人間の思考方法と情報の交通の速度や経済性について考える
デザイナーさんなどを中心にこんな風に考える人がたまにいます。
手で描きながら何かを考える方法って人間にとってはとても自然で本来的な思考の方法だ、と。
んー、果たして、そうなのでしょうか?
僕自身も、絵や図を描いたりしながら自分の考えを発展させ、まとめていく方法というのは、思考方法としてとても有効だし、誰もがそういう思考方法を身に着けておけばいいと思っています。
でも、それが「人間にとってとても自然で本来的な思考の方法」だとは考えません。
そう考える人はある基本的なことを忘れていると思うんです。
手で描いて考えるために不可欠な筆記具も紙も、残念ながら、いまのように誰でも気軽に利用できる代物ではなかった時代があったということを。
筆記具や紙という人工物がなければできない思考方法が、人間という生物にとって自然で本来的であるはずがないということを。
そう。昨日の「僕たちはいつも間違えてる、だから…」で「デザイン思考」が歴史的思考方法だと書いたのと同じです。
描きながら考えるという思考方法が「とても自然で本来的な思考の方法」なのではなく、歴史的に筆記具や紙という人工物をある程度日常的にも利用可能な環境が整って以降のそれらの使い方も含めた意味でのリテラシーであることなどの、僕ら人間を動かしているものに気づくことこそ、昨年以上にこれまで無意識のうちに信じてきた様々な既成観念が崩壊するであろう2012年に、「次」を考える上では大事な「問題提起力」には欠かせないことだと…