機会がないとか経験がないとかいうけれど

「機会がないからできない」「経験がないからわからない」
まぁ、間違ってはないですね。

でも、そう思うなら機会を作るため、経験を積むため、行動してるの?っていうと、そうじゃない人が多い。何それ? 「できない」「わからない」って言うために「機会」とか「経験」のなさを口実にしてるだけなのかなって不審に思ってしまいます。

毎度のことですけど、行動力がないな、臆病すぎるよなって感じます。

わかってからやろうとするな、わかる前だからやれ

とにかく、わからないからやらない、動かないって傾向がある人が多いのかなと思います。

でもね、わからないのは動かないからだよって思うんですね。

恋愛とかでもそうじゃないですか? 出会いがないとかいうけど、それって自分で積極的に行動しないからってところが大きいのかなって思います。

異性との出会いの前にまず、同性との出会いというか、交友関係を広げないとそりゃ、異性と出会う機会もまず広がらないし、同性との出会いを広めるためにはそれなりにお仕事もがんばって、いろんな分野の人と話せる機会も増やす必要があるでしょう。お金を稼いでいろんな行動をしやすくするってのも必要かもしれませんし(別に大金を稼ぐ必要はないけど)。

で、そう考えると、異性と出会うためには、異性との出会いを求めるだけじゃなくて、そのまわりの他のこともがんばらなきゃいけないことがわかってくる。そうなると、やることいっぱいなので効率もよくしなきゃいけないし、積極的に動くことで、後追いの自転車操業状態を脱却する必要がある。

でね、こういうこと書くと、そういう状態にどうやってもっていったらいいかわからないとかいう人が出てくるけど、そんなの最初からわかってやって、うまくいく人なんていないんですよ。わからないなりにとにかくやってみて、失敗もしながら痛い目も見つつ、そこから学んで修正かけて、徐々に正のスパイラルにもっていくわけ。行動しながら学んでるんです。

行動しない人、まず頭でやり方をわかろうとする人って、それがわかってないのかなって思います。

そんなもの実は向こうからやってくる

その意味でモテる方法なんて簡単なわけです(←ちょっと言いすぎw)。僕はたぶん大学で所属したゼミでこのことを最も教わったんだと思います。

モテる方法なんてわかろうとせずに、とにかく行動してみる。そうすると、そのうち、モテるにはどう動けばいいか、どう種をまいておけばいいかもわかってくる。

モテる方法にしろ、好みの相手にしろ、ただ、追っ駆ければいいってもんじゃない。むしろ、向こうから寄ってくるような状態になるよう、いろいろ行動しないとダメなわけです。例えば、普段からPR行動をしてなきゃ、向こうからやってくるなんてことはないわけです(「」参照)。

会いたい人に会えるようになる。
欲しい情報がいいタイミングで向こうからやってくるようになる。
知りたいことも気づくと知っている状態になる。

そんな他力本願な状態でうまくいくことを可能にするには、やり方とかどうのこうの考えるんじゃなくて、とりあえずの仮説でまず動いてみるクセをつけることだと思います。

それを長年やってれば、いいなと思う人には、向こうからもいいなと思ってもらえる確率はだんだん増えてくるようになると思います。恋愛でも、仕事でもね。

つべこべ言わず、本に書いてあるまま、やってみること

なので、まずは機会がないとか、経験がないとかを言い訳にするのをやめましょう。

機会がない、経験がないは、むしろ、行動がほかの人以上に必要なことを示してるだけです。

機会がないから経験がないからといって、本や誰かの講演などを聞いて、そこからまずわかろうとするのはやめましょう。
まぁ、まったく知識がない状況じゃ動く方向もわからないだろうから、一冊の本とか講演ひとつくらいは聞いてもいいかな。でも、それで知識を得たら、つべこべ言わず、まずはそのとおりやってみることです。

養老 私がさっき言いましたが、「本当の私がある」というような考え方がこういう間違いを起こしてきたでしょう、と言ったときに、「じゃあどうしたらいいんですか」というのはまったくの間違いなんですよ。その考えを変えた瞬間からやることは変わってしまうんだから。「じゃあ具体的にどうしたらいいんですか」という質問は、実は人の言うことを聞いていない証拠なんです。

わからない部分があっても気にしちゃいけない。わかる部分だけであとは自分流にやればいい。

機会や経験がないからわからないという言葉はそのとき、はじめて活きてくるはずです。自己流でやってみてうまくいかないことから、はじめは読んだり聞いたりしてもわからなかった言葉の意味もわかるようになる。そういうケースは多くあります。あー、これはそういうことを言ってたのか、と。

そういう気づきがなければ、本なんて読む意味はない。自分の普段の行動と照らし合わせて、自分の身体や生き方と重ね合わせて本を読むこと、情報に触れることをしなければ意味はないし、読んだり聞いたりしたことを実際にやってみなければ、ただの無意味な知識だと思う。

情報より情報化

もちろん、本に書かれたことはそのままできない場合もあるでしょう。でも、できる範囲でやってみる。
また、本に書かれたことは、何か行動につながることじゃないこともたくさん書いてある。でも、本当のは物事を観た結果、思考の結果を記述しているわけだから、書き手の眼、書き手の脳の動きを反芻するという行動ならできるはずです。そういうことをやってみる。

本なんて自分の経験で反芻してみなければ、ただの残り滓としての情報です。「行動せよ(特に観よ)」でも書いたとおり、大事なのは残り滓としての情報ではなく、残り滓を生み出す情報化という行為です。その繰り返しが本当の意味で「わかる」ということにつながるんだと思います。

臆して行動をためらえば、いつまでたっても何もわからないし、機会や経験に恵まれることはないと思います。

考えるより、やってみるほうが慣れるとラクですよ。
がんばって行動しましょ。

  

関連エントリー

"機会がないとか経験がないとかいうけれど" へのコメントを書く

お名前:[必須入力]
メールアドレス:
ホームページアドレス:
コメント:[必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。