動きのなかで

オブザベーション(観察)

デザイン思考で仕事をするうえで、大事なこの観察という活動は、僕らを自分の頭のなかの固定観念、ことばで理解したつもりになっている知的現実から、僕らの外にある未知の現実世界へと連れ出してくれるという意味において、非常に重要な活動だと思っています。

システマティックに構築された人工の空間のなかで、けれど、人は実は必ずしもシステマティックに行動しているわけではないことに目を向けさせてくれ、それぞれの人が自分のいる環境をすこしでも自分にとって都合のよいものになるよう工夫をして環境をリデザインしながら活動していることに気づくはずですから。

たとえば、丸い柱を紙にものを書く際の机として利用している彼のように。

丸い柱をテーブルとして利用する人


デザインを通して支援しようとしている行動そのものに焦点を合わせる

観察というのは文字通り視覚によって現実をみることであって、普段僕らが陥りがちなように頭のなかでことばだけで物事を理解することとは違います。

ことばで抽象化して固定化してしまえば、抜け落ちてしまうような情報―特に人びとのおこなう行動と環境とのインタラクションに関する情報―が観察の現場では抜け落ちることなく存在します。観察はことばで考える場合以上に、豊饒な情報のなかで物事を直観的に思考する方法です。
もちろん、それは自身の固定観念に惑わされず、目の前に起きていることをそのまま見ることができるような観察力を養えているという前提条件がつきますが(そう、僕らは実は普段見ているつもりでも何も見ていないことが多い)。

IDEOのヒューマン・ファクターの専門家、ジェーン・フルトン・スーリは『考えなしの行動?』のなかで、こう書いています。

人々の行動を観察することは、既往の方法が押しつける限界を打破し、人々の活動と経験をさらに支援する改革をデザインチームにもたらす。観察することによって、私たちは最終的な製品に注目するのではなく、デザインを通して支援しようとしている行動そのものに焦点を合わせざるをえなくなる。
ジェーン・フルトン・スーリ「考えなしの行動の組み立て」『考えなしの行動?』

デザインしようとしている製品そのものではなく、その製品をデザインすることで支援しようとしている行動そのものにフォーカスする。これは僕が『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』で、「デザインとは、人間自身の生活、生き方、そして、生命としてのあり方を提案する仕事です。」と書いているのとおなじです。前に書いた「製品中心から人間中心のデザインへ」で述べていることでもあります。
製品やサービスなどの人工物そのものをつくることがデザインの目的ではありません。それら人工物をつくることで、人びとの生活行動を変えるのがデザインの目的です。

「名詞ではなく動詞」をデザインする

スーリは先の引用部につづけてこうも言っています。

IDEOの共同創立者であるビル・モグリッジは、「名詞ではなく動詞」をデザインするのだと述べているが、これも物体ではなく、挙動こそが注目すべき対象だということを意味している。デザインへのこのアプローチは、人間の活動を基本としているが、人々が実際に何をしたがっているのか、何が面白いのか、ということを敏感にキャッチする能力が要求される。
ジェーン・フルトン・スーリ「考えなしの行動の組み立て」『考えなしの行動?』

物体ではなく挙動こそが観察する対象である。静止状態で固定されたモノではなく、人びとがモノや外部環境のなかで相互作用的に行う挙動そのものにフォーカスをあてる。そこには、人びとが実際に行おうと思っていること、必要だと感じていることがある。
観察のポイントはまさにここにあります。

名詞として固定された状態ではなく、動詞という動きのなかで人とモノのインタラクションを観察し、その背後にある人びとのニーズを直観するのです。
観察の着眼点は『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』でも紹介しているように、以下の7つが挙げられます。

  • 類型的行動
  • 行動の状況
  • 行動の主体
  • 行動の対象
  • 手段・方法
  • 目的
  • 結果

もちろん、こうした7つに対して単に答えを穴埋め式に埋めていくのではありません。あくまでこうしたポイントに着目しながら、人びとの行為をその環境のなかで統合的に観察することが大切です。

人工化は生き物を絞め殺すのに似ている

とにかく何でもことばで理解しようというのは避けることです。

自然に存在する自律性のある生ものの動きをとめて、固定意味(フォルム)に変換してしまう。それが情報化であり、デザインです。人工化です。人工化するというのはある意味では生き物を絞め殺すのに似ているんですね。本来自律的な動きをもつものの息の根をとめて固定化する。固定化することで人間の制御下におくことです。制御下におかれた瞬間、それはそれ自体の生を失うわけです。

点の思考、線の思考」でも書きましたが、物事をことばとして概念化し固定してしまうことでわかったつもりになるのは避けなくてはなりません。特に「人間自身の生活、生き方、そして、生命としてのあり方を提案する仕事」する場合は。

ただし、「解釈を代行するのが道具」でも書いたように、そこにニーズがあるからといって何でもデザインしてしまえばよいというものでもないと思っています。そこが今後デザインをする人に求められる倫理観でしょう。

それにはことばで理解しようとするのではなく、実際の生活の現場での観察が大切になります。そうした観察をつうじた動きのなかで人びとのニーズを直観するという活動が大事ですし、それができる能力を日ごろから養っておく必要があると思っています。

 

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