天才のさまざまな分野の間で実り豊かな類似性を構想する能力
ひさしぶりに進化論(進化生物学)に関する本を読んでいます。スティーヴン・ジェイ・グールドの『パンダの親指 進化論再考』という本です。
その本のなかでグールドがダーウィンの天才について書いている箇所が興味深かったので紹介しておきます。
ダーウィンが自然淘汰説を公言する以前のいくつかの重要な時期についてシュウィーバーが詳しく分析した結果を読んで、私はとりわけ生物学というダーウィン自身の専攻分野からは彼が決定的な影響をうけていないことに気がついた。直接はっぱをかけたのは社会科学者であり、経済学者であり、統計学者だったのである。もし、天才というものがなんらかの公母数をもつものだとすれば、興味の広さとさまざまな分野の間で実り豊かな類似性を構想する能力とを私はまず挙げたいと思う。
スティーヴン・ジェイ・グールド『パンダの親指 進化論再考』
ダーウィンが進化生物学における自然淘汰説を構想するにあたって、マルサスの人口論から着想を得たことはよく知られています。それだけでなくダーウィンはアダム・スミスやオーギュスト・コントなどからもヒントを得ていたそうです。
ただ、それらはあくまでダーウィンが深く進化のしくみについての考察を行いつづけたなかで、既存の生物学の外に出るための遊びとして、異なる領域の知に触れてみたということなのでしょう。
あくまで軸があってこそであり、軸があってそこから外れるからセレンディピティが生まれるのだと思います。