デザインの生態学―新しいデザインの教科書/後藤武、 佐々木正人、深澤直人

建築家の後藤武さん、アフォーダンス理論の研究で著名な佐々木正人さん、そしてプロダクトデザイナーの深澤直人さんらの共著による、3人の対話と個々の論文からなる『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』

読了からすでに10日あまりは経ってしまいましたが、この本については、ぜひ書いておきたいと思います。

生態学と本書における生態学的アプローチ

まず、本の題名にある生態学。

生態学=ecology。

この生物と環境の間の相互作用を扱う学問分野である生態学という名前は、1866年にドイツのダーウィン主義生物学者エルンスト・ヘッケルによりつくられたといわれています。

しかし、この本で扱われる生態学という言葉はそうした広い意味での生態学ではなく、生態心理学の祖であるジェームス・J・ギブソンの著書『視知覚への生態学的アプローチ』における「生態学」からとられているものと思われ、扱う内容もギブソンの生態心理学、そして、アフォーダンス理論をテーマにしたデザインに対する生態学的アプローチです。

ギブソンの生態心理学

従来の心理学は外部の刺激の入力を感覚神経が受容し興奮するさまを測定する分析方法を用いていました。この帰結として得られるのは、動物が感覚できるのは、環境の特徴ではなく、自身の神経やニューロンの興奮の質のみということで、これでは「生物と環境の間の相互作用を扱う」ことができなくなります。

これに対しギブソンは、動物は外部から刺激を受けてそれを内部で情報に変えるという従来の見方をやめ、動物は環境の媒質に元々ある情報によって行為のリソースであるアフォーダンスを直接知覚することができるという見方をする生態心理学の分野を確立したのです。生態心理学では、まさに動物と環境とを相補的にとらえることで、環境、動物自身の体、そして、情報というものを見事につなげています。

ギブソンの生態心理学に関しては、「生態学的認識論における情報と環境」で以前にも書いていますので、こちらも参照ください。

また、このギブソンの見方は、以前に「脳は空より広いか―「私」という現象を考える/ジェラルド・M・エーデルマン」で紹介したジェラルド・M・エーデルマンのダイナミック・コア仮説とも通じるところがありそうです。

ダイナミック・コア


興味のある方は、「脳は空より広いか―「私」という現象を考える/ジェラルド・M・エーデルマン」のエントリーも読んでいただけると幸いです。

サーフェスの変形

と、ここまで前置きさせていただいた上で、本題である本書の紹介にやっと入れます。本書は副題に「新しいデザインの教科書」とありますが、教科書として使うにしてもここまで見てきたようなちょっとした予習が必要そうな本だったりはします。

サーフェスの変形だけが人生である」でも引用しましたが、この本で描かれているテーマは、この佐々木さんの発言に象徴されているといってもよいと思います。

「さよならだけが人生だ」という言葉がありますが、「サーフェスの変形だけが人生である」とも言えると思います。たとえば、化粧や料理はサーフェスにあるもともとの意味を残しながら、その意味を強調するというレイアウトの修正です。強調しすぎれば仮面のようになってしまったり、食べられなくなってしまいます。創造というべきか発見というべきか、われわれは、サーフェスのレイアウトを変形しレイアウトの5種類の性質を使って、サーフェスに新しい意味を作っている。
後藤武、 佐々木正人、深澤直人『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』

ここでいうサーフェスとはギブソンの生態心理学の用語で、「ミーディアム(媒質)」と「サブスタンス(物質)」の境界面をさす言葉です。佐々木さんはヒトという生物はこの媒質と物質のあいだの表面を変形させることに人生を費やしているのだと捉えています。
自分が動くことでサーフェスのレイアウトを変形し、また、物質を人工的に変形させることでサーフェスの変更を行います。つまり、環境の側を変えることでも、自分たちの側を変えることでもサーフェスは変形する。そこがギブソンのとらえる生物と環境の相補的な関係につながります。

ファウンド・オブジェクト

この佐々木さんの感覚は、「ファウンド・オブジェクト(found object)」でも紹介した深澤さんのファウンド・オブジェクトというデザインアプローチともつながります。

「ファウンド・オブジェクト」とはアフォーダンスで言う、環境の中にある価値を人が無意識に見出したものそのもののことです。
後藤武、 佐々木正人、深澤直人『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』

また、深澤さんは同様の考えから「すばらしいものはもう過去に達成されている」とも言います。

余計なことをしたくないということが前提ですからね。でもそれは最初から余計なことをしたくなかったわけではなくてむしろ余計なことをしてきたのです。古典的ですし、バウハウス的な感覚もどちらかというとあるし、ミース・ファン・デル・ローエに対する憧れもある。すばらしいものはもう過去に達成されていると思います。すべて完璧に達成されてしまっている。
後藤武、 佐々木正人、深澤直人『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』

こうした環境の中から「見出されたかたち」をデザインとして結実させる深澤さんのアプローチでは、デザイナーにとっては厄介な障害と感じられることの多いさまざまな制約条件自体が環境からかたちを見出すために積極的に利用されます。
つまり、制約条件自体がかたちをアフォードしてくれるのだと捉えるのです。

動きと見え

ちょうど1年ほど前(ちょうど自分の誕生日でした)に「インタラクション・デザイン:行動とフレーム」というエントリーを書きました。
その頃、行った伊勢神宮での体験から、モノの見え方と人の動き、そして、デザインの関係について考えたエントリーです。

いまでも時々、日本の和風庭園などを散歩していると、自分自身の動きによって自然と人工物(池、東屋など)との関係が変わる様子(佐々木さん流にいえば「サーフェスのレイアウトの変更)がすばらしく計算されたものであることに驚かされます
また、自然そのものの力をそのまま生かした日本庭園は、季節によって咲く花や紅葉などによってその姿を一変させます。

動きと見えの関係が、かつての日本ではとても緻密に考えられていたように思うのです。
それは庭園のみならず、建築でも同じです。
ル・コルビュジエをはじめとする近代建築の流れがはじまる以前の西洋建築がファサードの自由をもたず、重厚な壁によって動き、そして、それにともなう見えが固定化されてしまっていたのに対し、ふすまや障子の開閉などによって空間のレイアウトを自由に変更できる従来の日本建築は、まさに人の動きや空間の変更、そして、季節の移ろいによって、サーフェスのレイアウトがさまざまな表情を見せうるものだったのではないかと思うのです。
こうした自由さを古くからの日本のデザイナーたちが見過ごすことはなかったはずです。

日本人とアフォーダンス

こうした人の動きや季節の移り変わりを取り入れた従来の日本のデザイン感覚は、ギブソンのアフォーダンス理論と非常に親和性があるように感じます。

深澤さんもまさにこんなことを書いています。

佐々木正人氏は私に何度か同じ質問をしてきた。「なぜに日本人はこれほどまでにアフォーダンスに興味を示すのでしょうか?」と。そしてまた「アメリカ人はこれほどまでには興味を示さないのか・・・?」と。
後藤武、 佐々木正人、深澤直人『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』

はじめに書いたように従来の心理学は、数学と物理学から空間と時間の抽象的分析の方法を借りた結果、情報は外部刺激をうけた生物が自身の内部で生成するものという考え方を発展させてきました。これはある意味、デカルト以来の二元論に基づくきわめて西洋的な見方と捉えてよいと思います。

しかし、ギブソンの生態心理学的なものの見方はこうした二元論を解体するものです。それは先にも述べたようなジェラルド・M・エーデルマンの理論にも、以前に紹介したパースの記号論にも通じるものの見方です。

近代化以前の日本人のものの見方はおそらく現在のような二元論を根底にもつ科学や哲学とは無縁のものだったはずで、それはギブソンのアフォーダンス理論の前提にある生物と環境の相補的な環境を自然に受け入れていたものだったのではないかと思います。

そうした土壌をもつ日本人にとって、ギブソンのアフォーダンス理論が受け入れやすいのはある意味では自然なことかもしれません。

インタラクション・デザインの未来

こうしたデザイン観を従来の日本人はもっていたのではないかと思うのですが、どうも多くの日本人がその感覚を忘れてしまっているのではないかと思います。
本来的には、インタラクション・デザインの分野でも、動きの感覚により柔軟な感覚をもっていた日本人がもっと活躍してよいと思っています。

実際、深澤さんや昨日の「動機としての無知」で紹介した奥山清行さんなどのデザイナーは、そうした日本人が古くからもっていた感覚を蘇らせることで活躍されているように思うのです。

最近、インタラクション・デザインをはじめ、ユーザビリティやHuman Centered Design、それから、ユーザーエクスペリエンスなどの分野の知見を得ようとする人の多くが「日本にはそうした知見がないから海外から輸入するしかない」などと考えていたりします。
僕はその考え方にはまったく賛成しません。

もちろん、海外にも優秀な研究が数多く存在するのでそれに目を向けるのはまったく間違っていると思いませんし、日本人が輸入物に弱いことも知っています。しかし、そのことと「日本には知見がない」だから「海外から輸入するしかない」という考えることは別物です。実際、佐々木正人さんをはじめ多くの優秀な研究者が日本にもいらっしゃる。
そうしたことに対して不勉強なまま、しょせん、アフォーダンスとの関係から出発したドナルド・A・ノーマンらの考え方だけを見て、同じようにアフォーダンスからデザインを考える日本での動きに目を向けないのは、はっきり言ってどうかしてます。

まさに自分たちで考える頭がないから出来合いのものを輸入してこようといった怠惰な姿勢、そして、先にも書いたような不勉強さが丸出しで情けなく感じるのです。
まったく、そういう方々にはこの教科書を読んで勉強してほしいです。

この本を読んで僕は思いました。

すばらしいものはもう過去に達成されている。しかも、日本で。

そのことにもっと自分たちは敏感であっていいし、それをもっと大事にして、その力を再発見していく必要は大いにあるなと感じます。日本で閉じるためではなく、グローバルに渡り合うために。

   

関連エントリー

"デザインの生態学―新しいデザインの教科書/後藤武、 佐々木正人、深澤直人" へのコメントを書く

お名前:[必須入力]
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント:[必須入力]