アウトプットができない人がまずやるべき3つのこと

これも立派な意見だと思うんですが。

さて、問題は、自分の意見がない場合だ。そういう場合も当然意見が少なくなる。自分はどちらかというとこちら側にあてはまるかもしれない。おそらく何を考えればいいのかがぶれてしまうのだ。

意見をいわなくてはいけないとか、むずかしく考えすぎてるんじゃないでしょうか?
そりゃ、時が来れば自分の意見を求められる場面もあると思いますけど、アウトプットを増やさなくてはいけないのは、そんなタイミングじゃないんですね。もっと前、ずっと前の段階です。自分の意見を言わなきゃなんていう最後のタイミングのことばかり考えちゃうから間違うんですね。

むしろ、アウトプットができない人がまずやるべきなのは、相手が話しているあいだの自分のインプットを増やすことだと思います。
ようは次の3つ。

  • オウム返しをする
  • 質問をする
  • 相手の話の良いところをほめる

ここでいう相手は、あなたに何か課題をあたえる人でもいいし、何かを教えてくれる人でもいいし、単なるおしゃべりの相手でもいいと思います。
とにかく相手が話していることに対して、上記3つのことをするのです。もちろん、タイミングが悪かったり、相手の話の腰を折ったりしたらダメなのはわかりますよね。そうならないよう、うまくタイミングを見計らって、上記の3つができるようになることです。
自分の考えをまとめるなんてのは、それをやったあとのことです。

1.オウム返しをする

最初は「オウム返しをする」ことです。つまり相手の言ったことを真似るのです。

なんだ、そんなこと簡単じゃないかと思ったあなたは大間違い。頭のなかで思うほど、相手の言ったことをそのまま真似るというのは簡単ではありません。単語レベルであれば問題ないでしょうけど、ひとつの文章の単位で真似るとなるとそう簡単ではない。実際にやってみるとわかるはずです。
しかも相手が話をしているなかで真似るのですから、さっきも言ったようにタイミングを間違うと相手の話の腰を折ってしまいます。そうならないよう注意してやろうとすると、これはなかなかむずかしい。

さらに相手がしばらく話をしたあとに、それをまとめる形で話の流れに沿って相手の話を真似る―つまり相手の言ったことを繰り返して確認するとなると、そう簡単ではありません。何かをヒアリングしたあと、その内容を確認するというのは、相手と自分のあいだのスキルや分野の差が大きいほど、むずかしくなります。

ここで自分の考えをいう必要はまったくありません。いや、何か自分の考えや固定観念みたいなものがあれば、それは捨てるべきです。相手の話を自分の枠にはめて聞くのではなく、自分の枠を捨て去るために聞くのです。その結果、どうなろうと構わない。そうしたリスクをとる覚悟が必要です。
そうした意味で、まずは相手が言ったことを真似るのです。我を捨て、とにかく相手の言ったことを真似る。アウトプットが出せない人の大きな問題は、我が強くて他人の話が聞けないことに依るものが大きい。我が強くて自分の外に出られないから、必要なインプットが足りずアウトプットの素材を欠くのです。
それを回避するためには、我を捨て、まずは相手の懐に飛び込める力を身につけることだと思います。

2.質問をする

相手の懐に飛び込もうとすると、とうぜん、どこかで相手の言っていることがわからなくなる点に出くわすと思います。もし出くわさなかったとしたら、それは問題がないのではなく、聞き方が問題だらけだということです。ようするに、それはわからないことがわからないということだからです。

毎日いっしょに暮らしている相手だとしても、相手の話でわからないことはあるはずです。それがそうでもない仕事の相手とか、先生とか、お客さんとかであったなら、わからない点がたくさん出てきていいはずです。ちゃんとオウム返しをしていれば、わかってる点とわからない点の区別はつくはずなのです。

そうしたら、わからない点を質問するのです。
これはオウム返しより、すこしむずかしい。質問というのは、相手に自分が何がわかっていないかを伝えなければ、自分が知りたい質問の答えが得られないからです。オウム返し+とは?では、質問になっていないんですね。まったくわからない状態であれば、その質問になるのは仕方ありませんが、すこしでもわかっていることがあったり、自分なりの仮説があればそれを盛り込んだ質問にしなくては、相手からすればこの人は何がどうわからないのかがわからず、適切な回答ができません。

質問ができるというのは、自分がわかっていることとわからないことの区別がつけられるようになるということです。

3.相手の話の良いところをほめる

もうひとつ相手の話を聞いていると、きっとこの人が言ってることってどうも納得できないなと感じることにも出くわすかもしれません。
でも、それを否定するのは我慢してください。それは結局、自分の我で相手の話を聞いているだけで、相手が話をしている視点に立てていないというだけなのですから。

視点が違えば、意見や感じることが違うのは当然です。
相手の話を聞く際に大事なのは、相手がどこに立って物事をみて話をしているのかということを見つけることです。それをせずに自分の視点で相手の話を聞いていて、相手と自分は意見が違うなんて感じてもあんまり意味がありません。先ほど相手の懐に飛び込むといったのは、相手の話の視点を見つけるようにしましょうという意味でもあるのです。

なので「相手の話の良いところをほめる」というのは、単に自分と相手の考えが一致して、それを自分でもいいと思ったからほめるというのではないのです。そうではなく、自分の考えはいったん捨てた状態で、相手とおなじ視点に立ったとき、相手の見方がよいなと思ったときにほめるということなのです。

もちろん、これはオウム返しよりむずかしいし、質問をすることよりむずかしい。でも、それはオウム返しや質問をすることの先にあるものです。オウム返しや質問をすることで相手の視点に立つことができるようになり、そこで相手の視点のおもしろさや鋭さを発見する。「相手の話の良いところをほめる」というのは、そうやって自分の視点とは異なる相手の視点を見つけ、さらにその視点のよいところを発見するということなんですね。

まとめ:とにかく我を捨て、自分の外にでる

相手の懐に飛び込むためには、相手の話を伺う者としてのリスクを負う覚悟が必要です。それは松岡正剛さんが次のように言うのとも重なってきます。

亭主の仕事は気配のありかたと趣向の盛り付けをきわめることにある。これは景色をつくるということである。
こうしてやっと主客の一線が淡々と見えてくる。そして、遊ぶものと遊ばれるものの交感が生きてくる。それには亭主は、つねになんらかのリスク・テイキングをするべきなのである。
亭主がリスクを負わない遊びには、客も加担を感じられないものなのだ。

聞く者がリスクを負わないければ、相手も懐を開けてくれません。それでは異なる者同士の交感は生まれないし、アウトプットを生み出すためのインプットが自分のなかに入ってきません。
いや、インプットというのは実は外のものを中に入れるのではなく、自分の境界をすこし広げたり、自分の居場所を移動させたりすることで、それまで外にあったものを内にすることをいうのです。つまり、それは自分が変化することにほかならない。そして、変化はリスクなしにはありえないし、何がうまくいくかは相手と自分の交感次第。
しかも、テレビやネットを相手にしてるわけではなく相手は肉体をもった人間ですから、下手に話の腰を折って機嫌を損ねれたりすれば怒って殴りかかってくるかもしれない。そこまでいかずとも自分の無知に恥をかかされるかもしれない。それだけやっても無駄骨になることもある。新しく得た知識で逆に身を滅ぼすことになるかもしれない。
でも、リスクを負うというのはそういう意味。自分を捨て、違う自分に変わるというのはそういう意味。それでもやらないと何も変わらない。アウトプットとはその変わった自分自身だ。そこに安易にいいわるいを決めるような質が問われることなどあるはずがない。(→追記あり)

そうしたリスクを覚悟で、先の3つが自然にできるようなってはじめて、自分のアウトプットが出せるようになるのだと思います。つまり、自分の内と外の区別ができるようになり、自分の外に出ていく力も身につけられてはじめて、アウトプットを出すにはどうすればよいかが身体でわかってくる。

そのためにもとにかく我を捨て、自分の外にでる訓練をしてみることだと思います。
1つ前のエントリー「2009-04-30:知るということは危険をともなうこと(だから、おもしろい)」で書いたとおりで(というか、このエントリーはまさにその続きです)、今の自分が違うものになってしまうことを恐れ、自分の殻に閉じこもって安全を確保しようという我が強すぎるのだと思います。でも、実際はそんなことしたって無駄です。寝て覚めれば人は昨日とは違う自分になっているわけですから。

それならすこしリスクを負ってでも自分の外の世界を遍歴する余裕をもってもよいのではないでしょうか。自分の視野をリフレーミングする冒険心をもうすこしもってみてはいかがでしょうか?



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