天才のさまざまな分野の間で実り豊かな類似性を構想する能力

ひさしぶりに進化論(進化生物学)に関する本を読んでいます。スティーヴン・ジェイ・グールドの『パンダの親指 進化論再考』という本です。 その本のなかでグールドがダーウィンの天才について書いている箇所が興味深かったので紹介しておきます。 ダーウィンが自然淘汰説を公言する以前のいくつかの重要な時期についてシュウィーバーが詳しく分析した結果を読んで、私はとりわけ生物学というダーウィン自身の専攻分野からは彼が決定的な影響をうけていないことに気がついた。直接はっぱをかけたのは社会科学者であり、経済学者であり、統計学者だったのである。もし、天才というものがなんらかの公母数をもつものだとすれば、興味の広さとさまざまな分野の間で実り豊かな類似性を構想する能力とを私はまず挙げたいと思う。 スティーヴン・ジェイ・グールド『パンダの親指 進化論再考』 ダーウィンが進化生物学における自然淘汰説を構想するにあたって、マルサスの人口論から着想を得たことはよく知られています。それだけでなくダーウィンはアダム・スミスやオーギュスト・コントなどからもヒントを得ていたそうです。 ただ、それらはあくまでダーウィンが深く進化のしくみについての考察を行いつづけたなかで、既存の生物学の外に出るための遊びとして、異なる領域の知に触れてみたということなのでしょう。 あくまで軸があってこそであり、軸があってそこから外れるからセレンディピティが生まれるのだと思います。

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自分がおもしろいと思うことをやって、もっと自分をアピールしましょう

自分のことを認めてもらいたい。それはすくなからず誰もがもっている欲求なんだろうなと思います。 「フラジャイル 弱さからの出発/松岡正剛」でも引用したように、利他的に思える他人へのサービスも本来、もうすこし利己的な面をもっており、<ヒトは、こうした「ふるまい」を抜きにしては生活できないような社会進化をとげているのかもしれず、それを通して何かを伝播させ、授受してきたのだと考えるべき>なんだと思います。 「ふるまい」は自己の他者への自由をもたらしてきた。われわれはこれを社会生活における他人へのサービスだとおもいこんでいるけれど、そうではない。ヒトは、こうした「ふるまい」を抜きにしては生活できないような社会進化をとげているのかもしれず、それを通して何かを伝播させ、授受してきたのだと考えるべきなのだ。 松岡正剛『フラジャイル 弱さからの出発』 裏を返せば、自分をアピールしたければ、<社会生活における他人へのサービス>をもっと積極的に行う必要があるのではないかとも思います。 そういう「ふるまい」をせずに、自分が他人に認めてもらえないからといって、文句ばっかり言ってるのはどうも好きになれません。普通に文句を言うくらいなら、もっとがんばりましょって思います。

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語彙を自分のものにするためには、言葉を私的な物語につなげることが必要

プレゼンテーションはうまくありませんが・・・。 重要なのは単語の数ではないのです。組み合わせです。自分が感じたこと理解したパターン・概念を体系立てて考えていくと、それは言語体系につながって行って最後は語彙に落ちていくと思うんです。 プレゼンがうまくなりたいなら、語彙を増やそう - GoTheDistance うまくはありませんが、積極的にプレゼンテーションしているという身としては、これはとても納得。いや、納得してるのは、元記事が自分だからかw じゃあ、<自分が感じたこと理解したパターン・概念を体系立てて考えていくと、それは言語体系につながって行って最後は語彙に落ちていく>というのは、具体的に何をどうすればそういうことになるのか?というあたりに関して、最近、すこし思っていることを書いてみようかと思います。

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「あれもできる、これもできる」ではなく「あれもできない、これもできない」、しかし・・・

他人の話の文脈をとらえたり、あるいは、自分自身の考えや仕事がどういう文脈にあるものなのかを理解したりするのが苦手な人が多いように感じます。 相手の話や自分の思考の文脈さえ捉えられないのですから、もっと捉えにくい行動のコンテキストはまったくといっていいほど、捉えられません。 でもね、それで困るのは、西林克彦さんが『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』で書いているように、<文脈がわからなければ「わからない」>からなんですよ。物事の読解力に欠けてしまうんです。 僕自身、そんな風な印象をもっているので、書家の石川九楊さんが『縦に書け!―横書きが日本人を壊している』に書いているこんな文章もすごく納得感を感じます。 遠近法の欠如と併せて、距離感のなさも目につきます。たとえば道路を歩いていて人ごみを避けることがうまくできないのか、すぐにぶつかりそうになる若者がいます。さほど混んでもいない電車の中で見知らぬ人と密着していても違和感を持たない。そうした類の例も、よく見聞きします。 石川九楊『縦に書け!―横書きが日本人を壊している』 「遠近法の欠如」とは、デザイン専攻の学生であるにも関わらず遠近法の表現ができない人が増えているという話から来ています。 石川九楊さんは若者の「距離感のなさ」を訴えていますが、僕は若者に限った話じゃないような印象をもっています。比率としては若者のほうが多いのかもしれませんが、「距離感のなさ」は決して若者に限る話ではないはずです。 そして「距離感のなさ…

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くじけちゃいけない

期日が決まっているものに関しては、がんばるだけでは意味がありません。 期日が決まっているものに関しては、いくらがんばろうとも、結果を出さなくては意味がありません。 期日に仕上げること、期日に間に合わせることに意味がある。 一方で、期日がないものに関しては、がんばり続けなくては意味がありません。 期日がないものに関しては、いくら結果を出そうとも、がんばり続けなければ意味がありません。 途中であきらめないこと、情熱を燃やし続けることに意味がある。 この両方がともにできるようにならないといけないんだと思います。 いま必要なのがそのどちらなのかを考えてみること。 それが大切なんだろうと思いました。

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「わかる」ためには引き出しを増やさないと

年末に「創造性を高めるために必要なもの」というエントリーを書いたときにも言いましたが、記憶の引き出しが多いってことがいかに大切かってことを最近身に染みて感じています。 なんで身に染みるかはまたおいおい書くことにしますが、ここで明確にしておきたいのは、自分の記憶の引き出しが多くないと、どんなに「わかる」機会を与えられても「わかった」という結果を得る確率が高まりませんよってことです。 そんなことをあらためて書こうと思ったのは、今日、会社の後輩に、問題解決と問題の定義の効率について質問されたからです。 「ある問題があったときにパッと解決案が出てくるのはなんでですか?」 「引き出しにある過去の経験から引っ張ってくるから」 「でも、どの解決案が適切かを判断するためには、相手が何を問題にしてるかを理解できないとダメですよね」 「そうだね。相手が何を疑問に感じているかとか、困っているかを相手の話から理解しないとダメだね。相手の話を理解するのにも、ある程度、引き出しが多くないとすぐに理解できないかもね」 要約すると、こんな話をしました(すごく要約してます)。

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創造性を高めるために必要なもの

なんだかとってもリスト化しておきたい気分なので。 記憶:知識と経験、そしてボキャブラリ。経験は成功も失敗も含めて。素材としてこれがないとどうにもなりません。そして、これらは多ければ多いほどいいと思う。コミュニケーション:他人とのそれ、自分とのそれの両方の意味で。観察:これがないと問題発見~定義ができません。習慣:リズムといってもよいね。これがあるのとないのとでは創造に必要なスピードに大きな違いが出るんだと思います。意欲:やり遂げようとする気持ちがなきゃダメでしょ、やっぱり。体力:そして気持ちがあってもこれがそれを支えてくれないと意欲も途中で消えかねません。 最後の「体力」があらためての発見。 村上春樹がなんでマラソンして体力の維持に努めているか、ほんのちょっとだけわかった気になっています、いま。 というわけで、創造性の発揮の途中ですが、体力回復のため、一時中断して寝ることにします。 おやすみなさい。   関連エントリー 「創造的な仕事」に求められる7つの作法クリエイティブな仕事とは?その方法とは?デザインの方法:ブルーノ・ムナーリの12のプロセスの考察(d.創造力)創造性は「過去の経験×意欲」という掛け算であらわすことができるリズムを刻む実践的な学習とワークスタイル組織の創造性を向上する技法セレンディピティと創造性:正しいやり方など存在しない

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普通にできることのレベルをあげるための練習

昨日の「「考える」方法を学ぶ」に関する補足です。 物理的なアウトプットのすべてが必ずしも表現の結果だとは限りません。 物理的なアウトプットというと何か頭のなかにあるものを表現することだと思ってしまうかもしれませんが、僕は物理的なアウトプットが必ずしも表現だとは限らないと思っています。 いや、むしろ、身体を通じて物理的につくりだされるものの多くは表現ではないほうが多いはずです。身体は意識を媒介せずに実に多くのものをアウトプットしてくれるんだと思う。 それは表現技術ではなく、また違った身体能力で、「頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない」で引用した原研哉さんのクロッキーの話は、むしろそういう文脈で読まなくてはいけないんだと思います。 最初はやっぱり上手に描こうとしてしまうんですが、反射的に描くのがだんだん楽になってくる。恥ずかしくなくなるんです、描くということが。 原研哉/阿部雅世『なぜデザインなのか。』 ここで「表現ではない」と書いているのは、頭で思い浮かべた意識の写しではないという意味です。頭で思う「上手」な表現として描くのではなく、「反射的に」描くということ。何かをアウトプットしようとするとどうしても上手に表現しようとしてしまいがちですが、普段やりなれていて恥ずかしさも感じないような多くの物理的なアウトプット(例えば、友達とのおしゃべりとか)というのは、むしろ意識を通さずにアウトプットしているはずです。 「「考える」方法を学ぶ」…

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Fw:本当に考えたの?(それは「考えた」と言わない。)

「頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない」でアウトプットを積み重ねることの大事さを書きましたが、森博嗣さんがまさにドンピシャなことを書いておられたのを知ったのでここで転送(元ネタはschtarkさんのブックマークより)。 学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」と言う。「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」と言うと、きょとんとした顔で、「いえ、悪い案も思いついていません」と言う。「考えましたが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないものを見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。 こういうのは、僕の場合「考えた」とはいわないのである。 「いろいろ考えてはいるんですけどね」と言い訳する人には、その「いろいろ考えたものを見せてくれ」と頼む。ところが、たいていは、せいぜいあっても1つしか案がない。1つの案しかないのに「いろいろ」なんて言うなよ、と思う。1つでは選べない。これでは何を考えていたのか、問いたくなる。 MORI LOG ACADEMY: 本当に考えたの? まったくそのとおりでアウトプットが1つもないことを「考えた」とは言いません。できそこないのアウトプットをいくつか並べられれば納得はいくが、なんのアウトプットもなしに「考えました」とか「がんばりました」と言われても、「はぁ?」と思ってしまいます。 言い訳ばっかりやたらと思いつくくせに、肝心な「考え」は1つも出してもらえ…

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仕事のOS:語学力は反復とか記憶以前に感受性

昨日の「ボキャブラリが少なければ他にどんなすごい技術を身につけても仕事はできないのかもしれない」に対するはてブコメントにyumizouさんからこんなコメントをいただきました。 せっかく「わかる」の話なのだから,理解語彙と使用語彙の違いを意識すると面白くなりそう。意味は知っていても使えない言葉は「わかっている」と言えなくて,仕事にも活用できない的な方向とか。 なるほど。理解語彙と使用語彙というのですね。 昨日、あのエントリーを書いているときも意味がわかる語彙と書いたり話したりするときに使える語彙の幅ってイコールじゃないはずだと思っていたのですが、それをなんと呼べばいいか、それについて書けなかったんです。ようするに「理解語彙」と「使用語彙」という語彙が僕の使用語彙にはなかった。これこそ使用語彙が少ないと思考が進まないっていう実例ですね。 Wikipedia「語彙」から引用すると、 「理解語彙」は、見聞きして意味が分かることばの集まりである。一方、「使用語彙」は、自分が使うことのできることばの集まりである。一般に、誰でも、理解語彙のほうが使用語彙よりも範囲が広い。 だそうです。 使用語彙の多さって、僕は言葉のにおいを嗅ぎわける力だとかそういう感性に関係してるんだと思うんですよね。言葉の違いに敏感じゃなきゃ、わざわざ使い分ける必要はなくて最低限の語彙数ですませようと考えるのかもしれませんけど、やっぱり言葉ひとつひとつはもってるにおいが違うんだと思う。そういうことに敏感な感…

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ボキャブラリが少なければ他にどんなすごい技術を身につけても仕事はできないのかもしれない

「語彙が少ないと仕事の能率もわるい?」というエントリーで、ある企業が工場で働いている人の仕事の能率が悪いので国語力のテストをしたら驚くほど語彙が少なく、これはマズいと思い国語教育をすると、その人たちが国語が少し面白いくらいから俄然仕事の効率がよくなったという話をしました。 そのことが昨日、今日と気になっていたのですが、自分で使えるボキャブラリが少ないってのは想像していた以上に致命的に仕事ができる/できないということに関係しているんだなと今日あらためて実感しました。

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速度を速めるとゆっくりできる

あっ、なんかちょっと気がついちゃったかも。 きっと速度を早めるとゆっくりできるんですよ。 何の速度を早めるかって? そりゃ、決まってます。アウトプットの速度をですよ。 これまでも以下のように、アウトプットの速度、効率的な思考や情報収集、スピードアップの秘訣について考えたエントリーをアップしてきました。 間違えを恐れるあまり思考のアウトプット速度を遅くしていませんか?小さなアウトプットの蓄積で完成形を生み出すための5つのプラクティススピードを上げたいなら速度を上げるんじゃなくてスタートを早めることスタートを早めるためには、意図的に過去の経験の蓄積を増やさなくてはいけない普段から効率よく答えを見つけられるようになる方法効率よく情報収集をするために必要な5つの行動 とにかくアウトプットする速度はいくら速めても速すぎるということはないと思います。アウトプットの量こそがものをいうのだと思います。 「間違えを恐れるあまり思考のアウトプット速度を遅くしていませんか?」を書いた際に、そんなことを言っても間違ったアウトプットを出すと怒られる、みたいな意見がありましたが、だったら怒られないようにアウトプットする先を変えたり、アウトプットの仕方自体を変えればいいだけです。 中途半端なものをあたかも最終形であるかのようにアウトプットするから怒られるのであって、むしろ、中途半端な状態を中間報告として出すことに価値があるような形でアウトプットすることを考えればいいわけです。 その意味ではア…

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ゴールがお好き? それともプロセスのほう?

ありがとうという姿勢はいいと思う。ただし、その前提には違和感がないわけではありません。 好きを貫くのもいい。好きを貫いている者を褒め讃えるのもいい。しかし好きを貫いている者であれば、自らの好きを貫くまえに、好きを貫いている誰かを褒める前に、好き嫌いを抜きにして仕事を片付けた方々をねぎらいたいものだ。 ありがとう。 今日もあなたのおかげで好きを貫いていられます。 404 Blog Not Found:好きを貫いている者の礼儀 違和感を感じるのは、何も好き嫌いは仕事に対して感じ追い求めるものではないと思うからです。きっとあまり好きでない仕事をしてる人も、ほかに好きなことがちゃんとあるんじゃないかと思うんです。 まぁ、もちろん、それもない人だって中にはいると思いますが、その人だってもしかしたら生きていくことが好きなのかもしれないじゃないですか(そんなことないか)。

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1つ1つのインプットにこだわる眼力があってこその経験値

うーん。人間ってインプット→処理→アウトプットする機械ではないんだと思うんだけど。 経験値を増やしたいのであれば、場数を増やして自分でやってみるのもいいと思うし、あと色んな人の話を聞くのもいいんじゃないかな。 一つ一つのインプットにとらわれすぎるのはどうかと。 眠る開発屋blog » インプットにこだわっても インプットってそんな機械的なものじゃないでしょう。同じ場に身を置いても、同じように他人の話を聞いても、得られる経験は人それぞれ違うはずです。 それはいわゆるインプットが決して外部の物事をそのまま受け取るという実践ではないからです。同じ物事に接しても人それぞれ受け取るものは異なる。逆に多くの異なるものに接しても何の違いも感じない人だっているでしょう。 つまり、インプットそのものが生成なのです。 インプット→処理→アウトプットをしているのではなく、インプットそのものが処理であり、アウトプットの生成なわけです。 感じるということ自体が生成なのですから、場数を増やすとか、人の話を聞くというのも単に回数を増やしただけではダメで、その場で前とは違ったものを感じ取る感覚自体を研ぎ澄ませるよう、努力しないとダメでしょうというのが先の「スタートを早めるためには、意図的に過去の経験の蓄積を増やさなくてはいけない」の主旨なわけです。

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スタートを早めるためには、意図的に過去の経験の蓄積を増やさなくてはいけない

必要になってはじめてスタートを切るのでは遅い。スピードを上げたいなら速度を上げるのではなくスタートを早めないといけない。 でも、必要になる前にスタートを切るためには、いつスタートすればよいかということを「必要」以外の理由で感知できないといけません。 「スピードを上げたいなら速度を上げるんじゃなくてスタートを早めること」と簡単に書きましたが、実は、スタートを早めるためにはもう1つ、いつスタートを切ればよいのかというもう1つ別の課題があるわけです。

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目利き。

「変人であることは必要ない。普通でいい。」というエントリーに対して、ほりうちさんからいただいたコメントに、「他人どうしの共通点ではなく、違いに目を向けることなのかな、と思います。(中略)他人の違いをちゃんと肯定できれば、一人だけが違ってるってことはないってことが見えてくるんだと思います。」と書いてみて、改めて、ものを見る目、ひとを見る目を養うことの重要性に気づきました。

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変人であることは必要ない。普通でいい。

ところがどっこい、変人である必要すらないのです。 普通であることは必要ない。変人でいいのだ。 普通であることは必要ない。変人でいい。 - 云々(うんぬん) この場合は、外部に指標を置いて「普通」かどうかを判断し、その普通にこだわらずにいることを「変人」としているのだと思います。 確かに外部指標である「普通」にこだわる必要がないという意味では正しい。しかし、それにこだわらないことを「変人でいいのだ」と表現したのでは、いまだ外部の「普通」という指標の有効性を肯定していることになります。 その点で僕は「ところがどっこい」と思うのです。

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スピードを上げたいなら速度を上げるんじゃなくてスタートを早めること

怒涛の一週間が終了。 忙しいというか、とにかくユーザー調査やら社内外でのワークショップ&ブレスト、企画書&見積もり作成、顧客対応やならなにやらで、予定がつまっていて、かなりとっちらかった状態です。 来週以降も引き続き、こんな具合に予定が詰まってるので、できるだけ準備は周到に、イメトレなどもしつつ、それぞれの本番を迎えられるようにしたいと考えてます。 で、こんだけ予定がびっしり詰まってる中でもどうにか回ってるのは、やっぱり何より早い段階から準備だけは整えていたおかげかなと思ってます。 必要になって準備をはじめるのではなく、もっと前から準備しておくこと。 そうしないと、スピードをあげることなんてできません。 これが意外とわかってない人が多いんだと思います。 人だけじゃなくて企業も。 そのことについて、ちょっと書いてみようと思います。

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効率よく情報収集をするために必要な5つの行動

情報が欲しいなら、やっぱ、ちゃんと求めないとダメでしょ。 ただ、欲しいと思うだけじゃなくて、求める行動をしないとダメ。 で、欲しい情報が見つからないといっている人に限って、そもそも情報収集のための行動ができてないんですよね。 こんだけ情報があふれかえってるわけですから、急に必要になったからといって、そこから探しはじめたところでそう簡単には欲しい情報なんて見つかるわけないんです。 必要なときに焦って探しはじめるんじゃなくて、常に情報を求める行動をとっていることが大事だと思います。 じゃあ、その常に情報を求める行動って何ってところをジャストアイデア・レベルで5つほどご紹介。

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