いかにして「わかってしまう」という罠を避けるか

おっしゃるとおり、僕が『デザイン思考の仕事術』で書いた「デザイン思考の仕事術のための基本姿勢・7箇条」のうち、第1条”「わかる」ことは重要じゃない。「わからない」ことにこだわる。”がほかの6つを誘発するということはありえると思います。

私には第一条が残りの六条を誘発するんじゃないかと思うのですが、棚橋さんはどう考えていたんだろう?
興味がありますね。

でも、僕がそういう風に考えているかというと、答えは"NO"です。

7つそれぞれが重要である

その理由ですが、第1条がほかの6条を誘発するからといって、ほかの6条がすべて「わからない」にこだわるためだけに必要なものではありません。すくなくともあれを書いた際に僕はそう捉えていませんでしたし、いまもそのような捉え方はしていません。

例えば、第7条の”グループワークを重視する。協力を惜しまない。”は、グループで作業を共同で行うことで、自分が見落としていた気づきが他人から与えられ、そこから自分のアイデアが膨らむなどの利点があります。
これは必ずしも「わからない」にこだわるから、グループワークしましょうという話ではありません。むしろ、逆の見方をすれば、グループで協力を惜しまずに作業をするために、自分が「わからない」ことでもグループにおいてはこだわる必要があるという逆の誘発も考えられます。

いずれにせよ、そうした相互に誘発しはう関係性がありえたとしても、僕自身は先の7箇条をあげるにあたって、相互の関係はそれほど意識していません。
それよりも、むしろ、7つそれぞれが個々に大事だと考えているので、7つを列挙したまでです。

ただし、上記のエントリーで、僕自身も考えていなかった、1条とその他の条項の関連性をみつけたという観点はすばらしいと思います。

「わかってしまう」という罠を避ける

その素晴らしさを認めたうえで、ひとつだけ注意点を。

第1条をキーにして、他を第1条のサブセット的に見てしまうと、他の6条をすべて、”「わからない」にこだわる”という観点からしかみえなくなってしまいます。
先に7条を例に、必ずしもそうではない価値があることを書きましたが、他の5つに関しても同様です。

それこそ、第1条をキーにして他の6つをわかってしまうことで、本来その6つそれぞれの項目がもっていたその他の可能性が見えなくなるという罠があります。

僕があの本で書いている見方を固定せずにさまざまな見方を行うというのはまさにそういう意味です。
3章のKJ法の説明のところ(128頁)で「分類法をきめるということは、じつは、思想に、あるワクをもうけるということなのだ」という梅棹忠夫さんの言葉を引用しながら指摘しているのも、まさに物事の見方のフレームを固定してしまうことによって、その他の思考の可能性が消えてしまう危険性があるからです。そのフレームこそが、その外に出ろとあの本で何度も繰り返し述べている「自分」にほかなりません。ある物事の理解に、自分という枠組みがどれだけ影響を与えているかを、離見の目でみつけられるかが重要です。

まさに、それは1つ前の「なぜ、KJ法は失敗するのか?」で、枠組みにはめて情報を分類しようとしないことを、KJ法を成功させるための前提条件の1つとしてあげさせていただいたことに通じます。
ひとつの見方が正しいがゆえに、他にも正しい見方があることを忘れさせてしまったり、排除してしまったりという間違いを起こさせることがあるのです。普遍性を追いかける思考の多くがこの罠にはまってしまっています。そこに観察者というフレームが存在することを。

そうした固定観念、固定したフレームの内部に自分を追い込んでしまわないためにも、いかにして「わかってしまう」という罠を避けるかが大切かと思います。
その意味で、第1条の”「わからない」ことにこだわる。”は言い換えれば、自分の枠組みを固定させないことにこだわることでもあるのです。

以上。回答になっておりますでしょうか? > Hidehiro Takedaさん。



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