mixiコミュニティ"DESIGN IT w/LOVE for community"

1つ前のエントリー「オープンなSNS、エキサイトネームカード」では、mixiのようなクローズドなSNSって苦手だと書きましたが、それでも、何かmixiを役立てる方法ってないかなと考えてみました。 その結論がこれ。 mixiコミュニティ"DESIGN IT w/LOVE for community":http://mixi.jp/view_community.pl?id=1113443 今回、はじめて立ち上げたコミュニティでは、当ブログ"DESIGN IT! w/LOVE"で取り上げたテーマをより深くmixiメンバーの方と掘り下げられればと思っています。 基本的には、ブログのコメントでもコミュニケーションを想定していないので、そこで対応しきれないような深いやりとりも新しいコミュニティのほうでできれば面白いかなと思って作成しています。 もちろん、ここで取り上げていない、Web2.0、マーケティング、組織論、科学などについての話題も歓迎します。 興味のある方はぜひお気軽にご参加ください。  

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1人1人が意識すべきサステナビリティ(持続可能性)

takahanomoriさんからいただいたコメントが、とても良いなと思ったので、ここであたらめてご紹介。 種として生き残るためにも、医療従事者はもっと柔軟になってもいいはずです。 geekの群れに突っ込んでいく医者がいてもいい、現場から脱出して自らgeek化する医者がいてもいい。 医療業界も安泰ではない今日だからこそ。 「優れた基本設計だけが上位層の無理な設計変更も可能にする」へのコメント 実際には医療業界だけではなく、安泰なものなど、どんな業界においてもないと思います。 いま安泰である企業は、有限な安泰さの基盤を切り崩して活動しているのが普通だと思うから、安泰であればあるほど、将来はその安泰さの基盤である環境破壊により安泰さを失うだろうと思います。 環境が変化したとき、いかにして種として生き残るかは環境変化の前にどれだけ柔軟さを身につけていたかということだろうし、来るべき危機に対してどれだけtakahanomoriさんのような危機感を抱いて持続可能性への道を探る行動ができるかということなのかもしれません。

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出る杭が打たれる企業文化

昨日の「責任逃れと失敗の奨励」のエントリーでは、大企業にはびこる責任逃れ症候群について書いた。そこではとにかく何も起こらないことが美徳とされ、何も起こさないよう、動いたものが評価されるしくみになっている。 そのしくみを支えるのは、いつでもリスクと責任を負わせることが可能な子会社、関連会社、あるいは派遣会社、様々なベンダーであり、失敗はすべて外部の落ち度、成功は「やれ!」といった自社の社員の功績となるようなしくみが、これまた見事に巧みな政治力によって形成されている。 もちろん、そのしくみの内にはいわゆるマスメディアも組み込まれていて、大企業の成功を「きちんとそれ相応のお代をいただいた上」で、これまた巧みに褒め称える。 はい。これでメジャー・ブランドの出来上がりという具合。 一方、そんな風に、何もやらないことが美徳とされる企業文化においては、当然、まともに何かをやろうとする人は叩かれる運命にある。 日がな一日、ヒマをもてあました輩が呼ばれもしない会議に出席しては、勤勉に手を動かし作業を行い、アウトプットを出そうとする人を、手を一切動かさずにいっぱしの口を叩いて攻撃する。 普通の環境ならまかり通らないそういった行動が、何もやらないことが美徳とされる企業文化においては、むしろ賞賛されるばかりか、何かにこだわり必死に手を動かしアウトプットを出そうとする人を攻撃する見本を見せてくれたことで、ヒーロー扱いされたりもする。 おかしな話に思えるが、何もやらないことが美徳とされる企業文化において…

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責任逃れと失敗の奨励

階層構造化された組織体系をもつ大企業においては、いまだに社内において将来の昇進を夢見ながら、可能な限り失敗するリスクから身を引き離すため、巧みな責任逃れに就業時間のほとんどを裏での根回しに費やす文化がいまだにあるのかもしれない。 責任をできるだけ自ら遠ざけようとする範囲は、自らの身にふりかかるリスクのみならず、部下など、間接的に自分の責任を追及されることにつながる者もリスクを追うことのないように、外部から招聘した関係他社からの出向社員や発注先の子会社に責任を振り分けるという文化がいまだにまかりとおっているというのは、その現実を目の当たりにするとただ愕然とするしかない。 当然のごとく、自ら責任逃れを行おうとする者に対し、たとえ発注先の子会社であろうと、そうやすやすと従うわけもなく、納品される発注物の品質は明確に苦情をいってつき返すわけにはいかないレベルで最悪だったりする。 そうした文化の下では、個々人がどんなに優秀で、もてる力を発揮しようと意気込んでみても、どこかで誰かが足をひっぱり、結局、誰の力も最終アウトプットには反映されないという自体が、容易に起こりえる。 信じられない話だが、本当で、その様をこの身で体験したことのない者にその様子をつぶさに伝えることはおよそ不可能であるように思える。 チャレンジをした上での失敗を奨励する文化がいかに重要であるか。 こうした現実に身をおいていると、あらためて自らベータ版と称するWeb2.0的サービスの価値を知ることになる。 関連…

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シカゴ~あらためサンパウロ~だそうです。

このブログでははじめての音楽ネタ。 つい最近、シカゴ・アンダーグラウンド・デュオ名義でアルバム"In Praise of Shadows"を出したコルネット奏者のロブ・マズレクですが、移住先のブラジル・サンパウロで、今度はサンパウロ・アンダーグラウンド名義で、新しいアルバムを出してました。 ついさっき買ったばかりなので、まだ全部聴いていませんが、シカゴ~時代の整然とした音空間の処理が、いい意味でブラジル的な猥雑感のある音の構築の仕方に変わっていて、なんかいい感じです。 ドラム他を担当する相方がシカゴ在住のチャド・テイラーからサンパウロ在住のマウリシオ・タカラに変わったことによる違いが大きいですね。チャドも時々、ラテン的なリズムを刻んだりしましたが、それがより本格的にブラジル化してて、それがかなり心地よい。 ロブのコルネット自体はいい意味で相変わらずです。 その前の"Mandarin Movie"名義よりはおとなしめ(というか、ジャズ的)で、アンダーグラウンドがついてるだけあって、シカゴ~路線のアルバムになってます。 一連のシカゴ~プロジェクトが好きだった方や、Sea and Cakeあたりが好きな方にはおすすめですね。

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[memo]一行のコメントには矛盾は生じにくい

はてブのコメントを見てて、たまに思うこと。 なんで、この人たちは自分でエントリーを立てずに済ませるんだろう?って思う。 書き捨てみたいなコメントはこの際、放置するとして、たまに気になるコメントをする人がいて注目しててもその後にエントリーが立ったりしない。 それじゃあ、自分の訓練にならないよっていうのが感想。 一行のコメントには矛盾は生じにくい。 短いコメント内では正しく思える意見も、長さがそこそこあるエントリーとして、理由と結論を整理してまとめようとすると意外と矛盾が見つかる。

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成分解析の結果が判明

解析の結果、僕は以下の成分でできていることが判明しました。 45%は勢いで出来ています 42%は睡眠薬で出来ています 8%はマイナスイオンで出来ています 4%はミスリルで出来ています 1%は言葉で出来ています おっ、結構、勢いあるんだね。 それと最近、どうも眠いと思っていたら、 「睡眠薬」が42%、「マイナスイオン」が8%も含まれてる。 こりゃ、眠くもなるわ。 成分解析:http://seibun.nosv.org/

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LINK

情報は発信する人のところに集まってくるといわれていますが、僕はそれを信じていますし、そうすることで人のつながりってできるんだと思っている僕自身は実はあんまり人のつながりを維持するのが得意なほうではなく、ひとえにそれはその方面に使えるメモリー容量が少ないからじゃないかって思いますが、それでもSNSやブログなどの外部ディスクを使用することで飛躍的にその容量を増やすことが可能なことは知っていますし、何より情報発信量だけはそれなりに多いほうなので、これからもボチボチLINK数を増やすことにいそしもうと思ったりします。

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ネットワーク分析用フリーソフトウェア-Pajek

ネットワーク科学に興味をもった方へ、 自分でネットワークを描いて、ネットワークの平均距離なんかを分析できちゃうツールをご紹介。 Pajek http://vlado.fmf.uni-lj.si/pub/networks/pajek/ このURLから日本語での簡単なチュートリアル(PDFファイル)もダウンロードできます。 http://vlado.fmf.uni-lj.si/pub/networks/pajek/howto/jp/pajek-AMR4-6-2.pdf また、このブログにも簡単な使い方が説明してあります。 http://bioinfo-goto.seesaa.net/article/566257.html あとは前に紹介した『「複雑ネットワーク」とは何か』という本(下記)にも若干の説明があります。 僕自身、まだぜんぜん使い込ませてないですが、興味のある方はさわってみてはいかがでしょうか?

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Yahoo! JAPANの山下達雄さんのブログがCNET Japanではじまる

Yahoo! JAPANの山下達雄さんのブログが今日からCNET Japanではじまった。 その名も「先端研ブログ」。すごく興味をひかれる名前! さて、ヤフーでは、定期的に大学や研究機関など社外から様々な分野の専門家を講師として来ていただき、社内セミナー「先端科学セミナー」を開催しています。 先端研ブログ はじめてヤフーがうらやましい!って思った。 しかも、次回は「安田雪先生の「ネットワーク分析」」だって。 最近の一番の興味の対象は「ネットワーク分析」なので、ほんとうらやましい。 今後、楽しみにしたいブログです。 先端研ブログ:http://blog.japan.cnet.com/sentan/

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文章が長いのはいけないことは決していけないことではありえない

なんか「タチが悪い長文コメント常連」ということで議論が盛り上がっているようだ。 実際、このブログでもその人にコメントいただいたことがある。 有名ブログのコメント欄が、面白くない人(もちろん本人は面白いことを言っていると思ってる)の個人主張の場になるのはどうやれば避けられるものなんだろうか。結局管理人が厳しい対応するしかないんだろうけど、みんな嫌な人に見られたくないから、そこで強硬な態度を取れない。イヤな人たちはそこにつけこむ。 「タチが悪い長文コメント常連」(ARTIFACT@ハテナ系) コメントに長文を書くことの是非について、僕は各ブログの管理人が対応すればよいのではないかと思う。 それ以外の人がどうこういう方がちょっと行き過ぎのではないかと疑問をもったりもする。 というのは、僕は実際にそのコメントをしている人の方を持つからではなく、自分がコメントをいただいた際に特に不快に思わなかったからだ。 確かに、長いコメントに対して管理人としてコメントを返すのは通常よりは大変である。 しかし、他の人のブログにコメントする際に、そのエントリーが長文だからといって、不快には思わない。当然か、自分でコメントしようと思うのだから。 管理人としては自分が書いたエントリーにコメントがあったら、それが長文であるかないかに関わらず、きちんと対応したいと思う。 もちろん、コメントスパムを削除するように、タチが悪いと判断すれば、kanoseさんが言うように「管理人が厳しい対応する」ことが必要な…

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サステナビリティ(持続可能性)

人口増加が進む中、研究者たちの間では、地球が実際にどのくらいの人口を養えるのか――マルサスの時代から変わらぬ議論――について諸説が飛び交っている。 世界人口、65億に――地球は何億人暮らせるのか?(Wired Japan) 上記で述べられているマルサスとは「足し算と掛け算」のエントリーでも紹介した、イギリスの経済学者兼人口統計学者であるトマス・マルサスで、1798年、人口の増加は食糧生産量の増加を上回る傾向にあると論じた有名な著書を出版している。 「地球は何億人暮らせるのか?」の問いは、あまりに多くの変数を抱えすぎており、あまり意味をなさないのではないだろうか? それは、あなたの会社は何人養えますか?と問うのといっしょで、それは市場での競争環境(ポーターの5 Forcesあたりを思い浮かべてほしい)や会社のマネジメント力によって大きく変化する。 実際に先に引用した記事でも、 いっぽうコーエン教授の試算では、地球上に年間9000立方キロメートルの淡水の供給があるとして、それによって育てた小麦で世界中の人間に毎日3500カロリーを与えると仮定すると、地球上で約50億人しか暮らせないという。 しかし、こうした試算のための数式は、さまざまな要因によって変わってくる。農法の変化、淡水化技術の効率化といった要因によって、地球が養える人口が増加する可能性もある。生活習慣の変化――たとえば、安価に生産できる新たな食料源を受け入れること――にも似たような効果があると、コーエン教授は指摘する…

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Seesaaブログのメンテナンス終了

最近、頻繁なSeesaaブログのメンテナンスがとりあえず今日の分は終了したようです。 また、明日の早朝から第2弾を予定しているそうです。 このブログを読んでいただいている方にもご迷惑おかけしますが、ご了承ください。 取り急ぎお知らせでした。

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直感によるシミュレーション/計算を介したシミュレーション

「ほとんど起こりそうにない」ということと「不可能である」ということは違う。 この区別がわからないと、ある種の創造性が失われる。 だが、これほどの起こりそうもなさはとても頭で理解できないからといって、恐れをなして逃げ出してしまうべきではない。10の40乗という数は途方もなく大きな数ではあるが、書いてみることもできるし計算に使うこともできる。考えてみれば、もっと大きな数だってある。たとえば、10の46乗をいうのは単にもっと大きな数というばかりではない。10の46乗を得るためには、10の40乗を100万回も足し算しなければならない。 リチャード・ドーキンス『盲目の時計職人』 上の例では、頭で理解できることと、書いてみたり計算したりしてみて想像可能になることの違いが示されている。例えば、生物の進化にかかった時間などは、頭には理解できないくらい大きな数の時間だが、書いたり計算したりすることは可能で、そこである特定の進化が起こりそうか、それだけ大きな時間でも不可能だといえるのかを判断することは可能だということだ。 山形浩生は自身が翻訳を担当したダニエル・C・デネットの『自由は進化する』で主張されていることの要約として、 自由とはシミュレーションのツールである。 と一行で示している。 つまり、直感的なシミュレーションにより理解できるだけの自由さと、書いたり計算したりというちょっと高度なシミュレーションを介した理解の自由さの示しているのだ。 この2つのシミュレーションの違いをきち…

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基本的には、肯定するのが吉

まぁ、いろいろ他人や外部の物事を批判したくなるのはやまやまだけど、基本的には、肯定するのが吉なんではないかと、最近、すごく思うんです。 まぁ、それは悪いところを見つけるのはカンタンで、大して頭を使わなくてもできる一方、いいところを見つけるのは、それなりに大変で頭をつかう作業だから、どちらかといえば、頭を使う方向にいったほうがいいんじゃないかという気がするのが、まず、そう思う理由の1つ。 もう1つは、やっぱり他人を否定したところで、それが相手の得になるなってことは滅多になく、むしろ、いいところを指摘して伸ばす方向のほうが、おそらく結果的にプラスになるのではないかっていうのがもう1点。 それから他人の否定って、哲学なんかでよくあるように否定そのものが所詮、否定するものがすでに含有していることをわざわざ否定しているといった具合に陥ることが多くて、相手にしてみれば当然、端から見てもそれはすでに向こうが拒否していることだろうと思うこともあったりするっていうのが3つ目のポイント。 特に、カンタンに自分の思ったことを文章にできるブログでは、お手軽に他人を否定できちゃうんでしょうけど、それって、Cui bono?(誰が得をする?)って感じる。 その意味で、最近、とりあえず自分のアイデアを発する前に、Cui bono?(誰が得をする?)って考えてみるようにしている。 これをやると結構、否定のワナから抜け出せるように思う(まぁ、なかなか完璧にはできないけど)。

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政治的・市民的自由というミーム

ジャレド・ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄』で示したように、西半球の人口を絶滅寸前まで追いやったのは、ヨーロッパの病原菌だった。こうした人々は、そうした病原菌に耐性を作るような歴史を持っていなかったからだ。来る世紀には、準備のできていない世界で大暴れするのは、良きも悪しきも含め、われわれのミームとなる。自由の有害な余り物にわれわれが耐えられるからといって、他の人も耐えられるとは限らないし、またそれは単に新しい商品として輸出するわけにもいかない。 上記はダニエル・C・デネット『自由は進化する』からの抜粋。 政治的・市民的自由というミームは、資本主義とハイテクというミーム史上もっとも堅牢な乗り物に乗って世界に広がっているっていう話。 中国が国全体をファイヤーウォールで囲って、インターネット経由のミームの侵入を防いでいるが、デネットが言うとおり、「強制された無知」っていうのはそう長くは続くものではないだろう。

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Cui bono?

Cui bono? それは、 誰が得をする? という意味のラテン語で、西洋で弁護士が用いる言葉らしい。 ホントに Cui bono? と思いたくなる一件だ。 いや、この一件は単なるきっかけで、さっきも書いたが、そもそも、Cui bono? っていう感じだったのだ。その意味では、むしろ昨夕から現在に至る騒動は目を覚まさせてくれる、いいきっかけで、少なくとも目が覚めた人はいくらか得をしたかもしれない。 昨日、タイミングよくRTCカンファレンスで「バブル」をテーマにした話を聞いてきたばかりだった。

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空機会

並んだゴミバケツの横を通り過ぎて、その1つにたまたまダイヤモンドでいっぱいの財布が入っていたとしたら、金持ちになる空機会を逃したことになる。 これはダニエル・デネットの言葉。 紛れもなく機会あるいは運にはそういう側面がある。 知らなくては自由にそれを選択できない。 確実にチャンスを物にするには失敗と成功を重ねて、何がチャンスか(そして何が危険か)見分けられるようになるしかない。

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無駄な訓練はない

きょんさんのブログのコメントにも書いたが、一流のスポーツ選手は無理して苦しい練習を続けるのではなく、普通に続けられる練習のレベルを上げていくのだそうだ。この話を聞いた時はなるほどと感心したが、昨日、きょんさんにコメントを書いたのと、「勉強する」というエントリを書いて自分も確かに何度かそういう経験をしたことがあったのに気づいた。 昔、自分のデザイン力が落ちたなと感じて、三ヶ月くらい、毎日最低一枚、鉛筆デッサンの絵を描いていた時期がある。 そんなにすごく昔のことではない。せいぜい5年くらい前だから30才は過ぎていた。仕事もWebデザイナーは卒業してディレクションの仕事をしていたからデザイン力は決して必須ではなかった。それでも毎日描いたから最終的には100枚くらいにはなった。 それをやろうと思ったきっかけはエンライトメントを率いるヒロ杉山さんが同じことを何年もそれ続けているという記事を読んだからだ。結局、それで絵がすごくうまくなったわけではない。それでも最初描きはじめた時よりかはマシになったし、描く時間も早くなった。何より実感したのは物を丁寧に見るクセがついたことだった。主に人物の絵を描いていたのだが、対象となる人に似ているようにするには特徴(違い)を捉えなくては描けない。描いていたのは似顔絵とかではないので、鼻と目の細かいバランスだとかを気をつけて見るようになったのを覚えている。 とはいえ、やはり何より役に立ったと思えるのは、それだけ描けば普段のレベルが変化してくるということだ。デザイ…

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