心のなまけぐせを予防するには?

いまの時代、「入り込む」というのは、1つキーワードになりそうだなと思っています。

ある境界の内側へと入り込む。それにはまず境界線を越えなくてはいけません。
世代間の境界、知らない人との距離、自分の思い込みという壁、やったことのないことへの挑戦、知らないことへの好奇心。境界を越えて、壁の向こうへ、境を渡ること。得てして境界を越えて、向こう側の世界の内側へと入り込むことはむずかしい。
勇気が出せずにできないこともあれば、「いまの若い連中は」などと口にしては自分自身が変わろうともせずに、自分の思い込みの世界に留まったまま、向こう側をひたすら拒否することもあるからです。



内から外へ、外から内へ

でも、境界を越えなければわからないこともあります。入り込んでみないとわからないことがある。

例えば、入り込んでみたら、実は境界線だと思っていたものが実は境界でもなんでもなかったということさえある。
「あいつらなんだ」と思っていた相手と実際話してみることで、「なんだあいつら」と思っていた像が実は自分が勝手に作りだした像でしかなかったことに気づくこともあるでしょう。最初から自分の中の像とたわむれていただけで、まったく外を見ていたわけではなかったことに気づいたりする。まぁ、それでも気がつくだけマシなんですけど。

その意味では相手の内側に入り込むということは、自分の外に出ることでもあるのです。
おなじように、ある問題へと深く入り込むことがこれまでの自分が知らなかった何かを発見することにつながることも少なくはないでしょう。

勉強しない人にとっては、勉強が外側であり、外に入り込むことで自分の内から抜け出すきっかけにもなる。逆に自分の専門領域のことばかりを研究室か何かにこもってやっているのだとしたら、息抜きに他の分野に目を向けることが外の世界に連れ出してくれ、ずっと頭を悩ませていた問題の答えに気づかせてくれることにつながるかもしれません。
内/外のどっちがどうというよりも、境を見つけ、自ら境を越えるということが大事なのかもしれません。

外への無関心=「思いやり」以前の問題

昨日の「デザイン:内/外の境を見てとり絶妙な間を生み出す行為」というエントリーでは、デザインという創造性が求められる行為を行っている場合でも<「見る」「考える」「作る」というどの段階においても、自分の頭のイメージの内側から出ることはむずかしいことです。外を扱っているつもりがどうしても内に投影した外を見てしまうという罠にはまってしまいます。>と書きました。
また、デザインとはその内側と外側の境界を発見するとともに、<必ずしも自明ではない境を見出し、それを空であると同時に満たされてもいる空間=spaceとしての間として表現する・具体化する>ことが大事で、その場合、<間は空間的であると同時に、時間的であり、物理的であるだけでなく感覚をもゆさぶるリズムでもある>と書いています。

それには自分の外の世界へと入り込んでいくための勇気や思い込みからの脱出への意欲が必要です。外の世界や他人に対して興味を持たないことにははじまりません。昨日の「横浜ワークショップ2008」でチューブグラフィックスの木村さんがデザインを行う上での「思いやり」の大事さを語ってくれましたが、思いやりをもつ以前に自分の外側の世界や他人に対して興味や関心さえ向けられないことがあるのです。それはもう「思いやり」以前の問題です。自分の外に出ようとする好奇心に欠けます。

好奇心というのはたぶん、独創的な問いを発見する情熱だと思います。

言葉は頭を整理する道具ですが、音だけを気分で使っていると、頭の方がそれに馴れてきて、聞き馴れぬ言葉を聞いても、「それ何?」と問いかけなくなります。(中略)その記号の意味を問う、という自然な心の働きがなくなってしまいます。心から好奇心が失われ、心になまげぐせがつきます。

外の世界に入り込む努力ができない人は、「思いやり」以前に、情熱がなく、心になまけぐせがついているのかもしれません。

自分が内にこもっているかどうかが人にはわからない

以前、「未来を考えるならいまの気分だけで無用とか無意味とかを判断しないこと」なんてエントリーも書きましたが、自分の外をろくに見ようともせず無用だとか無意味だとかと判断しているようでは、自分の世界を広げることもできず、自分は成長しないし、自分のまわりの環境もなにひとつ変わらないでしょう。
だって、無用だとか無意味だとかというその判断は自分の殻にこもった内向きの判断なのですから。そこには出口もないし、出口へと向かう情熱も意欲ないのですから。

ただ、問題は、人間というものは自分が内にこもった状態になってしまっていることに気づけないことが多いということ。

だとしたら、自分が内にこもっているかどうかなどを考える前に、常に外に向かって目を向け、いつもと違う世界に積極的に入り込む努力こそ欠かせないのでは、と思うのです。
それが心のなまけぐせを予防する数少ない方法の1つなのではないでしょうか。

  

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