じない仕事

それゆえに僕は、甲田さんの以下の言葉にはつよく打たれます。

ごく気軽に始めたんですが、この仕事はそれまでに経験した仕事に比べて、矛盾がなかったんです。小学校の先生をしたり、会社勤めをしたこともありますけど、働いているうちにどこかで矛盾が出てくるんです。僕が売っているものを飲み続けたら、カラダを悪くするだろうなあとか(笑)。

自分たちの仕事の矛盾には自分たちで気づくしかありません。
それに気づかなければ、いくら割り箸を使わないためにマイ箸を持ち歩いたり、スーパーでビニール袋をもらわないよう買い物バッグを持参しても、社会は「どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう」方向にしか進まないんじゃないでしょうか(笑)

いや、僕は特にエコとかにうるさいわけじゃないんです。だけど、つまらない手抜きのような商品やサービスばかり囲まれて暮らすのはさすがにうんざりだなと思いますし、どうせなら「丁寧に時間と心がかけられた仕事」に出会いたいなと思うわけです。
で、自分でもそういう仕事ができるようにならなくては、とも思います。

余所のこと、他人事だと思わない

もうひとつ『自分の仕事をつくる』で紹介されているなかで圧倒されたのが、栃木にスターネットというモノづくりの活動拠点を展開する馬場浩史さんの話。

まず馬場さんのモノづくりの基本には「身体で感じる使い心地や居心地をつくりだす」ことがあります。
それを象徴しているのがこんな言葉。

本来、藍染めっていうのはマムシ避けですよね。蓬もカラダに塗れば虫除けだし、紅花は冷え性にいいとか。だから呪術的なことや薬効の方が先で、色の嗜好はかなり後から来た意識だと思うんですよ。もちろん形もそう。後から来たものだと思う。モノづくりの基本は、やはり"身体"というアンテナですよね。

この話もなるほどと思いましたが、圧倒されたのは次のこの話。

自分の身体により近い足下の場所で、いろんなものを積み上げていくことが大事なんだと思う。いまの社会は全員が余所のもので余所のことをやっていて、その結果誰も幸せになっていない感じがするんだな。
僕の理想は、人間が一日歩けど半径40キロくらいの範囲で野菜や水など必要なものが手に入り、その地域のなかで循環できること。足下の衣食住のような、ごく小さなことの紡ぎ合わせが文化だと思うんです。

たぶん、おっしゃるとおり。
半径40キロ以内にこだわるかはともかく「余所のもので余所のことをやって」いる感覚では、どうしても他人事のような感覚で手抜きや、先の甲田さんの話にあったような「僕が売っているものを飲み続けたら、カラダを悪くする」というような矛盾を感じる仕事にも麻痺して矛盾を感じなくなることもあるのだと思います。

すくなくとも「余所のこと」、他人事だと思わずに、自分の仕事が他人の気持ちや身体にどんな影響を与えるのかを考えて仕事ができるようにすることが大事だと思います。

ユーザー調査をして、ペルソナやシナリオを書いたりしていると・・・

繰り返しますが、こんなことを書いているのは、何も僕が特別、エコだとか環境問題だとかにこだわっているからではありません。そんなにできた人間じゃないですから(笑)。

そういうことももちろん考えなきゃいけないなと思いますが、それと同時に、自分の仕事が誰の何のためになる仕事か、その仕事は他人や社会を幸福にする可能性をもっているのかということは考えなきゃいけないなと思うのです。

ユーザー調査をして、ペルソナやシナリオを書いたりしていると、これまでのモノづくりがいかにユーザーのことを考えていないかを実感できます。いや、実感できるというより身につまされるといったほうが近いかもしれません。

1つのペルソナやシナリオを書くのにだって、どれだけユーザーの生活や行動を思い浮かべなきゃいけないことか。本当にいやになるほど、どうすればユーザーの生活や行動がより豊かになるかをすごく時間と手間をかけて考えます。
そうでもしないとシナリオがイメージできないのです。それこそ、ユーザーにどう感じてもらうかという効果が先で、色の嗜好や形はあとなんだと実感します。

ユーザー調査の結果を1人ずつシナリオに書き起こしたり、複数の調査結果を統合してペルソナ/シナリオをつくりあげたりする作業に没頭していると、次のモノづくりってきっとこういうものなんだろうなと思えてきたりします。



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