自我という魔術

昔からこういう記述には惹かれてしまう性質です。 言葉は私たちの内部で性をほとんどまるごと吸い上げてしまう―この生のほとんど小枝の切れ端までこの蟻たち(言葉のことだ)のせっせと休みなくはたらく群れによって捕えられ、吸い上げられ、積み上げられてしまう。だがそれでも我々の内部には、無言のまま隠れていて捕えがたい部分が残っているのだ。言葉の世界、論理的言語の世界では、この部分は無視されている。 酒井健『バタイユ』 言葉でなにかを理解する、知るということは、永遠にその対象から遠ざかってしまうということになる。『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』が「バラバラの情報が散らばった世界で」という断章からはじまっているのも、そこに目を向けてもらうことができたら、と思ったからです。

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『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』在庫あり

「リフレーミング」や「デザインの新しい基礎理論」などで「これを読まない人ははっきり言ってソン」と紹介しても、amazonに在庫がなくて買えなかった、クラウス・クリッペンドルフの『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』がいま2点在庫ありになってます。→はい。売り切れました。「通常2~5週間以内に発送します。」のステータスに変更になりました(17:20追記)。 デザインとは物の意味を与えることである。 デザインは他者に対し現実化可能な人工物を提案することである。 クラウス・クリッペンドルフ『意味論的転回―デザインの新しい基礎理論』 買うならいま! 関連エントリー リフレーミングデザインの新しい基礎理論意味論的なデザインのアプローチへの転回情報摂取の場・過程・作法をみなおすお客さんから逃げないマーケティングとユーザビリティに対するデザイナーの失望製品中心から人間中心のデザインへなぜ量が質を生み出す可能性を持っているのか?グループワークもうひとつの量の追求ひとりエスノグラフィ

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松岡正剛さんの「連塾」の動画

前に紹介した松岡正剛さんの『連塾・方法日本1 神仏たちの秘密―日本の面影の源流を解く』という本。 今日、出版社の方から教えていただきましたが、こちらのサイトでこの本の元になった「連塾」の模様が一部動画でみられます。 シリーズ「連塾…方法日本」:『神仏たちの秘密』特集ページ|春秋社 http://www.shunjusha.co.jp/renjuku/index.html ごく短く編集された映像ですが、「連塾」の雰囲気がわかってよいです。 まだ読んでらっしゃらない方も、すでに読まれた方も、ご覧になられては。 この1冊目が非常におもしろかったので、早く2冊目以降が発売されるのを楽しみにしています。 関連エントリー 松岡正剛さんの本に関するブックリスト連塾・方法日本1 神仏たちの秘密―日本の面影の源流を解く/松岡正剛

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文は記号の総体である

文は文身(イレズミ)であり、字は幼名(アザ)であり、書は呪的な目的のもとに隠された呪文であったそうです。 文身は、出生・成人・死喪の際の通過儀礼として行われ、人の胸郭に朱色で記号を加えた形をもとに文という字が象形されているといいます。女性の場合は両乳をモチーフとしてその周囲に文身を加える。その字は奭あるいは爽。いずえも爽明の意をもつのだそうです。文も奭も爽も、霊界に入る人の聖化の方法として用いたイレズミを象形かつ象徴している字です。 人が生まれたときにも、やはりその額にしるしをつけ、邪霊が依り憑くのを祓い、転生の祖霊を迎えたといいます。それを象徴する字は、ひたいを象形する雁垂れの形の上に文をしるし、下に生を加えた産。成人のときに同じくひたいを象形する雁垂れの形の上に文をしるし、下に文彩を示す彡(さん)を加えたのが彦。その刺青を加えたひたいを顔というそうです。 他にも、名は上部は祭肉、下は祖廟に告げる祝詞をあらわす器の形。字は祖廟をあらわす垂れた屋根に、氏族の子が祖霊に謁見して、生育の可否を報告しその承認を受ける儀礼を示しているそうです。

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相手を尊重し、敬意をもって接するために最低限必要な5つのこと

「リズムを刻む実践的な学習とワークスタイル」などのエントリーでコラボレーションを重視した新しいワークスタイルについて考えたりしていますが、なんか現実はコラボレーションとかいう以前の問題のようです。 コラボレーションとかいう前に、ふつうに他人と仕事をするという場合に、どんなことが必要かがわかっていない人がいるみたいです。 残念ながら。 他人といっしょに仕事をするのが組織における仕事の基本になるわけですから、相手を尊重し、敬意をもって接することは最低限必要な基礎スキルだと思います。 ここでは相手を尊重し、敬意をもって接するために必要なスキルについて、5つほど書いてみようと思います。この5つで足りてるかはわかりませんが、思いついたこの5つは最低限必要なことだと考えています。 1.すみません、ごめんなさいを素直に言えることたびたび書いていますが、失敗することはいいことだと思います。失敗から成功へのヒントを学ぶことができるからです。 それゆえ、失敗した際、素直に「すみません」「ごめんなさい」がいえないのはいただけません。失敗の自覚が足りないからです。自覚がなければせっかくの成功のヒントを見つけられる可能性のある失敗に学ぶことができないからです。

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リズムを刻む実践的な学習とワークスタイル

「小さなアウトプットの蓄積で完成形を生み出すための5つのプラクティス」や「普通のデザイン―日常に宿る美のかたち/内田繁」で、しきりに「リズムをつくる」ことが重要では?ということを書いています。 で、リズムをつくる上でのミソはやっぱり、小刻みに小さなリズムを重ねていくことではないかと思っています。

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わかりやすく話すだけではちょっと足りないと思う5つの理由

相手に応じて言葉やたとえを選びつつ、わかりやすく話してあげようとする心がけは大事です。いっしょに仕事をしていく同僚やお客さんとのあいだでは、相手がわかるように話す配慮が必要で、やっぱりそれがコラボレーションを行っていくための必須条件の1つだと思います。 でも、残念ながら「わかりやすく話す」だけではちょっと足りない部分があったりもします。

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「知る」ことは何かを生み出すことのプロセスの一部

昔から感じていたことですけど、明確な戦略も、それを決定するための事実データもお持ちでなさそうなので、まず調査に関する提案をすると「うちも調査はやってる」とおっしゃる方がたまにいらっしゃいます。あと似たケースとしては「うちもアクセスログ解析ツールは入ってるよ」ですか。 「やってる」とか「入ってる」とかってどうなんでしょ? ビジネスとして。 ふつうは「販売してるよ」とか「つくってるよ」とか言わないですよね。「売れてるよ」とか「(つくったものは)評価されてるよ」とかですよね。 なのに、なんで調査に関しては「やってる」で満足されちゃう方が多いんでしょうか? 調査も次につながる結果出してナンボだと思うんですけど。もしかして調査をして、それに基づいて行動を起こすという発想がなじみにくいものなんでしょうか。

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ふつうの山の登り方

山に登るとき、麓から一気に頂上まで行けるなんて考える人はいないよね(ヘリコプターとか使えば別だけど)。 麓から一歩一歩登っていくよね、普通は。 で、登ってるときにはそれこそヘトヘトになったりしつつも気がつくと意外と上のほうまで来てて、あれ、もうこんな高さまで登ってきたんだなんて思ったり。 それなのに、なんで何か仕事上の目的を達成する際や、何かしらのスキルを身につけようと思うときって、意外と多くの人が「えーむずかしそう」とか言って努力せずにあきらめようとすることって多いんでしょ?

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「匿名で書かれた意見は、無視してかまわない」

あとでマインドシェアについて書こうと思っていますが、無視されちゃうとそもそもシェア獲得にはならない。 「極言すれば、」という前提条件つきで、茂木さんはこんなこと書いてます。 「匿名で書かれた意見は、無視して かまわない」 極言すれば、そんな情報倫理を日本人も 少し持ったらどうかと思う。 茂木健一郎 クオリア日記: 情報倫理 茂木さんは倫理と書いてますが、この倫理の意味はきちんと経済的な観点(シェア)も含めて捉えるべきだと思ってます。 この引用はエントリーの最後の部分だけだから、最初から読んだほうは意味は通じますよ。 で、関連するエントリーとして、こんなのも。 これからブログを開設しようという人に対しては、私はむしろ最初から実名で始めることを勧めます。それは主に二つの理由からです。 la_causette: 初心者にこそ実名でブログを開設することをお勧めする。 ここで書かれている2つの理由にはおおむね賛成。特に1つ目にはおおむね賛成します。おおむね。 じつのところ、ネットで匿名を選択するか、実名を選択するかは個人個人が選択すればよいことだと思っています。現実世界でだってあだ名でまかりとおることはありますし、厳密に名前そのものの問題じゃなく、個人の特定がどこまで可能かって話ですし。 ネット上でどうふるまおうが、結局、社会生活をおくる上では誰にでも実名はついてまわるのだし。その実名をどう使うかを考えないといけない。そっちのほうが問題かなと。 僕自…

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Web標準の日々、自分のセッション終了しました(プレゼン資料公開)。

どうにかセッション終了。 自分なりに反省は多々ありつつも、参加いただいたみなさんには本当に着ていただいてありがとうございましたという気持ちです。 尻切れな感もありましたので、今日の資料を以下にアップしておきましたので、ダウンロードいただき不足していた点をご確認いただければと思います。 「Contextual Design 経験のデザインへの人類学的アプローチ」プレゼン資料(pdf、5.27MB)(公開終了) プレゼンテーションの主な内容 Human Centered Design 人間中心のデザインExperience Design 経験って何からできてるの?Context? 何故コンテキストなのかContextual Design 経験のデザインへの人類学的アプローチ なお、個別にメールやmixiコミュなどでも受け付けてますのでお気軽に。

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Web標準の日々「Contextual Design 経験のデザインへの人類学的アプローチ」

いよいよ今週末に迫ったWeb標準の日々。 あらためて僕のセッションについて紹介しておきます。 タイトルは前にもお伝えしたとおり「Contextual Design 経験のデザインへの人類学的アプローチ」です。 内容に関しては、 Human Centered Design 人間中心のデザインExperience Design 経験って何からできてるの?Context? 何故コンテキストなのかContextual Design 経験のデザインへの人類学的アプローチ という感じで、基本的にはWeb標準の日々にも関わらず、ほとんどWebの話はしないと考えてください。 あと上記をみて多少はおわかりかなと思いますが、いつもこのブログで書いていることをライブ版でご説明するという内容になってます。 では、当日お会いしましょう。 関連エントリーContextual Design:経験のデザインへの人類学的アプローチユーザー調査とユーザビリティ評価を混同しないユーザーテストをやることがユーザビリティだと思ったら大間違いユーザーテストはテスト設計が大事プロトタイピングとしてのワークショップContextual Inquiry調査からペルソナをつくるワークショップをやったよユーザー行動シナリオは最初のデザイン

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会議における現在価値と将来価値

うーんとですねー。僕は基本的に会議や打ち合わせにはその場に参加した人たちに価値提供できる人以外は参加しちゃいけないと思ってます。逆にいうと、会議に参加させてもらおうと思うなら、ちゃんと他の人に価値提供をしようっていう心構えをもって望んでほしいってことでしょうか。 ようはそうしないと会議や打ち合わせの生産性がなかなかあがらないわけです。 会議の生産性をあげる方法については、前に「会議をデザインするのに必要な3つのポイント」なんていうエントリーも書いていますので、そちらをご参考に。

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意志を明示すること、考えを伝えてあげること

自分の意志をまわりに対して明示してあげること。自分がいまある事象について何を考えているかを自分が関わる人に伝えてあげることはとても大事なことです。 上司から部下へ。部下から上司へ。そして、いっしょに仕事をする同僚へ。 各自が自分の考えを聞かれなくても、ちゃんと常に明示してあげておくことは大事なことです。 相手の考えがわかっていれば他人は話しやすくなります。部下が上司の考えをわかっていれば、自分が行う仕事の方向性について迷うことが少なくなります。部門を横断した打ち合わせをする際などに、1からスタンスの違いや共通点を確認しあうところからはじめる手間が省け、本題から一気に話を進めることができます。意見の相違があった場合でも、意見の同意があった場合でも、相手の立ち位置と自分の立ち位置を了解した上でお互いに会話を行い、結論として具体的にはどうするかを決める実質的な話し合いが可能になります。何より「ちゃんと考えているんだ」ということを相手が理解でき、ぜんぜん何も考えてないんじゃないの?とよけいな疑問を抱かずに済みます。 自分の意志を明示すること、考えを伝えてあげることには、こんなメリットがあるというよりも、そうしなければここに挙げたようなことがまわりが享受できないというデメリットがあるといったほうがよいでしょう。

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「思いつき」から「考え、形にする」ことへ

仕事をしていて物事が進捗していないなと思うことがあります。 出だしはよかったはずなのに、どうもその後、進んでないなと。 そういう場合、アイデアだけ思いついて、それで満足しちゃう人が多いんだろうと思います。 次々、アイデアが出てくるのはいいけど、そのあと深堀りしない。アイデアベースでは埋まっていないところを考え、形にしていくところのプロセスがなかったりします。 そうなると、仕事が形になっていかないわけです。

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意志があるのか?ないのか?

与えられたミッションを前に最初の判断の分岐は「やる意志があるのか?ないのか?」です。 最初のこの質問の答えがNOなら、それでおしまい。 でも、YESならそこから意志を具現化するデザイン=実践作業がはじまるということを忘れてはならない。YESといった瞬間、ミッションをクリアする責任を引き受けるのだから、自分達だけでなくすべての利害関係者に対する責任をその時点で課されるのだという自覚が必要です。

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論理と物語について。

論理と物語について。あるいは、事実データと文脈について。 まずは1つの前のエントリーで書評を書いたノーマンの『人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学』より。 物語には、形式的な解決手段が置き去りにしてしまう要素を、的確に捉えてくれるすばらしい能力がある。論理は一般化しようとする。結論を、特定の文脈から切り離したり、主観的な感情に左右されないようにしようとするのである。物語は、文脈を捉え、感情を捉える。論理は一般化し、物語は特殊化する。論理を使えば、文脈に依存しない汎用的な結論を導き出すことができる。物語を使えば、個人的な視点で、その結論が関係者にどのようなインパクトを与えるか、理解できるのである。 ドナルド・A・ノーマン『人を賢くする道具―ソフト・テクノロジーの心理学』 これが1993年の論説。

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書いてもまだ何がわかっていないかわからないことがある

GW真っ只中のこんな時間ですが仕事中です。 正直、気もめいってきますが、気分転換にブログでも。 さて、先日「書かなきゃ自分が何がわかっていないかさえわからない」というエントリーを書きました。書いてみることで、自分が普段ぼんやりと考えていることの中で、どの細部がわかっていないかがわかるようになります、という内容でした。 知人の顔をスケッチするようするに書こうとすることで、普段見えていないことに気づき、そこではじめてこれまで見てこなかった何かにフォーカスを当てて見るという行為を行うことで新たな発見ができるというわけです。 いまいちピンとこない方は誰か知り合いの人の顔をスケッチしてみてください。 いつも見ていて見慣れてるはずの顔でもほとんどディテールは目に入っておらず、ほとんど知らないことばかりだということに気づくはずですので。 というわけで、書いてみる(描いてみる)ことで、普段は気づかない自分の無知に気づくことは可能です。 でもね、実は、書いてもまだ何がわかっていないかわからないことがあるんです。 っていうのが、今日の話題。

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