情報を理解する/情報を感じとる、あるいは、客観的判断/主観的判断
情報と接する方法には大きく分けて2種類あると思っています。
1つは、わかる・理解するという接し方で、もう1つは、感じる・想像するという接し方です。
わからなくても感じればいいこともあるのかな、と時々、気になる記事のはてブ・コメントを読んだりしていて、その記事に対して「よくわかる/よくわからない」と書いている人を見かけて、ちょっと違和感を覚えることがあります。
その人たちがどういう気持ちでそのコメントを書いているかはわからないので、批評じみたことを言う気はありませんが、なんとなく「わかろうとしすぎ」なんじゃないかなという違和感を感じるのです。
そういう違和感を感じるのは、その記事自体がわかってもらうことを目的として書かれているというより、むしろ読んでくれる人に共感してもらえればOKという感じで書かれている場合です。
もちろん、僕が読んでそう感じているだけですから、書き手は本当は自分の思いに共感してもらうだけじゃなく、自分の考えを理解してもらいたいのかもしれません。だから、理解しようとせず、ただ共感を覚えているだけの僕のほうが誤読している可能性もあるので、「よくわかる/よくわからない」とコメントしている人を批判するつもりなんてないわけです。
ただ、そこでなんでそんなに「わかろうとしすぎるんだろ?」「自分の感じるままでいいのに」と違和感をもつことは事実です。世の中、そんなに理解する必要があることばかりじゃないし、ただ感じさえすればいいことのほうが多いのに、と思ってしまう僕はち…