2006年07月30日

このヒトを見よ 03:リソース

前回、「02:内部と外部/境界線の相対性」では、内部と外部は常にその境界線を組み替えながら、両者のあいだに関係性を構築することについて考えてみました。
とはいえ、この場合の関係性という言葉は、必ずしも両者の良好な関係ばかりを示すものではありません。

競争関係

前回、企業のマーケティングにおける関係性構築を例にしましたが、企業は外部の顧客との関係性において良好なものを目指す一方で、同じく外部の競合他社との関係においては主に競争関係におかれる場合のほうが当然、多くなります。
同じように、生物が環境適応のための自然淘汰を通じて進化を遂げる際も、内部(生物)と外部(環境)の関係は、協働関係である場合もありますが、競争関係が進化のエンジンとして機能することが多くあります。

例えば、捕食者と餌生物の関係に多く見られるように、捕食者の側が研ぎ澄まされた牙や強力な顎を進化させる一方で、餌生物の側ではより硬い甲羅で体表を覆ったりします。
また、逃げる側と追う側で、まさに追いかけっこよろしく互いにより早く走れるように生体のデザインを変化させたりします。

変化にはリソースが必要

しかし、変化するといっても、何もないところに突然、羽根が生えたり、アゴができたりするわけではありません。

脊椎動物に顎がなかった時代を思い浮かべてみよう。口の孔は開いているが、そこに開閉する顎構造は存在しない。口の周囲を見れば、そこには顎よりもはるか昔から存在する鰓弓(鰓)が陣取っている。(中略)もしこの鰓弓の前方部分、つまり口の孔に近い部分に蝶番が生じて、しかも筋肉でもって意のままに開閉できるようになったとしたら・・・・・。


脊椎動物は、アゴを進化させるためのリソースとしてはじめから内部にあったエラを用いたそうです。
同じように、鳥は羽根を作り上げるために元から爬虫類にあった前足を、コウモリはまた別の戦略をとり、前足だけでなく後足も使って羽根を作り上げました。
生物の進化に見られるこうした変化は、それ以前から内部にあったリソースをうまく用いることで達成されているのです。

つまり、そもそもデザインというのは、その大半が前のデザインのコピーであって、前のデザインはそのまた前のデザインのコピーなのだから、結局のところ現実の研究開発の革新は、最小のものとなる。
ダニエル・C. デネット『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』


これは企業が環境適応する際の変化を行う場合でも同じことがいえるのではないかと思います。

「このヒトを見よ 03:リソース」の続き
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2006年07月28日

このヒトを見よ 02:内部と外部/境界線の相対性

Web2.0を語る言葉の1つに「サイトの垣根を越えたシンジケーション」というものがあります。
その言葉は、具体的には、APIをオープンにすることでマッシュアップを可能にしたり、RSSやトラックバックなどのXML技術によりサイト間の情報のやりとりを簡便化することによるつながりを指していたりします。

Web2.0という環境

私はWeb2.0というものを現在のWeb環境とそれを取り巻く外部環境そのものの変化を指す言葉だと思っています。
ですので、「サイトの垣根を越えたシンジケーション」に関しても、「サイトの垣根を越えたシンジケーション」を行うことよりも、「サイトの垣根を越えたシンジケーション」が行われる環境であること、そして、それによってどんな変化があったかを重視します。
私自身は、Web2.0とは何らかの技術を指す言葉でも、それが儲かるのかと論議する対象でもなく、そうした技術や新しい儲けのスタイルが確立される環境、そして、その環境の以前の環境との変化自体が、Web2.0であると捉えています。

儲けのスタイルと環境といえば、やはりSWOT分析を思い出します。

企業の強み(Strength)、弱み(Weakness)、機会(Opportunity)、脅威(Threat)の全体的な評価をSWOT分析といいます。SWOT分析は外部環境分析(機会/脅威の分析)と内部環境分析(強み/弱みの分析)に分けることができます。
外部環境分析とは、企業あるいは事業単位が自らの利益をあげる能力に影響を与えるマクロ環境要因(経済、技術、政治、法規制、社会、文化)とミクロ環境要因(顧客、競合他社、流通業者、供給業者)の変化を観察し、関連する機会と脅威を見極めることをいい、内部環境分析とは、魅力的な機会において成功するコンピタンスが自社の内部にあるかどうかを強み、弱みとして評価することをいいます。

技術にしても、儲けのスタイルにしても、実は外部環境と内部環境の双方に関わるものです。
外部に技術はあっても内部にその技術を取り込めていなくては役に立ちませんし、儲けのスタイルも外部の環境に内部の環境の事業スタイルがマッチしたとき、はじめて機能します。

内部と外部の関係をいかに構築するかは、生物進化における自然淘汰においても基本となるものです。
つまり、いくら環境適応しようとしても内部にそのためのデザインを準備する下地がなければ進化は起こりませんし、いくら内部にデザイン変更の下地があっても外部環境に変化がなければ、デザイン変更は起こらないでしょう。



「このヒトを見よ 02:内部と外部/境界線の相対性」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | このヒトを見よ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月27日

このヒトを見よ 01:1.0と2.0

このヒトを見よ。
ヒトとは何か? 人はヒトの何を知っているのか?
ニーチェの『この人を見よ』(Ecce Homo, 1888)から拝借した、このテーマはしばらく続きそうなので、最初からシーケンシャルナンバー付で書くことにします。
とはいえ、結論となるものは見えていないので、書き連ねていくうちにGOALが見えてくれば幸い。

うしろが見えているか?

今日、名古屋駅のエスカレータで「ちょっとどうなの?」と思うシーンに出くわしました。
僕は仕事の関係で急いで移動しなくてはいけない状況でした。
ところが、なにやらチンタラと緩慢な動きでエスカレータの前をふさいでいる集団がいて、なかなかエスカレータに乗れませんでした。
何をやっているのかと苛立ちながら見てみると、2人1組の片方が目隠しをし、もう片方が目隠ししたほうの手を引いていました。そんな組が5組ぐらいあって、エレベータの前を完全にふさいでしまっていたのです。

ようするに、目隠しをしてエスカレータに乗ることを体験することで、視覚に障害のある人の世界を体験しようという主旨なんだと思います。
まぁ、それ自体はいいでしょう。
目隠しをしてまわりが見えない状況でエスカレータに乗ったりすることがどれだけ大変なことか、それでわかるのかもしれません。
ただ、いただけないのはモノが見えていないのは、目隠ししていないほうだということです。
うしろがつまっているのに、目隠ししていないほうがちゃんとエスカレータに乗れるかとか、そんなことばっかり気にしているようで、まったく周りの状況が見えていないのです。

それってたぶん、その試みの主旨を誤解してるんじゃないでしょうか?
自分がある日、突然、ものが見えなくなることをイメージすることも大事かもしれませんが、見えない人が街にいた場合、どう行動するのがよいかを学ぶ機会を与えようというのが、きっとその試みの主旨ではないかと思うからです。
眼の不自由な人がいたら、その人がエスカレータの乗り降りなどで困らないようフォローしてあげることももちろん大切ですが、その人がまわりの人の迷惑にならないよう、その人の目に代わって周りを見てあげることだって大切だと思うからです。

どこまで見えるのか?

何かに集中してしまうと周りが見えなくなってしまうことは、多かれ少なかれほとんどの人にあることだと思います。

自動券売機で切符を買うとき、エレベータの中で話が盛り上がってしまったとき、巷で流行っているバズワードに感銘を受けてしまったとき・・・。

こうした場合、問題は「何も見えていない」ことではなく、「何か特定のものだけが殊更見えてしまっている」ということです。

そして、こうした傾向は何も「何かに集中している」ときに限ったことではなく、そもそも、人間は自分の興味のあることだったり、自分が理解できるものに偏ったモノの見方をする傾向はあると思います。
そういう傾向はときには、他人の話に耳を傾けるより、自分の意見を相手に認めてもらうことにばかり意識がいってしまい、相手との間で生産性の低い論争を繰り広げてしまうということにもつながったりします。

つまり、下図で小さな円の重なった部分をみるか、3つの小さな円を含む大きな円を見れるかということです。



相手との話の中で相手との共通点を見るのか、あるいは、相手がいるにも関わらず自分の小さな円だけを見ているのか、それとも、相手の円も見つつ、両者を含む大きな円を描くことで当初は相手の中にも自分の中にも存在しない領域にまで思いを巡らせる視野の広さがあるのか
おそらく、普通に暮らしていれば感覚的な動物であるヒトは、強く意識して自分の感覚で見える以外のものを何かしらの方法で見ようとしなければ、自分の中の小さな円の中しか見えません。
ヒトにはそういう傾向があると私は思います。

「このヒトを見よ 01:1.0と2.0」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 00:58| Comment(0) | TrackBack(0) | このヒトを見よ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする