本を読んだり、他人の話を聞いただけで、何をわかろうというのですか?

本を読んでわかるようになりたい。誰かに教えてもらってわかるようになりたい。そういう声はよく聞くし、ブログでもよく見かけますが、果たして、そういう方法・姿勢でわかるようになることなんてあるのだろうかと常々疑問を感じています。

わからないことは誰かに教えてもらう、という方法自体は間違っていないと思うのです。
でも、その「教えてもらう」手段として、本を「読む」、誰かの話を「聞く」という具合に、言葉に完全に頼りきっているのはいかがなものか?

未経験者が相手なら、言葉だけではレシピくらいしか伝えられない

言葉で教えられるのなんてレシピ程度だと思うのです。

とうぜん、レシピだけわかっても料理をうまく作ることはできません。うまく作るためには自分で何度か実際に料理をしてみて、あー、こうすればうまくいくのかというコツを自分でつかむしかないのではないでしょうか。

また、実際に自分で料理をしてみて失敗の経験をしている人なら、さらに言葉でアドバイスすることもできます。同じ経験を共有しているもの同士なら、言葉で補足することは可能です。
ただ、経験を共有していない相手に、経験そのものから言葉で伝えるのはむずかしい。だから、未経験者にはレシピくらいしか伝えられないわけです。

自分でわかろうとする努力が足りない

にもかかわらず、未経験者ほど、やたらと言葉だけで安易にわかろうとする傾向があります。

誰でも最初は未経験者ですから、まずはとっかかりとしてレシピを知って、そこで自分で実際に料理してみて、そこから自分で学んでいったり、失敗したことを誰かに話して、どこが悪かったのかを教えてもらおうという姿勢なら、最初に言葉からはいるのも悪くはありません。

でも、初心者にもわかりやすい本を、興味があるので話を聞きたいなんて人に限って、本を読んだり、話を聞いてわからないと、もっと簡単な本を読みたいとか、もっとわかりやすい話を聞きたいとか言いだします。

おいおい、いつまで言葉だけですべてをわかろうとしてるつもりなの?って思わずにはいられません。

言葉を理解したいの? ある問題の解決方法をわかりたいの?

そういう人って、こんな安易な図式を何の批判もなく前提としていないでしょうか?

  • 簡単だから、わかる。
  • むずかしいから、わからない。

そうじゃないんだよね。

実際は、

  • わかる努力をしてないからわからない。
  • わかる努力をするからわかる。

だけです。

んー、与えられた情報を理解できるようになることを「わかる」ことだと思っていないでしょうか?

それって単に理解力の問題で、理解のための語彙が不足していたり、語彙習得のための勉強が不足していたり、あるいは、理解のために書かれた内容を構造的にそこで何が問題とされ、何が解決案として提示されているかを読み解く力が不足しているかという読解力の問題か、と。

でもね、たとえ、それができたとしても、わかったことにはならないと思うんです。それは書かれた内容を理解できただけで、別にそれって本を読めた、相手の話が理解できたということ以上のなにものでもないですよね。それはあなたがわかろうとした何かの問題の解決になっているのでしょうか?

自分でわからないなりにもやってみて、それでうまくいかなかったらその理由を考える。考えるなかですこしずつ何かがわかってきて、それを試しにやってみるとまた何か発見がある。そういう具体的な行動もせずに、ただ、本や他人の話だけで何かをわかろうなんて虫が良すぎますよね。

でも、本当はわかることなんてない

本を読むのも、誰かの話を聞くのも、その言葉でわかるためというよりも、わかるための行動を実際に行う際にスタート地点にたつための必要な情報をとりあえず集めるのが目的だと思ったほうがいいんです。
どこがスタート地点で、なんとなくどっちの方向に、どんな風に進めばいいかの見当だけつけたら、あとは自分の足で崖から飛び降りてみない限りは、わかるはずもないのです。

それをどこかに安全に下まで降りられるハシゴがないかとか、もっと安易にエレベータがあるはずだとか思うから、いつまで経ってもわからないのです。わかるためには勇気を出して自分で飛び降りてみる体験をしないと、何もわからないのだということに早く気づかないと。

佐治 あなたは宇宙のことをよく理解していらっしゃるんでしょうけれど、僕から言わせていただくと、宇宙のことを知るということは、宇宙のことをあなたが勉強して知ることによって、あなたの人生がどう変わったかということをもって、知る、ということなのです。あなたは生徒に、授業を通して彼らの人生をどのように変えられるかということを念頭において、地学の講義をしていますか?

そう。「わかる」ということは「かわる」ことです。変わることではじめて分かるのです。本を読んだり、他人の話を聞くだけで、自分を変えられるならそんな簡単なことはありません。それがむずかしいから努力をして自分が変わることで分かるようになるんじゃないでしょうか?

それから、最後に何より大事なことを1つ。

あのね、わかることなんて本当はないんです。わかるという状態があると思うから間違いの元。
わからないと行動できない人が多くいるみたいですけど、「わかる」をスタート地点にしちゃうからおかしいんです。

そうじゃなくて、自分で考えることが大事、自分の問題意識をもって日々の行動をすることが大事だとわかってる人なら、わかるということはスタート地点であるどころか、それはむしろゴールであり、しかも、無限遠にある決して実際には到達できない目標としてのゴールだという感覚をもっているはずだと思うんですよね。

だからね、わからないと何もできないなんて考えは今すぐ捨てたほうがいい。自分の問題意識をもって、その問題の解を見つけるための行動こそが「わかる」ためのただ1つの方法なのですから。

  

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