抽象的/具体的という軸に対して消極的態度をとる

「知らないのは名詞だけではない」で、本などを読んで書いてあることがわからないのは、必ずしも書かれた文章の問題ではなくて、そもそも文章で表現されている事柄を読む側が見たり体験したりしたことがなく知らない場合もあるだろう、ということを考えた。 その場合、文章によって何かを伝えるというのは、読者が知っていることに関して伝える場合よりも困難さが増す。相手が見たこともないものを認識できるようにしたり、理解できるようにするのはむずかしい。そのむずかしさは必ずしも文章表現だけの問題ではないだろう(文章表現によって伝わる可能性が高まる可能性はあるにしても)。 そして、これは文章表現に限らず、道具や機械、あるいはその機能の一部に関しても同様のはずである。 見たことも体験したこともない道具や機械、機能-つまり、相手にとって新奇な道具や機械、機能-を認識、理解してもらうことは、すでに類似した道具や機械、機能が認知されたものを理解してもらうよりはるかに困難だということだ。 極端な言い方をすれば、人は知っていることしかわからないのだ(もちろん、それは人それぞれの想像力の度合いによって変わってくる)。

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知らないのは名詞だけではない

普段読まないジャンル/カテゴリーの本を読んでいると、知らない固有名詞がたくさん登場して、なかなか読み進められないことがある。 特に海外の文化を扱ったものは、人名や地名に馴染みがなく、イメージがわかない。 それ以外にも馴染みのない分野の本を読むと、その分野の専門用語が登場して何を言ってるのかわからないこともある。かといって専門用語を使うのは、内容をわかりにくくするからよくないなどとは思わない。専門用語がわからなければ自分で調べればよいからだ。 例えば、そのわからない用語を調べるために、別の本の力を借りる。そのことで読む本が増える。 それが本来読書の楽しみのひとつだったのではないだろうか。 過度に平易なことばばかりを使った本や、簡単にわからない用語を調べられるインターネットはそうした読書の楽しみを奪っているように思う。

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有効さ、効率、満足度

ユーザビリティの分野ではデザインを、 有効さ効率満足度 の度合いで評価します。 ISO9241-11にそう書いてあるからです。 特定の利用状況において、特定のユーザによって、ある製品が、指定された目標を達成するために用いられる際の、有効さ、効率、ユーザの満足度の度合い。 ちなみにそれぞれの説明は以下。 有効さ (Effectiveness): ユーザが指定された目標を達成する上での正確さ、完全性。効率 (Efficiency): ユーザが目標を達成する際に、正確さと完全性に費やした資源。満足度 (Satisfaction): 製品を使用する際の、不快感のなさ、及び肯定的な態度。利用状況 (Context of use): ユーザ、仕事、装置(ハードウェア、ソフトウェア及び資材)、並びに製品が使用される物理的及び社会的環境。

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感謝の気持ちと他人の目

ここ数ヶ月間忙しい日々が続いていましたが、この1週間が終わってようやく峠を越えたようです。精神的にもかなり緊張した状態がずっと続いていましたが、やっとほっとした気持ちです。これからほったらかしにしてしまっていた執筆作業もはじめようか、と。関係者の皆さん、お待たせしていてすみません。 そういえば、さっき浅野先生のブログにおもしろいことが書いてあるのを見つけました。 この夏あたりからブログを始めた連中が息切れしてきたようである。ブログの更新というのは、手間よりも常に自分の行動や思考を他人の目でみているかだと思う。 情報デザイン研究室 | カホちゃんの消息 「常に自分の行動や思考を他人の目でみているか」。納得です。 この数カ月、余裕のない中でもなんとかブログを書き続けたのって、まさにこういう視点が僕自身にもあるからです。逆に忙しくて気持ちの余裕がないときだからこそ、自分の思考を客観視できるようアウトプットしておくことで自分のバランスを保っておこうという気持ちが強かった。忙しい分、内容はいつもに比べてアレでしたが、それでも息切れしないためには逆に走り続けるほうがラクだと思うんです。 現代は面倒を避けすぎています。面倒なことはまた、それをやると気持ちのいいことでもあります。面倒を避けると、気持ちよさも少し失います。 内田繁『茶室とインテリア―暮らしの空間デザイン』 外から自分を見つめられる目を置くというのは、まぁ手間がかかるといえばそうだし、面倒といえば面倒なんですが、なんだかん…

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頭のなかの知識の流れを外のモノに置き換えることのむずかしさ

先日、「WHATとHOWのあいだの"溝"」で書いた、「人間のアルゴリズム」(思考)と「コンピュータのアルゴリズム」(計算)のギャップを埋めるためには、ユーザーインターフェイスの役割というのはとても重要です。 これをいかにデザインするかによって、ソフトウェアのユーザビリティ(使えるか、使いやすいか)は大きく変わってきます。

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WHATとHOWのあいだの"溝"

忙しい。なんとなく10月中はまともにブログを書く時間もとれそうにないなという予感がします。 とはいえ、まともではないにせよ、何かしら書いていくことで、思考の軌跡くらいは残しておきたいな、と。 というわけで、ちょっと雑ながら今日も1つ書いてみようか、と。 今日書くのは以前に「iPhone/iPod touchと自転車のデザインの違い」として書いたことに近い話。ある意味では、インタラクティブ・システムのUIデザインにおいて何故、人間中心設計が必要かという肝の部分の話です。

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それ、何のためにつくってるの?

誰のために、何のために、つくるのか? これは何も最終的な製品・サービスに関してのみ、問われる問いではありません。 例えば、設計図。これは最終的な製品を実制作、実開発する人が制作・開発が行えるようつくるドキュメントでしょう。 例えば、サービス・マニュアル。これは実際にサービス提供を行う人が正しい形でサービスを提供できるようにするためにつくるものでしょう。 人がやらなくてはいけない多くの仕事の成果は、ほとんどの場合、自分以外の誰かの要求をかなえるためのものです。 であれば、とうぜんながら、誰のために、何のために、つくるのか?という視点は必要になるはずです。 「なるはずです」と書いたのは、そういう視点がなく、行われる仕事、つくられるドキュメントが多いと思うからです。

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定量/定性の垣根を越えて全体的な調査~デザインの設計をする

あー、これわかるなー。そして、本当にもったいない 定量調査と定性調査はどっちも専門分野なのでわかれがち、偏りがちという印象がある、という話。UCDな分野では統合されているだろうけど、現場では別れている。 (中略) どちらかがより効果的ということはなく、組み合わせてはじめてできること、はじめて出る効果がある。だが実際の現場としてそれらをバランスよく配分できていることは本当に少ない。 学術的な何かを現場におろしたい | 云々(うんぬん) 堀内さんは、「UCDな分野では統合されているだろうけど、現場では別れている」と書かれてますけど、むしろ、分かれている原因は学術的な方面にある気もします。UCDな分野でこそ、定性と定量を的確にミックスして全体のディレクションができる人がいないし、その方向性を示している資料や本も少ないですし。 僕は逆に学術的なほうへの期待はしてなくて、現場がどんどん領域を越えて結果を出していけばいいんじゃないのって思ってます。現場のほうがはるかにフットワークは軽いので。

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ユーザー中心設計における行動分析の重要性と、分析不在のペルソナの危険性

昨日の「業務システムのユーザビリティ」でも紹介しましたが、いま川床靖子さんの『学習のエスノグラフィー』を読んでいて、あらためてユーザー調査後のワークモデル分析の重要性を感じています。 語ること、行うことは、あるコンテキストの中でそうすることであると同時に、あるコンテキストを構成するという二重の行為である。 川床靖子『学習のエスノグラフィー』 これだけだとわかりにくいのですが、ここで言われていることは、日常の生活において誰かと何か話をしたり、仕事である成果物を依頼主に受け渡したりする場合でも、そこでアウトプットとして相手に受け渡される具体的な発話や成果物は、会話の流れや契約という文脈が最初から存在する状態で受け渡しが行われるというだけでなく、発話や成果物が相手に受け渡されるということ自体により会話の流れや契約という文脈が成立するということを意味しています。 つまり、会話や契約のルールは、ルールが守られて(あるいは破られて)はじめてルールとなるのだということです。 これはいわゆるエスノメソドロジー的な視点ですが、人間の行動や認知というものを理解するうえでは非常に大事な視点だと思います。特に、ユーザー中心デザイン、人間中心設計を行う場合にはこの「状況・コンテキストに埋め込まれた認知的行為」ということをきちんと理解しておかなくては、いくらユーザーの行動を観察やインタビューにより調査しても、その行為や認知の構造を正しく理解するための構造=状況・コンテキストの分析を行うことはできないでしょう…

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業務システムのユーザビリティ

世間では、ユーザビリティといえば、プロダクトのUIやWebサイトに関連した話題ばかりが取り上げられます。しかし、ユーザビリティを改善することで最も効果が得られやすく、かつ、実はユーザビリティの改善のための作業を行いやすいのが、業務システムの分野だろうと僕は感じています。 ユーザビリティの改善によって、 システムの利用効率を上げる利用のわかりにくさや利用の仕方の誤認を要因とする誤操作や誤入力を減らすエンドユーザーが利用時に不満を感じるところを削減してシステム利用に対する精神的負担を軽減する などが実現できれば、業務全体の効率や、システムを用いて行う情報の入力率を高めて、開発するシステムに期待する効果をあげやすくなると思います。ほかの場面ではその拡大使用を懐疑的な目で見ていいのではないかと思われる、いわゆるテイラーシステムもこと業務という本来それが用いられはじめた場面においては依然として有効なんだろうと思います。 業務システムのユーザビリティと業務効率・データの入力率元々、仕事で使われる業務システムなどは、エンドユーザーが喜んで使うものでは決してなく、使わずに済めば越したことはないし、業務上、どうしても使う必要があるのなら、可能な限り、簡単にスムーズにその作業を終えたいと感じる類いのものです。 もし入力の作業が著しく面倒なシステムであれば、最低限必要なものだけ入れて、本来は入力すべきものを入力せずに誤魔化してしまうこともあるでしょうし、誤操作による間違った入力やあいまいな理解…

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ペルソナスクエア連載>1-2. バウハウスとユニバーサル・デザイン

「ペルソナスクエア」の連載「ペルソナ作ってそれからどうするの?~ライフスタイルを提案するユーザー中心のデザイン~」で、新しい記事が公開されました。 1-2. バウハウスとユニバーサル・デザイン:http://www.personadesign.net/square/2008/05/12.html 「"化けもの進化"したものは破棄がおすすめ。」で「この辺に関しては明日か明後日あたり「ペルソナスクエア」の連載で話題にするので、そっちを参照してくださいな。」と書いたものです。 前回の「近代デザインが描いた未来のライフスタイル」では、自由・平等・博愛の近代主義の流れにのった近代デザインが、旧来の制度に縛られた生活様式から人びとを解放するために、誰もが自由に好きな生活様式を選択できるユニバーサル・デザインを理想として追求したことを紹介しました。(中略)今回は近代がユニバーサルなデザインを推し進めていく上で実際の原動力の1つとなったバウハウスでの実験的で先鋭的な試みについて見ていくことにしましょう。 1-2. バウハウスとユニバーサル・デザイン "Human Centered Innovation"を標榜するイリノイ工科大学の"The Institute of Design"や"ISO 13407:1999 Human-centred design processes for interactive systems(インタラクティブ・システムのための人間中心設計プロセス)"とバウハウスの…

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ペルソナスクエアに「ペルソナ作ってそれからどうするの?」を執筆開始

先日「ペルソナデザインネットが連載コンテンツ「ペルソナスクエア」を公開」でペルソナの連載が「ペルソナデザインネット」ではじまったのはお伝えしました。 今日は、僕が連載する記事「ペルソナ作ってそれからどうするの?~ライフスタイルを提案するユーザー中心のデザイン~」をご紹介。

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ペルソナデザインネットが連載コンテンツ「ペルソナスクエア」を公開

僕も参加させていただいているペルソナデザインコンソーシアムのWebサイト・ペルソナデザインネットで、コンソーシアムのメンバーがさまざまな視点でペルソナのつくり方や応用の仕方を連載形式で紹介する「ペルソナスクエア」が公開されました。 ペルソナスクエア:http://www.personadesign.net/square/

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人間中心設計プロセスに欠けているのは具体的なモデリングの手法

これはもうほぼ断言してもいいと思いますけど、"ISO13407:Human-centred design processes for interactive systems(インタラクティブシステムの人間中心設計プロセス)"の弱点は「設計による解決案の作成」に用いる具体的な手法の提案がないことだと思っています。 たとえば、以前、「人間中心設計(Human Centered Design=HCD)で使う主な手法」というエントリーで、こんな図を描いて、 人間中心設計=ユーザー中心のデザインで使われる主な手法を以下のように整理しました。 利用の状況の把握と明示:フィールドワーク(観察法)、コンテキスチュアル・インクワイアリー、ワークモデル分析ユーザーと組織の要求事項の明示:ペルソナ/シナリオ法、その他のユーザーシナリオ法設計による解決案の作成:プロトタイピング、カードソート、認知的ウォークスルー要求事項に対する設計の評価:ユーザビリティテスト(プロトコル分析、パフォーマンス測定)、ヒューリスティック評価 ここでは無理やり「設計による解決案の作成」の手法に、プロトタイピング、カードソート、認知的ウォークスルーなどを入れていますが、実際、純粋に「設計による解決案の作成」の手法として用いられるのは、カードソートや認知的ウォークスルーはほかの段階でつかうほうがむしろ良いものです。 そうなると、問題はどのようにして、ペルソナ/シナリオ法などを用いて、明示したユーザー要求を具体的な…

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UCDであるもの

簡単なことです。 というか、人間相手に、何故、難しい事をやろうとするのか分からない。 シンプルに - Weblog それはユーザー中心のデザインというものに関わっている人が「人間」という生物の行動や認知の特性や「ユーザー」という個体の趣味・嗜好やその時々の目的を理解するのは、そう簡単なことではないと考えているからだと思います。

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自分がいまどこにいるのかわかるか?

自分がいまどこにいるのかを知ることはとても大切なことです。ふだんはそんなことは当たり前すぎて自分がどこにいるのかという情報が重要なものだということを僕らは忘れがちです。 しかし、自分がどこにいて、どこにいないかがわかっていなかったとしたら大変です。 自分がどこにいるのかわからなければ、よその地域のニュースや天気予報を見て慌てたり不安に思ったりするかもしれませんし、いま土足でいるべきか靴を脱ぐべきかにも困ってしまうでしょう。 何を言ってるのか?って。 カーソルっていうものは偉大だなと思ってるわけです。 マウスとカーソルコンピュータのマウスとカーソルによるユーザーインターフェイスっていまさらながらよくできているなって感じます。自分がモニターのどこにいるかがカーソルによってわかるというのはすごく大事です。自分の現在位置がわかることで、どの方向にどれだけの距離、カーソルを動かせば、自分が押したいボタンをクリックできるか、自分が消したい文字を削除できるかが直感的にわかります。 それがもしカーソルがなかったらどうでしょう。 たちまち自分がどんな行動をするべきか、マウスをどう動かせばいいのかがわからなくなります。 おなじ意味でどのウィンドウがアクティブなのかを示すユーザーインターフェイスの表現も大事です。ウィンドウが重なっていた場合、自分がいま直接操作可能なのはどのウィンドウなのかがわからなくては困ることは多いはずです。

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情報設計の重要性、わかってますか?

ひさしぶりにユーザビリティの話です。 ただし、最初に言っておきますが、Webの話じゃないのであしからず。 ユーザーインターフェイスのサイズと情報の構造化情報設計を行う際には、情報をその内容に応じて、階層構造化します。 この情報の構造化が意味をもつのは「生きていることの科学/郡司ペギオ-幸夫」でも書いたように、情報量(コンテンツ量/機能の種類など)とユーザーインターフェイスの物理的なサイズとの関係から「部分情報問題」が起こりえるからです。 このように問題を定義するならば、これからのインタフェースは「部分情報問題」になるといわざるをえない。なぜならば、インタフェースにかかわる情報はより複雑化して増大する傾向にあり、ユーザーがこれらの多くの知識を個々の機械に対して把握することは容易ではないからである。また、それをユーザーに強要することも不可能であり、それを期待するような設計を、もはや行うべきではない。 土屋雅人「6章 インタフェースデザイン」 『デザインと感性』 すべての情報を画面上あるいはハードの物理的なボタンとして明示できるのであれば、完全情報問題であり、可視化された情報からどう必要なものを探し当てられるかというだけの問題です。 しかし、画面サイズやハード自体の大きさの問題から、すべての情報を明示できない場合には、適切な形で情報の階層構造化を行い、情報探索の作業をドリルダウンのような形で行えるよう設計する必要が出てきます。 「iPhone/iPod touchと…

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僕らがユーザーテストをする理由

どうして世の中のデザインの現場では、ユーザーテストをやらずに開発者側の閉じた発想だけでデザインを完結しようとするんですかね? 前回の「ユーザーテストで作り手の思いこみ=デザインを破壊する」では、「ユーザーテストは作り手の思いこみ=デザインを壊すための手法」であり、「ユーザーの好みを知り、ユーザーの期待を知り、ユーザーの喜びを知るための手法」であると書きました。ユーザーテストをやらないデザイン・チームはまさに、ユーザーの好みや期待や喜びには関心がないんでしょうか。 また、ユーザテストは「互いに隔離されていたユーザーとデザイナーがユーザーテストを通じてコミュニケーションをとる」ためのツールであるとも書いていますが、ユーザーとコミュニケーションをとるのがイヤなんですかね。だとしたら、とんだひきこもり集団ですよね。

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ユーザーテストで作り手の思いこみ=デザインを破壊する

デザインとは作り手の思いです。 ユーザーテストはその思いこみを壊すところに価値をもつデザイン手法です。 自分たちの仮説=デザインを、ユーザーがまったく想定外の使い方をするのに驚き、本当に必要な形を発見する。自分たちだけの思いからユーザーと自分たちとの共通の思いにするために必要なデザインの輪郭を発見するための手法がユーザーテストです。

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スキルアップと人間中心のデザイン

昨日の長文エントリー「カスタマイゼーションとデザイン、そして、コンテンツ」では、生活行動の階層構造とそれに対応したものの織り成す階層構造、さらには商品のデザインと比較すると明らかに人の生活行動の視点での配慮に欠けたWebデザインの欠点についての指摘をおこないました。 生活行動というマクロな行動そのものが階層化されているだけでなく、生活行動におけるごく一部の行為ですら、さらに細かな階層構造に分かれている。 例えば、コーヒーをつくるとか、車を運転する場合、それ自身独立に存在するいくつかのプリミティブな行為を組み合わせて、行為全体をつくっているようにみえる。例えば、まっすぐ腕をのばす。手を曲げる。手首をまわす。指を曲げる。そうした個々のミクロな行為の重ね合わせでマクロな行為はできあがっている。同じプリミティブを何度もつかって行為を組み立てているという意味では、行為も再帰構造をなしている、といえる。 池上高志『動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ』 人間工学的な視点、人間中心設計的な視点で考えると、こうした人の運動スキルの階層構造とものの形の織り成す階層構造の関係に関しては、深く探求していかなくてはいけないテーマなのだろうと思っています。

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