古代日本の月信仰と再生思想/三浦茂久

さてさて怒涛の年明け書評エントリー5連発の最後を飾るのは、三浦茂久さんの『古代日本の月信仰と再生思想』。 この本はまさに最後を飾るのにうってつけなヤバい一冊。 なにしろこの国がある意味ずっと信じてきた日の国としての日本の太陽信仰を根底からくつがえす、日本は古代、月信仰であったという考えを明らかにしている一冊なんですから。 本居宣長や契沖のような江戸期の国学者も、柳田國男や折口信夫のような民俗学者も、土橋寛のような国文学者も、誰も根幹からは疑うことがなかった太陽信仰の日本というものを、月信仰の日本に全面的に書き換える試みを展開しているのだからヤバい。もちろん、「ヤバい」というのは危ないという意味ではまったくなく、すばらしい!という賞賛の意味でヤバいんです。

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薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史/フランセス・イエイツ

薔薇十字友愛団。 フリーメーソン同様、誰もが一度くらいは耳にしたことがあるであろう秘密結社。 17世紀初頭のヨーロッパに突然あらわれたこの秘密結社は、通称『薔薇十字宣言』と呼ばれる出版物―具体的には、1614年の『友愛団の名声 あるいは 薔薇十字のもっとも気高き結社の友愛団の発見』と、1615年の『友愛団の告白 あるいは ヨーロッパの全学者に宛てて書かれた、薔薇十字のもっとも立派な結社の称えられるべき友愛団の告白』という、ともに長いタイトルをもった、ドイツで出版された2つの小冊子―によって、「魔術(マギア)とカバラと錬金術(アルケミア)」を原動力とした独自のユートピア思想に基づく新時代の幕開けを高らかに告げた。 本書の著者フランセス・イエイツに関しては、昨年末に「記憶術/フランセス・A・イエイツ」と「世界劇場/フランセス・A・イエイツ」というエントリーで、2冊の著書を紹介しています。 1冊は、古代から中世を経てルネサンス期にいたる西洋の「記憶術」の変遷をおいながら西洋における思想と観念の流れに目を向けた『記憶術』。 そしてもう1冊は、『記憶術』のなかでも触れられている、イギリス・ジェームズ朝期の思想家、ロバート・フラッドが記憶術を展開した『両宇宙誌』とシェークスピアの劇場「グローブ座」の関係をさらに詳細に論じ、エリザベス朝期の思想家、ジョン・ディーを貴店にロバート・フラッドや同じくジェームズ朝期の建築家・舞台美術家、イニゴー・ジョーンズへと展開される数学的技術―魔術、カバラ、錬金…

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遊ぶ日本―神あそぶゆえ人あそぶ/高橋睦郎

「ルネサンス様式の四段階―1400年~1700年における文学・美術の変貌/ワイリー・サイファー」、「フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論/ヘンリー・ペトロスキー 」に続き、本年3冊目の書評。 今日、紹介するのは、高橋睦郎さんの『遊ぶ日本―神あそぶゆえ人あそぶ』。 これは大傑作。 僕はこれを読んで、情報コンテンツがどんどん無料化していく時代において、なぜ「遊び」の要素をもった情報コンテンツのみが有料でいられるかだったり、ニンテンドーとソニーの差って「遊び」に対する姿勢からくるんだろうな、と思ったりしました。 遊び、大事です。 遊びがわかってないと、これからの時代、やばいなと思わせる一冊でした。

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フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論/ヘンリー・ペトロスキー

以前から読みたかったヘンリー・ペトロスキーの『フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論』が文庫版にて復刊されます(1月9日発売です)。 そして、「読みたかった」この本の書評を発売前のこの時点で書いているのは、実は文庫版出版にあたり、光栄にも僕が巻末の解説を書かせてもらったからです。 ここに構想(デザイン)という考え方が登場する。Oxford English Dictionaryに英語としてdesignという単語が初出するのは一五九三年である。フォークはそんなルネサンスの文化の雰囲気のなかで登場し各国で使われるようになったのだ。それは単なる偶然の一致ではない。 『フォークの歯はなぜ四本になったか』「解説 失敗の発明」より ヘンリー・ペトロスキーの著作に関しては、このブログでも以前に『失敗学―デザイン工学のパラドクス』(書評)や『本棚の歴史』(書評)を紹介させていただいてます。 拙著『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』では「あらゆる仕事はデザインの仕事である」という考えに基づきデザイン思考の仕事術を展開させていただきましたが、その考えのベースとなったのがペトロスキーの進化論的なイノベーションの見方であり、「モノがひとつ生まれれば世界は変わる」という捉え方です。 そして、解説でも「新たなモノが発明され暮らしのなかに浸透すれば、単にモノがひとつ増えたというだけでなく、人々の生活そのものが変化する。それが決して珍しいことではないことは本書の多くの事例が教えてくれる…

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ルネサンス様式の四段階―1400年~1700年における文学・美術の変貌/ワイリー・サイファー

狭義のルネサンスからマニエリスムへ、そして、バロックを経て後期バロックへ。 15世紀から17世紀にかけてのルネサンスの流れを、このような4つの段階に分けて考察するのが今回紹介するアメリカの文化史家、ワイリー・サイファーの『ルネサンス様式の四段階―1400年~1700年における文学・美術の変貌』です。 この本を読んであらためて日本人って西洋のことをほとんど理解しないまま、西洋が生み出しグローバルに展開した近代のしくみに乗っかってしまっているんだなと感じました。 それがどういった状況で何を目指して生み出され、その結果、何がどう変わったのか。 さらにいえば、そうした近代のしくみが自分たち自身のいまの生活にどういう影響を与えているのか。 またその影響を認識して、それを嫌うにしても、根っこの部分でそれがどういうしくみであるのかをわからないから表面的な批判になってしまい、結局は懐の大きなそのしくみへと取り込まれてしまう。

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未来のための江戸学/田中優子

ひさしぶりに田中優子さんの本を紹介したい。 紹介するのは、最新刊である『未来のための江戸学』です。 田中優子さんの本は、これまでも何度か紹介しています。 「江戸の恋―「粋」と「艶気」に生きる」では、恋という切り口から江戸の生活や経済が描かれました。江戸時代の結婚はいまのように恋愛の先にあるものではなく、現実的実際的に生きていくために行われる手段であり、家族はあくまで生産の単位であるため結婚はいまの就職と変わらなかったこと、そして、それゆえに心中につながるような恋との矛盾も生じたことが紹介されていました。 また「江戸の想像力 18世紀のメディアと表象/田中優子」や「江戸はネットワーク/田中優子」では、平賀源内や上田秋成、鈴木春重(司馬江漢)、山東京伝らが活躍した江戸の町が、金唐革紙-金唐革によって、イタリア・ルネサンスのボッティチェルリや、はたまたヴァイオリンのストラディヴァリウスにもつながっているというグローバルな世界、そして、江戸のなかでそうした文化が連と呼ばれたネットワークから生まれてきたことを明かしてくれます。いわゆる鎖国なんて閉じたイメージが幻想であることを見事に暴いてくれていて痛快。 さらに「江戸百夢―近世図像学の楽しみ/田中優子」では江戸期の日本の絵画・彫刻だけでなく、同時代の朝鮮やオランダ(フェルメール)、イタリア(ベルニーニ)などの絵画・彫刻をひとつひとつ眺めながら、江戸期とその時代の世界の動きを探訪し、「江戸を歩く/田中優子」では今度はいまの東京を歩きながら、江戸の…

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身体感覚で「論語」を読みなおす。/安田登

能楽師(下掛宝生流ワキ方)である安田登さんによる『身体感覚で「論語」を読みなおす。―古代中国の文字から』。 これはおもしろかった。 白川静さんが好きな僕には納得感もあった。 有名な「四十にして惑わず」も、「惑」という文字自体が孔子の時代になかったのだから、「40才になったら迷わない」という意味ではないだろう、と著者は考えます。 白川静さんも『漢字―生い立ちとその背景』で「人が神とともにあり、神とともに生きていた時代には、心性の問題はまだ起こりえなかったのであった」と言っているように、「心」という漢字自体が孔子が活躍する、ほんの500年前にできたにすぎない。「心」がついた「惑」は孔子の時代のさらに500年以上あとにようやく登場する。 であれば、孔子が「四十にして惑わず」などといったわけではないだろう、と著者は考えます。

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円環の破壊―17世紀英詩と「新科学」/M.H. ニコルソン

16世紀の終わりの日本で古田織部が沓茶碗で従来の茶碗のスタンダードであった円相を破壊したのとほぼ同時代、西洋では17世紀初頭、ケプラーが惑星の楕円軌道を発見し、西洋思想のスタンダードであった円環を破壊している。 後期ルネサンス期に芽生えた新しい科学の動向が人びとの考え方・世界の見方に与えた影響を、ジョン・ダンやミルトンなどの17世紀英国の詩人や文学者の作品を読み解きながら考察する、M.H. ニコルソン『円環の破壊―17世紀英詩と「新科学」』を読んで、僕の頭に浮かんだのはそうした東西の時代の符号でした。 東西でほぼ同時に起きた、円の破壊と楕円の登場。 いずれの世界においても、円は古くからの伝統的な思想を象徴し、楕円は新しい思想を象徴していました。円から楕円への移行は東西でほぼ同時期に起こった古い世界の見方から新しい世界の見方への移行を意味していたのです。

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世界劇場/フランセス・A・イエイツ

思考を具体的な形にすること。世界をどのようなものとして見るか、さらにまた、それを「よりよい」状態に近づけるかについて熟考された思考の結果を再び、形として世界へとフィードバックする。それが本来のデザインという活動の原型ではないだろうか? 世界を、宇宙を、そして、人間を注意深く観察し、それらの謎を思索し、よりよき状態を希求し、そうした活動の結果を具現化する技術を探る。そうした構想と呼ぶべき活動を背景にもつことをやめた、形ばかりのデザインを「デザイン」と名指すのはどうなのだろう? シェイクスピアのグローブ座(地球座)を含む、イギリスにおける後期ルネサンスの公衆劇場に焦点をあてながらルネサンス期の科学的/魔術的思考とその思考が生みだした世界=歴史を考察する『世界劇場』は、先に紹介した『記憶術』に続くフランセス・A・イエイツによる一冊です。 『記憶術』に関して、僕は「自分がデザインに関わる仕事や勉強をしていると思っている人は必読!の1冊」と書きましたが、この続編として読むことができる『世界劇場』も、冒頭に書いたような意味で、世界に関する観察・思索との結びつきにおいてデザインというものを捉えた時代をきちんと知っておくべくためにも必読です。

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記憶術/フランセス・A・イエイツ

ようやく、この本を紹介することができます。はやく紹介しないと、と思っていた本です。 というのも、以前に僕自身が「この本を読まないデザイン関係者なんてありえない」と書いた高山宏さんの『表象の芸術工学』の本のなかで、高山さんが「今、デザインを勉強しようとする人間でイエイツの『記憶術』(1966)とか『世界劇場』(1969)とか名さえ知らないなんてこと、ぼくが絶対に許しません」と断言していたうちの一冊がこれだから。 デザインを勉強している人が最低でも名前くらいを知っておかなくてはいけない本を、ここで紹介しない手はありません。 ちなみに、もう1冊の『世界劇場』も3分の2くらいは読み終えたので、そのうち紹介できるか、と。 結論から書いておくと、自分がデザインに関わる仕事や勉強をしていると思っている人は必読!の1冊だといえるでしょう。

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地域ブランド・マネジメント/和田充夫ほか

僕が最近、自分の今後の仕事の方向性として、これまでの企業向けのブランディングやユーザー中心デザインの延長として、地域のブランディングに力を入れていこうと考えていることは、昨日の「地域というインターフェイス」で書きました。それは「在り続けてほしいもののために、僕ができること」を書いた前後からずっと考えてきたことの1つの答えでもあったりします。 そんな思いから読んだのが、この『地域ブランド・マネジメント』。 この本では、第1章で「地域ブランド・マネジメントの視点」として、本書が従来、地域の名産品をブランディングする方向で進められることが多かった地域ブランディングというものを、単に名産品を売れるようにするだけではなく、実際に人がその地域に来てくれる、その地の人と交流したい、実際にその地に住みたいところにまでもっていき、真に地域が生活、仕事の場として活性化することを地域ブランディングとして考え、そのためのマネジメントに必要とされる視点をはじめの1章でまとめています。 単に売れる商品をつくるのではなく、持続的にその地域が活性化するようなブランディングというのは非常に共感できますし、東京一極集中のあやうさはこの上なく感じていますので、道州制のように地域の自立性をなんとか実現していかなくてはいけないと考えます。その意味では、この本で「地域ブランド」と名づけられた地域を生活の場、仕事の場として再活性化する方法論やその実践の事例は非常に興味深く感じられました。

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手入れ文化と日本/養老孟司

モノであれ、情報であれ、人がつくった人工物はつくった形のまま、変化しません。変化するとすれば、それは人間がつくりだした部分以外のところで、自然にしたがう形で劣化していくだけ。人工的な部分はつくった時点から変わらず、そのまま残ります。 一方で、人間自身を含めて自然にあるものは常に変化しており、むしろ、おなじ状態であることができません。人工物のうちの変化する部分もまさにこの自然に従っているだけです。 しかし、人間の歴史において、人間はつねにこの変化しない状態を望んできた面があります。エジプトのピラミッド、万里の長城、ミイラ、そして、現在のコンクリートやアスファルトでつくられた都市や情報化技術(IT)。 変化しない人工物で埋め尽くされた都会で暮らしながら、現代人は「私は変わらぬ私だ」と思いこんでいます。自分たちで管理・コントロールできない変化を嫌い、変化を象徴する自然をことごとく自分たちの暮らす都会から排除しようとします。自然である死を、誕生を隔離された病院のなかに押し込め、肌を衣服や化粧で覆います。 わからないものを自分のそばから遠ざけようとする態度もその延長線上にあるのだろうと感じます。

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バタイユ/酒井健

バタイユは、生を個体の問題としてではなく、生そのものの連続性として扱う。 酒井健さんの『バタイユ』を読んで、いちばんつよく感じたのはそのことでした。 そして、おそらく僕がバタイユに惹かれるのもそこに要因があるのだろうと思います。 脱自、共犯関係、見世物として恍惚や笑いなどの情動をひきおこす供犠、主体の半壊状態を通して得られる個を超えた交流的な体験。 こうしたキーワードによって、個―個人、私企業、国家―の延命に重点が置かれる近代が忘れ去った、個を超えた全体としての生の連続性に注目し、それを近代の世に知らしめようとことばを紡ぐバタイユに、僕はつよく惹かれるのです。 バタイユは、技術および技術が生みだした物品に「物の力」を見て警戒していた。ちょうど「言葉の力」を警戒していたように。イメディア(直接的な生の交わり)を欲しつつ、メディア(媒体・複製技術)の力を侮ってはいけない。夜のなかの生を語るバタイユの呻吟は私にそう教えている。 酒井健『バタイユ』 「物の力」「言葉の力」への警戒。 これだけでもバタイユが僕の思考と共感するのをなんとなく感じてもらえるのではないでしょうか? それでは、すこし酒井健さんの『バタイユ』を紹介していこうと思います。

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古代研究―1.祭りの発生/折口信夫

世の中、お盆休みの真っ只中でしょうか。僕自身は普通に働いていますが。 そういうタイミングだからこそ、この本を紹介しておこうと思います。こういうタイミングにでも乗っておかない限り、いつまでたってもこの本のことを書けなさそうな気もしたので。 紹介するのは、折口信夫さんの『古代研究―1.祭りの発生』です。 さて、時期的にはいまは夏祭りの時期でもあるでしょう。 ただ、この夏祭り、実は四季の祭りのうちでは一番遅れてできたものだそうです。 もともと古代においては四季の祭りといえば、秋祭り・冬祭り・春祭りしかなかったといいます。 しかも、その秋祭り・冬祭り・春祭りは、なんと最初は一晩のうちにすべて行われていました。大晦日の宵から秋祭りをはじめ、続けて冬祭りを行い、次の元旦の朝が明けると春祭りを行ったのだそうです。 それゆえ、あき・ふゆ・はるがもつ意味も、中国より暦が伝わってくる前までは、いまのような四季の秋・冬・春とは違う意味だったと折口さんは書いています。 その年の収穫物を神に捧げ報告する刈上げ祭りが秋祭り。 マレビトである常世神が訪れるのが冬祭り。この冬祭りは鎮魂式でもあり、天子の物忌みの期間でもあります。 そして、夜が明けるとともに天子は物忌みから開けて、高御座にのぼり、祝詞を宣る。この祝詞はあらかじめその年の祝福をする。ことほぎ=言祝によって、その年の豊作や健康をあらかじめ祝福する。これが春祭りです。 村には歴史がなかった。過去を考えぬ人たちが、来年・再来年を予想し…

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死者の書/折口信夫

先日、藍染めの体験をしてみてあらためて感じたこと、それは一枚の布をつくるという一見単純に思える工程も実は複雑な工程の積み重ねなんだなということでした(「2009-07-26:藍染めをする」参照)。 糸を紡ぎ、その糸を織って布にする。その一方で糸や布を染めるための染料をつくる。 柳宗悦さんが『手仕事の日本』で、「もし歴史が後に控えていかなかったら、あの簡単に見える草履一つだって作るのに難儀するでありましょう。一枚の紙だとて、どうして作るか、途方にくれるでありましょう」と書いていますが、糸や布、そして、それらを染める染料も、長い歴史のなかで生み出された技術がなかったら「どうして作るか、途方にくれる」くらい実は複雑なものだと思うのです。 今日は、そんな紡績や染織に関わる方面から、折口信夫さんの小説・『死者の書』をみていきたいと思います。

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遠くの町と手としごと―工芸三都物語/三谷龍二

『デザイン思考の仕事術』の出版から早1ヶ月が経ちました。ほんとにはやかった。 で、1ヶ月経って、僕自身が実感として感じていること。 あー、もう、デザイン思考とかについて語ることはないってこと。 それ以上に人間中心設計とかはもういいやって思ってます。内容はともかく、そのキーワードを使うのがもうヤだな、とw 仕事としては、もちろん今後も続けますけど、ブログに書いたり、本に書いたりはもういいかな、と。「使う側の立場にたって云々」という話は、そろそろ僕以外の誰かが語る番でしょって思ってます。 あとは僕よりも優秀な皆さんにおまかせしましたので、よろしく! 若い皆さんでがんばってくださいw 僕自身はいまはそれよりも、実際に使う人の視点にたってちゃんとものづくりをしている人たち自身の生活やそれを支える経済ということに関心が向いています。 現にちゃんとしたものづくりをしている人たちが今後もそうしたものづくりを続け、できれば、そうしたものづくりの輪が広がっていくためには何が必要か。 その人たち自身の生活をどうしていくのか、その人たちのまわりの経済をどうすれば、今後もちゃんとしたものづくりの火を消さないようにできるか。 さらに、それに関して、僕ができることは何か。そうしたものづくりを巡る経済活動をサポートするために何らかのプロジェクトをプロデュースしていくとしたら、僕は何を身につけていくべきか。 そんなことに関心が移っています。 という関心のベクトルの変化もあって、正直、…

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FOLK TOYS NIPPON―にっぽんの郷土玩具

竹で編んだザルをかぶった張り子の犬―ざるかぶり犬。 犬という文字に竹かんむりをつけると、笑という字になる。 そんな言葉あそびから生まれた玩具が、ざるかぶり犬。 もともと犬は多産でありながら安産であることから、妊娠した女性や子供も守り神とされ、子供が生まれると犬の張り子を贈る風習が東京をはじめ各地にあったそうです。 そんな犬の張り子にザルをかぶせて「むずかる子を笑わせ機嫌を直す」という思いが、このざるかぶり犬には込められているそうです。

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古代から来た未来人 折口信夫/中沢新一

1つ前の「生とは生の浪費のこと」というエントリーでは、いま夢中になっている2人のうちのひとり、バタイユのことを書きました。 もう1人の折口信夫さんのことは、今回、この中沢新一さんの本を紹介しつつ、すこし書いてみようと思います。 それにしてもこの本は読みやすい本でした。 折口信夫をここまで読みやすく語ってしまうのは、逆に罪なんじゃないかと思うくらいに、さらっと読めてしまう内容でした。 それでも6章の「心の未来のための設計図」あたりは折口さんを「未来人」とみる中沢さんらしい主張も含まれていて、おもしろかったです。 ただ、今日はそこには触れず、折口の学を紹介している前半部分をちょっと舐めてみる程度に。

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考えなしの行動?/ジェーン・フルトン・スーリ

静止した一点ではなく、動きのなかで物事を捉える視点。 「点の思考、線の思考」で指摘したのは、物事にことばによるレッテルをはることで、それでその対象を理解したと勘違いしてしまう思考の危険性でした。 実際、現実はそうした言語データ化がむずかしいほど多くの意図されない意図を含んでいます。 そうした意図されない意図にいかに気づき、そうした言語外の情報をいかに多く集め、並べ、それをデザインの発想として組み立てるか。それがデザインする人に求められる姿勢であり、能力ではないかと思っています。

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2009年4月-6月で紹介した本のリスト

前に「2009年1月-3月で紹介した本のリスト」というエントリーを書いたので、4月-6月版も書いておこうか、と。 それにしても、1月-3月が合計17冊紹介していたのに対して、4月-6月は合計で9冊だけでした。すくなすぎますね。あきらかにGW明けの忙しさが影響してます。 次のクォーターはもうちょっとがんばろっと。 では、そのすくない9冊のリストを(リストのリンクは当ブログ内の書評エントリーです)。

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