2006年12月24日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:15.インターフェイスの質量

まずはこの図を見て下さい。なんだかわかります?



答えは後ほど。

義歯の違和感

さて、僕は、鉄製のスプーンやフォークがちょっと歯に触れた時の感覚がたまらなく嫌いです。スプーンがちょっと歯に当たったりすると、まるで歯全体が金属になったような違和感を感じたりする。それは普段、意識することのない歯の質感をあらためて意識させられるからかもしれません。

義歯の違和感というのは、平凡な僕らでさえ、歯の潜在する機能を発見できるような、それによって身体の内と外の関係を変えていけるような、そういった道具というわけだ。歯の質量は、義歯の違和感によって再発見され、それによって僕たちは、改めて違和感を避けるような噛み方をしたり、咀嚼の仕方を工夫する。(中略)いずれにせよ、違和感の発見によってインターフェイスの質量が見いだされ、システム自体、システムと外部の関係が変わっていく。
郡司 ペギオ-幸夫『生きていることの科学』

普段、食事をする際に、いちいち歯の質量などを感じていたら、とてもじゃないけど、食べ物を味わうことなどできないでしょう。そのことは僕にとってはあのスプーンやフォークが歯に当たったときのなんともいえない嫌な感じを思い出せば容易に想像できます。

しかし、当たり前のことですけど、歯があるからこそ、僕たちはある程度固いものでも噛み砕くことができ、噛み千切ることができるわけで、また、歯に備わった限界能力と食べる対象の組み合わせによって、無意識的に噛み方や顎の動かし方を調整しています。
その意味で歯を中心にしたシステムができており、それは顎の形や顔の骨格にも影響を与えるはずです。例えば、普段、やわらかいものばかり食べていれば、顎のまわりの筋肉がよわってきて、顎そのものが小さくなるように。

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:15.インターフェイスの質量」の続き
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2006年12月23日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:14.記憶の構成、世界の広さ

口にされることは目に見える氷山のほんの一角にすぎないといいます。また、同じように意識されるものは無意識下におかれたもののほんの一部に過ぎないのでしょう。
しかし、前回「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:13.言葉の前に・・・、言葉の後に・・・」で指摘したような言葉と模倣記憶の組み合わせでヒトは、目で見えたこともないようなシーンを、言葉や記憶をレゴブロックのように組み合わせて構成することができます。その意味でヒトにとっての可能世界は現実世界の何倍も広い。いや、何倍とかいうレベルではなく、無理数と有理数の差ほど、その違いは大きいのかもしれません。

可能世界と現実世界

たまにネットのメディアの記事や社内外含めた講演の依頼をいただくことがありますが、そのときに困る(というか、ちょっと面倒だと感じる)のは具体的な事例を織り交ぜてくださいと言われることです。
言うほうは簡単に言ってくれますが、具体的な事例を扱うのは簡単ではありません。1つには公言してよい事例というのが仕事柄限られているということがあります。しかし、それ以上に先の意味で実際に経験した事例の数というのは頭の中で構成できる話の数と比べれば、驚くほど貴重な存在なわけです。普段、どんなに文を書くのを苦にしてはいないといっても、希少な存在である実経験のうち、さらに公言してよい事例だけを対象に書け(話せ)といわれると、途端に途轍もない制約条件がのしかかってくるわけです。

具体的な事例が読み手にとってわかりやすく、メディアとしては集客などの関係からそうしたわかりやすいコンテンツを提供したいというのはわかります。しかし、現実世界は可能世界よりはるかに少なく、さらにその現実世界で人目を引くエピソード(極端な成功事例や失敗事例)はそれこそ恐ろしく貴重なわけです。そうなれば貴重なエピソードのパイの取り合いになるわけで、どこのメディアも同じ内容を扱うということになる。それはそれなりに瞬間的な注目は集めるのでしょうけど、決して、その注目は長くは続かない。それはそれでありだと思いますが、僕個人としては書き手としても読み手としてもあんまりその環の中に積極的に加わろうという強い思いは残念ながらあんまりなかったりします。

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:14.記憶の構成、世界の広さ」の続き
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2006年12月21日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:13.言葉の前に・・・、言葉の後に・・・

意味ははじめからそこにあるのではなく、どこかの時点で生起した起源をもつ。そのことは前回の「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:12.意味の生成」で触れました。

意味生成のエンジン

では、意味の生成の原動力となるのは何か? 好奇心と答えることも1つの手でしょう。しかし、では、ヒトはなぜ好奇心を駆り立てられ、意味の生成にエネルギーを費やすのか?

ジェスパー・ホフマイヤーは『生命記号論―宇宙の意味と表象』の中でこんな風に書いています。

この分裂は人間の欲求の鍵をも握っている。その分離を再びもとの一体のものにまとめあげたいという熱望こそが、人生そのものである。(中略)この分裂に由来する欲求こそが、世界に意味を与え、私たちに意味を求めさせるものだ。私たちはすでに持っているものを欲しがったりしない。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

ここでいう「この分裂」とはどの分裂のことなのか?
それは幼児期の自我形成時における鏡像段階を経た「他者の目に映る自分」による自己の形成による分裂を指しています。

子供用の揺り椅子に寝ている子供が、「そのクマちゃん、僕の」と言うと、父親は「そうだね、おまえのクマちゃんだね」と答える。これはもちろん子供からすればおかしいことになる。もしクマちゃんが僕ので、お父さんもそうだというのなら、"おまえ"のであるはずがない。この謎を子供が解く唯一の方法は、話し手の位置を切り替えること、言い換えれば、父親の視点から「おまえのクマちゃん」という言葉を見ることである。従って、子供はしゃべることができるようになる前であっても。「他者」に共感することができなくてはならない。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

子供は、自分のことを"おまえ"として見る父親に対する共感ができるように鏡像段階を経ることで、他者の目に映った"おまえ"を自己として認識できるようになります。それにより「僕のクマちゃん」を「"おまえ"のクマちゃん」と同一視することが可能となり、上記の引用のような言葉によるやりとりができるようになる。しかし、同時に子供はこの時点で自分から見た"僕"と他者から見た"おまえ"に引き裂かれた2つの自己を引き受けなくてはいけないのです。

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:13.言葉の前に・・・、言葉の後に・・・」の続き
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2006年12月20日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:12.意味の生成

遺伝子のもつ利己的な性質について最初に述べたのは、リチャード・ドーキンスでした。しかし、遺伝子が利己的であっても、そうした遺伝子が利己的であるとは限りません。実際、僕たち人間は、決して少なくない頻度で利他的なふるまいをみせることがあります。そして、それはヒトだけでなく、他の動物にも見られる傾向だといわれています。しかし、利己的な遺伝子をもつ生物が利他的な行動を進化させたのはどういうわけでしょう?

利己的な遺伝子が利他的な行動の意味を発見するには

利他的行動の進化を説明する利己的な遺伝子の物語として次のようなものがあります。

天敵の出現を声を出して仲間に伝える見張りのサルは、声を発することで死ぬ確率が高くなります。進化論的にみれば天敵を前に声を発する性質をもった遺伝子が自然淘汰を勝ち抜く確率は一見すると低いと思われます。
しかし、この場合、声を発することで(そして、自身が犠牲になることで)仲間の多くは助かる確率が高まる。そして、その仲間のうちには自分の血を分けた(つまり同じ遺伝子を分けた)子孫も含まれていたりします。怯えて声を出す遺伝子をもった種はこうして集団レベルでは生存の確率が高まります。一方で誰一人、声を出さない集団であれば、最悪の場合、全滅に追い込まれる可能性もあったりします。
結局、怯えて声を出す利己的な遺伝子をもつ集団が優勢になることで利他性が高まるというわけです。

さて、この説明は非常にもっともなことのように思えます。
しかし、次のような視点を導入するとこの一見もっともだと簡単に納得しそうになる説明が一転して、ある種のあやうさをもっていることが明らかになります。

単に声を発する行動に、ある行動、ある社会構造を有した血縁集団の生存を促すという意味が存在していた。その潜在していた意味が発現されるところに、利他性の起源の意味がある。だから、潜在していたものがいかにして発見され、集団レベルの意味として翻訳されるか、であるとか、個体レベルと集団レベルの結びつきが潜在しているとはどういう様相なのかとか、そういったことが本来、起源問題の主眼なんだと思う。
郡司 ペギオ-幸夫『生きていることの科学』

この引用では、できあがった利他的な行動のシステム自体は否定されていません。疑問を投げかけられているのは、そのシステムの起源を説明する物語に対してです。システムの説明としては正しくても、それは起源を説明することにはならない。システムの説明に含まれる意味の起源を問わなくては問題を解いたことにはならないというわけです。

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:12.意味の生成」の続き
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2006年12月17日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:10.ヒトの認知の性向を知らずしてなぜIAが語れるのか?

インフォメーション・アーキテクチャを考える上では、そのアーキテクチャを構造的、機能的に考える必要があるのはもちろんだとしても、同時にインフォメーションについて考えなくてはそれはインフォメーション・アーキテクチャとして成り立ちません。

しかし、どうも巷のIA論的なものは、どうもこのインフォメーションの捉え方があまりに狭義なものになりすぎているのではないか? そういう印象を個人的にはもっています。極端な場合、テキスト情報のみをインフォメーションとして扱ったり、インフォメーション・アーキテクチャといえばWebに関することだと誤解している向きもあったりします。
そうした狭義のIAに対しての疑念が、僕がこの「私的インフォメーション・アーキテクチャー考」を書き続けているきっかけであり、原動力だったりもします。

ヒトの認知の性向を知らずしてなぜIAが語れるのか?

何よりの疑問はインフォメーションを扱うヒトの認知の性向を考慮せずに何故IAを語れるのか?ということに尽きます。

  • ヒトがどのように情報を処理しているか?
  • ヒトは情報からどのような影響を受けているか?
  • 意識下の情報処理と意識上の情報処理にはどのような違いがあり、どのような影響関係があるのか?
  • ヒトが情報処理を行なう際に、環境や記憶、体調などはどのような影響を与えるのか?
  • 個体的に扱われる情報と組織的に扱われる情報にはどのように違いがあるか?
  • 情報を扱う際、ヒトは自身の内部情報と外部情報の区別を行なっているのか?
  • 言語情報とその他の情報はどのように処理され、相互にどのような関係にあるのか?
  • 情報処理時に情報の時間的性質と空間的性質はどのような効力を発揮するのか?
  • 情報とはどのような単位で処理されるのか?

など、ちょっと考えても、様々な疑問が生じてきます。こうしたことが語られないまま、IAに関する議論が繰り返されている印象が僕にはあります。すくなくともここ日本では。

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:10.ヒトの認知の性向を知らずしてなぜIAが語れるのか?」の続き
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2006年12月15日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:9.デジタル記号とアナログ記号、そして、あなたと僕

へぇ〜、語源は指ですか。これは本当に意外でした。

デジタルという単語は、指を意味するラテン語のdigitusに由来する。デジタル記号の重要な点は離散的であるということである。それはちょうど5本の指が互いに間隔を開けて離れているのと同じである。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

なんとなくデジタル記号というのは、連続的なものだという印象をもってました。連続的というのは、どこまで細かく分割していってもつながってるという意味で。

デジタル記号

そんな風に思ってたのはきっと、実数には無理数というものがあるってことが頭にあったからだと思います。有理数は無限にありますが、無理数の無限は有理数の無限よりはるかに多い。

そのことはピーター・アトキンスの『ガリレオの指』で知りました。

自然数、整数、分数などを含む有理数は有限だが、自然対数の底 e や円周率 πなどの無理数は無限に存在します。そうであるがゆえに有理数が夜の空に輝く星だとすれば、無理数はそのあいだの暗闇にたとえられます。その宇宙の暗闇にまばらに散らばった存在でしかない有理数を用いて、数を数えられるのはほとんど奇跡に近いというわけです。

数字の1-2-3-4-5や英語の単語がそうであるように、必ず区切りが間に入っている。音楽における音譜も同じである。
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論―宇宙の意味と表象』

その意味で無理数を含めた実数には区切りがないといえるのかもしれません。そして、それは区切りがないという意味でデジタル化不可能ということなのでしょうか。
有理数だけなら暗闇に輝く星のように区切りがあります。それがどんなに無限にあるとしても。デジタル化可能な数字は有理数のみということになるのでしょうか。

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:9.デジタル記号とアナログ記号、そして、あなたと僕」の続き
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2006年11月13日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:8.構造と要素間の関係性:文脈の生成

意外と長かった「構造と要素間の関係性」についての考察も今回で最後です。

奇妙な本

あなたの前に1冊の本があります。とても奇妙な本です。

あなたはその本を誰がそこに持ってきたのかわかりません。誰が何のために、そして、あなたに読ませるために、そこに置いたのかどうかも定かではありません。自分の目の前に置いてあるのだから、自分が読むために置かれているのだろうという気がしています。
それは一体いつからそこに置かれてたのでしょうか? ついさっきのことでしょうか? それとも、昨日からあった? いや、もっと前からでしょうか。ずっとその本はそこにあったのかもしれないし、あなたにはそれが何十年も前、いや、何百年、何千年も前のことのような感じさえしてきます。

その本にはタイトルも著者名も印刷されていません。出版社も発行者も記載なく、いつ書かれたものか、何について書かれたものかを示すヒントとなるような表記もなされていません。真っ白なカバーに、真っ白な扉。本文が日本語で書かれていることだけがあなたにわかっていることです。

おそりおそる本を読み始めたあなたは、それが何の本なのか、ますますわからなくなります。それは事実に基づく記載なのか、はたまた、フィクション、小説なのか。日記であるようにも見えるし、何がしかの日誌にも見えなくもない。いや、辞書や百科事典のようにさえ思えてきます。そこに書かれた物語(いや、物語と断言できるかどうか?)は、いったいどこの国のことを描いているのか、そして、いつの時代のことを描いているのか。
ただ、「男」という名で描かれるその人が、あなたには同じ一人の人間を指し示すものなのか、それとも、まったく異なる男たちが次々と登場してはまた別の男に入れ替わっているのか、あるいは、そもそも男一般を指し示しているのかもよくわかりません。それどころか、その「男」と記載された者が人間の男を指し示しているだけでなく、獣の雄を表現しているようにも、雌に食べられるカマキリの雄、植物の雄しべ、そして、Y染色体について書かれた記述のようにさえ思えます。

読み進めれば読み進めるほど、あなたにはそれが何の本なのかわからなくなります。いったい、どのくらい読んだのだろうか。ページ数も記載されていないし、部屋には時計がありません。真っ白な部屋には窓さえなく、家具もあなたが座っている椅子と目の前のテーブルだけ。記憶喪失のあなたにはなぜ自分がそこでその奇妙な本を読んでいるのかまるで見当がつかないのです。

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:8.構造と要素間の関係性:文脈の生成」の続き
タグ:文脈 IA
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2006年11月11日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:7.構造と要素間の関係性:量と頻度、外部参照性と反発性

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:6.構造と要素間の関係性:モジュール化とモジュール間の関係性」から間が空いてしまいましたが(途中に「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:番外編:サバンナに合うように設計されたヒトの意識」はあったとはいえ)、「私的インフォメーション・アーキテクチャ考
」再開です。

量と頻度

アーキテクチャとは、目的・用途に応じた構造体です。それは適切な機能を担うモジュール群とその関係性によって構成され、適切な自由度をもって、それを利用する人(直接的には、人には限らないかもしれません)が目的・用途を果たすことを可能になるよう設計された構造体だと定義することができるのではないかと思います。

私は、これまでの議論の中で、「プラトン的世界」を、主に数学的真理という文脈の中で用いてきた。だが、他にも議論に含められるべき概念がある。プラトンは、「真実」だけでなく、「善」や「美」も絶対的なプラトン的概念であるとした。実際に、私たちの意識がプラトン的世界との接触を実現しており、そしてこのプロセスが計算不可能なものとしてしか実現できないものであるとしたら、私にはそれは非常に重要なものであるように思われる。
ロジャー・ペンローズ『ペンローズの<量子脳>理論』

ペンローズは『皇帝の新しい心』の中で「マンデルブロ集合は、人間の知性が造り出した発明ではなく、むしろ発見なのだ! エベレスト山のように、マンデルブロ集合は、まさに「そこにある」のだ!」と書いているように、数学の分野における新たな理論の発明などを、意識が「プラトン的世界」においてそれを発見する過程だとしており、その上で、意識のもつ1つの機能を上記の引用のように記しています。

僕は、インフォメーション・アーキテクチャというものを考えるとき、この発見という過程を、どのようにその設計のうちに埋め込むかが非常に重要なポイントだと思っています。
数学における新たな発見まで大げさなものではないにしても、僕たちの暮らしには日々多くの発見があり、それはブログやSNSのようにIA上に展開されます。そうした新しい情報の創出の量と頻度をいかに設計のうちに組み込んで考え、さらにその量と頻度によって生み出される効果をいかに利用者の「目的・用途」に貢献できるようIAの設計を行えるかは大きな意味をもつものだと思います。

このブログでも何度か引用している、ホットリンクさんの「企業サイトに対する消費者の書き込み意識調査」に見られる「どのような企業サイトであればより信用できるか?-「情報量が多いサイト」77.7%、「更新頻度が高いサイト」69.9%」という結果。これって僕は決して企業サイトに限ったことでもないし、もっと言えばWebサイトに限ったことではないと思います。
僕らは普通に、よく自分に話しかけてくれる人に共感や愛情を感じたりしますし、同じようによく目にするブランドを信用しやすく、見たことのない商品にはなんとなく不安を感じたりする傾向があると思います。
ブランド・アーキテクチャとパースの記号論」でも紹介したDubberly Design Officeというサンフランシスコのデザインファームの「A Model of Brand」というブランドのコンセプトマップにおいても、エクスペリエンス(体験)の認知が繰り返されることで、人々の心の中でブランド価値が大きくなっていくことが示されています。ブランドとは商品または企業と人々の対話の中で育まれていくもので、そこでは体験−認知の積み重ねが共感や愛情、信頼を醸成します

僕は持論として「Webは構築以上に運用が大事」だという信念をもっていますが、とはいえ、構築時に運用による効果が得られるような設計がなされていなければいけないという意味では、決して構築を軽んじているわけではありません。でなければ、こんな「私的インフォメーション・アーキテクチャ考」なんていう連載をしようなんて考えませんし。
それでも、やっぱり「Webは構築以上に運用が大事」で、そう思うのはここまで書いてきたように、情報発信の量と頻度こそが人々が価値を見出す信頼や共感、愛情などの新たな発見を可能にするものだと思うからです。
このことは以前に「イニシャルからランニングへ」でも書きましたね。
Webに限らずIAの設計は、その意味で情報の量と頻度という時間の経過によって変化する側面もふまえて設計することが非常に重要だと思うのです。

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:7.構造と要素間の関係性:量と頻度、外部参照性と反発性」の続き
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2006年11月03日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:番外編:サバンナに合うように設計されたヒトの意識

少し前の「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:4.構造と要素間の関係性:分類あるいはメタデータ:その2」というエントリーにyusukeさんからこんなコメントをいただきました。

言葉の相対性は文脈や解釈、つまりその人や場や時間軸の構造によって生まれるものです。
その上でIAが背負う「絶対性」(言葉は1つ)な側面をどのように解決するのかが興味あります。
ま、人間の認知力は柔軟ですから、人間側に変化を強制する形に落ち着くのでしょうが(ある側面では)。

最初の1行はすごく同意。2行目は同じように考える人はやっぱりそこに落ち着くんですねという感想。そして、僕としてはアーキテクトはそれでも特定の状況を設計しなくてはいけないんでしょうねというのが解決法なのかなと思います。

ヒトの認知の際のズレの効用

そうやって設計した上でも、結局、さっきの「Webはブランドの心を増幅する」で書いたように、

情報自体はコピー的な増え方をするわけですけど、コピーされた情報と個々人の解釈の間には微妙な変異が生じます。ヒトと情報のインターフェイスには常にズレが紛れ込みます。そのズレを内包しているからこそ、人それぞれの感じる異なるブランド価値を、共有されたブランド・マインドとして流通させ、かつ蓄積させるのかなと。

といった感じでズレが生じ、それがWebにおいて「心」の増幅を可能します。でなければ、ユーザーはただの情報伝達の役割を果たすコピー機になってしまいますから。

といったあたりが3行目の「人間の認知力は柔軟ですから、人間側に変化を強制する形」というあたりにつながるので、本当は全面的に同意なのですが、あえてこんな可能性も指摘してみたり。

ヒトの認知力は、柔軟かつそれほど柔軟ではなかったりするかも

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:番外編:サバンナに合うように設計されたヒトの意識」の続き
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2006年10月26日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:6.構造と要素間の関係性:モジュール化とモジュール間の関係性

科学者は宇宙の中に法則性、パターンを見い出しては、それをエレガントな式にまとめあげてくれます。僕らにはほとんどランダムにしか思えない事象にさえ、何らかの法制を見出しては、そのパターンをコンパクトな式にしてみせてくれます。

パターンを見出し、表現をエレガントにする

ランダムな世界に1つのパターンが見い出せると何かしらの効率化が図れることになります。

例えば、
2.236067977499・・・
という数字

一見、ランダムに見えるこの数字も実は5の平方根だったりします。それが5の平方根とわかれば随分効率化されます。
パターンを見出せればその法則性はきわめて短縮して言い表すことができます。

今度はこの数字。
010001101100000101010011100101111・・・
これはいわゆるチャンパーナウン数列と呼ばれるものです。

はじめに1個の文字からなる数列(0と1)、次に2個の文字からなる数列(00,01,10,11)、そしてさらに3個の文字からなる数列(000,001,010,100,110,101,111)を順を追って並べていったものです。
これもパターンがわかればランダムではなくなると同時に、簡潔に説明できるし、文字列1つ1つを覚えるよりも簡単に定式化できます。

これがモジュール化のもつ役割の1つです。
ほとんど偶然のように見える何気ない日常の風景に何がしかのパターン、法則性を見い出すこと。それがモジュール化のはじまりだと言ってもよいでしょう。テンプレート化するというのは、このパターン(モジュール)の組み合わせにより、さらに大きなモジュールを構成することだといえるでしょう。

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:6.構造と要素間の関係性:モジュール化とモジュール間の関係性」の続き
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2006年10月24日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:5.構造と要素間の関係性:並び順と導線

何かを伝えるには意思がいる。意思にはそれが納まる入れ物がいる。ただ、漠然と述べただけでは伝わらない。それはエレガントさに欠ける。内なる世界観によって形作ること。あなたはいったい何を伝えたいのか? そして、相手にどうして欲しいのか?

ナビゲーション

もしあなたがWebサイトの設計者なら、ナビゲーションの並び順をどう決めているのでしょう?

今日、ある業界のWebサイトをいくつか見ていたのですが、どうもわかりづらい。使っていて意思が感じられないし、何をしてほしいのかがよくわからない。とりわけナビゲーションの並び順が何を伝えようとしているのかが伝わってこない。
おそらく原因は昨日までのエントリーで問題としていたようなコンテンツのカテゴライズの問題もあるような気がしましたが、それだけではなくメニューの並び順にストーリー性を感じられなかったのです。

ナビゲーションとはその名のとおり、ナビゲートするものです。それはただ単に目立たせたい順に、上から下へ、左から右へと並べるだけでは伝えたいストーリーが見えてこなかったりします。

例えば、誰かに昨日自分の身に起こったことでも、ちゃんと順を追って話すでしょう。それは単純に時系列である必要はありません。時系列的にはバラバラでも起承転結があれば話は伝わるかもしれません。はじめ淡々としていても、最後にすべてのエピソードが1つにつながり、そして、あっと驚くオチが用意されていれば、ストーリーとしては合格でしょう。

Webサイトのナビゲーションでも同じことが言えると思います。
左から右へと流れるグローバルナビゲーションに、そして、上から下へと連なるローカルナビゲーションに、あなたが伝えたいストーリーが埋め込まれていれば、サイトはあなたの世界観を伝えてくれる器となるでしょう。

マーケティング目的のサイトであれば、そのストーリーは例えばAIDMAの法則に沿ったものであってもいいのかもしれません。注意をひくコンテンツから徐々に理解を深めるようなコンテンツを経て、最終的にアクションにつながる流れでもよいでしょう。そうしたナビゲーションであれば、少なくともそのサイトが顧客に対して語りかけ、自社の商品を買ってもらいたいと思っていることは伝わるでしょう。

採用募集のサイトでも同じでしょう。まず、自分たちが何者かをアピールすることからはじめて、会社の考え方や社内の風景、先輩たちの声、そして、詳しい募集要項や福利厚生、待遇面などのデータを紹介した上で、エントリーフォームに誘導するという流れが考えられるでしょう。

こうした語りかける姿勢がナビゲーションという形で表現されていないと、それだけでユーザーはそのサイトが何なのかがわかりにくくなったりします。特にポータルのようなサイトとは違い、ユーザーとのコミュニケーション、関係性の構築・維持を目的でしたサイトであれば、なおさらだと思います。

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2006年10月23日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:4.構造と要素間の関係性:分類あるいはメタデータ:その2

前回の「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:3.構造と要素間の関係性:分類あるいはメタデータ:その1」の最後で、「メタデータとデータの切り離しは、それがIA同士の関連付けを意識したとたん、重要な課題になるものだと考え」られ、その「ことは、逆にそれはヒトにとっては直接的な恩恵をもたらさないという意味でもあるということは忘れてはいけない」と書きました。
これがどういう意味かを今回は明確にしていきたいと思います。

差異の記号表現としての言語

まず、前回、何気なく使った「分類」という言葉と「メタデータ」という言葉の定義から。定義とは言っても、僕自身がここでどうこの2つの言葉を用いるかという意味においての定義であり、公式な定義ではないかと思います。

では、簡単に。
「分類」とは、対象となるデータ群を特定のルールに従い、識別可能な属性をつけること。「メタデータ」とは、その属性の具体的な名称。
はい。これだけ。

わかりやすく言うと、前者がタグ付けで、後者がタグであると想定しています。

なので、ここで僕はどちらかというと、タクソノミーではなく、オントロジーをイメージしているわけです。クラスとサブクラスからなる階層構造的な分類構造をイメージしているのではなく、ある独立したエンティティに対してそれを示す属性を付与するイメージです。

具体的な例をあげれば、従業員に対して、従業員番号、従業員名が付与されるイメージ。その際、入社日や所属部署はこのエンティティの属性ではなく、別のエンティティ(「入社」「所属」)の属性であり、それぞれエンティティ同士の関連付けによって示される。と、そんなイメージを極端なまでに拡張すると、実はデータとメタデータの区分はかなりあいまいになるのではないかと思っています。つまり語の1語1語がメタデータと化し、極端な場合、1語に対して複数の属性が付与されることにもなりえます。

たとえば、こんな例を考えてください。

「カモノハシ(1)」は、「哺乳類(2)」であり、「クチバシ(3)」をもち、「オーストラリア東部(4)」および「タスマニア(4)」に棲み、「ハリモグラ類(5)」と近縁で、現存する哺乳類の中では「ヒト(6)」ともっとも遠縁で、巨大大陸「ゴンドワナ(7)」で進化した初期哺乳類で、ほとんどを「水中(8)」で暮らし、泥の中の「無脊椎動物」を食べている。
(1)は「名称」、(2)は「大分類」、(3)は「体の特徴」、(4)は「生息地域」、(5)は「近縁の類」、(6)「遠縁の類」、(7)は「最初に進化した場所」、(8)は「生息環境」という属性ではあるものの、このすべてがメタデータであると同時にデータでありえます。

言語が差異の記号表現だとしたのはソシュールですが、その差異は相対的な差異であって、絶対的な差異ではありません。あくまで相互の相対的な差異の表現が言語であって、言語そのものが絶対的な意味をもつものではないということです。それゆえ言語は常に外部参照としてのメタデータを最初から非明示的な形で有していると考えてもいいのかもしれません。

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:4.構造と要素間の関係性:分類あるいはメタデータ:その2」の続き
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2006年10月22日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:3.構造と要素間の関係性:分類あるいはメタデータ:その1

さて、前回の「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:2.構造と要素間の関係性:その概要」で、インフォメーション・アーキテクチャの構造と要素間の関係性をなすものとしてリスト化した項目を1つずつ紐解いていこうと思います。
まず、最初は「分類あるいはメタデータ」について。

メタデータの歴史

ピーター・モービルは『アンビエント・ファインダビリティ』の中で、メタデータの歴史について、次のように記述しています。

カード目録の利用の歴史は、紀元前650年のアッシリア帝国の首都ニネベにまでさかのぼる。当時、アッシュールバニパル王が、大まかな主題別目録と記述的書誌を備えた3万点を超える粘土板を所蔵する、王宮図書館を設立したのである。もちろん、広義の解釈では、メタデータは言語そのものと同じぐらい古い歴史を持つことになる。人や場所や所有物に名前を与える時、人間はそれらの対象物にメタデータによるタグ付けをしているというわけだ。
ピーター・モービル『アンビエント・ファインダビリティ』

ここでモービルは広義の解釈として名前そのものをメタデータとして扱い、対象物を名前つける行為そのものがタグ付けであることを示しています。
そして、それが紀元前650年にもなると、名前付けの対象として目録や書誌などの粘土板というインフォメーション・アーキテクチャそのものがカード目録というメタデータによる管理対象となり、その3万点もの粘土板とカード目録による王宮図書館というメタ・インフォメーション・アーキテクチャの成立につながることを示しています。

僕たちにはもはや当然としか感じられない名前とその対象の一致という名前付けが歴史的なものであり、かつ、それは言語誕生の歴史とイコールではないことが次のような例をみるとわかります。
スティーヴン・ミズンが『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』で提起した前言語的コミュニケーション形式Hmmmmmにおいてヒトは、言語を名詞や動詞に分節された言語ではなく、ある特定の音の連なりが全体的にある操作的な意味を有する言語によってコミュニケーションされていたと想像されています。

ホモ・エルガステルの原型言語は、全体的な発話からなっていた可能性が高い。アリソン・レイが提唱したように、それぞれの発話には固有の意味があるが、意味をなす下位単位(つまり、単語)はない。レイは架空の例を挙げてこのような発話を説明している。たとえば、「テビマ」という連続音節が「彼女にそれをわたせ」という意味で、「ムタピ」が「私にそれをよこせ」という意味だったとする。どちらの場合も、そして、ほかに想像できそうなどんな全体的発話も、個々の音節を発話の意味に登場する実体や行動に割り当てることはできない。これにもっとも近い今日の発話は「アブラカダブラ」の類だ。
スティーヴン・ミズン『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』

このような段階での言語は、対象に対して指示的ではなく、単に発話の相手に対して操作的であるにすぎません。したがって、この段階の言語=Hmmmmmはメタデータ的ではなかったことになります。
言語は必ずしも何かを指示するものではないことは、後にソシュールらの言語学において、シニフィエ(記号内容)なきシニフィアン(記号表現)が問題にされたのとは類似しているようにも思えますが、後者はあらかじめシニフィアンはその指示対象としてシニフィエをもつことを前提としている限りにおいて、Hmmmmmの全体的で操作的な発話とは異なるものです。
(参考:シニフィアンとシニフィエ- Wikipedia

メタデータは言語に必須のものではなく、単に歴史的に選択されたものであることがこのような研究からわかります。

言語を単語単位に分節化し、言語をメタデータ的に利用できるようになった時、それは同時に、ヒトに象徴的な記号を用いた、構成的な思考を可能にし、それまで20万年以上停滞していたヒトの文化を一気に進歩させました。洞窟に動物の絵を描いたり、赤を血の色を象徴するものとして利用したり、それらの行為は象徴的、構成的な思考が可能になってはじめて花開いたのだそうです。

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:3.構造と要素間の関係性:分類あるいはメタデータ:その1」の続き
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2006年10月20日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:2.構造と要素間の関係性:その概要

前回の「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:1.要素としての情報の種類」では、インフォメーション・アーキテクチャという器が受け入れる、要素としての情報の種類を抽出してみました。

情報の内容は要素に還元できない

しかし、

大好きな玩具をばらばらにしてしまった子供をみたことはあるだろうか? 元通りにできないとわかって、その子供は泣き出したのではないだろうか? ここで読者に、決して新聞記事にならない秘密の話を教えてあげよう。それは、われわれは宇宙をばらばらにしてしまい、どうやって元に戻せばいいのかわからないでいることだ。前世紀、われわれは何兆ドルもの研究資金を注ぎ込んで自然をばらばらに分解したが、今はこの先どうすればいいのか手がかりのない状況なのである−何か手がかりがあるとすれば、さらに分解していくことぐらいだ。
アルバート=ラズロ・バラバシ『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』

という還元主義の限界について書かれた、このアルバート=ラズロ・バラバシの言葉は、インフォメーション・アーキテクチャについて考える上でもとても示唆的で、つまり、要素はただ無闇に配置されたのでは、情報をきちんと伝えることができないはずだと考えます。

また、以前「成長には、素材よりも順番が大事?」というエントリーで紹介した、マット・リドレーの『やわらかな遺伝子』の中の、ディケンズの『デイヴィッド・コパーフィールド』に出てくる単語のリストは、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』に出てくる単語のリストとほとんど同じであるという話をみても、それはわかるでしょう。

この2冊の本に出てくる単語は、90パーセント以上は一致しているはずだ。それなのに2冊はまったく違う本なのである。差異は、使っている単語にあるのではなく、同じ単語群を違ったパターンや順序で使っているところにあるのだ。これと同じで、チンパンジーとヒトの差異の原因も、遺伝子の違いにあるのではなく、同じ3万個の遺伝子が違ったパターンや順序で使われている点にある。
マット・リドレー『やわらかな遺伝子』

もうすこしビジネス寄りの話をするなら、データベースを設計する際、商品テーブルの中に「料金」が含まれるのと、注文テーブルに「料金」が含まれるのとでは意味が違うことを考えてみてください。
前者の場合、その商品が定価で売られていることを意味し、後者は時価(注文に応じて料金が違う)で売られていることを意味します。

このような意味で、要素を抽出しただけでは、それは機能しません。
それが機能するには、パターンや順序を生み出す構造や要素間の関係性が規定されなくてはならないはずです。
それらが情報のコンテクストを生成し、情報を人間が理解できるものにするのだと思います。

さて、それでは、インフォメーション・アーキテクチャにおける、構造と要素間の関係性について考えてみることにしましょう。

「私的インフォメーション・アーキテクチャ考:2.構造と要素間の関係性:その概要」の続き
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2006年10月18日

私的インフォメーション・アーキテクチャ考:1.要素としての情報の種類

昨夜、開始宣言を行った「私的インフォメーション・アーキテクチャ考」。
今日からは早速、考察に入ろうと思います。
まず、最初は情報の要素の抽出からはじめてみようと思います。

情報の要素

前回、この考察でのスコープを「Webサイト」「書籍(雑誌やマンガ、電話帳、辞書なども含む)」「地図(それに類するもの)」「ゲーム」「テレビ番組」「音楽」「映画」「道路標識や店の看板など、街のサイン」「広告(主に印刷媒体)」としました。

これを元にまず、情報の要素の抽出を試みると、以下のようなものがあげられるのではないかと思います。

  • テキスト
  • 静止画像
  • 動画
  • 音楽
  • 音声
  • 背景となる物それ自体
  • その他

「音楽」「音声」は別の要素として扱ってみます。「音楽」という要素は、そもそも考察対象のほうにも「音楽」が含まれていますので、これを要素として扱うのはどうかとも考えましたが、「音楽」そのものの要素分類が個人的にむずかしかったことと、「音楽」が要素になる考察対象もいくつか含まれますので、そのまま活かしました。

「背景となる物それ自体」といってるのは具体的には、街のネオンサインなどの場合のネオンや印刷媒体での凝った素材の紙を使った場合のことを想定しています。基本的には、情報を考える場合、図と地の「図」のほうを指し、「地」のほうは無視することが多いと思いますし、実際、情報に接する場合も「地」は見えないことのほうが圧倒的に多いと思われます。それでもこれを要素に含めたのは「地」が見えなくなってはじめて「図」が成立すること、そして、それは見えなくても知らぬ間に質感を伝えていると考えたからです。

そして、もう1つ説明がいりそうな「その他」
ここで想定しているのは、信号機や先のネオンのような光が1つ。他にも道路のセンターラインや秤の目盛りのような線なども含まれるでしょうか。

要素だけでは・・・

要素としては、以上のようなものが考えられますが、要素だけでは、情報は成り立ちません。
同じ要素でも、意味が異なる場合があります。
文脈が異なれば理解のされ方が変わります
フレームが異なれば、フレーミング効果が働き受け手の判断も異なります

テキストがただ並べられているだけでは、本にはなりません。
本には適切な章立てがあったり、段落や見出しがあったり、目次や注釈があります。
本にははじめがあり、終わりがあり、それは文学作品やビジネス書、科学書などであれば、はじめから終わりへは線形に進んでいきます。

要素の組み合わせ、大きさや色などによる修飾、情報のボリュームや要素の並び順など、IAにおける構造や要素間の関係性が、情報の意味をあたえ、また、IAそのもののフォーマットを規定します。

次回は、この構造と関係性について

関連エントリー


 
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私的インフォメーション・アーキテクチャ考:0.何を行うのかの定義

tonosanさんの「時間的な配列×空間的な配列」っておもしろい」というエントリーですこし予告させていただきましたが、インフォメーション・アーキテクチャ(IA)というものについて、IAを本格的に学んだことがない自分なりにも一度整理をしてみようと思ったので、ここから実際にいくつかのエントリーで考えを整理していければと思っています。
直接のきっかけは、スティーブン・ジョンソンの『ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている』を読んで、ひらめいたことがあったからですが、これから書く考察には、その本だけでなく、ここで紹介してきた本やいろんな人との会話だったり、自分の経験から得たものをひっくるめる形で、一度整理できればと思っています。

考察の目的

目的は、先にも書いたように、IAというものについて自分なりの整理を行うことですが、こうしてブログで公開する以上、他の方が同じくIAについて考えるヒントになればとも考えています。

考察のゴール

ゴールとしては、IAを考える上での要素抽出、IA設計のプロセスの考察、1つの考え方としてのIAの構築手法について、自分なりに提示できればと考えています。

考察のスコープ

IAの対象となるものは、できる限り広く捉えようと思っています。すべてリスト化することはできませんが、目安としては以下のように考えています。
どちらかといえば、普段の生活や仕事に馴染み深い(僕自身はあまり馴染みのないものも含みますが)ものを中心に考察していこうと思います。

スコープ内とするもの
  • Webサイト
  • 書籍(雑誌やマンガ、電話帳、辞書なども含む)
  • 地図(それに類するもの)
  • ゲーム
  • テレビ番組
  • 音楽
  • 映画
  • 道路標識や店の看板など、街のサイン
  • 広告(主に印刷媒体)

スコープ外とするもの
  • 点字や手話などによる情報
  • おしゃべり
  • 絵画や写真作品
  • 彫刻など立体芸術作品
  • 味覚や嗅覚情報
  • 洋服や建物など、情報ともとらえらるもの
  • メールや手紙
  • 暗号類
  • 各種ビジネス帳票(場合によっては論じます)
  • 商品などの注意書き、成分表示
  • 役所等への届出書類
  • DNA情報

前提条件

先にも書いたとおり、僕自身はIAについては決して専門家ではありません。専門的な勉強はこれまでしてきていません。とはいえ、当然、Webの仕事に関わるものとしてまったくの素人というわけでもないでしょう。そうした前提条件をもつ僕が、特に必要に迫られる場合を除き、既存のIAに関する情報を参照せずに、これまでの知識を整理することを優先します。
そのため、本格的にIAについて知りたい方や、すでにIAについてよくご存知の方には、不適切な情報も含まれるかもしれませんが、そのあたりはあらかじめご了承いただければと思います。

スケジュール

今日より約1ヶ月間。11月19日(日)をもって終了とします。

メンバー

僕。その他、参加したいという方は、ご相談いただければメンバーになっていただくことも考えます。

コミュニケーション

このブログにて最低週に2本は関連エントリーを公開。外部の方とのコミュニケーションは、mixiの僕のコミュニティで行っていこうと思います。トラックバックでのコミュニケーションは歓迎しますが、コメントは議論の場と考えておりません。返信はしますが、あくまでご挨拶程度のものと考えていただけると幸いです。

以上の定義で、次回からさっそく本題に入ろうと思います。
まずは、要素の抽出から。

 
posted by HIROKI tanahashi at 00:48| Comment(1) | TrackBack(0) | IA | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする