2011年04月01日

3月のスタイリングをカレンダーにまとめてみた

今日から4月になりましたね。春。衣替えです。

衣替えといえば、今年に入ってくらいからだったかと記憶していますが、その日、自分がしていた格好を写真に撮り、Facebookに投稿するというのが習慣になっています。
毎日実行しているとはいえませんが、その結果はこんな風に溜まっています。



暦的にいえば、衣替えは今日からなんでしょうけど、すでに3月に入って暖かい日は春めいた格好をする日もあったので、スプリングに分類されたアルバムもできてます。
三寒四温といいますが、実際、どのくらいの割当で、冬/春が入り混じってたのかなというのをなんとなく視覚的に確かめたいなと思い、以下のように撮りためた写真をカレンダー上に並べてみました。

march_styling

今月は震災の影響もあって中旬以降、ほとんど客先訪問もなかったので、デニム着用率が高かったのが、この写真を見てもわかります。基本はオールドなワークスタイルが好みです。
パンツだけでなく、ジャケットやシャツもふくめて考えると、どこかしらにデニムのアイテムを身につけていない日は少なかったようです。
まあ、理想は毎日デニムを着ることなんですけど。
デニムをはいて、タフなワークブーツをはいて、毎日過ごすのが理想のライフスタイル。デニム以外の日もダックやシャンブレーなどのワークな素材が基本です。

あとベスト着用率も高いですが、それはデフォルト。
オンだろうがオフだろうがベストはかなりの確率で着てます。

などといいつつ、今日はこんな風にサマーツイードのジャケット&ベストに、半年ぶりくらいにチノパンをはいたのでした。

20110401.jpg

まぁ、なんでこんなことしてるかって、特に意味はないんですけど、
来年の今頃、見直したらおもしろいかな、と。

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2011年03月20日

「所有」から「利用」へ

シェアのビジネスは、人びとのモノに対する態度を「所有」から「利用」へと変換します。

例えば、子供のおもちゃの「シェア」サービスであるBabyPlays.com

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このサイトで、使わなくなったおもちゃをもつ人と新たにおもちゃを欲しがっている人の間でおもちゃの所有権が移動するわけですが、これも「所有」よりも「利用」が重視されているからです。
買って買ってとねだられて買ったのに、すぐに飽きてしまう子供のおもちゃをゴミにしないために、賢くシェアする形にライフスタイルが変化します。

また、バッグやアクセサリーのレンタルサービスであるBagBorroworSteal.comでも同じです。

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高くて買えないブランドもののバッグでも、レンタルなら手が届きます。しかも、気分に合わせていろんなブランドのバッグを利用することができる。バッグがたくさんありすぎて、置き場所に困るなんてこともありません。

そうです。これらのサービスの利用者にとっては、何を「所有」しているかではなく、自分が「利用」したいものを利用するために、どうモノにアクセスしているかが、彼らにとってのステータスになっています。
ブランドものを持っていてかっこいいという古い価値観ではなく、どう賢く自分が好きなものを利用していて、結果として環境にもやさしい生活をおくっていることが新しいかっこよさになりはじめているのです。

「「所有」から「利用」へ」の続き
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2011年03月19日

ピア・ツー・ピアがデフォルトに

今日も毎週末恒例のファーマーズマーケットに行ってきました。もうなくなるなと懸念していたお米も無事ゲットでき、他にもスーパーでは品薄の食材を手に入れることができ、よかったなと。

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ファーマーズマーケットへはいつも原宿の駅を降りて国連大学の前の会場まで表参道を歩いて行っています。
休日の表参道は、普段に比べればまたまだ人は少ないけれど、ちゃんと街の活気はあるところにはあるんだなと感じました。

image-20110319220646.png

ファーマーズマーケットでも同じようにことを感じたのですが、震災の影響による経済不安が囁かれたりもしますが、それはニュースの中や、オフィスの会議室の中の幻想じゃないかとも思えてきます。

僕自身、ちょっと意外だったんですが、地震の影響受けてAmazonのアフィリエイトも売れなくなるかな?と思ってたんですけど、むしろ、売れてるくらいなんですね。

そういうところだけ見ると、もしかすると地震で経済が縮小みたいな話って、需要の問題じゃなくて供給側が市場のニーズをわかってないからではないかと思えたりもします。単にいまの状況におけるウォンツに適した提案が供給側からできてないから景気が心配になるのであって、ウォンツ自体は変化しても量的にすくなくなっているわけではないんじゃないかと。そうなると、もはやそれは景気の問題ではなく、単純にマーケティングの問題です。

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昨年あたりの若者の嫌消費の話と同じです。若者は消費が嫌なんじゃなくて、古い消費のスタイルが嫌なだけ。ちゃんと新しい消費をしています。しかも、このあたり、いくらでもチャンスがある。それに気づかず、相変わらず古い提案をしてるだけのことです。

環境が変わったのに、いままでと同じものを売り物にしてたら売れないのは当たり前。マーケティングの基本です。

化けの皮が剥がれて、コラボ消費の21世紀へ

そんなことを感じつつ、シェアのビジネスについてレイチェル・ボッツマン&ルー・ロジャースの『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』を読みながら考えていたり。

過剰消費の20世紀には、信用履歴や広告、所有物によってその人が定義されたのに対し、コラボ消費の21世紀には、評判や属するコミュニティ、何にアクセスできるか、どうシェアするか、また何を手放すかが、人を定義するだろう。
レイチェル・ボッツマン&ルー・ロジャース『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』

そう。こんな文章の文脈をみると、いまの経済不安が市場のニーズの読み違えのように感じられるんです。
しかも、僕らは携帯電話も、電車も、電気もあてにならないことを体験的に知ったばかり。買い占めなんていう馬鹿げた行動である家庭には余剰があるのに、必要な人がスーパーに行くと買えないなんて状況も起こっています。
Twitterで見かけた話では、牛乳が店に並んでいないのは、中身の牛乳がないのではなく、パックを作る茨城の工場が休止中だからとか。それならリサイクル可能な牛乳瓶の時代のほうがマシだったし、なんならエコバッグをもっていくのと同じように家から容器をもって買いに行くスタイルでいいではないかと。

この震災で化けの皮が剥がれた、これまでの消費スタイルの無駄や馬鹿げた点はほかにもたくさんあるんじゃないでしょうか?

ピア・ツー・ピア取引の準備をしよう

もう10ヶ月近く毎週ファーマーズマーケットに行っているので、いろんな人から、いつもどうもと言ってもらえます。
三浦の農家の人、醤油やお味噌を扱う豆屋さん、最近見かけないので心配な贔屓のお米屋さん、そして、自分では飲まないけど、たまにワインを買うワインやさん。
たびたび買い物に出かける近所のスーパーではしたことがない会話がそこにはあるので楽しい。

そういう会話が生まれる可能性が高いのが、ソーシャルネットワーク上でピア・ツー・ピアで行われるシェアの消費スタイルでしょう。

今では、生産者と消費者、売り手と買い手、貸し手と借り手、またご近所同士を効率よく結ぶピア・ツー・ピア取引の巨大な市場が存在する。オンラインの取引は、かつての村での対面取引で結ばれる強い絆に似ているが、その規模はもっと巨大で限りない。言いかえれば、テクノロジーが、古いかたちの「信頼」を新しいカタチに変えているのだ。
レイチェル・ボッツマン&ルー・ロジャース『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』

いまTwitterやFacebookなどのソーシャルネットワークで行われている会話と同じか、それ以上の会話が、ソーシャルネットワークを介したシェアの取引では行われる可能性があります。

上に引用した文章のあとには、先日も引用した、ソーシャル部屋レンタル仲介サービスのairbnb.comAirbnbの紹介はこちら)の創業者のひとりの「新しい動きが現状を変えつつある。空間やモノであれ、技術やサービスであれ、何かを取引するなら、その手段としてP2Pがデフォルトになるだろう」ということばが続きます。

ピア・ツー・ピアがデフォルトになったとき、いまのように組織の陰に隠れて個人が匿名で過ごすようなことでは取引は成り立ちません。
Facebookが実名主義なんてのは、そのことに比べれば小さな話で、過剰な秘密主義や個人情報保護なんて話も無意味になるでしょう。
もちろん、他人が発信する情報に常に受け身で、いいね!やRTしかできないんじゃ取引に参加することさえできないのではないかと思います。

そんなライフスタイルの変化がこれから意外と早いスピードで訪れるような気がします。そのときに乗り遅れないよう準備をしておいても無駄ではないのではないでしょうか?



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2011年03月15日

心の足場を作る

震災以降、TwitterやFacebookページへの投稿が増えています。
刻々と変化する環境の変化に、僕自身のことばのトーンも日に日に変化しているのが自分でもはっきりわかります。

土曜日にはさすがに自分のことばが素直に出せず、大きく戸惑っていたことがわかります。それに気づいて、外の空気に触れ、感じたままを書こうと思ったのが日曜日。ただ、それはまだ僕自身のなかに宙に浮いたような違和感を残したままでした。

そして、週も明け、仕事に向かった昨日。まずは朝から自分の動揺と不安を残した心と、世の中の見た目には普段とさほど変わらない光景のギャップにショックを受けました。
交通機関の運行状況の乱れが原因で駅は異様なほど大混雑はしていましたが、スーツにヒールにと普段と変わらないビジネス仕様の人ばかり。
こんなことが起きても何も変わらないのだろうか、心に残る不安や恐怖や戸惑いを形に表すことはできないのだろうかと、万が一に備えてタフな格好にタフなブーツを履いて出社に挑んだ僕は逆浦島太郎の気分にもなりました。

そんな気分を抱えたまま、会社のそばで小さな春を見つけたり。

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小さなことも震災以前とはまったく違って感じられる僕がいることに、僕は気づいている。
ただ、その新しい僕がまだ古い僕の心との間にギャップを抱えたままだから、心の足下が固まらず、ゆらゆらと揺れているのがわかるのです。

僕はいま自分が普段以上にTwitterやFacebookに自分のことばを投稿しているのは、この状況にひどく不安で戸惑っているからだと自覚しています。でも、その不安や戸惑いの正体が自分でもよくわからず違和感があるから、その正体をすこしでも突き止めたいと思って、自分の思考や感じたことをことばにしたいと思っています。

ときには自分の心の奥底を思いっきり覗きこんでみることも大事だと思います。そうすることで心に抱えた違和感を有耶無耶にしたまま、バランスを失っていくのを防げると思うから。

ただ、心に奥底を自分で覗きこむのというのは容易ではありません。
だから、奥底を引っ張り出すように、声を吐き出すしかないように僕は思います。

昨日、僕はTwitterにつぶやきました。

「自分の物語は自分にしか語れない。だから、僕は語るよ」と。

いま、社会全体がこの大きなショックを経験して、ことばを失っているように僕は感じています。
ことばを吐く人も、TwitterでReTweetするかのように他人のことばを自分のことばとして代用したり、震災前の古いことばでそのまま語っています。

それでは大きくゆらいだ社会の心の足場が固まらないまま、バランスを欠いて非情に不安定です。もちろん、僕個人がそうであるように、このバランスを欠いた状態はすぐには治らないと思います。
ただ、治癒に向かって、バランスの喪失そのものに向き合わない限り、時が立ったとき、バランスを失ったままの状態で固まってしまうのではないかと恐れています。

そうならないためにも、それぞれが自分のいまに向き合い、ことばを紡ぐことが大事なのではないでしょうか。うつろう自分の心をことばにして見えるようにすること。ことばにすることで自分の心がおった傷、自分自身の不安や戸惑いに気づくことが大事。その道程そのものはゆらゆらと曲がりくねったものでいい。いままで敷かれていたレールは木っ端微塵になったばかりなのだから。
その蛇行する線の集積自体が次の時代の輪郭になっていくのではないかと思うのです。

そう。次の時代の形態形成プロセスを起動させなくてはならないのだと思うのです。

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2010年10月25日

必要以上のポジティブシンキングは他人の目には病的に映ることがある。
とりわけ自己や自己の周りのものに対する過剰なポジティブシンキングというのは情緒不安定に感じられる。
無理してポジティブに振舞おうとせず、ニュートラルでよいだろう。

「鎧」の続き
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2010年06月18日

何も変えなくていい、何もしなくていい

最近、自分のなかで明らかに価値観が変わってきているのを感じます。
何も変えなくていい。無理して何かをしなくていい。むしろ、そうすることがかっこ悪く、おろかなことのように思えるのです。

弱くていい」を書いた頃から、ずっとそれを感じています。1つ前の「お金がないと食べるものさえ手に入らないなんて」も結局はおなじ気持ちからの発露です。

もちろん、その兆候はもっと前からありました。
『フォークの歯はなぜ四本になったか』書評)の解説を書いたときにすでにその自覚が見え隠れしています。その本で著者のペトロスキーは「完璧になった」人工物などありえない、と言っているのですが、それはデザインとは常に新たな欠陥、問題を生む術であるということでもあるということです。

「モノが1つ生まれれば世界が変わる」。
僕はそう解説で記していますが、その変化は良い方向にも悪い方向にも進みます。そして、その変化は実はコントロールできない。その意味では実は人間はデザイン=構想なんてできていないのです。

いや、僕がそういうことを感じ出したのは、もっと以前からです。
すでに『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』を書いている時点で、実は「○○が世界を変える」ということへの疑念がありました。その疑念が僕に「終わりに」で「デザインしすぎない」という文章を書かせていました。

それでも、『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』を書いている時点ではまだ、「いま自分たちが置かれた状況をすこしでも良くしようと思って仕事をしているのなら、その仕事はデザインなのです」と思えましたが、いまはもう、良くしようと思って無理に何かすることがかっこ悪いと思えるようになり、僕にとってはポストデザインの時代です。

僕がこのブログでいわゆるライフハック的なことを書かなくなったのもそういう変化が僕のなかにあったからです。

「何も変えなくていい、何もしなくていい」の続き
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2010年06月16日

お金がないと食べるものさえ手に入らないなんて

お金がないと食べるものさえ手に入らないなんて、実はとんでもなく異常なことではないかと最近思えるようになりました。
必要なものを手にいれるのにお金を払うのは当たり前だろ、と思われる方は多いでしょうが、本当にそうなのかが疑問に感じられるようになりました。

「お金がないと食べるものさえ手に入らないなんて」の続き
タグ:食文化
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2010年06月14日

丸若屋の印伝のiPhoneケース

誕生日プレゼントに丸若屋( http://shop.maru-waka.com/ )の印伝の iPhone ケースをもらいました。

これです。



表から見ると、こんな感じ。



これまでカバーなしの裸の状態で使ってましたが、晴れて裸族を卒業ですw

「丸若屋の印伝のiPhoneケース」の続き
タグ:iPhone
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2010年06月10日

美しい生活を探しに

ここ数日、美について考えている。
何が美なのかではなく、美は人間にとって、どんな価値なのだろうか、と。

美に関することが苦手な人は少なくない。自分には美的センスがないと頑なに信じている人がいる。
どうして、そんなに美を忌避するのだろうか?と思う。
美を感じるセンスは個性だから、教育などを通じて学ぶことはむずかしいともいう。
だが、それは答えになっていない。
美を感じるセンスは僕も個性だと思うが、では、ほかの知力や価値観や行動力はどうなのだと思うからだ。それらも個性以外のなにものでもないが、それらが美に対するような頑なな忌避の態度が示されたり、教育に対する絶望的な見解が示されたのをみたことがないからだ。

明らかに、美に対しては、他のものとは異なる何かが働いている。
そうした否定的な側の態度も含めて、美とは人間にとって、どんなものなのだろうか、と考えているのだ。

さて、当然ながら、こんな問題に最終回答はない。
答えがないと不安になる方には酷だが、そういうものだ。

だが、最終回答はないにしても、答えらしき仮説を紡ぎ出すことはできる。
そのいくつかをここで書いてみたい。

「美しい生活を探しに」の続き
タグ:生き方
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2010年05月17日

ライフスタイル研究会「食文化に関するプロジェクト」1

これまで進めていたライフスタイル研究会もようやく、その活動の方向性が固まりつつある。
前回のミーティングで、台所まわりを中心とした食文化の見直しという観点で方向性を探っていこうとなり、その後、各自が活動の方向性についてさらに深く考えるために自主研究を進めることになったことは、このブログでもすでに紹介済み。

それがだいたい1ヶ月前。その間、僕自身は「台所空間学/山口昌伴」や「火の賜物―ヒトは料理で進化した/リチャード・ランガム」、「食とコミュニケーション」で紹介した柳田國男さんの『年中行事覚書』などの本や読んだり、イタリアの家庭料理について学ぶ機会をいただいたりした。

そうした、それぞれの充電を経て、メンバーが再び集まったのがおとといの土曜日。
それぞれが収集した情報を共有した上で、現在の食文化における問題点とその解決に向けた活動のアイデアをブレインストーミングで出し、KJ法的なまとめをした。
暗い照明のもと、iPhoneでの撮影なのでまったく何かわからないが、その結果がコレ。

20100517a.jpg


「ライフスタイル研究会「食文化に関するプロジェクト」1」の続き
タグ:食文化
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2010年05月05日

際立つ者に

際立つ。際に立つ。
真ん中にぬくぬくといたのではわからないことが、中心を逸れて、際に立つことで見えてくる。

世の中の際。領域/分野の境界。意識と無意識の境目。
自と他の交わり、混ざり合う際で、異質なモノと出会うことから何かがはじまる。逆にいえば、そうした際にこそ、はじまりはある。入学式も成人式も本来そうした際に立つ節目であるからこそ、そこから何かがはじまる可能性をもっていたはずだ。

中心からは何もはじまらない。
中心には予定調和だけがある。そこにいる限り、停滞が唯一の友達だ。

中心は多くの場合、自分である。
自然にしていたら、際からは常に離れていることになる。
だから、際立つためには、意図的に自分から離れないといけない。

「際立つ者に」の続き
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2010年04月30日

文化抜きの人間工学

山口昌伴さんの『台所空間学』からもう1つエントリーを。

前に書いた「姿勢と動作と気分、そして、モノの形」にも関連する、床坐と立ち姿勢と室内空間との関係について。

あるいは生活文化の方面から人間工学というものを再考するこころみのきっかけとして。

「文化抜きの人間工学」の続き
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食文化におけるクラウド

前回書評を書いた、山口昌伴さんの『台所空間学』を読んで感じたことをもう1つ。

それはいまコンピュータ関連の分野では話題になっているクラウドが、実は食文化においてはとっくに実現されているということである。

今更いうまでもなくクラウドコンピューティングにおいては、ユーザーは自分が所有するクライアント側には最低限の環境をもつだけで、必要なサービスはネットワーク(インターネット)経由で利用する形態となるが、それが実は食の分野においてはとっくに実現されてしまっているのだということに気づいて唖然としたのだ。

「食文化におけるクラウド」の続き
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2010年04月27日

計画のスパン

山口昌伴さんの『台所空間学』という本が非常におもしろい。
とにかくこれまで無意識に抱いていた台所観やるれ料理というものの捉え方が非常に狭いものだったと認識させられる。当たり前が当たり前でなくなるのだ。

まだ全部読み終えてはいないが、へーっと感じたことをひとつ紹介することにする。

「計画のスパン」の続き
タグ:料理 台所
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2010年04月22日

食とコミュニケーション

さて、以前にこのブログでも話題にしたライフスタイル研究会のその後。

実は(仮)もとれて、正式に「ライフスタイル研究会」として活動をスタートしている。
活動のテーマとしては、まず第1弾のプロジェクトとして、食やキッチンまわりのライフスタイルを考えていこうとなって、先週の土曜日にキックオフの会議を行った。

その中では、料理とかキッチンということを考える際には「料理を作る」というところにフォーカスするか、「料理を食べる」というところにフォーカスするのかで違いがありそうだねという話をしたり、料理のまわりに人が集まることによるコミュニケーションの形というのを考え直したいねという話になった。

「生の食材を調理(裁断、加熱、調味など)によって、人間が食べられる料理にする場所」というのが僕のキッチンの捉え方であると同時に、「料理を作る」というのは動物にはない人間に固有の行為だと考えている。
「食べる」行為は動物もするが、人間の場合、その前に「料理をする」がある。
その人間固有の作業としての「作る」という行為を考えるのはおもしろそうだと思っている。

また、料理のまわりに人が集まることによるコミュニケーションの形に関しては「シェアハウス」「ルームシェアリング」といった新しい居住形態が生まれつつあるなかで、家族や会社組織などとは別のコミュニティ、不定期に行われる料理を食べる会などでのつながりなど、新しいコミュニケーションが求められてきているようにも感じる。そうしたなかで料理や食とコミュニケーションの形を模索できれば、というのが1つの狙いだ。

次の会議に向け、各自がプロジェクトのヴィジョンを明確にできるよう、いろいろ調べて考えてみるというのが現在のステイタスだ。

「食とコミュニケーション」の続き
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2010年04月10日

最近の料理 2010-04-10

恒例になっていますが、最近つくった料理の写真をランダムに掲載。

まずは春らしく空豆のコロッケ。

20100410g.jpg


普段、揚げ物などしないので、めずらしい。

いっしょに作ったのが鶏肉と新じゃがの白ワイン煮。

20100410b.jpg


いっしょに写真を撮るのを忘れましたが、皿の白と黒のコントラストがいい感じでした。

「最近の料理 2010-04-10」の続き
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2010年03月31日

知っているということの呪縛

抽象的/具体的という軸に対して消極的態度をとる」では、人は文章を読んでも、自分が知らないことはわからないと書いた。
よほど想像力を使って創造的な編集をしながら読まない限り、未知の事柄を理解するのはむずかしい。文章がわかりやすいという場合、知っている事柄が並んでいて、その既知の並びが総合的にみると、知らなかったことを語っているように思える場合だろう。人は知らない事柄を文章をなんとなく読むだけでわかることはできない。

とうぜん、このこと自体、教育とか学習のあり方を考える上では重要な事柄であるのは間違いないが、今日はその話ではない。

今日の話は、では、どうすれば未知の事柄を既知に変えることができるかということと、知っているということの呪縛に人がいかに囚われやすいかということの2点についてだ。

「知っているということの呪縛」の続き
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2010年03月27日

他人の話の意を汲む

他人の話を聞いて、言葉そのまましか理解できないか、言葉で表現された以上に相手の意図を汲めるかどうかの差は大きい。

別に、それは相手の気持ちをわかるという話ではなく、相手が何かをお願いしてきたり、何かを話題にしてきた際に、なぜ相手がそのお願いや話題をいまするのか、なぜこの文脈のなかでしているのかということから構造的・論理的に想像できるかどうかという意味で。

「他人の話の意を汲む」の続き
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2010年03月26日

小鹿田焼の壺と嶋田窯の甕

これまでも持っている民藝の器や木工品などを掲載してきたが、今日はこれ。

小鹿田焼の壺(左)と嶋田窯の甕(右)。



いままでは食器ばかりで大物にはあまり興味をもたなかったのだけれど、2月に先に小鹿田焼の壺を買って以来、民藝の大物の品の魅力にはまっている。

大きさはどれくらいかというと、ブーツと比べるとこれくらい。



ブーツの高さが10インチだから25センチくらい。それよりすこし高さがあるのが小鹿田焼の壺。嶋田窯の甕は蓋込みで24センチで、容量は2升。


「小鹿田焼の壺と嶋田窯の甕」の続き
タグ:民藝
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2010年03月23日

流行りのことばを語るのをやめる

流行りのことば、話題になっている事柄を語るのをやめようと思う。ここ最近は十分にその傾向はあったとはいえ、今後は意識的にその傾向に拍車をかけたい。

流行りのことば、話題の事柄を語るというのは、ある面では他人のことばで語ること、他人の視点で見ることにほかならない。ニュースになっている事柄、ありきたりな言い回しで物事を語ることは容易い。語りのフレームワーク、物事の見方に関する枠組みが用意されているからだ。

もちろん、用意されたそのままを語るのではないにせよ、後だしじゃんけんには変わりない。何を出せばよいかは自分で考えるまでもなく決まっている。そんなじゃんけんは終わりにしたい。

「流行りのことばを語るのをやめる」の続き
タグ:流行 思考
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