「ルネサンス期の蒐集家たちに学ぶ”未知”との付き合い方」と「想像できるからこそ世界はデザインできる」

完全にこちらのブログは更新が止まっていますが、会社のブログのほうに2つ記事を書いたので紹介。 「ルネサンス期の蒐集家たちに学ぶ”未知”との付き合い方」 "理解する"ことと"創造する"ことの深いつながり。従来の文脈とは異なる価値=意味をもたらすイノベーションが求められる時代だからこそ、未知の物事を自分自身で理解、解釈する力が求められているのだと思う。そんな考えをひさしぶりにブログ記事の形で書き出してみた。 「想像できるからこそ世界はデザインできる」 プラトンやアリストテレスなどのギリシアの哲学者は、哲学は驚きからはじまると言った。驚きこそが知的探求のはじまりにあると。 けれど、同じものをみても、驚けるかどうかは見方次第である。ゆえに知とイメージ力は関係する。 そして、なによりイメージする力、想像する力がなければ、思い通りの世界はつくれない。 そんな関係性をブログにまとめてみた。 興味のある方はご一読いただければ。

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思考の歴史というものを考えてみたい(前編:中世、そして、15-16世紀)

何のためかはひとまず置いておいて、先日、ふと思い立って、15世紀から19世紀にかけての芸術や科学にまつわる歴史的な出来事を中心に気になるトピックをポストイットに書き出し、並べてみるという1人ワークをやってみた。 やってみると、やはり面白いものでいくつか時代の変換点といえる地点が見えたり見えなかったりしたので、今回はそれをざくっとまとめてみる。

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いやしくも生について正確に伝えようとするなら病的になる他ない

本を読んでいて興奮することの1つは、いままさに読んでいる本の言葉の1つによって、いろんな別の本に書かれた内容がつながり、なるほど!と思える1つのストーリーが自分のなかで編集的につくられることだったりします。 昨日もバーバラ・M. スタフォードの『ボディ・クリティシズム―啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化』を読んでいて、以下の一文に差し掛かったとき、別の本に書かれたさまざまなことが僕のなかでつながりました。 苦悶する肉体の許されぬものと官能ばかりを描く20世紀アイルランドの画家、フランシス・ベーコン(1909-1992)が、自らのおぞましい画像の数々を説明して、こう言っている。「いやしくも生について正確に伝えようとするなら病的になる他ない」、と。 バーバラ・M. スタフォード『ボディ・クリティシズム』 スタフォードのこの本は、そのサブタイトルどおり、18世紀の医学とアートの深い共犯関係を明らかにしながら、その過程での「イメージ化」に際しての新古典主義的なものとロマン主義的なものの対立に幾度となく言及しています。 その1つの言及が先の引用であり、時代的には2世紀ほど下った時代のベーコンの言葉を引きつつ、ロマン主義的なるものが何故、病的なるものや汚れたもの、そして、暴力や死などに美を認めるのかという点について言及しはじめるのですが、この文のすぐ先には「生とは気味悪いしるし付け、まず性交、そして暴力的死であるに他ならない」といったことも書かれていて、このあ…

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デザインの体幹 Vol1&2 のスライドをシェア

5月から「デザインの体幹」というトークセッションイベントをやってます。 前にこの記事で紹介した「デザインの深い森」というイベントの続編です。 ▲昨夜の「Vol2.物語編集力」のスライドの一部。物語編集力を実践で示すためにつくった15世紀東西の歴史年表 「デザインのための4つの領域を鍛える連続トーク講座」と銘打って、ファシリテーション/物語編集/リフレーミング/構想の4つのテーマを1回ずつ、僕と千葉工業大学の山崎先生にプラス、テーマに応じたゲストを迎えてトークを行うイベントです。 昨日は、Vol2.ということで「物語編集力」をテーマに話しましたが、結構、ディープでカオスで参加者の頭を悩ませるトークが繰り広げられました。 ゲストの方を含めて3人それぞれが三者三様の形でテーマを噛み砕いて話すので、これが「物語編集」だとか、物語編集とデザインの関係が決して一義的に語られることなどは一切なく、イベント設計者の企図どおり、とっても理解がむずかしく頭をひねられる会になってるのがよいなと思います。 今回は、その一部として僕のパートで話したスライドとVol1.の「ファシリテーション力」の際の資料もあわせてシェアします。

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見せる空間から参加する空間へ

最近「見せる場」のあり方について考えることが多くなっています。仕事でも、プライベートでも。 そもそも、ここ数年、プライベートで視覚文化と人間の知的活動や思考の関わりに関する歴史に興味をもって、いろいろ本を読んだり調べてみたりしたんですが、そこにたまたま仕事でもそうしたテーマに関わる機会が増えてきているので、結構楽しんでいます。 "L. A. ボワローとギュスターヴ・エッフェルによって1887年に建てられたボン・マルシェ Au Bon Marché (vue générale - gravure)" by 不明 - fonds Boucicaut. Licensed under CC0 via ウィキメディア・コモンズ. そんな僕がいま興味をもっているのが19世紀のヨーロッパ。 19世紀の半ばって、ある意味、それまで17-18世紀をかけて積み重ねられてきたヨーロッパにおける「視ること=分かること」というプロジェクトが、1つ別の段階にシフトするタイミングなんですね。 集めて、並べて、視覚的に意味を生成するという実験が次の段階に入って、集めて、並べることで経済活動を生み出す段階に入ったのが19世紀の半ばくらいなんです。 産業革命もだいぶ進んで、とにかく効率よく生産したものを、より効率的に売らなくてはいけなくなった時代です。そこで「集めて、並べて、視覚的に意味を生成する」というそれまでの実験が、ビジネスに結びついていくんですね。 例えば、その1つの象徴的な例が現在もパリにある…

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人間にとって「創造」という概念自体、発明品だったのかも…

前回の「デザインという思考の型から逃れる術があるのか?」という記事のなかでも告知していたイベント「デザインの深い森」。その第3回の講演を昨夜開催しました。 「ウロボロスの洞窟と光の魔術師」と題して行った講演は、keynoteのスライドにして105枚、しゃべった時間はあんまりはっきり憶えてないけど、2時間近かったんじゃないか、と。もちろん、最長講演時間の更新。質疑応答のときは声が出なくなりました。 ▲講演で使用したスライドのサムネイル(クリックして拡大すればもうすこし見える) それこそ2時間も話したので、その内容を要約するのは、むずかしいんですが、 17世紀中頃を境にした「見る」ことと「思考する」ことの関係の歴史的な変遷だとか似たような観点で「照らす」ことと「知る」ことの関係って?みたいなこととかそんな内容をレンブラントとルーベンスという2人の画家を、偶像破壊のプロテスタントと五感全体を使ってキリスト教を体感させようとしたカトリックという視点で対置してみたり、ルネサンス期のネオプラトニズムとヘルメス主義的魔術の融合がいかに戦火の時代の文化や思想、芸術に強い影響を与えたかだとか、その流れのなかであらわれた薔薇十字団という秘密結社の盛衰が後に、ユニバーサル言語という観点から、いかにあいまいなものを消し去り、絵をロゴスに従属させるものに変えていったか、など。 そんなことを、のらりくらりと話してみましたわけです。

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デザインという思考の型から逃れる術があるのか?

最近、デザインとは「思考の型そのものである」と考えるようにしています。 しかも、その思考の型は決して特別なものではなく、むしろ、現代に生きる僕たちはデザインという思考の型以外で考えられなくなっている。僕はそう考えるようになりました。 昨今、「デザイン」という概念の重要性が増し、誰もがその力を身につけようと方法論や事例をかき集める風潮がみられますが、この僕の観点からいえば、むしろ僕らはデザインという型を使わずに考えることができないのだから、本当に願うべきはデザイン力を身につけることではなく、いかにしてデザインという思考の型に無意識のうちに縛られている自分を自覚するか、デザインという思考を本当の意味で認識対象にするかということではないかと思うのです。 僕らはみな、デザイン力がないのではなく、むしろ、デザインという力を使ってしか考えることができないのだ、と。 ▲イベント「デザインの深い森」の第3回の内容を構想中 そんな風に考えるようになったのは、いま僕は千葉工業大学の山崎先生といっしょに月1でやっているトークイベント「デザインの深い森」の企画を考えはじめたときでした。第1回目で僕が話した内容は、1つ前の記事でもプレゼンスライド付きで紹介しています(ちなみに次回以降はスライド公開予定はないので、内容に興味のある方はぜひ参加してくださいね)。 このイベントは全6回のシリーズで僕と山崎先生が交互に講師役をつとめる形で進めているんですが、イベントを企画したきっかけは、昨今…

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スライド公開「デザインの深い森 vol.1 魔王のテーブルのうえで」

「“デザイン”そのものをリフレーミングする」をテーマに、千葉工業大学の山崎先生といっしょに全6回で開催するイベント「デザインの深い森」なるものをはじめています。 まず9月25日に「魔王のテーブルのうえで」と題して第1回目のイベントを開催しました。 山崎先生と交互に講演を担当する予定ですが、第1回目は僕が担当。 そのときのプレゼンに使った資料を公開します。 デザインの深い森 Vol.1 魔王のテーブルのうえで from Hiroki Tanahashi 今回は資料のみだとまったく意味がわからないので、講演用に書き起していたスクリプトとともに公開しました(keynoteでつくったものを発表者ノート付きでPDFにはきだし。まー、実際はこのまんまはしゃべってないけど)。 そのかわり絵が小さくなってるけど、そのあたりはご了承を。

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文学というデザイン

前回の記事の冒頭でも書きましたが、20代の頃の僕にとってヒーローは、夏目漱石でした。その後、シェイクスピアもそこに加わり、その2人がヒーローであることに変わりなく、いまに至っています。 僕がその2人をヒーローだと感じている理由は、その2人の文学者がデザイナーだからです。他にも数多くいるデザイナーのなかで、夏目漱石とシェイクスピアが、僕が憧れるデザイナー像なんです。 モノを作ることで人びとの生活を革新するのもデザイナーの役割だと思うんですが、僕はモノによる革新ということにはそんなに関心がないんですね。それよりも僕自身が文章によって人生を革新されている部分が大きいので、それを可能にするデザイン、その思考作業を実際に行う文学者にこそ憧れるんだと思います。そして、そのなかでも夏目漱石とシェイクスピアという2人の文学者が別格の存在だと思うわけです。 ところで、そんなことより多くの人は僕がなぜ夏目漱石やシェイクスピアのような文学者をデザイナーとして見ているかという点に疑問をもつことでしょう。 今回の記事の論点はまさにそこ。 文学はなぜデザインなのか?です。

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ジョン・ラスキンの思想から「デザインの本来」を考え直してみる

最近、自分のなかで「デザイン」という言葉への捉え方が変わりつつあるのを感じています。 それもあって、もう1回、自分のなかで「デザイン」って何だろう?というのを勉強したり、整理しなおしたりしようとしはじめました。 「デザイン」という言葉への捉え方が変わってきているという点では、まず「デザイン」の起源を今までとは違った形で考え直したいなという風に思っています。その起源をどう捉えるかで、デザインという言葉の占めるものも変わってくると思うからです。 数年前からしばらく僕は「デザインの誕生」をルネサンス期以降と考えていました。 Oxford English Dictionaryに、英語としての'design'が初出したのが1593年。 その後、イタリアのマニエリスト、フェデリコ・ツッカーリが1607年の「絵画、彫刻、建築のイデア」というエッセーの中に「ディゼーニョ・インテルノ disegno interno」という芸術家自身の内面のイメージを外化する方法を提唱することで、それまでの外界をありのまま模倣するミメーシス的な芸術観に対置しました。 "disegno interno"、英語にすれば、"interior design"です。 僕は、この頃を「デザインの誕生」の時期と考えていました。 そこではじまった人間の活動を「デザイン」と捉えようと思っていたからです。 もちろん、これは1つの見方であって、どういう視点で捉えるかで変わるものだと思っています。そして、僕自身…

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「デザイン思考を使って発想力を鍛えるワークショップ」1月20日開催 参加者募集

1月20日(日)にデザイン思考の手法を使って発想力を鍛えることを目的としたワークショップを開催します。 題して「デザイン思考を使って発想力を鍛えるワークショップ ~常識の外に出る~」です。 これまでになかった新しいものを生み出すイノベーション創出における課題の1つは、いかにして見落としていた問題に気づき、新しい解決策を発想できるかという点にあります。その際、新しい発想を生み出す1番の障害は実は自分たち自身の思い込みや常識的な考え方だったりします。 その新しい発想の妨げとなる自分たち自身の思い込みや常識的発想を破ることを助ける方法が、イノベーションの手法としてより注目されるデザイン思考では用意されています。 今回のワークショップではそうしたデザイン思考の方法をいくつか使ってのグループワークで問題解決を行いながら、「常識の外に出て発想する」ということを体験的に学んでいただければと思います。 開催まであまりあいだがありませんが、ご興味のある方はぜひ友人・同僚の方などもお誘いの上、ご参加いただければ幸いです。 ワークショップの内容詳細および申し込みは以下となっております。よろしくお願いします。 →ワークショップ内容詳細・申し込みはこちら

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「コ・クリエーションする未来」での講演スライド公開

11月1日に実施したワークショップ「コ・クリエーションする未来 〜「共同デザインの面白さ」を体感するワークショップ〜」で使ったスライドを公開しています。 コ・クリエーションする未来 〜「共同デザインの面白さ」を体感するワークショップ〜 from Hiroki Tanahashi

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【参加者募集】第2回オブザベーション(観察)ワークショップ

7月に開催してご好評いただいたオブザベーション(観察)を中心テーマとしたワークショップを9月8日(土)に「第2回オブザベーション(観察)ワークショップ」と題して再開催いたします。 今回のワークショップでも前回同様の内容で、「観察」の体験がない方々向けに、なぜ観察が有効なのかを実際に体験していただく内容となっております。 講義も含めて3時間の、それほど長くない時間での実施となりますが、「観察」とは何か?について気づきをもって帰っていただける内容だと思いますので、ぜひご参加ください。 なお、参加者の募集は先着順で、定員に達し次第、締め切らせていただきます。 前回も早い段階で定員に達しましたので、ご興味のある方は以下からお早めにお申し込みください。 →第2回オブザベーション(観察)ワークショップお申し込みページ

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デザイン思考による人間中心のイノベーション(講演資料の公開)

昨日(7月23日)に某会社向けの講演「デザイン思考による人間中心のイノベーション」で用いたプレゼンテーション資料をすこしカスタマイズした形でスライドシェアにアップしました。 デザイン思考による人間中心のイノベーション from Hiroki Tanahashi 普段からいろんなところで、デザイン思考はイノベーションの方法ですというお話をしていますが、今回の講演では、なぜいま「デザイン思考」や「イノベーション」が求められているのか?という理由について、世界的な「未来志向」の高まりという観点から考え、お話させていただきました。 詳しい内容については、会社のほうでやっているThink Social Blogのほうの「未来をつくる方法の1つとしてのデザイン思考」という記事で紹介していますので、あわせて参照ください。

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【参加者募集】7月7日(土)開催 観察(オブザベーション)ワークショップ

デザイン思考で用いられる代表的な手法の1つにエスノグラフィーがあります。 従来、文化人類学などの分野で用いられてきた、この手法は、人びとが暮らす現場に出かけて直接人びとの暮らしに触れるかたちで行なう参与観察に特徴があります。 話を聞いて知るのではなく、自分で見たり体験したりする「観察(オブザベーション)」から人びとの暮らしについて、彼ら自身も知らないことまで把握するのです。 デザイン思考においては、このエスノグラフィーでの観察を通じて得た事柄から、その人たちのメンタルモデルを洞察し、その先にあるイノベーションの鍵を見つけていきます。 その意味では、この「観察」はデザイン思考的なアプローチを行なう上で最も重要な意味をもっているといえます。 今回のワークショップでは、「観察」の体験がない方々向けに、なぜ観察が有効なのかを実際に体験していただく内容となっております。 講義も含めて3時間の、それほど長くない時間での実施となりますが、「観察」とは何か?について気づきをもって帰っていただける内容だと思いますので、ぜひご参加ください。 お申し込みはこちらから。

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イノベーションの方法としてのデザイン思考

6月9日の「未来のユーザー要求を創出する方法としてのデザイン思考」というタイトルで、「観察(オブザベーション)」をメインテーマにしたデザイン思考ワークショップの講師をしてきました。 予測に基づいて自身の行動判断を行なっている人間という生物がそれぞれ個々人で抱く「世界の物事がどう働くか」についてのイメージであるメンタルモデルの把握が、デザイン思考でイノベーションを行なう際のキーであり、そのメンタルモデルの把握のためには「観察(オブザベーション)」が1つの有効な手段であるというお話をさせていただきました。 そのときの講演資料をここでも公開しておきます(Think Social Blogでは一足早く公開していましたが… )。 イノベーションの方法としてのデザイン思考 View more presentations from Hiroki Tanahashi 上に紹介したイメージは、講演資料の一部からとったものですが、こんな風に世界の背後に隠れた仕組み・働きを想像して、自分自身の行動に役立てるための説明がメンタルモデルです。 このメンタルモデルを掴むことが、デザイン思考によるイノベーションの実現を進める上では重要になります。 ちなみに「デザイン思考」は、日本語の「デザイン」や「デザイナー」とはほぼまったくと言っていいほど無関係です。 お間違えのないように。

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【参加者募集】5月12日開催「デザイン思考ワークショップ」

恒例の「デザイン思考ワークショップ」を5月12日の土曜日に開催することになりました。 内容はこれまで同様で、WebディレクターやWebデザイナーの方などを中心に​、ペ​ルソナやシナリオ、プロトタイピングなどの手法を用いて​、ユーザー視点からWebデザインを考える方法を体験的​に学んでいただくワークショップとなります。 興味のある方、友人・知人・同僚などをお誘いの上、ぜひご参加ください。 以下、詳しい内容になりますが、すでに内容をご存知の方はこちらからお申し込みください。 ワークショップ内容参加者を2~3つのグループに分けたグループワークの形式で、Webサイトをデザインする作業を以下のステップで行なっていただきます。  09:30 開場~受付開始  10:00 60分 説明/講義/質疑応答  11:00 60分 KJ法①(調査データの読み込み、情報の抽出)  12:00 60分 昼休み  13:00 60分 KJ法②(情報の統合、図式化)  14:00 60分 ペルソナの作成  15:00 60分 シナリオの作成  16:00 30分 シナリオに基づく画面遷移の検討  16:30 60分 ペーパープロトタイプの作成  17:30 30分 チームごとの発表  18:00 まとめ~終了 以下、先日、昨年の7月30日に行なった同内容のワークショップからすこしその雰囲気を写真で。 KJ法を使ったユーザー分析はこんな感じでやります。 この膨大なデータ…

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マーケティングからソーシャリングへ

最近、このブログを書くよりも会社のほうのブログ「think social blog」やthink social Facebookページに考えていることを書く機会が増えています。 → Think Social Facebookページ think socialはその名のとおり、社会を考える場としてのメディアという側面と、新しい社会を実現しようと頑張っている人たちのお手伝いをデザイン思考やサービスデザインという観点からさせていただくデザインエージェントという2つの側面をもっています。 そうした姿勢でいまはヘルスケア(医療、健康)に関するサービスの支援を商用、公共のもの問わずに力をいれています。 参照:ヘルスケアサービスの事例にみるコデザインにおける視覚表現の重要性

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サービスデザインのためのデザイン思考のディスカッションの場の創出に向けての第一歩

昨日、会社のほうのブログに「デザイン思考と参加型社会」という記事を更新しました。 『COURRiER Japon 2012年01月号』に掲載されたインタビュー記事の中で、IDEOのCEOであるティム・ブラウンは従来の消費中心の経済モデルに対して、「人とかかわり合い、影響を求め、積極的に自らの消費にかかわろうとする消費者中心の経済」としての「参加型経済モデル」をもうひとつの経済モデルと言っているのを読んだのをきっかけに書いたものです。 ソーシャル化し、社会の持続可能性や個人・企業双方の社会性がより問われるようになった社会において、「意味のあるモノやサービスとはどんなものか?」を考える場合、必要だが人びとが愛着も持てずに使い捨てるしかない商品を次々に売りつけるだけの従来的なマーケティングを行なう商品やサービスに対して、ビジネスとしての持続性があるか?と疑問を投げかける必要があることをティム・ブラウンは指摘しています。

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ビジュアル・シンキング、タンジブル・シンキング

今日、会社のほうのブログにも「発想のための「レシピ」や「方程式」は存在しない。」という記事のなかで紹介しましたが、クーリエ・ジャポン1月号に掲載され、Webでも公開されて一部で話題になっているMIT石井教授のインタビューが発想とヴィジュアライズの強い結びつきという観点からなかなか興味深かったです。 → 「MITメディアラボ石井裕副所長インタビュー(前編): クーリエ・ジャポンの現場から」 そのインタビューのなかで、石井教授は「発想において「レシピ」や「方程式」のようなものは存在しません」と言っている一方で、ご自身の発想の方法について、例えば、語っています。 いい問いを発することは答えを出すことよりもはるかに大事です。なかでも最も重要な問いが「なぜ?」です。「なぜ?」という問いを何度も何度も繰り返していると、答えは哲学の境地にまで辿り着きます。 自分のアイディアを撃ち落とすための「問い」というミサイルをとにかくたくさん用意する。そして、どのミサイルからも撃ち落とされないようにアイディアを高めていく、といった訓練を日々ずっとやっていますよ。 MITメディアラボ石井裕副所長インタビュー(前編): クーリエ・ジャポンの現場から そうなんです。アイデアが必要なのであれば、疑問を生み出すことが大事だと僕も思います。 このブログを以前から読んでいただいている方であれば、「なぜ?」を繰り返し発することでアイデアを生み、さらに自分のアイデアを生むものであるということが「なぜ?を…

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