無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和/網野善彦

江戸時代、女性には離縁権がなかったといいます。離縁は夫が三行半の離縁状を書いてはじめて成立したそうです。ただ、女性のほうにまったく手がないかといえば、そうではなかった。その方法というのが縁切寺=駆込寺に駆け込むことでした。妻が縁切寺に駆け込むと夫は手出しができないことになっていて、妻はそこで三年過ごすと夫と縁を切ることができたそうです。

網野善彦さんの『無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』という本は、こうした縁切寺=駆込寺で切れる縁が江戸時代より前の中世においては、夫婦の離縁だけではなかったことを明かしていきます。

外でこしらえた借金や罪も、それから主従の縁や下人や奴隷として働かされた縁も、縁切寺=駆込寺に駆け込むことで無縁となる。借金は消え、罪は問われなくなり、主人は追ってこられなくなる。そうした無縁の場というものが、縁切寺=駆込寺以外にもあったのが中世だといい、さまざまな資料をもとに中世に存在した「無縁の原理」なるものを解き明かしていきます。



無縁の場の自由と平和

そうした「無縁の原理」に貫かれた無縁・公界・楽の場には、近代の西洋的な自由や平和とは異なる、日本中世の自由と平和があった。さまざまな芸能民、職人、商人、僧侶たちが世俗の縁や法から自由な立場で、戦の危険からも守られた平和な暮らしを送っていた。それが中世の無縁・公界・楽と呼ばれる場であったそうです。

例えば、身近なところでは、江ノ島がそうした無縁の場でした。

江嶋の人々は、主をもつことを許されなかった。つまり、逆にいえば、江嶋中の者は、主従の縁の切れた人々だったのである。それ故、外部の争い、戦闘と関わりなく、平和を維持することができたのであった。まさしく、江嶋は「無縁」の場だったのであり、「公界所」という言葉は、この場合も、「無縁所」と同じ意味、同じ原理を表現している。
網野善彦『無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』

無縁の場で生きる人びとは、課税、課役が免除され、関や渡などでの交通税が免除され、無縁の場では喧嘩や公論、狼藉が禁止され、外部の人がみだりにその場に踏み入ることも禁止されていました。そうした無縁の場のもつ性質をかつての江ノ島も有していたそうです。

網野さんは、無縁・公界・楽という言葉で性質を規定された場や人びとの特徴として、以下の8つをあげています。

  • 不入権:みだりに外部の者が足を踏み入れてはいけない
  • 地子・諸役免除:納税や課役が免除される
  • 自由通行権の保障:関や渡での交通税が免除され自由に通行することができる
  • 平和領域、平和な集団:戦をしてはいけない
  • 私的隷属からの解放:私的な主従関係や隷属関係は無縁の場に入ると切れる
  • 貸借関係の消滅:無縁の場に駆け込む前の貸し借りは切れる
  • 連坐制の否定:隣組などをつくって相互に監視、告発する義務と連坐制を適用しない
  • 老若の組織:老衆、若衆による組織化

これだけ読むと、なんだかとても理想の環境のようにも思えます。俗権力は介入できないし、私的隷属や貸借関係からも自由で、世俗の争いや戦争に巻き込まれず平和で、相互に平等。かなりの理想郷です。ただし、実際はそんなにうまい話でもありません。

職人、芸能民、宗教人

そのことには、無縁の場に暮らす無縁の人びとは実際どんな人だったということも関係しています。

無縁の人びとには、海や山で暮らす海民、山民、鍛冶・鋳物師などの手工業者、楽人・舞人・獅子舞・遊女・白拍子などの芸能民、陰陽師・医師・歌人などの知識人、博奕打・囲碁打などの勝負師、巫女・勧進聖・説教師などの宗教人、さまざまな商人・交易人、そのほか、非農業民であり、貴族や武士階級に含まれないすべての人が含まれていました。
こうした人びとには中世前期から、貧・飢・賤と結びついていた暗いイメージがまとっわりついていたと網野さんはいいます。例えば、中世から葬送にたずさわっていた非人、乞食などもここに含まれてくる。田中優子さんが『カムイ伝講義』で書いているように、こうした無縁の場で暮らした人びとのうち、職人や商人を除く人々は士農工商の階級の外に差別された穢多や非人の階層として明確な差別のもとに置かれるようになりますし、松岡正剛さんが『フラジャイル 弱さからの出発』で書いているように、かつて自由通行権をもって各地を遍歴していた芸能民たちは芝居町や吉原という人工の悪所に閉じ込められ管理されるようになります。古代から中世にかけて、常に聖と賤、浄と穢のあいだにあったこれらの人びとは江戸の管理社会においては、その聖的属性、呪術的な属性を薄められていくことになります。

自由都市

ただし、中世においては、これらの人々は、外部の人びとから貧・飢・賤のイメージがまとわりついた差別の目を向けられつつも、先に書いた自由と平和を有し、なかには貧・飢・賤とはほどとおい豊かな暮らしを送っていた人も少なくなかったそうです。

というのも、無縁の場というのは、最初に書いた駆込寺のように寺社だったり、桃山時代に出雲阿国がかぶき踊りを生んだ京都の四条河原のような河原だったり、道が交差する辻のような場所でした。そこではさまざまな芸能が行われ、市がたちました。とうぜん、課税は免除です。そうなると、自然にそこには人が集まるようになり、都市が生まれてきます。自由都市として名高い堺もまた、そうした無縁の場であっただろうと網野さんは書いています。

堺は結局、信長の脅迫に屈し、妥協の道をえらび、あたかも多くの「無縁所」が、大名の権力を背景にその特権を保ったように、信長の庇護の下で、「自由」と「平和」を保つ方向に進んだ。それ故、信長の支配下に入ってからも、堺の「公界」としての本質が消え去ったわけでは、決してない。
網野善彦『無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』

自由都市としての堺には巨大な富が生じました。さらに富だけでなく、堺を拠点に、武野紹鴎や千利休の茶の湯も生まれてくる。茶の湯とつながりの深かった禅宗や時宗の寺ももちろん無縁の場でした。もちろん、昨日の「此道の一大事ハ、和漢之さかいをまきらかす事」で紹介した村田珠光なども一休禅師との関係からこの文脈で考えないといけないでしょう。それとともに利休が秀吉に、織部が家康に、それぞれ自刃を命ぜられて最期をとげたのかということも、この「無縁の原理」との関係で心にとめておくとよいのでしょう。

禅とつながりの深い能楽も当然、ほかの芸能民同様に無縁の人びとだったわけです。これは江戸期において吉原や芝居町から芸能が生まれてきたことともつながりをもっているとみてよいでしょう。日本の文化はそうした自由と平和を有した無縁の場から多く生まれてきたというわけです。

昨年後半に田中優子さんの本を通じて得た江戸の話が、こうした中世の歴史をみると、さらになるほどと思えておもしろい。網野さんの本はもう何冊か読んでみようと思って、いまは『異形の王権』を読んでいるところです。



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