2009年08月19日

わからないことへの耐性

世の中、全体的にわからないことへの耐性がきわめて低くなってしまっているのではないでしょうか。

自分の目の前に何らかのわからない対象が存在すると、無視するか、その対象を差し出した人に対して苦情をいうか、あるいは、わからない自分をただひたすらダメだとレッテルをはり殻に閉じこもってしまうか。いずれにしても、わからない対象をわかってやろうという姿勢が長く保てる人はいないし、すぐにわからないまでもいつかわかってやろうと心に留めておける人もすくないのではないかという気がしてなりません。

「わからないことへの耐性」の続き
ラベル:わかる
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2009年08月09日

自分自身の心の動きの正体にこだわってみる

最近のワークショップなどの講義では「誰のせい?」という話をすることが多いです。その話の最後には「誰のせい?」かを問う姿勢とは別に、「仕方がない」という受け止め方があることを指摘しています(例えば、突然雨が降って来て濡れてしまうのは「誰のせい?」ではなく「仕方がない」)。



ただ、それ以前に問題を自分自身が関わる問題として受け止められるかということがあるのかもしれません。
問題を他人事として受け止めることができない。自分自身の問題として受け止められない。他人のよくないところを見つけることはできるのに、自分のよいところを見つけられない。いや、そもそも自分自身に向き合うことができず、自分が何を言っているのかを考えようともしない。考えることから逃げてしまう。
そういう姿勢に自分自身が陥っていないかどうか。

「誰のせい?」と責任の所在を外にばかり求めるのではなく、逆に他人の問題をも自分の問題として受け止めることからはじめるべきかもしれません。
何らかの対象に対して「それは違う」とか「これは問題だ」とか感じたら、それは単にその対象が一方的に悪いわけではなく、あくまでそう感じとった自分自身の価値観との共犯関係において悪いわけですから。
対象とともに共犯関係にある自身の解釈という心の動きの正体にこだわってみることができるか/できないか。そこに何かをつくりだしていく人と、傍からただ文句ばかり言い続けていく人の分岐点があるのかもしれません。

「自分自身の心の動きの正体にこだわってみる」の続き
ラベル:間違い 傍観者
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2009年08月07日

どんなに拙い価値観でも、自分自身の価値観を育む努力を怠らないようにする

自分で爪弾くギターの音色、自分で作った料理の味、自分で描いた絵の出来ばえ。その音、その味、その色形を、自分自身で評価できなければ、それがうまくできたかどうかは判別できません。
音や味や色形がどうも自分の思った通りのものでなければ修正するし、なぜよくないかを考えてうまくやる方法を考えるのではないでしょうか。

自分の行為の結果としてのフィードバックを受け、人は自分の行為を反省し、その反省を次の行為のために活かすことができる。それはフィードバックを正しく評価する耳、舌、眼があって、はじめて可能になるループです。

言い換えれば、それは自分が何を求めていて、何のために行為を行っているかがわからなければ、自分自身の行為さえ評価ができないということでもあります。

「どんなに拙い価値観でも、自分自身の価値観を育む努力を怠らないようにする」の続き
ラベル:価値観 好み 方法
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2009年08月04日

間違いを犯すなら自分サイズで

早く多く間違えよう」へのブックマークありがとうございます。
今回はちょっと補足のエントリーを。

今回もそうですが、間違える云々について書くとき、間違えられる環境であればとか、間違えてもいい場合であれば、といった限定つきで、間違えながら学ぶことへの肯定の意思を示す人がいます。

間違いの粒の大きさ

でも、それは僕が考えていることの意図とはちょっと違うんです。

何が違うかって、そういう人がイメージする間違いは粒がデカすぎるんです。
そんな粒の大きさで間違ったら、そりゃ、ちょっとやばい場合もあるよねって思えるような間違いの大きさを想定しているように感じます。

でも、僕が「早く多く間違えよう」という場合に想定している間違いというのは、もっと小さな単位の間違いです。いや、些細なことすぎて本来間違いとはいわないサイズのものです。

たとえば、
  • 料理で塩加減の調整をする際に「どうかな?」と味見をしてもらって「もうちょっと入れてもいいんじゃない」といったやりとりをしたり
  • 同僚に「ちょっとそれ取って」といわれてデスクの上のハサミに手を伸ばしたら「違う違う、糊取って」といわれたり
  • KJ法で情報を単位化して書きだした際に「これ2つの事柄が混ざってるから、2つに分けたほうがいいんじゃない」といわれたり

といった、そんな些細な間違いを想定しているんです。

つまり、コミュニケーション上のちょっとした食い違いであり、その補正をイメージしています。

逆にいえば、そのレベルでの他人との些細な食い違いに気づくことができる感覚をもちあわせていない人が、実は、日常的な他人とのコミュニケーションギャップに気づかないまま、自分勝手な思い込みで物事をすすめてしまい、もっと後になって取り返しのつかない間違いを犯してしまうんだと思うのです。

「間違いを犯すなら自分サイズで」の続き
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2009年08月03日

早く多く間違えよう

土曜日のデザイン思考のワークショップで、また1つ気づきがありました。
それは「早く多く間違えると、進展は早い」ということです。

今回のワークショップでも、例によって2チームに分かれて、それぞれおなじ課題をやってもらいました。
大抵の場合、そうなるのですが、どういうわけか、2チームに分けると片方の出来がよく片方がわるいという結果になるんです。なぜだかわからないんですが、大抵はそういう結果になる(これが3チームだとそうならない。なんでだろ?)。

ところが、土曜日のワークショップでは、いままで以上に2チームの差が大きかったんです。それは片方がいままでと比べて著しく出来が悪かったからではなく、片方がこの手のワークショップをやって以来、はじめてというほど、出来がよかったからなんです。悪い方はまあ平均的だったのですが、よい方が圧倒的によかったので、その差が目立ってしまいました。
だって、最後に感想を聞いた際に出てくるコメントが、いままで一度も出てきたことのないようなハイレベルの理解がなされた上でのコメントばかりでしたから。あー、うまくいくと、たった一日でもここまでいけるんだと目から鱗でした。

そこで、その出来のよかったチームって、ほかのチームと何が違うんだろうと考えたんですが、実はその答えは「ほかのどのチームよりも数多く間違えてた」からなんです。

「早く多く間違えよう」の続き
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2009年07月29日

20%は未知の領域へのチャレンジに充てる

折口信夫さんの『古代研究』(1.祭りの発生)を結構苦労しながら読んでいます。

とにかく文字のない古代をテーマに、古語を相手にした、大正時代に書かれた本ですから、はっきり言って読みやすいとはいえません。それでほかの本を読むのと違って時間がかかる。いったんは読むのを中断したりもしました。

ただ、だんだん読み進めていくうちに、徐々にですが読むコツがわかってきます。書かれている内容の理解もすこしずつ進んできます。そうすると、自然と読むのが楽しくなってくる。徐々にですが、読むスピードもあがってきます。

「20%は未知の領域へのチャレンジに充てる」の続き
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2009年06月23日

ひらがなで、ほうほう。

つくってはならべてひかくする。
つくってはならべてひかくする。
を繰り返す。

ただ、それだけのこと。

そのならべかたになまえがつく。
ひかくする方法になまえがつく。

ぺるそなだとか。ぷろとたいぷだとか。
あーだの、こーだの。

なまえ。なまえ。なまえ。

なまえなんか重要じゃないのに。

なまえがつくとうごきが止まってしまう。
かたまってしまう。

ならべてくらべてつくったとおもったら、くっついちゃって、
それをまたどうにか分けてならべる。
でも、ならべるとまたくっついちゃって
違うかたちになる。

それがたのしいのに。
なまえがそれをじゃまをする。

あー、またかたまってるよ。

固くなると最早動かない。
頭は働かない。
頭が動かない。
フリーズ。

あたまなんて、もともとつかうものじゃないのにね。
あたまなんて勝手にうごくものなのに。

つくってはならべてひかくして、
つくってはならべてひかくしていれば、
あたまは勝手になにかをみつけてくれる。

それはなにかとつながりたがっているのだから。

やわらかな、りんかく。



関連エントリー
ラベル:方法
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方法依存症2

どうしたらいいかと思うようなことは、たぶん、どうもしなくていいことか、どうにもならないことなのだと思う。
逆に、どうにかしなくてはいけないことなのだとしたら、どうしたらいいかなどと考えているひまがあったら、とっととやったほうがいい。

どうも考えるということを誤解している人が多いのではないか?
実行のともなわない思考はただの時間の浪費でしかない、というのに。

「方法依存症2」の続き
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2009年05月19日

特急列車はなぜ早いか?(その仕事はなぜ遅いか?)

特急列車はなぜ普通列車より早いのか?
途中停車駅がすくないから。ですよね。

では、なぜ途中停車駅がすくないのか?
それは早く進むために、そう決めたから。ですよね。

じゃあ、なぜ君たちの仕事は遅いのか?

「特急列車はなぜ早いか?(その仕事はなぜ遅いか?)」の続き
ラベル:仕事 効率
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2009年05月01日

アウトプットができない人がまずやるべき3つのこと

これも立派な意見だと思うんですが。

さて、問題は、自分の意見がない場合だ。そういう場合も当然意見が少なくなる。自分はどちらかというとこちら側にあてはまるかもしれない。おそらく何を考えればいいのかがぶれてしまうのだ。

意見をいわなくてはいけないとか、むずかしく考えすぎてるんじゃないでしょうか?
そりゃ、時が来れば自分の意見を求められる場面もあると思いますけど、アウトプットを増やさなくてはいけないのは、そんなタイミングじゃないんですね。もっと前、ずっと前の段階です。自分の意見を言わなきゃなんていう最後のタイミングのことばかり考えちゃうから間違うんですね。

むしろ、アウトプットができない人がまずやるべきなのは、相手が話しているあいだの自分のインプットを増やすことだと思います。
ようは次の3つ。

  • オウム返しをする
  • 質問をする
  • 相手の話の良いところをほめる

ここでいう相手は、あなたに何か課題をあたえる人でもいいし、何かを教えてくれる人でもいいし、単なるおしゃべりの相手でもいいと思います。
とにかく相手が話していることに対して、上記3つのことをするのです。もちろん、タイミングが悪かったり、相手の話の腰を折ったりしたらダメなのはわかりますよね。そうならないよう、うまくタイミングを見計らって、上記の3つができるようになることです。
自分の考えをまとめるなんてのは、それをやったあとのことです。

「アウトプットができない人がまずやるべき3つのこと」の続き
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2009年03月21日

稽古不足

やっぱり稽古が足りないのではないかと感じます。過去に学ぶという姿勢が足りず、自分たちの現在を過去につなげて考える姿勢が乏しいように思います。



  • 稽古の「稽」は「考える」という意味です。
  • 「古を考える」「昔のことを調べ、今なすべきことは何かを正しく知る」が、漢語「稽古」の原義だといわれます。
  • これは常に新しい時代よりも古い時代のほうが優れていたと保守的な考えをもつ中国ならではの姿勢だと感じます。

「稽古不足」の続き
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2009年03月10日

型とオリジナリティ(あるいは「他者の経験から学ぶ」)

昨日の「テキスト情報過多の時代に人は何を感じるか」の続きとして。



ことばは人間の感覚をバラバラに分解してしまいもするが、それを再びつなぎとめるのもことばだったりします。
たとえば、『古今和歌集』にもこんな歌がある。

折りつれば袖こそにほへ 梅の花ありとや こゝに鶯の鳴く
よみ人しれず

枝を折った際に袖に香りが移ったのか、花はここにはないのに花があるかのように鶯が鳴いている、という歌。梅の香(嗅覚)と鶯の声(聴覚)が結び付けられることで、その情景に欠けた梅の花(視覚)を想起させている。

「型とオリジナリティ(あるいは「他者の経験から学ぶ」)」の続き
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2009年03月05日

方法依存症

方法論の収集ばかりに明け暮れている人を、仮に方法依存症と名づけてみたい。
方法依存症に値するもうひとつの条件は、方法論を収集している割にその方法を使ってうまくいったことがすくないということである。
これはもったいない。意欲があるのに空回りしてしまっているのだから。
そこで、このことについてちょっと考えてみた。

まず、そのことを考えていくにあたって、方法を区別してみる。
形式知化された方法と暗黙知的な方法に。

「方法依存症」の続き
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2009年03月04日

人的資源の生態学的問題

最近、このブログのエントリーの人気の傾向ははっきりしていて、歴史系民俗学系のエントリーはことごとく無視に近い状態にある一方で、「読解力」だとか「問題解決」だとか、「行動力 」、「フレームワーク思考」などといったライフハック系とも呼べるようなキーワードが含まれるエントリーには割と恒常的に人気があるように感じられます。
こうした傾向は以前からあって、昔のエントリーでも「粘り強さ、継続性」とか「アウトプット速度」とか「PR下手で損してる」とか「」なんていうフレーズがタイトルに入っていると人気は得やすいようです。

「人的資源の生態学的問題」の続き
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2009年02月07日

すべての現象のなかに自己を証かす

自分の好みを知るということが結局自分を知ることなんだと思う」や「頭で考えるのではなく、身体で直観する」で、いろいろと書いてみたものの、結局のところ、「自分を知る」ということなのかもしれない。



様々な現象のなかで様々なものを感じ取っている自分を現象の只中において知るということなのだろう。

自我によってすべてを認識しようとするのが迷いなのだ、諸々の現象のなかに自我の在りようを認識するのが覚りである。
道元(石井恭二訳)『現代文訳 正法眼蔵1』

僕が「直観」と呼んだのは、道元のいう「覚り」に近いものなんだろうと感じます。ただ単に感じたままの感覚を「直観」と呼ぶのではなく、自分も含めてあるがままの現象とその現象を感じとっている過去にも未来にもつながった自分を認識することを僕は「直観」と呼びたい。

「すべての現象のなかに自己を証かす」の続き
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2009年02月06日

頭で考えるのではなく、身体で直観する

どうしたらいいか?と考え悩むのではなく、あるがままにまずは受け止めてみることが大事なんだろう。

それはまったく「考えない」ということとはちょっと違う。
考えないようにするといってもそもそもむずかしい。ただ、おなじ考えるにしても、すぐにどうしたらいいか?と結論を急ぐのではなく、まずはあるがままをじっくり感じ取るということをしてみるのがいいのかもしれない。

「頭で考えるのではなく、身体で直観する」の続き
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2009年01月23日

視野は広くを意識して

僕もそれが「楽しい」と思います。

私は「面白い」と感じたら何でも顔を突っ込み、手を出してしまう。いつの間にか熱中している。「面白い」と感じる、「興味を持つ」という行為のハードルがとても低いのだろう。こうやって好奇心旺盛で生きていくのは、時に体力気力がついていかなくて疲れると感じることもあるが、やっぱり楽しい。

前にも書いたけど「疲れる」よりも「憑かれる」がいいよね。何かに取り憑かれたように好奇心を揺さぶられる感じがいい。

そもそも「疲れる」は「憑かれる」が語源だそうです。
「憑く」も「着く」も「付く」も「就く」も、みんな「ツキ」のファミリーだそうです。ツキがあるとかないかという「ツキ」。そして「ツキ」は「月」です。

月に憑かれてツキを自分の側に手繰り寄せたいじゃないですか。そのためには好奇心旺盛のほうがいいと思う。楽しいと思います。

「視野は広くを意識して」の続き
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2009年01月16日

「ちがう」という時代に「同じ」をさぐる!

デザインとは「生活文化をつくる仕事」だといったのはドイツで活躍するデザイナーの阿部雅世さんです。原研哉さんの対談『なぜデザインなのか。』のなかでの発言でした。最近、読んだ『かくれた次元』では「人間は文化というメディアを通してしか意味ある行為も相互作用もできない」というエドワード・ホールの言葉もありました。

文化というのはいったい何だろう?
そんなことを思いながら、もっと文化というものに関して様々な人の見方を知っておこうという活動の一環として、いまは網野善彦さんの『無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』を読んでいます。

いまでは穢れや貧窮など負のイメージがつきまとう「無縁」や「公界」という言葉の背景に、かつては人間の本質的な自由につながる「無縁の原理」が存在したことを解明したことから、中世史の流れを切り拓いた画期的な論考といわれる一冊です。「芸能の多くは「辻」と「道」と「門」とで発達してきたという説がある」と『フラジャイル 弱さからの出発』で松岡正剛さんが語ったように、世間から縁の切れた無縁の場では、様々な芸能民や職人たちが行き交い暮らしており、納税や通行料の支払など様々な義務から解放された自由があったといいます。

「「ちがう」という時代に「同じ」をさぐる!」の続き
ラベル:共同作業 議論
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2009年01月13日

本はむずかしいくらいがいいのかも

最近ひそかに思ってること。それは本ってむずかしく感じるくらいのほうが読む自分にとっては価値があるのかもっていうことです。

むずかしさを感じるのは、それだけ読む自分の側に知らないこと、考えが及ばないことがあるということだと思います。単純に言葉を知らないとか、登場してくる人や物事について知らないとか、書かれていることの背景について知らないとか、いろいろありますよね。あるいは、著者の頭のなかにあるもの、文章として表現されている内容が複雑すぎたり、高度すぎたりして、いまの自分にはわからないというケースもあります。



「本はむずかしいくらいがいいのかも」の続き
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2009年01月07日

フレームワーク思考からの脱出

昨日の「ひらめく発想のマネジメント力」の続き。
そこでも書きましたが、僕はいま何かを思考し発想するためには少なくとも2つの障害を取り除く必要があると思っています。

  • 物事を既存のフレームに当てはめて考えてしまうこと→脱フレームワーク思考
  • 情報やものが多すぎる、余っていると考えること→博物学的蒐集のすすめ

このうちの「脱フレームワーク思考」について、書いておきます。

「フレームワーク思考からの脱出」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 09:33| Comment(0) | TrackBack(1) | ライフハックス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする