身体の一部としての道具という発想

先日、『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』を紹介した西岡常一さんは「わたしらにとって、道具は自分の肉体の先端や」と言っています。木のクセを知り、そのクセを活かすように木を切ったり削ったりする大工道具は、きっと自分の指先のように木の肌を感じたり、自分の腕のように自在に操れる必要があるのでしょう。斧で足を切らないためには服装もダボダボのものではだめで、足の形がはっきりわかるようなものでない「危のうてしようがないわ」と言っています。 この「道具は自分の肉体の先端」っていう考え、すごく大事だと思うんですよね。先端じゃなくてもいいんですけど、道具を身体の一部として感じ、扱うという感覚が。

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ギリギリの経験が高めるアンテナの感度

ブログを見ていると、たまに書くネタがないとか書いている人がいます。 ただ、それはネタがないんじゃなく、ネタを見つける感性が足りないんだと思うんです。 自分が興味をもって考えることができる、そういうものを日々の生活のなかで見つける感性が育てられていないということなんではないでしょうか。とうぜん、それはブログのネタが見つからないという局所的な問題ではなく、自分を成長させるとか高めるとかいう点で大きな問題だったりします。 ネタが見つからないのは、世界を見る視点、感じる感性を育んでいない自分自身の問題それこそ毎日生きていれば世の中にはブログのネタにできそうなことなんて山ほど転がっています。それが見つけられないというのは視力の問題です。山ほどネタが転がってる世界を自分自身で感じることができずに、貴重なネタをスルーしてしまっているだけです。 ネタとは世界をどう見るか、どう感じるかですから、ようするに世界に目を向けていない、感じていないということだと思います。それは世界のほうに問題があるというより、世界を見る視点、感じる感性を育んでいない自分自身に問題があると考えたほうがいいはずです。 結局、最近、繰り返し書いていることですが、やはり「事象のなかに自分を重ねることができなくて、遠くから見ている」んだと思います。世界に存在し、生起しているいろんなものごとを自分と関連づけて感じることができないのでしょう。 道端に転がる石の声、日常のシステムの軋む音、近くにいる人の無言の嘆き耳を傾ける力がないんだ…

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「機を見るに敏」ってところが足りないよね

僕が他人を見ていて、よく感じるのは「反射神経が鈍いな」ということです。他人の話にパッと反応できないんですね。以前に「最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と」というエントリーも書いていますが、あまりに反応が鈍すぎて会話にならなかったりします。 反応が遅すぎない?会話の場面じゃなくてもそう。街を歩いていると、何か手に持っているのを落としても、「あっ」という、落ちた物をみる、しゃがむ、ひろう、というひとつひとつの動作がすごく緩慢な人をよく見かけます。電車やエレベーターの扉の出入りもそうだし、道を歩いてきた人をよけるのもそう。なんで、そんなに遅いの?って目を疑うことが少なくありません。 動きそのものが遅いというより反応が遅いんですね。他人や自分以外のものの反応が読めないというか、推測できないというか。自分以外のオルタナティブを想像する力が著しく弱いんですね。 「物を見るには物差など持出さずともよい」というエントリーで、人が生きる上で対話力が重要ということを書いたのですが、その対話の前提となる自分以外の他者を想像しつつ、自分の行動をそれにリンクさせるということが苦手なんです。すくなくともその反応が非常に遅いといえます。

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何かやらなきゃ次はない

当たり前のことすぎて書く必要があるのか迷うのだけど、たぶん書いておいたほうがよいと僕の感性がいうので書いておくことにします。 何かやらなきゃ次はない、と。

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どうせやるなら一流を志そう。

まず最初に本文とは直接関係ないところから。最初このエントリーのタイトルは「一流を志そう」ではなく「一流を目指そう」にしようと思ったんです。でも、目で目指すより、心から心指すほうがいいだろうと思ったら、心で指すのには志すって漢字があったんだなーと感心したという話。意志の「志」です。まぁ、なんとなく、それだけ。 では、本題。 仕事で何かしら自分がそれで戦っていける武器となるスキルを身につけようと思うなら、最初のおためし期間は別として、どうせやるなら一流を志すつもりでやったほうがいいかなと思っています。これは昨日の「イメージを形にする力」で書いたこととも関係あるのだけれど、自分がなろうとしているものをはじめにちゃんとイメージし、かつ、その分野での一流になることを志すということです。

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イメージを形にする力

どんな仕事でもそうでしょうし、また、仕事に限らず自分自身の人生を考えるうえでも、イメージを形にするということは常に求められているのではないかと思います。「イメージを形にする」というのは、言い換えれば、「夢をかなえる」ともなりますし、「考えてることを実現する」ということでもいいと思います。 ただ、どんな言い方をした場合でも、そこに求められていることは2つある(あるいは3つ)のだと思います。 1つは、イメージすること(夢見ること、考えること)。 もう1つは、具体的な形にする力(イメージでも、夢でも、考えでも)。 そして、もう1つ加えるとしたら、形になったものが本当に自分がイメージしていた(夢見ていた、考えていた)ものだったかどうかを検討することでしょうか。 これはデザインに絞っていえば、コンセプトを詳細化していく上流設計とコンセプトを実現する方法を考える下流設計に対応するのではないかと思います。あるいは、前者がデザインを引っ張ればニーズドリブンなデザインになるし、後者がデザインを引っ張ればテクノロジードリブンなデザインになるでしょう。

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言葉にするのを恐れちゃいけない。それは自分の財産をつくるために必要だから。

昨日紹介した、養老孟司さんと佐治晴夫さんによる対談集・『「わかる」ことは「かわる」こと』に、いまの学生は自分の考えを言葉にするのを恐れる傾向があるといった旨のことが書かれていました。すでに本を人に貸してしまったので、正確な引用ができませんが、まわりに気を使いすぎるあまり、自分の考えを言葉にすることができないといった内容だったと思います。 もちろん、これは学生に限った話ではないと思います。若い人に限った話ではないと思います。他人と話ができない人は学生や若い人以外にもたくさんいます。ただ、こういうことを言われる対象が学生や若い人なのは、若ければ、まだいくらでも取り返しがつくからなのかもしれません。

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「かわる」つもりがなきゃ「わかる」こともない

人間は図書館じゃない。ましてや、ファイルサーバーでもない。 佐治 あなたは宇宙のことをよく理解していらっしゃるんでしょうけれど、僕から言わせていただくと、宇宙のことを知るということは、宇宙のことをあなたが勉強して知ることによって、あなたの人生がどう変わったかということをもって、知る、ということなのです。あなたは生徒に、授業を通して彼らの人生をどのように変えられるかということを念頭において、地学の講義をしていますか? 養老孟司、佐治晴夫『「わかる」ことは「かわる」こと』 単に勉強して知識を得るだけじゃだめだということです。かわらなきゃ、です。 これは高校で理科の教師をしている人向けの研修会で、佐治晴夫さんがある1人の先生に言ったことだそうです。 単に知識を得るのが勉強じゃない、知識を教えるのが教育じゃないということですね。 それこそ知識を蓄えるだけなら、図書館やコンピュータのほうが向いています。知識が必要なら随時そこにアクセスすればよい。じゃあ、知識へのアクセスがきわめて容易になったら勉強とか教育とか必要ないかというとそういうことにはならないでしょう。 じゃあ、勉強・教育は何のために人間にとって必要なものかといえば、佐治晴夫さんは、「わかる」ことは「かわる」こと、というわけです。 これはよくわかる。

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感じることと考えること

モノや仕組み、ルールなど、すでにできたもののデザインを目にして、時々、「あーこのデザイン、考えられてないな」と感じることがあります。その場合の「考えられてない」は言い換えると、使うシーンや例外的使用のケースが想像ができてないな、イメージができてないなということだったりします。また、経年変化への対応あるいは対象となる量(組織の従業員数とか扱うデータ数とか)の変化を想像せず=考えずにつくっちゃったんだなと思うんです。 うーん、そういう意味では想像力に欠けた人がつくったのかなと疑問に思うデザインのものって多いんですよね。想像力の欠如がそのままデザインの品質に影響しちゃってるし、生活スタイル・ワークスタイルに何の提案力をもたないものができあがっちゃう。ちゃんと考えてつくってます?って感じてしまうんですよね。 考えるというと、普通、すごく論理的な考え方をすることばかりを想像しちゃうと思うんですけど、僕はそこに「絵柄を想像する」「動きをイメージする」「実体を感じる」みたいなことが同時に起こってないと、何かが「考える」ということから抜け落ちちゃうんじゃないかという気がしてます。 何かが抜け落ちた考え方をしちゃうからデザインに抜けが出ちゃうんじゃないか? 想像力を欠いたモノが生まれてしまうのかなって思うんです。

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自分は信じない。人を信じる。

問題をやたらと外部環境や方法の問題に還元して、そこへの自分自身の関わり方自体(コミュニケーション、進め方など)が問題そのものを顕現してしまっていることに気づかずにいる人が多いなかで、こうした姿勢は大いに参考にすべきではないかと思います。 鈴木氏のプロフェッショナルとしての仕事の流儀、それは「自分は信じない。人を信じる。」鈴木氏には、1人の人間が考えていることは、たかが知れているという考えがある。周囲の人間に解決策を求める中で、自分の最初の思いつきを閉まっておくことで、おのずと答えが出る。最終的に自分が思いついたアイディアに戻ってくるのではなく、周囲の意見を取り入れた別の言い方に言い換えてみるということが大切である。 プロフェッショナル仕事の流儀 - スタジオジブリ・プロデューサー鈴木敏夫:First Penguin 問題があれば、それは他人を疑うよりはまず自分を疑うべきだと僕は思っています。他人を変えようとするのではなく、自分が変わることが大切だと思います。 そうであれば、現在の問題を外部の環境のせいにしたり、方法論のせいにしたりはどうもしっくりこない。それは自分の進め方が外部環境を変えたり、道具をうまく使いこなすにはいたっていないふがいなさを反省し、もっとうまくいく方法をとことん考えてみればいいと思います。 壊されたらまた積み重ねればいいその意味で、上記の引用はすごく納得感がある。 ここでの「自分は信じない。人を信じる。」は、もちろん、自分に対して自信をもっていないと…

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誰のための方法?

「PR下手で損してる人(たち)に贈る日々のPRを続ける5つのコツ」のはてブコメントに「自分の仕事を公開するということ。広義のAPI化かな(笑)」ってあった。 言いえてますよね。 自分の用途(アプリケーション)を公開して外から利用可能にするインターフェイスの役目になるのだから、まさにAPI。

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PR下手で損してる人(たち)に贈る日々のPRを続ける5つのコツ

会社でも、個人でも、自分(たち)ができること・やりたいことをうまく外部の人に理解してもらえてなくて損してるよなーと感じることがよくあります。 まわりにもっと自分(たち)ができること・やりたいことをわかってもらえば、いまよりやりたい仕事ができるようになるし、やりたいことをもっと楽にできるようになるのになーと、はたから見ていて感じるわけです。 そういう人(たち)って、一言でいえば、PR下手。 だって、よく知らない相手と仕事するより、多少なりとも相手ができること・やりたいことを知ってたほうが仕事するうえでのコミュニケーションの苦労もずいぶん軽減されるのに、相手に自分のことを知っておいてもらうための事前のPRができない。 誰が何ができるかがわかっていれば、相手はそれが必要になったときにすぐ相談することができるのに、PRをしてないからそういう機会をみすみす逃しちゃってる。 仕事をたのむほうにとっても、たのまれるほうにとっても、事前のPRでその人(たち)が何ができるかがわかっていれば、初期段階の探索コストやコミュニケーション・コストが省けていいと思うんです。

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会社の外でどれだけのことができるか?

風邪が長引いています。とにかく喉がひどくて咳がとまらないのがやっかい。昨日も眠ったと思ったら咳が出て起きてしまったり、そのせいか熱も上がったり下がったりで、なかなか体調がよくならない。 今日は観念して午前中病院に行って喉の薬を吸引したら、喉はすこし楽になった。それでも外出してたら熱が上がってきたので、そのまま直帰してきました。そろそろ治ってくれないとつらいです。 ところで、話は変わって、webdogのジェット☆ダイスケさんのこの話にはすごく共感できたのでご紹介。 タイムカードを押して会社を出たあとも、コスト意識を持ち続けている。特に技術職ともなると、社外のプロジェクトをやるか飲み会に出るか、数年続けていれば差は歴然としてくる。 だから上司と酒飲んで愚痴を聞いたりしてる場合ではないのだ。 これってジェネレーションギャップではなくてワークスタイルとライフプランの違い。 仕事と酒はそんなに関係の深いものですか? - webdog 「ワークスタイルとライフプランの違い」。いいこといいますよね。たまには飲み会に出るのももちろんいいと思いますけど、それはたまには社外のプロジェクトをやってる人であればの話か、と。飲み会だけに顔だしてるだけじゃそりゃだめでしょ。 まぁ、なかには飲み会も社外プロジェクトとも選択肢には入らなくて、タイムカードを押したあとは終電に乗って(あるいはタクシーに乗って)家に帰って寝るくらいの時間しかないっていう人もいるかもしれませんが、それはそれで問題ですよね。そ…

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その仕事に何が求められているかを明確にするためのスキルと方法

いろんな現場でいえることだと思いますが、なにか新しい仕事(プロジェクト)をはじめる際には、その仕事には何が求められているかをきちんと明示しておくことが大事だと思います。 ひとことでいえば要件定義です。 ただ、要件定義とひとことで名詞でいってしまうと、なぜそれが必要なのかが見えなくなります。機械的に要件定義と呼ばれているものを満たそうとする。要件定義をするにはそれなりに理由があるのですが、その理由のことなどは頭の片隅でも考えないまま、ただ要件定義と呼ばれる作業を機械的にこなすだけになったりします。それではダメです。 では、要件定義をする理由とはなんなのか? 1つには、多くの仕事がほかの大きな仕事の一部だったりするからです。 B2Bの業務委託型のビジネスから消費財の製造・販売まで。自分のやった仕事がほかの誰かの仕事のインプット・素材として使われることは多いはずです。自分の仕事が相手の仕事の出来を左右することもある。だから、相手はあなたの仕事の出来/不出来に文句もいえば賛辞を呈することもあるのです。 そうであるからこそ、自分の仕事に何が求められるかは、相手がそれを受けてどんな仕事をしようとしているかでほとんど決まってきます。何を自分の仕事のアウトプットとして最終的に提示するのかを最初に相手と握れていなければ、あとで双方とも困ることになる場合もあるでしょう。

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不勉強さの自己検証

学ぶ必要があるのに学ぼうとしないこと。 覚える必要、できるようになる必要、理解する必要があるのに、そのための勉強を怠ること。 いや、本人には怠っているつもりはなくても、本を読んだりセミナーに顔を出したりするだけで自分は勉強しているというつもりになってしまうことはあるでしょう。 本人はそんなつもりはなく、むしろ自分はやっていると思っているのに、結果として不勉強丸出しで、役に立たなかったり。 どうして、そんなギャップが生まれてしまうんでしょうか。

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自分の基盤を考えながらつくること

昨日の「最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と」に関連した話ですけど、勉強をするのにも、情報収集するのにも、自分の基盤となるものがないとダメだと思っています。 普段からどれだけ自分なりの問題意識をもって物事を考えているか、何かをインプットする場合に自分の基盤になるものと照らし合わせてそれがどのような関係にあるか、ということです。 基本ができていれば、同じようなことを考えているほかの人のアウトプットをみた場合でも、どのような考えでそういうアウトプットをしたのかがパッと見でもなんとなくわかります。絵が浮かぶはずです。 即座に絵が浮かぶから、それをベースに応用することもできる。つまり、アウトプットが早いんです。 もちろん、その時点では借り物ですので、それを再度自分のものにするためには何度も使うなりして自分の身に染み込ませる時間がかかります。でも、それはまた別の話。最初の反応としてのアウトプットは拙速でよいと思います。いや、拙速でないといけません。 そういう繰り返しが自分の基盤づくりに役立ちます。

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最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と

これは単にブログの問題というだけじゃないですね。 旬のネタに(火がつく前に)すばやく言及するには、大きく分けて3つの能力が必要だ。 ホットな話題にリアルタイムでからむブログ力 - すちゃらかな日常 松岡美樹 松岡さんは、<タイミングを逃さない>ために必要な<3つの能力>として、 アンテナ力オリジナリティフィルタリング力 を挙げてらっしゃいます。 また<火がつく前に先を読む>力が必要とも。 僕は<火がつく前に先を読む>ためにも、<タイミングを逃さない>ためにも、結局、普段からどれだけ仮説をもっているのかが重要だということかと思っています。 自分の文脈がないと、目の前のヒントにもなかなか気づけないのではないか、と。

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自分の視野を広げるためにも他人の意見には耳を傾けなきゃ

「判断力は情報デザイン力、物語化の能力」や「何が起こっているのかわからない状態を脱するための9つの工程」では、判断力を高めるためには情報デザインの方法を知っているとよいですねと書きました。 手持ちの情報を整理し、足りない情報は調査で補完する。集めた情報を分析的に構造化し文脈を知る。物語化する。 判断するためにはまず問題がわかる・理解することが必要ですが、それができないために判断ができない場合が多いのでは、という内容でした。 いったん視野を広げて問題の構造を把握したうえで、適切な解決策を絞りこんでいくわけですよ。

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判断力は情報デザイン力、物語化の能力

昨日も「何が起こっているのかわからない状態を脱するための9つの工程」で書きましたが、判断というものは情報デザインの一種です。 結局、最後には手持ちの情報を整理し、その整理のしかたに含まれるロジックとそこから垣間みえる創発的な発見によって、しかるべき回答を導きだす。その一連の作業を判断と呼ぶのだと僕は考えています。

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何が起こっているのかわからない状態を脱するための9つの工程

仕事でなにかしら問題やもめごとがあるようなんだけど、ただ正確には何が起こっているのかわからないときには、たとえば、こんなことをやってみるといいでしょう。 まずは目の前の状況を整理する自分の立場を考える関係者が誰なのかを把握する目の前には見えていない情報を集める集めた情報を整理して、何が根本的な問題であり、それに紐づくサブ的問題にはどんなものがあるかを階層化して、問題の構造をみえるようにするしかるべき判断あるいは問題解決のプラン作成を行う判断もしくはプランを実行する問題が解決されたか、あるいは解決されそうかを確認するダメならどこに障害が残っているのかを確認し、プランを修正しそれを実行する 勘がいい人ならこのリストを見て気づいたかもしれませんが、ようするに、何をやればいいといっているかといえば、"情報デザインをすればいい"といっています。 問題の発見~解決なんですから、それはデザインであり、日々の仕事のなかで判断が必要とされるような問題であれば、その問題を明確にし解決するための一連の作業は情報デザインと呼んでいいのではないかと思います。 つまり、日常における複雑な判断というのは基本的には、情報デザインの方法が身についていればそれほど苦労せずにできるはずだと思います(その意味で、情報デザインは誰もが身につけておいてよいスキルだと思いますが、それはまた別の機会に)。

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