2017年06月29日

見る目、聞く耳/アルチンボルド展を観て

ウリッセ・アルドロヴァンディという16世紀のイタリア・ボローニャで生まれ育った有名な博物学者がいる。1522年に生まれ、1605年に没している。
アルドロヴァンディが有名なのは、自身がイタリア各地で採集した植物を中心として、めずらしい動物や鉱物の膨大な数の標本を集めたミュージアムを開設し、そこに国内外から多くの博物学者が訪問したからだ。


アルドロヴァンディの“Monstrorum historia”のなかの人面鳥の図版。


アルドロヴァンディはミュージアムに彼自身が学問的に価値があると捉えた様々な品を集めただけでなく、自らの蒐集品を元に動植物誌の編纂を試みた。そのため、多くの画家に収蔵品を素描させているのだが、その中にはドラゴンや人面鳥などが当たり前のように混ざっている。

これは現代から見れば非科学的で、とても学問的には思えないのだけれど、それがおかしく思えるのは、当時はまだ発見されていない現代の枠組みから見るせいだ。現代から見ればおかしくても、その枠組み自体がない時代においては、おかしいのか立派な意味があることなのかさえ判断できなかったのだということを忘れてはいけない。

とにかく、生物が何もないところから生まれてくるというアリストテレス由来の自然発生説が信じられていたような時代だったのだ。
化石でさえも石から生まれるものと思われていたし、そもそも生物種の整理の仕方が確立されるには、200年近く後の18世紀のカール・フォン・リンネの分類学を待たねばならなかった。そのリンネの分類学さえも、まだダーウィンによる進化の概念がなかったがゆえに形態の類似異同によるものだったわけで、16世紀のアルドロヴァンディの時代に、何らかの生物の奇形であったと思われるドラゴンや人面鳥が見つかったとして、それが個別の種だと考えたとしてもそれほどおかしなことではないだろう。

「見る目、聞く耳/アルチンボルド展を観て」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 00:57| アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月09日

肉体的で演劇的!面白まじめのスタンス考(2つのパルナッソスより)

ルーヴル美術館ドゥノン翼の2階、俗にイタリア回廊と呼ばれるギャラリーには、長いまっすぐな廊下の両側にルネサンス期以降のイタリア絵画の名作がずらりと並んでいる。アンドレア・マンテーニャなどの初期ルネサンスの作品をはじめ、レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェリ、ラファエロ・サンティなどの盛期ルネサンスの画家の作品、そして、マニエリスム期に入ってのポントルモなど、どれもこれも日本の美術館での企画展なら主役級の作品ばかりで圧巻だ。
ただ、当然ながら、その時代の絵画は多くの作品が宗教画なので、キリスト教の物語に疎い日本人には解説なしだとどう見ていいかわからなくてちょっととっつきにくい部分があるだろう。

イタリア回廊.jpg
ルーブル美術館のイタリア回廊のポントルモの「聖母子と聖アンナ」などの作品がある付近


そんな中、異彩を放つのが綺想の画家アルチンボルドによる連作「四季」なのだが、それとは違う意味でまた他の作品とは異なる印象を与えてくれる絵がある。
最近、僕のお気に入りに加わった絵たち。
アンドレア・マンテーニャの「パルナッソス」と「美徳の勝利」という2枚の歴史画がそれだ。

歴史画といっても、僕らが想像するような意味での「歴史」を描いた絵ではない。それは古代の神々の様子を描いた絵である。寓意画。
「パルナッソス」ではウェヌスとマルスのカップルが、「美徳の勝利」ではミネルヴァとウェヌスがそれぞれ描かれる。神々を描いたといっても、まわりにある宗教画とは違い、2枚の絵とも滑稽な雰囲気に満ち溢れている。
では、この滑稽さで何を寓意しているのか?


「肉体的で演劇的!面白まじめのスタンス考(2つのパルナッソスより)」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 22:22| アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

北方ルネサンスの画家たち:クラーナハ展を観て

雨の降る日曜日に、上野の国立西洋美術館へ「クラーナハ展」を観に行った。
会期終了が迫るなか、唐突に観に行こうと思ったのは、そういえば北方ルネサンスのこと、よく知らないなと思ったからなのと、ちょうど読んでいた『シンボルの修辞学』で著者のエトガー・ヴィントが、同時代のドイツの画家グリューネヴァルトに関して論じるなかで、クラーナハや同じく北方ルネサンスを代表する画家であるデューラーの話をこんな風に持ち出していたからである。
グリューネヴァルトはクラーナハによる聖ゲオルギウスの木版画を知っていたにちがいなく、それはデューラーの人体を手本に制作されたものであった。もしデューラーのものを近代性の指標として認めつつ、制作年代どおりデューラーを最初に、グリューネヴァルトを最後にして3点を並べるなら、それらが示すのは後退性である。
エトガー・ヴィント『シンボルの修辞学』

デューラーの絵は実物を美術館などでちゃんと観たことはあまりないが、それでも図版などで何点か観て知っている。グリューネヴァルトに関しては、その代表作ともいえる「イーゼンハイム祭壇画」をフランスのコルマールで観て、すごいと思ったので印象に残っている。


グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」の展示風景
ウンターリンデン美術館が改装中だったため、近くのドミニカン教会で展示


ただ、その2人と同時代を生き、ともに北方ルネサンスを代表する3人の画家のひとりに数えられるクラーナハに関しては、あまりよく知らなかった。だから、土曜日に、上の引用を含む話を読んでいて、ちゃんと観ておかなくてはと思ったのだった。
「北方ルネサンスの画家たち:クラーナハ展を観て」の続き
タグ:クラーナハ
posted by HIROKI tanahashi at 22:18| アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月08日

プラトンにとって、芸術は一種の魔術だった

ひとつ前の記事で紹介した『モナリザの秘密』という本のなかで、著者のダニエル・アラスはこんなことを言っている。
14世紀初頭から19世紀末にかけてのヨーロッパ絵画を特徴づけるのは、それが自然の模倣という原理のもとで描かれているということです。
ダニエル・アラス『モナリザの秘密』

一見どうということのない当たり前のことを言っているようにも思える。
だから、つい読み飛ばしそうになる一節だが、これ、ちょっと立ち止まって考えてみると結構いろんな疑問が浮かび上がってくる発言だと思う。

例えば、
  1. 「14世紀初頭から19世紀末にかけて」がそうだったら、その前はどうで、その後はどうなのか?とか
  2. というか「ヨーロッパ絵画」というけど、絵画以外ではどうなの?とか
  3. で、結局のところ、それはどういうことなの?とかとか

ちょっとした文章でも読み飛ばさず、疑問をもって考えてみることって大事だよねと思う。

で、ひとつひとつ考えてみると、それぞれこんな風に答えることができる。
  1. その前のヨーロッパ中世の時代は神の世界を描いてたし、その後の19世紀末くらいからはターナー、そして、印象派をはさんで抽象的表現が主流となり、自然の模倣から離れていく(その変化の起点ともいえるターナーに影響を与えているのがゲーテの『色彩論』における残像であり、そしてそれを起点に展開される生理学的な視覚論などだけれど、いってみればそれは17世紀以降のデカルト〜ニュートン由来の機械論的な視覚論&光学の見直しだった)
  2. というわけで、絵画以外ではどうなの?という問いについては、中世は絵画はまったく芸術における中心的な地位を占めてしなかった。建築や彫刻、ステンドグラスやタペストリーなどの複合的なものの統合によりキリスト教世界を表現していたのが中世までの芸術だ。一方、20世紀以降の抽象絵画以降の現代においても同様で絵画は芸術における中心的な位置を占めていない。そこで僕らはあらためて気づく。絵画中心の芸術観自体がむしろ「14世紀初頭から19世紀末にかけて」の特殊例なのだと。
  3. そして、絵画が芸術の中心を占めていた「14世紀初頭から19世紀末にかけて」こそが絵画のような静的なイメージによる思考の時代であり、同時にそれは機械論的な因果関係が信仰されていた時代であったのが、現代ではそれが動画的な落ち着かないイメージだったり、CGのように現実界にオリジナルももたなければ、場合によってはプログラムによる生成などによりオリジナルの作者性さえ危うくなったイメージに取って代わられており、そのイメージの自在な可変性がそのまま複雑系の答えが予測できない世界像に反映されていたり、無限に複製可能で可変性のある信頼ののおけないイメージよりも、ライブでの体験に価値が感じられるようになっていたり、と、ある意味、いま絵画中心の時代の美術史を語る意義そのものが問われているわけだ。

これだけが正解というのではなく、あくまで解答例ね。


14世紀以前の中世美術を集めたパリのクリュニー中世美術館の展示
タペストリーや祭壇などが展示されているが、それらは個別の作品というより教会といキリスト教的空間を織り成す一部だ


前の記事でもダニエル・アラスが芸術を歴史的な視点でみる際、アナクロニスムに気をつけろという指摘をしているという話をしたけど、「14世紀初頭から19世紀末にかけて」以外では、芸術も違うし、その環境も違うし、人々の考え方も違う。もちろん、その「14世紀初頭から19世紀末にかけて」の内側でだって、芸術も環境も考え方も変化してる。でも、やっぱり大きな区分として「14世紀初頭から19世紀末にかけて」の内側と、その外側にある前と後ろの違いのほうが大きい。

例えば、前であれば「プラトンにとって、芸術は一種の魔術である」ような芸術観だったし、そういう価値観をつくりだす社会環境だったわけだ。ちなみに「プラトンにとって、芸術は一種の魔術である」といったのはドイツ生まれの美術史家エトガー・ヴィント(エドガー・ウィントと表記される場合もある)で、著書『シンボルの修辞学』のなかでそう書いている。

そして、なぜ、こんな話をはじめたかというと、ちょうど一昨々日の夜、元同僚と3人で新年会をした際に、プラトンのイデアと美の話になって、『シンボルの修辞学』中のプラトンの芸術観についても話したからだ。今日はそのあたりの話をあらためて文章にしてみたい。

「プラトンにとって、芸術は一種の魔術だった」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 19:09| アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月30日

木を見て、森をみない「ディテール執着症」のはじまり

前回の「19世紀後半の芸術の残骸としてのわかりやすさとリアリティ」では、現代の「やらせ映像」にもつながる、ある側からみれば非常にわかりやすいリアリティをもった、また別の意味からいえば紋切り型のそうした表現に関する実践的研究が行われたのが19世紀後半の自然主義・写実主義芸術の時代であったことを紹介しました。

その19世紀の半ば以降に生まれたのが、ショールームや百貨店などの販売システムであったことは、前々回の「見せる空間から参加する空間へ」という記事で紹介しています。
世界最古の百貨店といわれるボン・マルシェがいまにつながる百貨店のシステムを確立したのは1852年。それに先立ち、世界最初期のショールームというべき、鉄骨とガラスで作られた巨大な建造物である「水晶宮」で知られる世界最初の万国博覧会であるロンドン万博が開かれたのが1851年です。

bon marche
▲19世紀半ばに世界ではじめて百貨店システムを誕生させ、1887年にギュスターヴ・エッフェルらにより店舗を拡張したボン・マルシェの現在の店内の様子

この様々な商品を魅力的に並べて販売するシステムが生まれ、同時に、わかりやすいリアリティをもったピクチャレスクな表現によって都市で暮らす大衆の生活を絵画や小説が描きはじめた19世紀の半ば以降、もう1つ、この時代の芸術家に特徴的な性質がありました。

それが何かといえば、異様なまでの細部へのこだわりです。

「細部の宝庫ではあるが」とヘンリー・ジェイムズはジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』について言っているー「しかし、それは無頓着な全体である」。同じことがヴィクトリア朝の全体について言えるかもしれない。ヴィクトリア朝の芸術作品はしばしば、その時代の室内と同様、できるかぎりぎゅう詰めにすべき入れ物であるように思われる。
ピーター・コンラッド『ヴィクトリア朝の宝部屋 』

前回の「19世紀後半の芸術の残骸としてのわかりやすさとリアリティ」に引き続き、19世紀の写実主義や自然主義の芸術が現在にもたらした影響のようなものについて書こうとしているわけですが、この「細部へのこだわり、全体への無頓着」という話も、非常に現代につながる19世紀の発明であるように感じます。

その細部へのこだわりが、全体の統一や大きな問題の解決への意識を捨て去る口実であるかのように、19世紀後半の写実主義・自然主義の芸術家は、絵画においても文学においても徹底して緻密にディテールを描きこむことへの執着をみせます。結果、できあがるのは、全体の調和を見事に破壊してしまうくらい、異様な執着をもって細部が描きこまれた作品だったりします。

まずは、そんな作品の例をいくつかみていくことから話を進めてみたいと思います。

「木を見て、森をみない「ディテール執着症」のはじまり」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 21:15| アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月28日

19世紀後半の芸術の残骸としてのわかりやすさとリアリティ

わかりやすさとリアリティ。
何かを「わかる」ということが、その何かが置かれた文脈を理解することなのだとしたら、わかりやすい文脈ごと提示してリアリティを感じさせる表現というのは、何かを「わかりやすく」伝えるための非常に有益な方法の1つといえるでしょう。
すーっとリアリティをもって受け入れられるということは、そのこと自体、そこに表現されているものが、それを受けとる人にとって、わかりやすいものになっているという証拠だといえるのかもしれません。

opera
▲1875年に竣工のパリ・オペラ座(ガルニエ宮)。まさに19世紀後半のパリ大改造で建てられた建築物

その方法の模索…、
ぱっと文脈を読みとることができるリアリティある表現によって大衆が「わかる」ものを提示する方法…、
それが大々的に模索されたのが19世紀後半の自然主義・写実主義の時代だったように思います。

その中心にあったのが、ピクチャレスクでした。
17-18世紀を通じて、自然や遠方の憧れの土地などを見栄えのする絵のように表現することを通じて、身近に、そして、あたかもそれを自分が所有しているように感じさせるピクチャレスクという表現方法が多くの芸術家たちによって磨かれてきました。と同時に、表現を受けとる側の市民のほうもピクチャレスクな表現を読み解く力を身につけてきました。

そのピクチャレスクの対象が、自然や遠方の地から、より身近な都市の日常の光景に向かったのが、19世紀の自然主義・写実主義の時代でした。そして、「わかる」ということのあり方が大きく変わり始めたのが、その時でした

「19世紀後半の芸術の残骸としてのわかりやすさとリアリティ」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 22:24| アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月06日

創造のプロセスをオープンにした場合、僕たちの新しい経済文化活動はどう変わっていくのか?

昨夜、慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント公開講座「ダイアログとデザインの未来Vol.7 アートの未来」に参加させていただきました。


▲ 「タイプトレース道〜舞城王太郎之巻」ドミニク・チェンほか 2007(写真:divi.dual

これまでも公開講座として開催されてきた「ダイアログとデザインの未来」というシリーズの第7弾として、今回は「アートがもたらすイノベーションの可能性」というテーマで、クリエイティブ・コモンズ・ジャパン理事であり、株式会社ディヴィデュアルの共同設立者であるドミニク・チェンさんと、Takuro Someya Contemporary Artというコマーシャルギャラリーの代表をつとめている染谷卓郎さんのお2人のトークセッションを中心に一部会場も巻き込みセッションが行われていました。

僕は、最近のアートへの興味(その越境性と人を巻き込む力)と、僕自身がいま一番関心をもっている「これからの社会で個人や社会が自分たちを開いていった時に何が起こり、その際、何が自分たちの姿勢やスキルとして必要になるか」ということを関連づけて動かしていくことはできないかを考えているので、ぜひ参加してみようと思ったわけです。
まあ、動機としてはすこし前に奥入瀬でのアートキャンプに参加させていただいたことの延長線上にあるわけです。

「創造のプロセスをオープンにした場合、僕たちの新しい経済文化活動はどう変わっていくのか?」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 23:54| アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月20日

ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新/汐留ミュージアム

18日の日曜日、汐留ミュージアムで開催されている「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」を見てきました。
ルーシー・リー、バーナード・リーチとともに、20世紀のイギリス陶芸界を代表する作家として知られるハンス・コパーの日本での最初の大規模な回顧展です。



ユダヤ人として生まれたコパーは、1946年にイギリスに亡命し、同じくユダヤ系の家庭に生まれ、ウィーンから亡命してきたルーシー・リーの工房で、オートクチュール用のボタンづくりの助手として働きはじめます。今回の展覧会では、当時のリーとの共同製作のコーヒーセットなども展示されていますが、コパーの陶芸家としての人生はまさに、このリーとの出会いからはじまりました。

「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新/汐留ミュージアム」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月06日

ブルーノ・ムナーリ展 アートの楽しい見つけ方/横須賀美術館

先日の土曜日(3日)に、横須賀美術館で開催されている、「ブルーノ・ムナーリ展 アートの楽しい見つけ方」に行ってきました。

ブルーノ・ムナーリ(1907-1998)は、イタリアでの「未来派」の運動にも関わりのあったアーティストであり、独創的な絵本作家であり、プロダクトデザインやグラフィックデザインに関わったデザイナーであり、子どものための造形教育に携わった教育者でもあるなど、多彩な活躍をした人です。

僕自身、ムナーリの展覧会を観るのは、2007年の暮れから2008年の年初にかけて、生誕100年を記念して行われた2つの展覧会を見て以来です。
久しぶりにブルーノ・ムナーリの作品に触れてみたわけですが、前回見たときより興味深く作品を見ることができました。

例えば「negativo positivo(陰と陽)」。
このリトグラフを使った平面作品は単純な色と形によって構成されたものですが、見方によって図と地が入れ替わることを狙った作品だと、ムナーリ自身が説明しています。確かに見ていると、色の濃度の違い、彩度の違いと、平面における面積比によって、同じ一枚の絵の中で、図と地が入れ替わるような感覚を思えます。
ムナーリの生きた時代というのは、グラフィックアートやグラフィックデザインの分野で、具体的な方法論の模索が積極的に行われた時代だと思いますが、「negativo positivo(陰と陽)」もまさにそうした時代にふさわしい認知的実験がアート/デザイン的な手法をもって行われた重要な作品だと感じました。

多彩な分野で活動した人ですが、今回その作品を見て、あらためて感じたのは、ムナーリという人は、生涯「わかること」「発見すること」「想像する/創造すること」とはどういうことかを追いかけ続けた人だったんだなということでした。

カリグラフィーに強い興味をもっていたムナーリが漢字からインスピレーションを得て制作したであろう作品「知られざる人々の読めない文字」や、譜面の破片から想像的に元の形を再構成した「空想のオブジェの理論的再構成」のような作品も含め、単に結果=モノとしての作品を作ることよりも、形やイメージが生成される=創造/想像される過程そのものに焦点を当て続けた人ではないかと感じたのです。

その意味で、ムナーリという人は、色即是空の人、諸行無常の人という印象が僕には強くあります。

保存されるべきものは、モノではない。むしろそのやり方であり、企画を立てる方法であり、出くわす問題に応じて再びやり直すことを可能にさせる柔軟な経験値である。
ブルーノ・ムナーリ『ファンタジア』

できあがったモノそのものではなく、それを生み出す方法であったり、その方法を駆動させる経験値が養われることそのものに着目し続け、生涯その活動に精力を傾け続けたムナーリのような人こそ、いま再び注目すべきではないでしょうか。


「ブルーノ・ムナーリ展 アートの楽しい見つけ方/横須賀美術館」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

朝鮮陶磁‐柳宗悦没後50年記念展/日本民藝館

さて、1つ前のエントリーでは先週の土曜日に行った横浜・そごう美術館での「尾久彰三コレクション 観じる民藝」展について紹介しましたが、そこで古民藝の魅力−特に朝鮮陶磁器の魅力−にすっかりやられてしまった感があったので、今日(日付は変わりましたが)は日本民藝館で行われている「朝鮮陶磁‐柳宗悦没後50年記念展」に行ってきました。
会期が明日の日曜日まで、ということで急いで。



日本民藝館に行ったのは、もう何度目か忘れましたが、今回の展覧会もまた良かった。
こういう品々をみると、心が洗われた気がするのは、なぜなんだろう?

「朝鮮陶磁‐柳宗悦没後50年記念展/日本民藝館」の続き
タグ:陶磁器 民藝
posted by HIROKI tanahashi at 02:14| Comment(1) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

尾久彰三コレクション「観じる民藝」/横浜・そごう美術館

すでに1週間前のことになってしまいましたが、先週の土曜日に、横浜のそごう美術館で行われている、「尾久彰三コレクション 観じる民藝」展に行ってきました。



この展覧会は、すでに紹介した『観じる民藝』書評)を通じて知ったもので、同書にも掲載されていた尾久さんのコレクションが一堂に展示されていました。

「尾久彰三コレクション「観じる民藝」/横浜・そごう美術館」の続き
タグ:民藝
posted by HIROKI tanahashi at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月14日

私と踊って/ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団

ちょうど1年ほど前の2009年6月30日、ドイツのヴッパタール歌劇場バレエ団の芸術監督であるピナ・バウシュが急逝した。
6月8日から13日にかけて、新宿文化センター大ホールで行われたヴッパタール舞踊団の公演「私と踊って」は、彼女の追悼公演である。



その公演を6月9日の水曜日に観に行った。
僕がピナ・バウシュの作品を観たのは、今回が2回目である。

1993年に同じく新宿文化センターで「山の上で叫び声が聞こえた」が観て以来なので、実に17年ぶりだ。当然、僕もまだ20代前半である。彼女が創出した“タンツテアター”の独特の世界を観じながらも、暑い夏の日だったこともあってか、途中何度か寝てしまったことを覚えている。

それ以来のピナ・バウシュの作品観覧である。

結果から言うと、今回は眠るどころか、終始舞台で演じられる密度の濃い世界に圧倒され続け、終わり間近には自然と涙が出た。

「私と踊って/ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月31日

ルーシー・リー展/国立新美術館

昨日は六本木の国立新美術館で開催中のルーシー・リー展を見に行った。

先週観た「オブセッション - Obsession/勅使川原三郎、佐東利穂子」とは、ダンスと陶芸と分野はまったく異なるものの、同じような感動を覚え、同じような思考が働いた。



ルーシー・リーは、20世紀を代表する陶芸家の一人。
1902年にウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれ、工芸美術学校で轆轤の魅力に取り付かれ、陶芸活動を開始している。数々の賞をとりながら新鋭陶芸家として注目されるようになる。
戦争の気配の迫る1938年、ロンドンに亡命。日本民藝運動とも関わりのあったバーナード・リーチなどとも交流を深めながら、1995年、自宅で93年の生涯を閉じるまでロンドンの工房で制作活動を続けている。

今回は、没後初の本格的な回顧展で、250点の作品が公開されている。

「ルーシー・リー展/国立新美術館」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

オブセッション - Obsession/勅使川原三郎、佐東利穂子

今回は昨日(24日)渋谷のBunkamuraシアターコクーンで観た、勅使川原三郎、佐東利穂子のダンスデュエット「オブセッション - Obsession」について書こうと思う。



このブログでは、初の公演評かもしれない。
とはいえ、公演を見ていない人にダラダラとその内容だけを語ってもつまらないだろう。それよりも僕がその公演を観る前後で感じたこと/考えたことを中心に綴ってみたい。

語り口は以下の5つ。

  • 何かを表現したのではない
  • 痙攣する身体/プレ身振り
  • 重ね書き/削除/変容
  • 定義から零れ落ちるもの
  • 生態学的デュエット


この5つの切り口で話を進めたいが、本題に入る前にすこしだけ、勅使河原さんのことを紹介しておこう。

勅使河原さんは、1985年に結成したKARASというグループとともに、ソロ作品、グループ作品、そして今回のデュエット作品などのダンス作品を国際的に発信している、世界的な評価も高いダンサーだ。既存の枠組みに捕われない独創的なダンスのみならず、音楽や照明、衣装なども含めた総合的な舞台美術も自ら手がけ、非常にユニークな舞台作品を生みだし続けている。
詩のことば、合理の言語」というエントリーで紹介した、昨年末の、連塾JAPAN DEEP4「年末の胸騒ぎ、日本の武者震い」で紹介されていたビデオによれば、海外の視覚に障害をもつ子供たち向けにダンスのワークショップを開催し、その子供たちによる作品も制作していたりもする。
その他の詳しいプロフィールは下記で見てみてほしい。映像や写真もわずかながら紹介されているので、言葉でのみ説明するよりイメージが沸くだろう。

勅使河原三郎オフィシャルサイトhttp://www.st-karas.com/

ついでに、「オブセッション」の作品紹介ページも。

オブセッション作品紹介http://www.st-karas.com/works/obsession.html

前フリが長過ぎてもいけない。本題に入ろう。

「オブセッション - Obsession/勅使川原三郎、佐東利穂子」の続き
タグ:ダンス
posted by HIROKI tanahashi at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月12日

rien村@小さな世界の大きな想い

駒場東大前で「棟方志功 倭画と書の世界」をみたあとは代官山に移動して、rien村にお邪魔してきました。



手前の三人は、rien村の住人・やさぐれじゃが君たちです。
はじめまして。

rien村はこちらですhttp://erien.jp/

「rien村@小さな世界の大きな想い」の続き
タグ:陶器
posted by HIROKI tanahashi at 01:12| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月11日

棟方志功 倭画と書の世界

東京・駒場の日本民藝館で行われている特別展「棟方志功 倭画と書の世界」に行ってきました。

日本民藝館 外観


日本民藝館に行ったのはちょうど一年前くらいの特別展「琉球の織物」以来です。
特別展「棟方志功 −倭画と書の世界−」
  • 会期:2009年3月31日(火)―6月14日(日) ※毎週月曜日休館
  • 開館時間:午前 10 時 − 午後 5 時(入館は 4 時 30 分まで)
  • アクセス:京王井の頭線「駒場東大前」駅 西口より徒歩7分
  • 併設展示:日本の民窯、東北地方の工芸、朝鮮時代の陶磁、アフリカの工芸、濱田庄司・河井寛次郎作品ほか
  • 展覧会の詳細情報http://www.mingeikan.or.jp/html/exhibitions-events-mingeikan.html

棟方志功さん(1903〜1975)といえば、躍動感あふれる板画(はんが。棟方は「板から生れた板による画」という意味で「版画」を「板画」と呼んだ)で知られていますが、本展では、その最もよく知られた板画作品ではなく、肉筆である倭画と書が併せて100点ほど展示されていました。

「棟方志功 倭画と書の世界」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月01日

大琳派展 〜継承と変奏〜 尾形光琳生誕350周年記念

あっという間に過ぎた一週間。
そういえば、先週の日曜日に上野の東京国立博物館で開催されている「大琳派展 〜継承と変奏〜 尾形光琳生誕350周年記念」に行ってきたこともまだブログに書いていなかったっけ。



琳派は、尾形光琳(1658〜1716)が大成させた絵画・工芸の一派。狩野派のような世襲による継承ではなく、光琳自身が本阿弥光悦(1558〜1637)、俵屋宗達(生没年不詳)に私淑したように、光琳の弟である乾山(1663〜1743)、琳派の生まれた京ではなく江戸の地で光琳顕彰に力を注いだ酒井抱一(1761〜1828)やその弟子の鈴木其一(1796〜1858)にしても、光琳を慕ってその画風を継ぐという特殊な形で継承されました。

その継承のされ方は、宗達から光琳へ、光琳から抱一、其一へと受け継がれた風神雷神図や、夏秋草図、槇楓図、『伊勢物語』から題材を得た燕子花図など、同一の画題を受け継ぎ変奏していくという様にも見てとれます。

「大琳派展 〜継承と変奏〜 尾形光琳生誕350周年記念」の続き
タグ:琳派
posted by HIROKI tanahashi at 03:04| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月02日

狩野芳崖 悲母観音への軌跡

昨日の日曜日に、東京藝術大学大学美術館で行われている「狩野芳崖 悲母観音への軌跡−東京藝術大学所蔵品を中心に」を見に行ってきました。




展覧会名
狩野芳崖 悲母観音への軌跡−東京藝術大学所蔵品を中心に
会期
2008年8月26日(火)-9月23日(火・祝)
会場
東京藝術大学大学美術館 展示室1,2(地下2階展示室)
詳細情報
東京藝術大学大学美術館HP「狩野芳崖 悲母観音への軌跡−東京藝術大学所蔵品を中心に」

狩野芳崖の絶筆『悲母観音』は、日本画の幕を開けた記念碑的作品といわれています。
僕らはいま「日本画」の存在を疑いませんが、芳崖の『悲母観音』以前に「日本画」などというものは存在しなかったのです。

日本画という名称自体は明治初期の東京美術学校の「日本画科」のために、とりあえず岡倉天心によって用意されたものにすぎなかった。洋風画(洋画)あるいは「西洋画科」との対比のためである。それまでは日本画などという言葉はなかった。

東京美術学校はいまの東京藝術大学の前身です。芳崖はこの東京美術学校の教官に任命されていたが、開校の前年に『悲母観音』を遺してなくなっています。その東京美術学校で「日本画科」がつくられる。その「日本画科」において、そして、いまの東京藝術大学にとって芳崖の『悲母観音』は、最初の「日本画」として至宝となります。

「狩野芳崖 悲母観音への軌跡」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月10日

スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡

渋谷の東急で行なわれている「スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡」に行ってきました。

スーパーエッシャー展 公式サイト http://www.ntv.co.jp/escher/
Bunkamura スーパーエッシャー展 特集ページ http://www.bunkamura.co.jp/shokai/museum/lineup/06_escher/index.html



今回は、オランダのハーグ市立美術館から約160点の作品、資料が紹介されています。中には、エッシャー手書きの制作ノート《エッシャーノート》も出品されていました。

エッシャーとペンローズ

エッシャーといえば、水が下から上へ流れる『滝』や、白い鳥と黒い鳥が互いに図と地の関係を織り成す『昼と夜』などのだまし絵が有名ですが、今日見たかったのは、ペンローズが次のように指摘する『円の極限』に代表されるような「正則分割」の技法を使ったシリーズ。

ロバチェフスキー幾何学を想い描くのに一番いい方法は、エッシャーの版画を見ることである。エッシャーは『円の極限』と名付ける作品を何点か作った。そして図1−17に示したのが『円の極限4』である。これはエッシャーが宇宙を描いたものであり、見ればわかるように、そこは天使と悪魔がいっぱいである! 注目すべき点は、円の端に向かうにつれて、絵が非常に込み入ってくるように見えることである。そのように見えるのは、普通の平らな紙の上(言いかえればユークリッド空間)に双曲型空間が描かれているからである。
ロジャー・ペンローズ『心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる』

最近、ペンローズ関連の本を読んで知ったのが、ペンローズとエッシャーの深いかかわりでした。

たとえば、エッシャーの有名な『階段』のエッチング。
あの不可能図形のアイディアは、幼いロジャーが遺伝子学者の父親とともにエッシャーに教えたものなのだ。偉大なる芸術家の創作意欲を刺激した「ペンローズ三角形」は、ロジャー坊やの非凡な幾何学的才能を予感させるものであった。

ここでいう「ペンローズ三角形」とは、こんな図です。

penrose_triangle


ね、確かにエッシャーを想わせる図形でしょ。

やはり、だまし絵のイメージが強いエッシャーですが、今日作品をみて思ったのは、非常に幾何学的な思考が強かった作家だったんだなということでした。
初期にイタリアに住んでいた頃の「ローマの夜」と題された作品なんかを見ていると、絵よりも版画という平面作品制作においてこそ、3次元空間を平面に落としこむ際の幾何学的感覚が研ぎ澄まされるのかもしれないなと感じました。そう。この視点からみると、そもそも三次元空間を二次元平面に写すこと自体、だまし絵なわけです。

また、そこから「正則分割」と呼ばれるタイリングの技法に向かうのも自然な流れに感じられました。
ペンローズにも有名なペンローズタイルと呼ばれる五角形を用いた準結晶の発見などもあるのですが、このあたりもエッシャーとペンローズに親交があったというのも非常にうなづけたりします。

「スーパーエッシャー展」の会期は来年の1月13日まで。
今日行ったばかりなのに、もう一度みたいなと思わせる展覧会でした。

関連エントリー

  
posted by HIROKI tanahashi at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月06日

INAのArchives pour tous 文化における見る価値と保存する価値

自国の文化に対するフランスの姿勢をまざまざと感じます。

フランス国立視聴覚研究所(Institut National de l'Audiovisuel)は、4月27日より、10万本にもおよぶ、テレビ番組、ラジオ番組をネット公開している。

Archives pour tous(アーカイブ・フォー・オール)」と名づけられたこのサービスより、1920年代のファッションショー、1968年の5月革命、ヌーベルバーグなど、さまざまな映像/音声を視聴できるようになった。

国主導でこうしたアーカイブを行い、それを公開するというあたり、フランスという国が、自国の文化を明確な形で自国のブランド価値、無形資産として位置づけ、自国の利益創出のためにマネジメントしようとしていることがよくわかります。
それはこんな制度にも現れているんじゃないでしょうか?

そもそもフランスでは、法定納品制度という法律があり、国内のすべてのテレビ・ラジオ番組がこのINAに納められているそう。今回はその膨大な情報がインターネット上でも公開されたということになります。

Aileさんによれば「フランスは92年の法律でINAに保存を義務付け、3年で所有権も譲渡する事になっている」んだそうだ。
(このへんの事情を含め、INAやArchives pour tousについては、フランス好きのAileさんのエントリーのほうが詳しいのでそちらをご参考に)

「INAのArchives pour tous 文化における見る価値と保存する価値」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 00:56| Comment(0) | TrackBack(1) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする