2010年03月19日

twitter辞めます

1ヶ月半ほど、twitterを続けてみて、800超のつぶやきをして面白さ、便利さは感じるようになりましたが、ちょっと思うところがあり、今日で辞めようと思います。
ケータイからアカウントの削除がわからないので、夜までアカウントは残りますが、今日中には削除します(P.S.アカウント削除完了しました 2010-03-19 17:28)。
フォローしてくれた人、短い間でしたが、ありがとうございました。
また、これからはブログに専念したいと思いますので、こちらでよろしくお願いします。
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2010年03月18日

現実は不可分であると感じる感性

今日はあらためて気づいたことがありました。

すこし前に「文脈から切り出し、抽象化する」というエントリーで書いたように、自分が観たもの、体験したものから特定の要素を抽象化する力が必要になります。そして、この抽象化の力というのは、記憶を文脈から切り離して抽象化し、コンテキストに依存しない形の意味記憶を生成できなければ、現実を分析して問題を発見し適切な改善を行うことはできないので、人間の進歩には必須の力です。

でも、今日気づいたのは、この抽象化の力に対して、ちょっと待てよ、ということでした。

「現実は不可分であると感じる感性」の続き
ラベル:抽象化
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2010年03月17日

コーディネイトを可能にする力

スタイリングということを考えた場合、スタイルをつくり出す方法としては大きく次の2つがあると思います。

  1. 単独のモノの形をデザインする
  2. デザインされた複数の単独な形をコーディネイトする

もちろん、2.は、1.がその前提にあって可能になる。かといって、1.が単独で日常に存在することはほとんど考えにくく、ほぼ必ず2.の必要性が生じます。その意味で、1.と2.の関係は単純な主従関係ではないでしょう。

また、違う見方をすれば、1.はモノをデザインするデザイナーの領域、2.はデザインされたものを日常的に使用する僕ら生活者自身の領域だといえるでしょう。

ドナルド・A・ノーマンは、『エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために』のなかで「我々は皆デザイナーだ」と言っています。
「製品のデザインは目標を誤っていることが多」く、「購入した既製品は、かなり満足に近いところまではいっているかもしれないにしても、ニーズにピッタリくることは少ない」が、それでも「幸いなことに、我々は別々の品物を自由に買って、自分にとってちょうどうまく機能するようにそれらを組み合わせることもできる」とノーマンは言います。これはまさに今の文脈でいうところのコーディネイトです。

我々は皆デザイナーだ。そうである必然性があるからだ。我々は自分の人生を生きていて、喜びも悲しみも、成功も失敗もある。人生を通して、自らを支えるために自分の世界を構築する。それぞれの機会、出会った人、訪れた場所、手に入れたモノは、特別な意味、特別な情動的感覚を引き起こす。これらは自分自身、自分の過去や未来への絆なのだ。何かから喜びが得られたとき、それが人生の一部となったとき、それとのインタラクションの仕方が社会や世界における自分の場所を決めるのに役立ったとき、それが好きになる。デザインはこの方程式の一部である。

「自らを支えるために自分の世界を構築する」、「自分の過去や未来への絆」をつくる、その形態形成の方程式の一部をデザインという。もちろん、そのデザインには、1.の意味での個別のモノのデザインと2.の意味でのコーディネイトの両方を含んでいるはずです。

「コーディネイトを可能にする力」の続き
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2010年03月16日

汚れてナンボのデザイン

この週末は京都に行ってきました。
土曜日にライフスタイル研究室の京都会議という名目で河井寛次郎記念館や寺町二条あたりを散策し、夜は東山花灯路に。そして、日曜日は鞍馬山〜貴船神社を観光。

このあたりはまた別途書くこととして、1つ気づいたこと。それは僕の普段の格好って、基本的に山でもOKな仕様だな、ということ。
舗装されていない路を歩いて、靴が泥だらけになっても平気。木の枝に服がひっかかっても破れたりしない。靴はブーツだし、来ている服もデニムやダックやキャンバスなどの丈夫なコットン素材が多いな、と。汚れたら洗えばいいので、そんなに気にせず着られる。それでいて、いかにもなアウトドア仕様の服じゃないので、デザインはどちらかというとワーク。なので、街中で着ていても違和感はない(はず)。

汚れても平気、多少なことでは壊れない、というのは大事かなと思うんです。

「汚れてナンボのデザイン」の続き
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2010年03月10日

没後400年 特別展 長谷川等伯

先週末の土日は、インタビュー調査の仕事をしていたので、今日の午前中は代休をいただいて、東京国立博物館平成館で開催されている「没後400年 特別展 長谷川等伯」に行ってきました。

展覧会公式サイトhttp://www.tohaku400th.jp

平日の午前中だから、そんなには混んでいないだろうと高をくくっていたのですが、甘かった。平成館の入り口にすでに長蛇の列。入場規制をしていました。待っていた時間は10分程度ですが、中に入れば、とうぜん、その人たちが見ているわけで最前列から見るのはほとんどあきらめました。
これから行く人は、すくなくとも会館前の9時半には並んだほうがいいかも。

「没後400年 特別展 長谷川等伯」の続き
ラベル:長谷川等伯
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2010年03月09日

文脈から切り出し、抽象化する

観察した自然を切り取る。体験した場のエッセンスを抜き出す。交わった相手の良さを引き出す。こうしたことを行うには、自分が観たもの、体験したものから特定の要素を抽象化する力が必要になります。
つまり、自然を観て絵を描く。体験したことを元に文章を書く。相手の良さを引き出すプロデュースをする。こうした創造的活動には、抽象化の力があることが前提になるのです。

最近、この「抽象化」ということを考えています。
抽象化にはまず自分が実際に観たり触れたりする現実の文脈から要素を抜き出せないといけません。要素を抜き出し、必要な要素だけに単純化し、単純な要素だけで事象を組み立てる力が抽象化です。

例えば、街できれいな女性を見かけたとしましょう。
あとで、その女性のことを思い出すとき、僕らはその女性の姿すべてを思い出すわけではありません。自分が「きれいだ」と感じた要素を抽象化した形で記憶しているはずです。

あるいは、似顔絵を描くとき。似顔絵もまた、その対象となる人のすべてを写し取るわけではありません。その人らしさを抽象化して、描くことで似顔絵になる。
逆に、抽象化の程度がすくなくて、あまりにリアルな画像は不気味に思えたりします。リアルな人形が不気味に感じられるのもそのせいでしょう。

「文脈から切り出し、抽象化する」の続き
ラベル:抽象化
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2010年03月07日

人の身体が織り成す形

ランスロット・L・ホワイトは、『形の冒険―生命の形態と意識の進化を探る』という本のなかで、物質、生命、精神というものの謎を、科学的に解く際に必要な視点として、物理学や生物学、脳科学といった各専門分野に分かれたバラバラの見方ではなく、より統合的な視点による考察が必要であろうと1954年に書いています。

その統合的な見方において重要であろうと、ホワイトが考えているのが「形態形成プロセス」。

物質にせよ、生命にせよ、精神による思考や認知にせよ、結果として生まれる固定した形を中心に考えるのではなく、それが形成されてくるプロセスやその仕組みについて考察することで、カテゴリー間でバラバラに捉えられ、それゆえに解けなかった謎が、それまでとは異なる統合的なアプローチで解けるきっかけが得られるだろうとホワイトは考えます。

「人の身体が織り成す形」の続き
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2010年02月27日

形をめぐる冒険のはじまり

さっきも書きましたが(cf.「古を知ることから新しさが生まれる」)、ランスロット・L・ホワイト『形の冒険―生命の形態と意識の進化を探る』を昨日から読み始めました。
実はこの本、あるところで僕自身の「冬休みの課題図書」として7冊ほど挙げていたもののうちの1冊ですが、いろいろと寄り道しているうちに、すっかり存在を忘れていました。

それを思い出したきっかけが、twitter上での@miiiyamさんとの「飾り」に関するやりとり。そこにタイミングよく@MURAIIIさんの、40年前の設計図面から「手描きの線の濃淡使いがうまくて、設計意図がすごく伝わってくる」という話がタイミングよく重なってきて、さらに@yusuke_arclampさんの「手紙でもメールでも情報に形を与える意味では同じ。ただし、手紙では身体性の痕跡が情報そのものに残り、メールではデータという論理モデルに抽象化される」なんてつぶやきが目に飛び込んでくると、これは「形の会」なるものを開いて、徹底的に話をしてみるとおもしろそうだなということに。
この一連の流れは、ご面倒でも僕のTLを辿っていただくこととして、とりあえず3/4(木)に先の3人の方とまず第1回の会合をもつことに決定。

そんな流れの中、あらためて形というものを考える材料を取り込んでおこうと思って、手に取ったのが、ランスロット・L・ホワイト『形の冒険―生命の形態と意識の進化を探る』です。最初に何を読もうかなと思ったとき、頭に浮かんだのは杉浦康平さんらによる『形を遊ぶ』でしたが、本棚を見てこの本があったのを思い出したわけ。当然ながら、先に「冬休みの課題図書」に挙げていたくらいなので、読みたかったんです。そこに加えて僕自身のなかで新たに読む際のテーマが見つかったんですから、これは俄然読む気がわいてきたというわけ。

「形をめぐる冒険のはじまり」の続き
ラベル: 形態
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古を知ることから新しさが生まれる

唐突にTwitterでのつぶやきから。

利休は花も変えてしまったと言います。それまで神=彼方に向けて立てた花を、こちらに向けて立てるようにした。茶室を壁で囲ったのも利休ですね。古を知るから出ることの出来た杭なんでしょうね。

茶の湯を大成したといわれる千利休ですが、実は華道においても革新的な人物であったようです。
利休以前、花というのは、今のように立てた花を人の側に向けるのではなく、あちら側に向けていたといいます。供花の意味合いが強かったのでしょう。
それを利休が180度反転させた。花がこちらを向いているように生けた。死者や神に向けて生けていた花を、生きている自分たちに向けた。竹を割って花入をつくったこと以上に、花の伝統からみれば文字通り大きな転回だったのではないかと思います。

それから、茶室の壁。
日本建築に壁ができたのは、それまで書院造の建物の一部を毛氈などで囲った仮説的な場をつくって行われていた茶の湯の空間を、千利休が壁で囲われた茶室に移し変えたことからはじまっていると内田繁さんは『茶室とインテリア―暮らしの空間デザイン』書評)で書いています。

「古を知ることから新しさが生まれる」の続き
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2010年02月10日

お利口であるのをやめよう

既存の尺度で評価できるものはすでにわかっているものだ。当たり前だと評価なものは、そもそも何を当たり前だと思うかの基準かあるから、その基準に当てはまるかどうかが判断できる。
ところが、その当たり前の基準は必ず過去の先例に基づいて形成される。つまり未来において当たり前になりうるものかは判断できない。いや、大抵の場合は当たり前ではないとして弾かれる。

ここにイノベーションの芽を摘む1つの要因がある。

「お利口であるのをやめよう」の続き
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2010年02月06日

民衆化とはなんだったのか?(デザインの誕生7)

だいぶ間があいてしまいましたが、「デザインの誕生」シリーズを続けます。
前回の「下剋上と文化の平民化」では、西洋でのルネサンスとほぼ同時期に、雪舟がボッティチェルリやダ・ヴィンチの同時代人として、山水画の日本化を果たした時代性に着目し、その時代が既存の社会システムを下から突き崩した時代であり、文化や経済が民衆化した時代でもあったことの確認をはじめました。

そのあと、この時代についてもうすこし詳しく理解しておかなくてはと思い、桜井英治さんの『室町人の精神』を読んだのですが、その時代の下克上という変化は僕が想像していた以上に劇的で、まさにルネサンスが西洋世界を近代に向けて一変させたのと同様、日本社会をこれまた近代の土台をつくる方向に大きく変化させた時代であったことがわかり、僕は唖然としています。

この唖然とした事柄をはやく紹介しようと思いつつ、すでに10日以上の時間が過ぎてしまったことは、自分の行動力の愚鈍さを嘆きたくなりますが、気を取り直してリスタート。

「民衆化とはなんだったのか?(デザインの誕生7)」の続き
ラベル:室町時代
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2010年01月22日

手入れとデザイン

僕は『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』のなかで、「いま自分たちが置かれた状況をすこしでも良くしようと思って仕事をしているのなら、その仕事はデザインなのです」と書きました。

でも、実は「デザイン」とは別にもうひとつ、自分たちが置かれた状況をすこしでも良くしようと思ったときに、人間が使える方法があると思っています。

それが「手入れ」。

養老孟司さんは『手入れ文化と日本』書評)のなかで、こんな風に言ってます。

自然というのはみんなそうですが、「自然のまま」にしているわけです。それに対して人工そのものの意識というのは「思うようにする」ということです。自然は思いのままにならない典型です。自然は非常に強いものですから、これを思いのままにしようとしても無理だということはわかっています。そこでどうするかというと、これに手入れをして人工のほうに引っ張るわけです。これが本来の手入れです。

と。

これが、自分たちが置かれた状況をすこしでも良くしようと思ったときに、「デザイン」以外で人間が使えるもうひとつの方法である「手入れ」。

僕は最近「人間がつくれないモノ」ということをよく言うんですが、そのときの方法としてこの「手入れ」を意識しています。

「手入れとデザイン」の続き
ラベル:手入れ
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2010年01月19日

下剋上と文化の平民化(デザインの誕生6)

前回の「コトをモノにした時代」の最後に、雪舟が「中国離れ」を開始した時期が、応仁の乱の時期であり、それは内藤湖南さんが『日本文化史研究』(書評)のなかで、日本文化の中国からの独立し、さらに文化が庶民レベルのものに変化していくのが応仁の乱以降であるとしたこととの重なりをみると、非常におもしろいことだと書きました。

かくのごとく応仁の乱の前後は、単に足軽が跋扈して暴力を揮うというばかりでなく、思想の上においても、そのほかすべての智識・趣味において、一般に今まで貴族階級の占有であったものが、一般に民衆に拡がるという傾きをもってきたのであります。これが日本歴史の変わり目であります。

この「日本歴史の変わり目」に雪舟はいた。それまで中国を真似るだけであった水墨画を、日本の水墨画にした。

いや、雪舟だけではない。
松岡正剛さんの『山水思想―「負」の想像力』書評)を参照すれば、それが確かに内藤湖南さんがいうように、文化においても「日本歴史の変わり目」だったことが浮かび上がってくる。

ここには日本感覚や日本流をあらわすための「日本という方法」が生まれてきたのである。(中略)その方法は水墨画だけに生まれてきたのではない。雪舟の時代にしぼってみても、珠光の茶にも、池坊の花にも、床の間にも、枯山水にも、書院にも、会所にも、その方法は動き、その方法が日本感覚と日本流の表現をつくるあげていったというような、そういう方法である。

侘び茶の祖といわれる村田珠光(1423-1502)は「此道の一大事ハ、和漢之さかいをまきらかす事、肝要肝要」といいました(「此道の一大事ハ、和漢之さかいをまきらかす事」参照)。それまで中国や朝鮮のものを名物としてきた茶の世界で、和物にも良さを見出し「和漢之さかいをまきらかす」ということで、唐物と和物を同じように使うことを大事にした。それが千利休の茶にも、その楽茶碗にもつながっていきます。

しかし、なぜ応仁の乱を境に、日本文化の「中国離れ」が起こったのか。
それは具体的には、どのような「中国離れ」だったのか。

今回と次回にわたっては、そのあたりをすこしずつ紐解いていこうと思います。

「下剋上と文化の平民化(デザインの誕生6)」の続き
ラベル:室町時代 下剋上
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2010年01月17日

コトをモノにした時代(デザインの誕生5)

1週間ほど前、「明るすぎる世の中で」というエントリーを書こうと思ったのですが、なんとなく書くタイミングを逸して書くのを忘れていました。

書こうとしたきっかけは2つあります。

ひとつは田中優子さんが『未来のための江戸学』書評)の第4章の「江戸の照明」という「照明は明るいほうがいいのだろうか?」の一文ではじまる節で、江戸の夜の暗さの美しさに触れていたのが印象深かったから。
田中さんは、その節で、上田秋成の『雨月物語』も、吉原の太夫の薄化粧も、浮世絵も、江戸の暗さや薄暗い行燈の灯りゆえに美しかったと書いています。

カラーの挿し絵や浮世絵を見ることに関しては、問題ないどころか夜になって行燈の下で見るほうがいい。それを意識して印刷していたのではないか、とさえ思えるほど、浮世絵が美しい。「きめ出し」と呼ばれる、色を使わずに紙を凸にふくらませた部分や、「きら摺り」と呼ばれる雲母を使用した色摺りなどは、その効果の意味が行燈の下で初めてわかる。ほんとうに立体的に見えるからである。浮世絵は行燈を使った仮想現実であった。

江戸時代より前に遡れば、金色に輝く仏像や仏画もおなじようにろうそくの灯りに照らされてはじめて輝かしい浄土をイメージさせるものになるというのを、たしか松岡正剛さんの何かの本で読んだことがあります。

もう1つは昨年の暮れに、その松岡さんが主催する連塾というイベントに参加した際、資生堂名誉会長の福原さんが「昼間の星を見る」という話をされていたのが、これまた印象に残っているからです(「詩のことば、合理の言語」参照)。
昼間の星どころではないなと思うのです。夜の暗さを失った僕たちは、空にはたくさんの星があることを忘れています。例えば、西表島などの明かりがない場所にいけば、夜の空には驚くほどの星があるのがわかります。
明るすぎて夜の美しさを失った僕たちは見えないものに対する想像力をもたないといけないような気がします。

「コトをモノにした時代(デザインの誕生5)」の続き
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2010年01月15日

サブジェクトからプロジェクトへ(デザインの誕生4)

ルネサンスが主観と客観を発見し、マニエリスムが両者の裂け目を発見した。

前回の「主観と客観の裂け目の発見」では、その主観と客観の裂け目に対する自覚とその裂け目を埋めるために、はじめて各々が芸術的規則の創造者であろうとする人間の精神的態度がマニエリスム期に芽生えたことを指摘しました。

僕はここに「デザインの誕生」の瞬間を見ます。

客観的な世界と自分との裂け目を超えて、自らの内的構図によって外的世界を変えようとする意思とその具体的な実践。そこに僕自身が『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』で「いま自分たちが置かれた状況をすこしでも良くしようと思って仕事をしているのなら、その仕事はデザインなのです。あえて定義するならデザインとは、人間自身の生活、生き方、そして、生命としてのあり方を提案する仕事です」と定義した「デザイン」につながる精神的態度がはじめて意識として生まれたのだろうと考えるのです。

「サブジェクトからプロジェクトへ(デザインの誕生4)」の続き
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主観と客観の裂け目の発見(デザインの誕生3)

前回の「ルネサンスの背景(デザインの誕生2)」の最後に、ルネサンスの中世からの変革の背景を支えた思想に、ネオプラトニズムがあったと書きました。

ネオプラトニズム(新プラトン主義)は、はじめ紀元3世紀頃にプロティノスによって開始され、ルネサンス期に再び盛んになった思想です。古代ローマ帝国の流れをくむ東ローマ帝国が1453年に滅亡にした際、多くの知識人が携えてきた古代ギリシャ・ローマの書物や知識がイタリアにもたらされます。中世のスコラ哲学ではアリストテレスの思想が重視されたこともあり、プラトンの思想(もしくはその思想は背景としたネオプラトニズム)はいわば忘れられた存在でした。それが東ローマ帝国からの古代の知の流入をきっかけにプラトンへの注目が集まることになる。
1463年にはマルシリオ・フィチーノはプラトン全著作のラテン語翻訳を開始し、1474年には『プラトン神学』、1475年にはプラトンの『饗宴』の注釈書の形をとった『愛について』を著します。フィチーノはさらにヘルメス文書の翻訳や実践的な占星術の研究も行っており、それをプラトン主義にも融合させていく。そのヘルメス主義を融合したネオプラトニズムは、弟子であり、ユダヤ人以外でははじめてカバラを極めた人物とされるピコ・デラ・ミランドラにも受け継がれます。

こうしたネオプラトニズムの思想が、マニエリスム期になるとツッカーリなどにより芸術理論へと統合されます。
ディゼーニョ・インテルノ(デザインの誕生1)」で書いたとおり、ツッカーリは「わたしたちの精神にあるイデア」とプラトンの用語を用いながら、それを「内的構図 Disengo Interno」と呼びました。さらにツッカールにツ続いて、ジョヴァンニ・パオロ・ロマンツォが『絵画聖堂のイデア』という著作でネオプラトニズム的方向性を帯びた芸術理論を提示します。このロマンツォの著作は、フィチーノがプラトンの『饗宴』の注釈として行った演説での美に関する部分を引き延ばしたものだといわれます。

「主観と客観の裂け目の発見(デザインの誕生3)」の続き
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2010年01月12日

ルネサンスの背景(デザインの誕生2)

「デザインの誕生」、デザインの起源、発生を考えてみようという試み。
前回の「ディゼーニョ・インテルノ(デザインの誕生1)」では、1607年にマニエリストのフェデリコ・ツッカーリが「絵画、彫刻、建築のイデア」で提示した、「内的構図 Disengo Interno」という概念に着目してみました。

Zuccaro selfport.jpg
"Zuccaro selfport" by フェデリコ・ツッカリ - La bildo estas kopiita de wikipedia:en. La originala priskribo estas: Federigo Zuccaro, self-portrait, 1588.
Image from [1].
Original in the Uffizi Gallery, Florence.. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.


マニエリスムの芸術家たちが、盛期ルネサンスの芸術家たちの数学的技法による自然の模倣を放棄し、自らの「心の内面でとらえられた世界のイメージ」である「内的構図 Disengo Interno」を紙の上に投影させはじめたとき、何かが変わり始めたのではないかと僕は考えています。
神の創造を模倣することの範疇にあった芸術が、そこから離れ、自己の内面の構図ー「イデア的概念」の投影に意味をもたせはじめたとき、自身の内面にあるヴィジョンを外界に投影し、あるべき世界を実現するというデザインへの端緒がみえはじめているのではないかと思うのです。
そのとき、「創造」「発明」が神の行為だけを指す言葉としてだけではなく、人間の行為も指す言葉になりはじめたのではないか。

実はマニエリスムに先行するルネサンスに、すでにその萌芽がみてとれます。

ルネサンス以前は、芸術理論は実践の中から生まれた。ところがルネサンスでは、芸術の実践が理論から生まれたということ、そして中世の職人ー建築家、職人ー彫刻家と違って、ルネサンスの芸術家は多くの場合、理論科学者であり、自分の美の世界に統一を、比率体系の閉じた世界を押し被せようとしたことである。

ルネサンスは、中世ゴシックの抱えた二律背反的な傾向ー理想主義と自然主義ーを解決するために、数学的な技法(比率や遠近法)を使った美による統一を目指しました。
エルヴィン・パノフスキーは『イデア―美と芸術の理論のために』のなかで、中世の模倣の手法を「自然が創造したものを模倣するのではなく、自然が創造を行うその仕方で、一定の手段で一定の目的を達成したり、一定の形相を一定の質量のなかに実現させつつ、制作を行う」と評しましたが、ルネサンスの芸術家がこの「自然が創造を行うその仕方」を数学的な比率やシンメトリーとして捉え、中世の模倣を拡張し、それが果たせなかった統一性をもった美を表現できるようになったのだといえます。

このルネサンスの時点では確かに、模倣という範囲には収まっています。
しかし、実践と理論の関係が逆転しているところに、ツッカーリが〈外的構図〉としての芸術作品それ自体よりも、〈内的構図〉としての芸術家の内なるイメージ=イデアを重視したことにつながる転換を同時にみることができる。

では、何がルネサンスの芸術家にこうした変化を促したのか。
中世ゴシックの理想主義と自然主語のたがいに背反的な傾向のあいだを統一させる方向に向かわせるのに、どんな背景があったのか。
「ルネサンスの背景(デザインの誕生2)」の続き
ラベル:ルネサンス 歴史
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2010年01月10日

ディゼーニョ・インテルノ(デザインの誕生1)

僕の最近の関心事の1つは「デザインの誕生」です。

昨日、僕が解説を書かせてもらった、ヘンリー・ペトロスキーの『フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論』書評)が出版されましたが、そこで丁寧に描かれた近代のデザイン・エンジニアリングによるイノベーションの歴史やそのメカニズムよりも、僕自身はそもそもイノベーション=デザインということが歴史上、新しい観念として誕生した瞬間にこそ興味をもっています。

現代の僕らにとってはその存在が当たり前になってしまっているデザインというものが、ほかの多くの発明品同様に歴史上のある時点から観念として浮上し、利用可能になったものであるということ自体をきちんと整理、理解してみたいと思っています。
僕のなかには「生産力よりも消費力」で書いたような、デザインが未来を提示する、つくるということ自体が機能しづらくなっているのではないかという危機感があって、その危機を乗り越えるためには、一度、デザインの起源に立ち返らないといけないという思いが強くある。そのデザインの起源とは、いわゆるモダンデザインのお作法がバウハウスなどの活動によって整えられてきた第1次世界大戦後の時代ではなくて、もっとずっと歴史を遡ったルネサンス期のヨーロッパではないかと思うのです。

しばらく、そんなことを続けて書いてみようと思うのですが、まずは思考の基点を、高山宏さんの『表象の芸術工学』書評)のなかのこんな記述、

いずれにしろOEDによると、英語としてのdesignが出てくるのは1593年が最初です。「絵」の用法では1638年が最初。要するにその界隈ですね。そしてぴったりその時期の1607年、「ディゼーニョ・インテルノ disegno interno」という言葉が、マニエリストのフェデリコ・ツッカーリ(1542-1609)の「絵画、彫刻、建築のイデア」というエッセーの中に登場しました。今まで長い間、ヨーロッパのデザインは基本的に外界にあるものをたくみに写す技術、ミメーシスの技法でやってきた。ところが1607年の時点で、英語にすると「インナー・デザイン」、この講義だったら「インテリア・デザイン」としかいいようのないイタリア語のディゼーニョ・インテルノ、「内側にあるもののデザイン化」という意味が出てきた。

においてみようか、と。

「ディゼーニョ・インテルノ(デザインの誕生1)」の続き
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2009年12月30日

デザイン思考の仕事術・実践編

最近、ライフスタイル研究会(仮)準備室の活動をしていて、これは「デザイン思考の仕事術・実践編」だなと感じています。
昨日も第1回目のリアルな場に向けた準備のためのプレ会議を僕を含め、4人のメンバーでやりましたが、あとで思ったのは今日話してたのは本の5章で書いた「職場作分術」の職場の作分の話にほかならないなということ。第1回の会議に向けて、結構・手続き・趣向を考えてました。

プレゼンにパワポは使わないとか、代わりに話のネタになる小道具なんかがいるねとか、式次第はどうで誰が司会者をやるかとか。
あとは僕が昨日2時間かけて書いた会の活動の方向性に関連した情報をダイアグラム化したマップをみながら、これは全部しゃべったら4時間でも5時間でもしゃべれるのでエッセンス化して編集しなおさないといけないなとか。

そんな話をしていると、ひとりでは悶々として見えなかったことがクリアになってきたりします。
まだネットを介してしか参加してもらってないメンバーにはピンとこないと思いますが、これはまさにデザイン思考の仕事術を実践的にやっていくのにふさわしい場だなと感じています。「デザイン思考の仕事術・実践編」の続き
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2009年11月17日

TAMさんのサイトに対談記事「対談 棚橋 弘季−爲廣 慎二」

ちょっとご報告。

ユーザー中心設計を得意とする大阪に本社をおくWeb制作会社TAMさんのサイトに、TAM代表の爲廣さんと対談した記事が載りました。

iPhoneやTwitterなど、コミュニケーションやインターネットライフを変えるデバイスやらサービスが登場するなかで、人々が情報や世界に接するスタイルはますます変化・多様化する傾向にあります。ペルソナを使ってターゲットユーザーの生活行動をとらえ、そこからビジネスやWebの形を探って行く必要が高まっています。

TAMさんには実は今年の7月にペルソナ/プロトタイピングを中心にしたユーザー中心設計のワークショップをやらせていただいた縁で、いまもお付き合いさせていただいてます。

ぜひご一読いただけると幸い。

対談 棚橋 弘季−爲廣 慎二
http://www.tam-tam.co.jp/tamlog/01.html
ラベル:ペルソナ
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