2007年01月17日

AmazonにOTAKUストアなんてコーナーがあるの知ってました?

昨日、お客さんと話をしていて、AmazonにOTAKUストアなんてコーナーがあるのをはじめて知りました。遅いですね。

アニメDVD、フィギュア、コミック、アニメミュージック、美少女ゲームなどの人気商品が集合!話題のキャラクター別で探すこともでき、見ているだけで楽しくなるマニアックなストアです。お気に入りのアイテムを見つけたらこの機会にゲット!

しかも、こんなバナーまで用意されてるんですね。知らなかった。


タグ:Amazon オタク
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2007年01月09日

岩壁に絵を描きはじめる前と後の違い、ということで

自分の見解を明らかにする意味で念のため、パブリッシュ。

棚橋さんが不可視な結びつき、匿名のアイデンティティで語られている「コミュニティ機能の変容」です。僕にはコミュニティ機能の変容というよりも個人の知覚変容であると思っています。

この2つは同時にしか起こりえないというのが僕の立場です。つまり「コミュニティ機能の変容」と「個の知覚変容」が同時にしか起こりえないと考えているのです。どっちが先かといわれると困るものの、卵を産まないにわとりがいないのとおんなじような意味でです。

その意味で、この話の発端になっている大西さんのエントリーでのコミュニティとアイデンティティの関係性の捉え方に僕は共感を感じます。
それが「コミュニティの復権」という単純な話かはともかくとして。あと匿名うんぬんの話もそれほど興味がないのでパスします。

なので、僕が意識しているのは、

岩壁に絵を描いたころから人は自らの記憶を外化し続けています。そうした記憶の外化によって人間は道具を作り、ある意味の進化を行ってきました。

という場合の、岩壁に絵を描きはじめる前と後の違いです。ここにWisdom of Crowdsの有無の1つの線引きができると僕は考えています。実はその前にも線が引けるはずですが、ここではそれは無視します。

他の惑星からきた長期的な視野から見る先入観のない観察者なら、コンピューター、超音速飛行機、宇宙探査機などをもつ私たちの文明意を、飛躍的大前進の後の1つの付け足しくらいにしか見ないかもしれない。非常に長い地質学的な時間尺度のうえでは、システィナ礼拝堂から特殊相対性理論まで、ゴルトベルク変奏曲からゴールドバッハの予想まで。現代までに達成されたすべては、ヴィンドルフのヴィーナスやラスコー壁画とほとんど同時代であり、すべてが同じ文化革命の一部であり、すべてが長い前期旧石器時代の停滞の後に起こった、華々しい文化的高揚の一部であると見ることができるだろう。
リチャード・ドーキンス『祖先の物語 ドーキンスの生命史 上』

なので、その後の変化はさほど大きな変化だと捉えていないのが、ここ最近のエントリーでの立場です。

もちろん、だからといって、その後の変化が小さいと思っているのでもありません。また、「ノードの数が増えたことによる自己組織化、創発的な現象が起こりやすくなった」というのを単なる「だけ」と考えているというよりも、Wisdom of Crowdsうんぬんの話に関していえば、そこだけが大きな変化として、そこだけが重要だと考えているわけです。
なにしろ、Wisdom of Crowdsうんぬんに関しては単に岩壁画以前と以後の話でしかないというのが僕の立場ですので。

よって、「ノードの数が増えたことによる自己組織化、創発的な現象が起こりやすくなった」ことの重大な影響も、僕の意見としては、yusukeさんがいうような「個の知覚変容」にだけ起こるのではなく、「コミュニティ機能の変容」にも同時に起こると考えています。なぜなら、個と環境としてのコミュニティは常に結びついているからです。アイデンティティそのものがコミュニティなくして生じないというのは、先にも書いたとおりです。
それゆえに、個が変容可能なのはコミュニティそのものが変容するからであり、ある意味、この変容はコミュニティの変容の特性なのえはないかと僕は考えているのです。

確かに、その意味では僕も世界は新しく変わっているし、今後も変わっていくと思ってます。

しかし、それをWisdom of Crowdsというキーワードで捉えるのはどうもしっくりこない。しっくりこないのは、元々つながっているものを何故いまさらつながったというのかという意味においてです。変わったのはつながったかどうかというところではなく、つながっているのがわかりやすくなったという意味においてのはずです。
先のエントリーで可視/不可視の問題だと書いたのはそのような意味においてです。

つながっているノードが増えることで、かつ、それが可視化されていて実感できるということで「個人の知覚」および「コミュニティ」の変容が起きるなら、emergenceの時代とかいってもいいのではないでしょうか? そのほうがWeb2.x的なもの以外のものも取り込めてよいと思うのです。

でも、これは個人的な嗜好の問題かもしれませんね。
Wisdom of Crowdsそのものもそうだと思いますが。

まぁ、ただ、ここまで書いたら、あとは単にその命名に関するこだわりだけかもしれませんね。

いや、見えないものの重要性というとこにもこだわりはあるな。無意識あっての意識、地あっての図、身体と環境あっての意識、そして、まわりの人あっての自己ですから。
なので、見えるようにして、あるいは、記述できるようにして、わかりやすけりゃ、それでいいみたいな風潮には反対! わかりやすいものがあるのはいいと思うけど。

というか、寝ようっと。
(眠れないと思ってPC開いたら、トラックバックが来てたので思わず書いちゃいました。yusukeさん、ありがとう)

関連エントリー

  
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2006年12月17日

ツールだけでは人もビジネスも動かない、そして、Webそのものでさえも

いろんな人をブログを見ていて、時折見かけるのが「ブログを書き続けるためには」とか「ブログのネタを探す方法」だとかについて、書かれた内容のエントリーです。
つまり、それだけブログを書き続けるのは簡単なのことではないということです。むずかしいとはいわないまでも、ある程度、書き続けようとする意志や、ブログを書くことの喜びやメリット、それからその人なりの書き続けるためのスキルなどがなければ、書き続けることはできないのではないかと思います。

ブログの使いやすさだけでは・・・

さて、「要求開発の必要性:ちょっと間が抜けすぎじゃない?」のエントリーに、goodmanさんから、こんなコメントをいただきました。

中小企業はまったく逆で、勢いで導入しちゃったりします。
Lotas Notesや社内wikiが利用されなくなるのは使いにくいからでイントラブログは使いやすいから大丈夫でしょ。なんて短絡的な考えが多いように思います。こういった企業はなんとかしてあげなくてはいけません。
(中略)
最後に、恐れ多い話ですが、棚橋さんがお考えのことと私の考えていることは、思考のレベルや主に対象としているクライアント企業の規模の違いが大いにあるにせよ、本質的には近しいものだと思っております。

恐れ多いことはちっともないんですし、goodmanさん自身が社内で自分の考えを伝えていくのに苦労されている点、工夫されている点などをきちんと伝えようとしているのがよくわかります。それほど企業内での情報共有を行なうこと、同じ目標に向かって、同じツールを使うことはむずかしいことだと思います。

はじめに書いたとおり、個人がブログを続けていくことさえ、むずかしいのですから、社内で多くの人が同じようなことをとてもむずかしい。それには使いやすいブログのようなツールだけではどうにもならないという意味で、goodmanさんのおっしゃるとおりです。

なので、これ以降は別にgoodmanさんの考えに反論するというのではなく、僕自身の考えの中にある別のものについて、あらためて書いておこうと思います。


「ツールだけでは人もビジネスも動かない、そして、Webそのものでさえも」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 18:32| Comment(2) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月16日

要求開発の必要性:ちょっと間が抜けすぎじゃない?

これは僕自身が書いていることとも重なりますので、個別にみるとそれぞれ正しいことを言っていると思います。

そして、会社全体が強く結びついた上でビジョンの共有なくしては真の企業ブランディングはありえません。ウェブはそのための一つの要素として有効に機能するのです。

これは僕も「間違っても人様の会社のブランドをつくることができるなどと勘違いしないこと」だったり、「ブランドのつくりかた:1.シックスシグマを使う」だったり、「ブランド経営のむずかしさ」で書いてることですよね。

それから、これも正しい。

イントラブログは社内スタッフ間でナレッジやビジョンを共有をする際には非常に有効に働くツールですが、導入前にまず課題を明らかにする「計画フェーズ」、明らかになった課題と現状にどれだけギャップがあるのかを明らかにする「調査フェーズ」、目的を達成するための運用を行うのに必要なプロジェクトチームとルールを作成してからの「実施フェーズ」、そして狙い通りの運用が行われているかの「検証フェーズ」を予め想定し、スケジュールを立てた上で導入しないといけません。

これは会社のほうのブログ「企業内コミュニケーション」で書いてることにも近いですし、まぁ、ツールの導入時には基本的なことですので、正しいと思います。

ビジネス課題とWebをつなぐ言葉

でも、です。

この2つには明確なつながりが欠けています。
企業におけるブランディングの話から唐突に、イントラネットというツールの話に飛んでしまっている印象はぬぐえないと思います。
Webを仕事にしている人にとってはつながるのかもしれませんが、それ以外の人、特にここで対象とされるような経営者にとっては、なんでその話とイントラの話が直結するか、謎なわけです。

もちろん、これはよくある話でビジネスとWebの話のつなげ方って大体こういう唐突な感じになります。また、Webだけに限らずIT系のツールのマーケティングでもそうですね。最近だと「日本版SOX法」だとか「内部統制」という話がほとんどのIT系のツールに結び付けられて売られていたり。

1ヶ月くらい前のエントリー「事業会社にとってのWeb2.0:その2.Web構築・運用は企業経営の縮図」で僕は、こんなことを書きました。

企業においてWebは重要なツールだと認識さえはじめていたり、月間100万訪問を超える企業サイトがあらわれていたりという中で、いまひとつ企業経営とWebの活用というのがちゃんと結びついていないというのが最近すごく感じる印象です。とても表面的なところだけで「Webをビジネスに」と言ってしまっている気がするのです。

そして、その理由として「経営の言語とWebやITの言語を結びつけるインターフェイスの部分が非常に弱いのだなと思っているわけです。そのインターフェイスとなる言葉が必要なんだなととても感じるところです」と書き、そこから、経営やビジネス課題と、Webというツールをつなぐインターフェース(API)として、シックスシグマやバランス・スコアカードが有効だという提案をこのブログでも書き記すようにしています。

「要求開発の必要性:ちょっと間が抜けすぎじゃない?」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 21:39| Comment(5) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月11日

パーマリンクだけでなく記事ごとにページタイトルもつけましょう

SMO(Social Media Optimization)とかでよく記事ごとのパーマリンクが大事だっていいますよね。じゃないとそのページにリンクも張れないし、ソーシャルブックマークでブックマークすることもできないって。

記事単位のタイトルがないブログのエントリー

でも、もう1つ記事ごとに、その記事に応じたタイトルをつけるってことも大事ですよね。

さっき「Economics Lovers Live」さんの「[シネマ] ジジェクのキェシロフスキ論??」という記事をブックマークしようと思ったんですが、このブログって記事ごとにタイトルが設定されてないんですよ(意図とは違うところで、例にあげてしまってごめんなさい)。全部の記事タイトルが「Economics Lovers Live」という表記だけ。当然、はてなとかでブックマークしようとすると、そのタイトルのみがデフォルトで表示されるわけで、個別の記事としての内容がわからなくなる。で、結局、それを避けるにはわざわざブログ本文に戻って、タイトルをコピーしてくるとかいう手間をかけなくてはならないんです。

タイトルがないとSMOで損

さすがにブログでこういう仕様にしてあるのはあんまり見かけませんが、そうじゃないWebサイトとかだとたまに見かけますよね。どこだか忘れましたが、ニュースサイトでもそういうのありました。
同じくブックマークしようとして気づいたんですが、タイトルがないのに気づいた途端、ブックマークするのやめました(実は、先の「Economics Lovers Live」さんのエントリーもブックマークやめました)。こういうのってSMOとかいう視点で考えると明らかに損ですよね。

タイトルがないってSEOでもユーザビリティでもありえない

で、SMOだけじゃなくて、記事ごとのタイトルが設定されてないのって、SEOで考えても、ユーザビリティで考えてもありないわけです。

SEOでタイトルの文字列が重要なのは常識だし、普通、外部からリンクするときだってその記事名を含んだテキストにリンクをはるわけです。アンカーテキストとページタイトルが一致しているほうがSEOに有利なのも常識なのかなと思います。

また、ユーザビリティの観点からも、記事タイトルがないのって、それが何のページかわからないという意味で問題です。もちろん、ブログなどではページ中にはタイトルが記載されているわけで問題ないのかもしれませんけど、さきみたいにブックマークしたらわからなくなっちゃうわけですよ。

というわけで、記事ごとのタイトルがないっていろんな意味で閲覧するユーザーにとっては不親切なんです

ちょっと気になったので、当たり前なことだろうと思いつつ書き残してみることにしました。
実際、こうやって個別のページタイトルがないWebページがまだまだ存在するようなので。

関連エントリー

 
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2006年12月08日

Web屋2.0

世の中、思った以上に2.0なのかもしれませんね。

昨日書いた「Webサイトをどうつくるかを決めるのはWeb屋でなくビジネス」という話。あれ、よくよく考えてみると、やっぱりそれだけ一般企業のなかにもWebの重要性が浸透してきているということなんでしょうね。
一般の企業に浸透すれば、自社のビジネスにWebをどう活かしていくかという話になるのは当然の流れなのでしょう。

僕はWeb2.0というものを技術的な意味では捉えていなくて、もっと単純にWebの利用者増、一人当たりの利用機会増、そして、利用目的の多様化という具合に、利用者ベースで考えているのですが、ビジネスシーンでもようやくそういう意味での2.0の波が起きてきたのだなとあたらめて実感してるわけです。

要求2.0

さて、一般企業が2.0化すれば、Webとビジネスの関係がより強化されるという意味において、一般企業がWeb制作会社やWebコンサル系の会社に対して求める要求事項もよりビジネス寄りのものになる形で要求自体が2.0化します。

単にWebサイトを作ることから、SEOなどの手法を用いたマーケティング効果が期待できるサイト作りやプロモーションの提案、そして、さらにはより広い意味でビジネスそのものに成果を生み出すWebとビジネスの連携強化の提案へと。

こんな感じでしょうか?

demand

「Web屋2.0」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Webサイトをどうつくるかを決めるのはWeb屋でなくビジネス

Web、流行ってますね。

Webマーケティングだとか、Webブランディングだとか、引っ張りだこ。また、ブログのエントリーがはてななどのブックマークサービスで人気になりやすいのもWeb関連の内容のものだったり。mixiの「マーケティング」コミュニティでも、学生が卒論を書くためのリサーチとして「ビジネスブログについて」だとか「blogマーケティング」だとかいうトピを立ち上げていたりします。

まさか、すべてWebで完結するなんて思ってないですよね?

でも、最近、そういう傾向に個人的にはちょっと危機感を感じていたりします。まさか、すべてWebで完結するなんて思ってないですよね?っていう意味での危機感。そういう危機感ははじめに書いたとおり、Web上でいろんな人のブログをみたりしてても感じますし、仕事でお客さんに接するなかでも感じます。

それで最近、「ブランドのつくりかた 」みたいなエントリーをあえて書くようにしていたりもするのですが、実際、Web屋の僕がいうのも何なんですが、Webだけでビジネスが成り立つわけでは当然ないですし、同じく当然Webだけが人生でもないわけです(笑)。興味がWebに傾くのは悪くはないですが、こんなにも世間の目、世間の話題がWebに傾きすぎるのをみると、ヘソ曲がりな僕としては、ちょっとWebから離れたところに視点を移してみたくなったりもします。

で、まさか、すべてWebで完結するなんて思ってないですよね?と言いたくもなるわけです。

企業としての一貫性の維持のためには・・・

と、まぁ、流行うんぬんの話は単純に僕の個人的な趣味の問題として置いておくとして、実は仕事の面では、前から書いているように、Webマーケティングだとか、Webブランディングだとかいう言葉に過度に期待をしてしまっているのか、僕たちのような外部のWeb関連のサービスを提供している会社に、企画からコンサルまで含めて一切を丸投げしようとする企業担当者の方が増えてきているような印象をもっています。もちろん、相談していただければ、それこそ相談にのるのはやぶさかではないのですが、一方で、でも、マーケティングにせよ、ブランド構築にせよ、あなたがたの会社の問題ですよという気持ちもないわけではありません。

ブランドはもちろん、マーケティングもやはり企業として一貫性をもち、企業の想いが込められた形で実行されていくほうがいいわけです。そこでブランディングやマーケティングを外部の業者に丸投げ状態で一任してしまうと、やはり業務委託のような契約関係のみで結ばれた企業同士では、中長期にわたる一貫性を維持するのは当然むずかしくなります。これはWebに限った話ではないのですが、企業の鏡としてその企業の良さも悪さもほかのタッチポイント以上に色濃く、かつ、広範囲にわたって映し出すWebだからこそ、自社の一貫性というものへの配慮が必要なのではないかとも感じるのです。

「Webサイトをどうつくるかを決めるのはWeb屋でなくビジネス」の続き
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2006年11月29日

不必要な「サイトの連続性」はなんのために必要なのか?

masahikosatohさんのブログより。

週末、ぼんやりと考え事をしていた時に思ったのだけれども、インターネット上の情報って、ある意味で連続性があって、また別の意味では連続性を持たない非連続性もまた持ち合わせているなあと思う。

佐藤さんが書いてらっしゃることを僕なりに要約すると、情報の発信者がコンセプトやストーリー、パーソナリティによって、サイト(ブログ)内で連続性のある表現(導線設計とかも含まれますね)をした場合でも、外部からの検索などにより、その連続性は必ずしも保たれず、情報の閲覧側からするとむしろ非連続であることが多いのではないかという考察です。

サイトに表現された連続性はいともたやすく分断される

これは僕が以前に「Webサイトの内と外」というエントリーなどで書いた「ページ単位のページビューが多いページは、外部から閲覧している割合が高くなる傾向」があり、Webにおいては「内部リンクより外部リンクが有効に働いている」ことが考えられるという考察と同じ景色を目にしての感想なんだろうと思います。

この現象はほとんどのサイト(ブログ)のアクセス数をみれば現実としてわかることです。どんなにサイト内のナビゲーションシステムを工夫しようと、また、ブログで関連するエントリーを連続して書いたとしても、そうした発信者側の意図はいともたやすく閲覧者によって無視され、連続性は分断されます。

「不必要な「サイトの連続性」はなんのために必要なのか?」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 12:30| Comment(1) | TrackBack(1) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月10日

事業会社にとってのWeb2.0:その2.Web構築・運用は企業経営の縮図

最近、「Webマーケティング」って言葉で語られていることが薄っぺらいなと感じてしまうことがあります。もちろん、すべてがそうだというわけでもないですし、別にそういう話をすることがダメだというわけでもないのです。ただ、それだと企業の経営層にまでは届かないだろうなという印象を受けるんです。
SEOだとか、LPOだとか、SMOだとか、マーケティングROIだとか、その手の話も単にそれのみで語ってしまうと、あまりに既存のビジネスとかけ離れている感じがするのです。
また、一方で「事業会社にとってのWeb2.0:Webサイトの問題点を改善するだけでよいの?」でも書いたように、Webをリニューアルしたり、コンテンツを拡充したりっていうのも、それがちゃんとビジネスの課題に直結した改善として行われているのでなければ、同じ理由であんまりピンとこないのです。

経営の言語とWebの言語を結びつけるインターフェイスが必要

企業においてWebは重要なツールだと認識さえはじめていたり、月間100万訪問を超える企業サイトがあらわれていたりという中で、いまひとつ企業経営とWebの活用というのがちゃんと結びついていないというのが最近すごく感じる印象です。とても表面的なところだけで「Webをビジネスに」と言ってしまっている気がするのです。ですので、いろんなWebのソリューションを提供する側もいまひとつ企業経営のコアな部分にまでは踏み込みません。企業の経営側もWebにそんなことを求めていない現状もあるでしょう。

ちょうどそれは企業におけるITの活用が単にシステム部門の中での問題みたいになってしまっていて、企業における本当にクリティカルな業務の改善だったり、経営課題の改善に結び付けられているケースが日本だとあまりないというのと同様のものではないかと感じます。経営の言語とWebやITの言語を結びつけるインターフェイスの部分が非常に弱いのだなと思っているわけです。そのインターフェイスとなる言葉が必要なんだなととても感じるところです。
そして、そのインターフェイスを持っているのがGoogleなどのWeb2.0的なネット企業で、一般の事業会社はそのインターフェイスを持たないという意味で、Web2.0に至っていないといえるのではないかと思っています。これが僕なりの「事業会社にとってのWeb2.0」の定義といってもよいかもしれません。

「事業会社にとってのWeb2.0:その2.Web構築・運用は企業経営の縮図」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

数学や科学における偉大な嘘

脳科学者の茂木健一郎さんは『ペンローズの<量子脳>理論』に寄せたペンローズの理論に関する解説「ツイスター、心、脳 − ペンローズ理論への招待」の中で、こんなことを書いています。

科学で最も重要なのは、すぐに正しいとわかるような事実を確立することではなく、100年たっても嘘か本当かわからないような、それでいて重要な研究の新分野を切り開く、そのような「嘘」をつくことと言ってもいい。たとえば、ダーウィンの自然淘汰による進化論は、そのような「嘘」の代表例である。
茂木健一郎『ペンローズの<量子脳>理論』所収
「ツイスター、心、脳 − ペンローズ理論への招待」より

確かに科学が「すぐに正しいとわかるような事実を確立すること」だけを目的としていたら、こんなにも僕らを魅了しないのかもしれません。
茂木さんが例にあげるダーウィンにしても、いま読んでてワクワクさせてくれるこのペンローズにしても、それが本当か嘘かわからないギリギリのところまで踏み込んでいて、それゆえ、常識をやぶり、さらにそれゆえ常識的な批判を数多く浴びるという性質をもってるからこそ、私たちを魅了するのでしょう。

ペンローズの『皇帝の新しい心』の中のこんな一文、

私たち人間の意識下での知性には、非計算的(non-computational)要素がある。したがって、計算的プロセスに基づくデジタル・コンピューターでは、意識も、知性も実現できない。その非計算的要素は、未解決の量子重力(quantum gravity)理論と関連している。
同上

を引用した上で、茂木さんは「フェルマーの最終定理レベルの「嘘」になりうるかもしれない」と述べています。

確かに僕らのような科学や数学の素人でも、それらに「おーっ」と感動したりするのは、そんな大いなる「嘘」が提示された場合なのかもしれません。もちろん、実証主義にもとづく厳密な科学や数学の分野でいいかげんな嘘を述べればすぐにバレるのですから、その手のものとここで例に挙げられているような、フェルマーやダーウィンやペンローズの嘘はまったくレベルが違うものだということはわかります。
茂木さんは「嘘」という言葉を使っていますが、もちろん、ペンローズにしてもダーウィンにしても本気で<量子脳>理論や進化論を提示しているわけで、それゆえ、僕らを感動させ、魅了するのでしょう。

posted by HIROKI tanahashi at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月09日

事業会社にとってのWeb2.0:Webサイトの問題点を改善するだけでよいの?

Webって本当にマーケティングに役に立つの?って訊かれることがあります。
いや、正確に言えば「マーケティング」の部分は、「ブランディング」でも、「IR」でも、「CRM」でも、あるいはビジネス的課題解決なら他になんでもありだったりします。ようはWebってビジネスに役に立つの?という質問です。

Try not. Do or do not.

最近、そういう質問を受けると「役に立つの?じゃなくて役に立たせるのがあなたのミッションなんじゃないですか?」と逆に質問したい気分になります。Webをマーケティングに役立てるのに、僕たちで大丈夫なのか?という質問であれば、精一杯答える気になりますけど、Web一般が役立つかどうかなんて質問にはほとんど意味がないと思っています。
なぜならば、それはあなたが会社から与えられたミッションであり、それをやるのが責任なのですから、単純に一般的な可能性を云々したところではじまらないと思うからです。

ヨーダがフォースの修行中のルークに対してなんて言ったか思い出してみてください。

Try not. Do or do not.
やってみるではない。やるかやらないかだ。

自分の責任を全うするのに、できるかできないかを云々していてもしょうがないでしょう。そんなのまともなビジネスマンとは思えません。可能か可能じゃないかではなく、やるかやらないかだと僕は思います。

「Webサイトの問題点を改善するだけでよいの?」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 01:45| Comment(0) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月02日

MYCOMジャーナル「アックゼロヨン・セミナー2006 Vol.4に見るWebアクセシビリティの進化」を執筆

実際セミナーにお邪魔したのはだいぶ前になりますが、ようやくレポートがMYCOMジャーナルで公開されました。

Webアクセシビリティの一般的な認識といえば、高齢者や障害者がWeb上の情報にアクセスしやすいよう情報提供者側が配慮を行うことであるというものではないかと思う。しかし、中村氏と辻氏によれば、特定環境に「配慮」した特別なコンテンツを用意するは必要ないという。高齢者への「配慮」のために文字サイズを大きく設定してしまえば解像度の低いモニターで見る人が困るし、色覚障害者への「配慮」のために表現のための色を限定してしまうと色覚障害者以外の人が見づらくなることもあるというのがその理由だ。

興味のある方はご一読いただけると幸いです。
前にも「アックゼロヨン セミナー2006 Vol.4に行きました」という速報を書いていますので、こちらもあわせて。

タイミング的にはちょうど「アックゼロヨン・アワード2006」の発表も行われてますので、よかったのではないかと。

アックゼロヨン・アワード2006結果http://www.acc04.jp/news/archives/2award_info/20061031.html
posted by HIROKI tanahashi at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月09日

積み重なると増える、増えるとつながるってことかな?

ひさしぶりにベキ分布的なことを書こうと思っていたら、なぜか(本当に意図が不明という意味でなぜ?)finalventさんが「ロングテール現象はパレートの法則とまったく対立しない」だったり、「MarkeZine:第4回 ロングテールを誤解していませんか?」だったりを紹介してくれてました。

finalventの日記 - べき分布、正規分布メモ

ベキ分布的な結果が生じる1つのプロセス(?)

タイミング的にはピッタリでしたが、でも、今回書こうと思ってたのはちょっと違うところ。

たとえば、こんな風に考えました。

ブログを毎日続けて書いている → エントリーによってははてブでブックマークされる → 場合によってはそれがきっかけでRSS購読者やリピーターが増えたりする → またエントリーを書く → 今度は前より読んでる人がすこし増えたので、ブックマークされる確率が高くなる → ブックマークされる確率が高くなり注目エントリーや人気エントリーになったりする → RSS購読者が増える確率も高くなる → あいかわらずエントリーを書く → またブックマークされたり、RSS購読者が殖える→ そして確率が高くなり、finalventさんのような著名ブロガーが紹介する機会もできたりする → 閲覧者が増える → なので、ブックマークされる確率も、RSS購読者も増える → つまり、注目度が高まる

といったようなことが起きて、同じような内容のことを書いている別のブロガーがいても、その人よりすこしブログをはじめたのが早かったり、ブログを書く頻度が多かったりすると、そこには差ができているという結果が生じているってことなんじゃないかと思うわけです。

結果としては、こうなるのかな?
Hatena Bookmark Ranking by Livedoor Reader Ranking

で、それにプラスして先のプロセスで確率が高まる可能性は実は一定ではなく、あとになればなるほど、確率の伸びは高くなる、と。

投資する金持ちと普通の人

たとえば、これは何かに投資を行う際に、1億もっていて100万を投資にあてるのと、1000万しかもっていなくて100万を投資にあてる場合を考えてみるとわかります。

同じ100万なら投資によって得られるリターンは最初に1億もっていても、1000万しかもっていなくても同じです。しかし100万が無駄になる場合は、1億のうちからそれがなくなるのと、1000万からそれが失われるのとは意味が違います。
そうなると、当然、最初の所持金は投資額の差にあらわれてくるでしょう。
シンプルに考えれば、1億のうち100万をかけるのなら、1000万なら10万しか投資しないのが妥当なのでしょう。そうなるとリターンがあった場合に差が生じることになります。もし投資が10倍になって返ってくるなら、100万は1000万になりますが、10万は当然100万にしかなりません。
これが繰り返されると差は開く一方です。

投資する金持ちと普通の人

先のブックマーク数が増える仕組みも似たようなものです。読者数が多ければ、ブックマークされる確率が同じなら被ブックマーク数は多くなります。
この差は最初にもっている額に応じてどんどん広がる
金持ちほど儲かるわけです。
いわゆるこれがパレートの法則。

先にブックマークされる確率が増えるとか、RSS購読者が増える確率が高くなると書きましたが、これは実はウソで確率はそのままでも、母数が多いと結果が異なってくるだけです。
なので、注目度が高まったとしても、基本的にその人の才能が高くなるわけでもなんでもありません。
もちろん、意識が変わって、その人のアウトプットするものも変わってくるということはあるのでしょうけど。

投資する金持ちと普通の人

スチュアート・カウフマンがこんなことを書いてますが、これって実は当たり前のことかもしれません。

多様性が閾値を超えると相転移が起こり、触媒作用を受けた反応の巨大な織物が「結晶化」する。触媒作用を受けた反応がなす部分グラフは、つながっていないクラスターを数多くもっている状態から、巨大なクラスターと孤立したいくつかの小さなクラスターをもつ状態へと変化する。
スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法測』

すでに確立した分野では初期値の違いは大きい場合がありますが、わりと新しい分野ではスタート地点がほとんど同じだったりするわけで、その場合、いかにして投資を続け、時には損をしながらもリターンを得て、資産を増やしつつ体力をつけていくかという当たり前な努力が、実は最後にはベキ分布の大きな差となってあらわれるのではないか、と。

と、考えると、実はそこに必要なのはある種の才能だとか、運だとかではなく、ちゃんと勝ち目のある場所を選んで、そこで地道に投資を続けていくことなのではないかと思うわけです。

数学的な説明が機能し始めるのは、その前提が置かれた地点以降なのではないか、と。


関連エントリー
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2006年10月03日

個体という乗り物、企業(サイト)という乗り物

リチャード・ドーキンスの『祖先の物語』は、ヒトから進化の系統樹をさかのぼって、生命の歴史を探索する本ですが、一見、この単純に思える遡行作業は意外と困難なことが読んでいると伝わってきます。単純にヒト科の祖先を探す道程さえ困難なものがあります。

むずかしい理由の1つは、証拠となる化石が断片的にしか存在しないことです。といっても、ドーキンス自身が書いているとおり、化石の存在は決して「祖先の物語」を語るために不可欠なものではなくて、「ボーナス」みたいなものだそうです。
「祖先の物語」を語るために不可欠なのは、むしろ、書かれたもの(シニフィアン)としての遺伝子情報だといいます。

遺伝子の系統樹は1つではない

しかし、この遺伝子による記録も決して「祖先の物語」語りを決定的に容易にしてくれるものではなさそうです。それは記録として残された家系図をたどるようには、祖先にたどりつくことはむずかしいもののようです。

「遺伝子の系統樹」と「人間の家系図」のあいだには顕著な違いがある。両親から由来する人間と違って、遺伝子は1つの親しかもたない。あなたの遺伝子の1つ1つはどれもあなたの父親と母親かのどちらか一方から、あなたの4人の祖父母のうちのたった1人から、そして8人の曾祖父母のうちのたった1人から・・・・・・来たものである。しかし、すべての人間が伝統的なやり方で祖先の系譜をさかのぼっていくときには、2人の両親、4人の祖父母、8人の曾祖父母からの・・・・・・平等な子孫なのである。
リチャード・ドーキンス『祖先の物語 ドーキンスの生命史 上』

遺伝子は父親か母親のいずれかから受け継がれます。しかし、その父親か母親の遺伝子も、そのまた父親か母親の遺伝子から受け継がれたものです。
それがどちらの親から受け継がれるかは予測できるものではありません。ほんの一握りの例外−Y染色体とミトコンドリアDNA−を除いて。
Y染色体は代々父系のみを通じて受け継がれ、反対にミトコンドリアDNAは母系のみを通じて受け継がれます。
そう考えると、ヒトの祖先を探すのは意外に簡単なようにも思えますが、実際はそうではないようです。

1つの種としての人間は、個人としての人間と同じように、さまざまな供給源からの混じり合った遺伝子を収める一時的な容器なのである。個体は、遺伝子が歴史を通じてたどった縦横に入り乱れるルートの一時的な会合点である。これは私の最初の本『利己的な遺伝子』の中心的なメッセージを、系統樹に基礎を置いたやり方で表現しているのである。
リチャード・ドーキンス『祖先の物語 ドーキンスの生命史 上』

ようするに、遺伝子情報を元に祖先をたどろうとすれば、出発点として選んだ遺伝子が何であるか(Y染色体か、ミトコンドリアDNAか、はたまた別の遺伝子か)によって、系統樹のルートは複数存在することになります。それは決してアダムとイブにはたどりつかず、現在の人類のすべての祖先であるY染色体の持ち主であるアダムと、同じく現在の人類のすべての祖先であるミトコンドリアDNAの持ち主であるイブはまったく出会わなかったどころか、それぞれ大きく異なる時代を生きていた可能性も出てくるわけです。

そうなると、単純に遺伝子情報の系統樹をたどっただけでは現在のすべての人類の共通祖先にたどりつくことはむずかしく、彼(あるいは彼女)がいつの時代にどこで生きていたかを知るのは、かなりむずかしくなります。

といいつつ、本書ではそのむずかしさをある程度克服して、現在の人類のすべての共通祖先がおおよそいつの時代にどこで生きていたかはつきとめています。このあたりはまぁ、実際手にとって読んでみてください。

「個体という乗り物、企業(サイト)という乗り物」の続き
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2006年10月02日

Amazon ショッピングカード

Amazon.co.jpがコンビニで買えるショッピングカードの提供をはじめたそうです。
ローソン全8,400店舗のほか、ミニストップ、ampm の一部店舗で10月3日より販売されるそうです。

Amazon ショッピングカードのような物理的なカードの提供は、世界中の Amazon でも初めての試みとなる。代表取締役社長 Jasper Cheung 氏はその理由について、日本の流通が整っていることと現金払いへのニーズの高さを挙げた。

現在、Amazon.co.jp で利用されている決済方法は、クレジットカードが5割以上、その次が代金引換で約3分の1だという。

posted by HIROKI tanahashi at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コンテンツ不足、コンテンツを生み出す人材不足

だから、こんな僕のところにさえ、執筆依頼が来たりするんでしょうか?

情報をいかに加工するのかという、いわゆるメディア側は急速にハードもソフトも整った。しかし、コンテンツが不足している。たとえば、プレゼンする技術はあるけれど、プレゼンする内容がない、というような状況といえる。不足しているコンテンツを生み出す人材がどこでも求められている。

書け!話せ!って言えば(言い続ければ)いいんじゃないでしょうか?
これは適当に言ってるわけじゃなくて、本当にコンテンツ不足、人材不足をどうにかしようと思うのなら、いろんな言い方でそう言い続けるのが一番効果的なような気がしてます。

Try not. Do or do not.
(やってみるではない。やるかやらないかだ)


です。

なので、森さんの

クリエート(創作)する才能とは、もっと個人的な、もっと孤立した、感性と閃きの世界であって、そこには、ノウハウというものがない。ノウハウがあるものはいずれも媒体の手法なのである。
だから、創作する手法などが授業として成り立つのか、という根本的な問題があるし、そもそも、そういうものを学問として取り扱えるのか、という疑問もある。

といった意見もすごく共感できます。

  
 
タグ:コンテンツ
posted by HIROKI tanahashi at 13:24| Comment(0) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

月に数度しか更新されない企業サイトのユーザビリティって

ISO9241-11によるユーザビリティの定義は、最近、何度か引用してるけど、それが前提としている「特定の利用状況において、特定のユーザによって、ある製品が、指定された目標を達成するために用いられる際の〜」という場合、「ある製品が」という部分に関しては、ちょっと厳しいのではないか、と。

企業Webサイトなんて、月に何度も更新されないのだから、そのすべてをチェックした場合ですら、月に数度しか訪問しないわけです。
この数字はたいていの個人ブログ以下なわけで、企業サイトのユーザビリティを云々するくらいなら、個人ブログのユーザビリティについて考えたほうが有益な気がします。
実際、個人ブログには、トラックバックやコメント、RSSなど、ブロガー同士で交流するには、便利な機能がたくさんあるわけです。それ以上にブロガーの書く中身が有益なのが何よりユーザビリティが高いわけですけど。

それに引き換え、企業のWebサイトってどうなんでしょう?
すべての企業サイトがそうではないとはいえ、

  • 特定の利用状況:たまたま更新を知った際の月に数度の訪問
  • 特定のユーザ:その企業をそこそこ知っている既存顧客あるいは潜在顧客
  • ある製品:企業サイト

のユーザビリティって何なんでしょうか?

やっぱり「製品」といえるだけの「有効さ」をもつことがなければ、ユーザビリティを云々することも無理があるのではないか、と。
グーグルやアマゾンくらい、利用する理由がないと、効率や満足度といったユーザビリティはそれほど問題じゃないんでしょうね。きっと。

関連エントリー
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2006年09月27日

ウェブと進化論

リチャード・ドーキンスの『祖先の物語』を読み始めました。

こういうポピュラーサイエンス系の本を読んでいて、Web屋の僕がよく思うのは、生物学はWebのコンテンツやサイトの話に近くて、物理学なんかはもう1つ下層のTCP/IPだったり、インフラ層の話として読めるなってことです。

ウェブと進化論

たとえば、生物進化は、すこしずつの進化の積み重ねとして累積的な進化の過程をたどり、さらに進化のどの段階も「進化の過程」だったり「未完成段階」だったりするわけではなく、その生物が生きる環境においては最善の実装だといわれます。漸進的に進化するってことですね。
ドーキンスは累積的な進化の過程を「累積淘汰」という独自の用語で呼んだりしていますね。

このことはWebサイトの企画や設計、運用を考える上での非常に参考になるなと思ったりします。
いきなり目的を達成するための完璧なゴールを目指してしまうより、段階的にゴールを目指すプランを立てたり、いわゆるWeb2.0的な「永遠にβ版」的な発想で改善を考えるほうが有益な「進化」を遂げられるんではないかという意味で。
完璧なゴールを目指して、結局、時間ばかり余計に費やし、できたものは中途半端な妥協の産物なんてことはありがちですからね。


「ウェブと進化論」の続き
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2006年09月23日

尺度:Webマーケティングの効果測定を見直す

Webでマーケティングを行っている企業担当者はあまりコンバージョン率みたいな尺度に惑わされすぎないほうがよいのではないかと思います。

ちっぽけな惑星がちっぽけな恒星のまわりを回った数

宇宙は150億年かけて今の状態になったのだが、この人間の決めた無意味な単位−ちっぽけな惑星がちっぽけな恒星のまわりを回った数など関係ないではないか−で測って比較的短い期間は、もっと基本的なプランク時計ではおよそ10の61乗秒というとてつもなく長い時間になる。
ピーター・アトキンス『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』

当然、年という時間の尺度は、僕たちが普通に生活するのに便利な時間だからこそ役に立ちます。しかし、上の例のように宇宙の誕生からの歴史を見る場合にはあまりに不適切だったりします。

宇宙がプランク温度よりも冷えると、重力が別の力として分かれた。残りの2つの力はまだ同じ力で、質量のないボソンによって伝達されていた。それからしばらくは特段の変化はなかった。正確に言えば、プランク時間が100億回時を刻むあいだ、つまり、われわれの数え方でビッグバンから1兆分の1の1兆分の1の、そのまた10億分の1秒(10の-33乗秒)が経つまで、電弱力と強い力は同じだった。人間が使うのろまな時計の秒で語るのは、誤解を招きやすい。人間の時計は人間に便利なようにできている。だから、市庁舎の壁にかかった時計の秒は、宇宙が非常に若くて熱くて高密度だったときの事象を論じるのには向いていないのだ。
ピーター・アトキンス『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』

同じように、ちっぽけなページへのリンクをクリックした人がちっぽけな買い物をした割合を測るコンバージョンレートなるものは、きわめて単純なSEOやSEMの効果を測る際には向いているかもしれないが、該当するコンテンツなり、ページの目標が異なる場合の効果を論じるには向いていません。

バランススコアカードの戦略マップ

僕たちは、Webでのマーケティング施策などを考える際に、バランススコアカードの戦略マップを用いて、最終的なサイトの目的を達成するためのパフォーマンス・ドライバーを、

  • 財務の視点
  • 顧客の視点
  • 業務プロセスの視点
  • 学習と成長の視点

に分解してそれぞれの目標値と測定方法を決めたりすることがあります。
当然、効果測定を行うためには、何を目的としてどんな施策を行い、それをどんなものさしで測るのかを決めることは重要で、そうでなければ何を測っているのかわかりません。

基本的に測定値にも測定法にも絶対的な答えなどないわけで、あるのは現状とあるべき姿のギャップ分析だったり、あるいはベンチマークとしている競合と自社のギャップ、はたまた顧客の期待値と現状提供できているサービスの満足度とのギャップなど、あくまで相対的な差異でしか測れないのが、マーケティングに限らずビジネスシーンでは多いでしょう。
そこに絶対的な測定方法としてコンバージョン率みたいなものを想定してしまうのは、ゾウの体重をキッチン用の秤で測ろうとするようなもので無意味です。

また、同じ意味でサイトの目的が売り上げを上げるためだったとしても、すべてのページをコンバージョンで測ってしまうのもおかしくて、AIDMAでもAISASでもどっちでもいいんですが、Actionにつなげるには他のプロセスのために用意されたページも当然あるわけで、それをすべてActionにつながったかどうかのものさしでしかないコンバージョン率で測ってしまうのは、どう考えてもおかしいわけです。

「尺度:Webマーケティングの効果測定を見直す」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月22日

MarkeZineに「第5回 創発的視点でオンラインマーケティングを考える」という記事を書きました。

MarkeZineに連載させていただいている「ビジネスマンのための必読オンラインマーケティング塾」の「第5回 創発的視点でオンラインマーケティングを考える」が公開されました。

今回は、このブログでもたびたび取り上げさせていただいている複雑系の科学の分野での創発的現象をテーマに、マスメディアを使ったマーケティング、ワン・トゥ・ワン・マーケティング、Webマーケティングを「集団における口コミの創発」という視点から比較しながら、これからのWebマーケティングでどのような戦略をとっていけばよいかを考察しています。

一定の数以上の見込み客の存在が予想される大きなターゲット市場に対してメッセージを発信すれば、ユーザー間で口コミを誘発できる可能性は高くなります。かつてのようにテレビの視聴率も高かった時代には、多くの人が同じ時間に同じ番組を見ていたために、次の日の職場や学校で前の晩に見た番組の話題が自然に交わされる状況が生まれやすかったはずです。現在のテレビCMが抱える問題点は、同じ時間に同じ番組を多くの人が視聴することが非常に稀になってきたことで、対象商品に関心をもつ人々が「結晶化」し、口コミが発生する機会が生じにくくなってきたことにあるのではないかと思ったりします。

ご興味のある方は一読してみてください。

 
posted by HIROKI tanahashi at 16:15| Comment(0) | TrackBack(0) | Web | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする