2006年11月26日

人間はちっぽけだけど、儚くはない

ロジャー・ペンローズ関連の本が最近のお気に入りだということは、「ペンローズの<量子脳>理論―心と意識の科学的基礎をもとめて」や「ペンローズのねじれた四次元―時空をつくるツイスターの不思議」で書きましたが、いまはまたもう1冊『心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる』という本を読んでいます。

宇宙における空間スケールと時間スケール

その中で、宇宙における空間スケールと時間スケールを描いたこんな図がありました。



ペンローズはこの図について、こんな風に書いています。

プランク長と比較して私たちはかなり大きいし、素粒子と比べてみても非常に大きい。しかし観測可能な宇宙の大きさと比べれば、私たちは本当にちっぽけである。実際、宇宙の大きさと人間の大きさとの差は、人間の大きさと素粒子の大きさとの差よりもずっと大きい。
ロジャー・ペンローズ『心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる』

確かに上の図をみると、人間の大きさは宇宙の大きさよりも素粒子の大きさに近い。そして、地球の大きさは素粒子の大きさよりも近いことがわかります。

一方で時間に関して言うと、人間の寿命というのは、ほとんど宇宙の年齢と同じくらいに長いのだ!
ロジャー・ペンローズ『心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる』

確かに図をみるとそうなっています。さらにこの宇宙の年齢と人間の寿命のあいだには、生命の誕生から、ほとんどごく最近ともいえるヒトの誕生も含まれるわけですし、卑弥呼や聖徳太子やガリレオやニュートンだって生きているわけです。以前「対数の世界でのマーケティング」というエントリーで、地球の誕生からGoogle誕生までを同じく対数グラフに置いてみましたが、そのほとんどがこの範囲におさまってしまうわけです(もちろん、Google誕生は除きます)。

わがままで自分勝手な尺度でものを見る

そもそも普通、僕たちが時間を把握するのに使う尺度なんて、宇宙のすみっこにある銀河のちっぽけな太陽系のちっぽけな惑星が太陽のまわりをまわるのにかかる時間なんていう、きわめて自分勝手な尺度を基準にして、年月日、時分秒なんて単位をこしらえてるわけで、そんなの宇宙の別の地点から眺めればまったく恣意的な尺度でしかないわけです。そんな単位をベースにして、時間が長いだの短いだのいうこと自体、かなり人間中心的で、素粒子のことや宇宙の歴史のことなんてこれっぽっちも考えてないわけです w

私たち人間は、存在のはかなさをしばしば口にする。しかし、図に示された人間の寿命を見ればわかるように、決して私たちがはかないということはないのである。そう、私たちはおおよそ宇宙自身と同じくらいに長生きなのだ!
ロジャー・ペンローズ『心は量子で語れるか―21世紀物理の進むべき道をさぐる』

人間中心、自分中心にみれば、つい人の命は短いだとか、あるいは忙しくて時間がないとか言ったりするわけですが、まったくとんでもないですね。わがままにもほどがある。存在はちっぽけでも、こと時間に関してはとんでもないリソースをもてるくらい、人間という存在は安定しているってことです。

自分勝手な尺度で自分の現状を嘆いてみせるのも、それってどんなスケールで言ってるのか、ちゃんと考えてみるべきですよね。



関連エントリー
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2006年11月07日

ペンローズが面白い

いま読んでいる『ペンローズの“量子脳”理論―心と意識の科学的基礎をもとめて』がかなり面白い。



以下のゲーデルの理論に基づく計算不可能性という概念を物理学の拡張につなげて、かつ、そのことから意識を量子力学的側面から物理学的に説明しようという考え方は、かなり刺激的です。

私自身のアイデアの中心になるのは、「計算不可能性」(non-comutability)です。現在知られている物理法則は、すべて計算可能なタイプです。つまり、私たちは、現在の物理学の描像の外側に行かなければならないのです。
ロジャー・ペンローズ『ペンローズの“量子脳”理論―心と意識の科学的基礎をもとめて』

なので、このあたりも買って読んでみようかと。

 
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2006年09月25日

時空が溶ける温度

圧倒されます。

従来の物理学で温度に絶対的な下限(「絶対零度」)があるのと同じように、量子重量理論は絶対的な上限−約1032K−があることも明らかにする。この温度で、時空そのものが溶けてしまうのだ。宇宙の始まりを示すビッグバンは、猛烈な火の玉というより、時空を凝固させた宇宙の冷却だったのかもしれない。幾何学と、その言葉が示唆する、ここまで見たすべてのことがらは、事象の関係が凝固して刻みつけられたものなのだ。
ピーター・アトキンス『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』

この時空が溶ける絶対温度の上限って発想にも驚かされるし、ビッグバンが冷却による凝固のはじまりとみる見方もびっくりです。

さらにそこにいたる「ここまで見たすべてのことがら」の中には、三角形の対角線を示すピタゴラスの定理の式とアインシュタインの理論の式を使って、質量と長さと時間をすべて長さの単位で表せることも含まれていて、ピーター・アトキンスの『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』の第9章「時空−活動の場」は驚きの連続でした。

残りはあと1章「算術−理性の限界」のみとなりました。

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2006年09月14日

組織的現象としての"相"、そして、市場動向

確かに驚きました!

物質の相の中で馴染み深いのは液体、気体、固体だが、これらはいずれも組織的現象である。相はあまりに基本的で馴染み深いものなので、このことを知って驚く人は多いが、確かにそれは真実だ。
ロバート・B・ラフリン『物理学の未来』

でも、一瞬考えてみて、それは当たり前だと思いました。
そうでなければ、確率論的不確実性を示す量子力学的なミクロの世界の法則に従う原子や分子が、僕たちに馴染み深い決定論的な姿で目の前にあらわれていることの説明ができませんから。

組織的現象としての"相"

氷を信用するというのは、金を購入することよりも、保険会社の株を買うことに似ている。もし何らかの理由でその会社の組織構造が崩壊したら、そこには有形資産がないため、投資した金は消えてしまう。同様に、原子が格子状に整列した結晶性固体の組織構造が崩れたら、そこには物質的な後ろ盾がないので、剛性は消えてしまう。
ロバート・B・ラフリン『物理学の未来』

組織的現象である相を上記の引用のように説明してもらえると、非常にイメージがわきます。
後日、全部読み終わったあとに詳しく感想をまとめようと思っていますが、このロバート・B・ラフリンの『物理学の未来』という本は、創発や自己組織化などの複雑系の科学がどういうものかをイメージするには、とてもよい本だと思います。なぜ、それが起きるのかという踏み込んだ話はないエッセイなので、複雑系の現象のメカニズムを知りたいと思っている人には向きませんが。

「組織的現象としての"相"、そして、市場動向」の続き
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2006年09月09日

還元主義の罠

「分ける」ことは「分かる」ことだと思います。それがすべてではありませんが。

(前略)基本法則とそこから派生する法則とを区別する基準には根拠がなく、数学のみで宇宙を理解できるという考え方も、戯言でしかないということだ。一般的に物理法則は、純粋な思考から得ることはできず、実験的に発見しなければならない。というのも、自然をコントロールできるのは、組織化の原理を通じて自然がそれを許してくれた場合だけだからだ。この主張を還元主義(物事はより小さな部分へと分割することで明確になるという信念)の終焉と見なす人もいるかもしれないが、それは完全には正しくない。私も含めあらゆる物理学者は、心の底では還元主義者である。
ロバート・B・ラフリン『物理学の未来』

要素と全体

小さな要素に分割することで物事が明確になると考える場合、要素の背後には暗黙のうちに全体が前提とされていると思います。かつてギリシャの哲学者が世界の最小単位として考えていたATOM(いまの原子とは異なる元素としての原子)。そして、超ひも理論におけるひも。それらの要素が用いられるのは、全体である宇宙を形作る最小の要素を理解することで、全体を理解しよう(統一理論)という方向性をもっています。

しかし、要素の理解は必ずしも全体の理解にはつながらない。
それは複雑系の科学の研究者たちがさまざまな形で示してくれているとおりです。そして、何よりも要素の理解が全体の理解につがらないだけでなく、まず全体というものが実は想定できないことを複雑系の科学は示してくれているのだと思います。
複雑−系と称されるとおり、それは全体ではなく、ある系についての観察です。自己組織化という言葉も「組織」を対象にしている限りにおいて、しょせん、一部の組織を対象にしています。企業などの組織の中にいると、組織の内部だけが全体のように感じられてしまうことがありますが、組織は単にもっと広い何かの一部でしかないのは外に出てみればすぐに気づきます。

還元主義の罠

「分ける」ことは「分かる」ことだと思います。物理学者だけでなく、たいていの人(何かを分かろうと考える人)は、心の底では還元主義者だと思います。
有益なものと無益なもの、科学的なものと文学的なもの、終焉と未来、Web1.0とWeb2.0、あなたと私。セグメンテーションとターゲティングの手法は何もマーケティングに固有の理解の仕方ではないでしょう。目の前の現実を理解しようとする際、「分ける」ことで対象を理解しようというのはごく自然で有益なことだと思います。

しかし、そこには還元主義の罠がある。要素に分割することで何か自分が全体を捉えているかのように感じてしまう罠が。そして、自分が要素として絞り込んだものから大量にこぼれおちるものがあることに気づかなくなるという罠が。
しかし、要素への還元による理解で、ワイルドな自然(それは人間の暮らす社会、市場も含めて)をコントロールできると考えるのはあまりに考えがあますぎるのでしょう。「自然をコントロールできるのは、組織化の原理を通じて自然がそれを許してくれた場合だけ」なのでしょうから。そして、組織化の原理を人間はほとんどまだ理解していないのですから。

Webにリンクが存在することの重要性をもっと見直すべきなのかもしれません。
境界によって区切られたまやかしのアイデンティティをもったWebサイトの外に出て。

posted by HIROKI tanahashi at 11:38| Comment(7) | TrackBack(1) | 物理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「終焉」と「未来」

やっぱり物知り顔して「終焉」を語るより、当たり前のことを当たり前と思わず、好奇心旺盛に「未来」を夢見ていたほうがよさそうです。

(前略)ブライアン・グリーンが物理学に対して取った態度を促した世界観は、ジョン・ホーガン著『科学の終焉』にまざまざと描かれている。この本の中で彼は、今や基本的な事柄は全て明らかになっており、細部を埋める以外に我々に残されていることはないと論じた。実験科学者である私の同僚も、これには堪忍袋の緒が切れた。間違ってもいるし、完全に公正さも欠いているからだ。新たな事柄の探索は、それが実際に発見されるまでは無駄骨のように見える。そこに何があるのか分かっていたとしたら、それを探す必要などないのだ!
ロバート・B・ラフリン『物理学の未来』

「新たな事柄の探索」が「それが実際に発見されるまでは無駄骨のように見える」のは、先のエントリー「俳句の有限性と自己組織化するWeb」でも引用した弾さんの好エントリーにも示されているとおりであり、それこそ金がそうそう容易に見つかるものなら「それを探す必要などない」。見つかりにくいものを探す苦労がイヤになったからといって、すでにせしめた手持ちのお宝だけもって「終焉(おわり)」を勝手に宣告するのはいかがなものかと思います。

ゴミためのなかの微小な未来の探し方

前々からこのブログではしつこいほど書いていますが、まわりが悪く見えるのは他でもない自分自身のせいなのであり、まわりがゴミだらけにしか見えないのだとしたら、むしろ自分自身の普段の活動がゴミためみたいになっていないか確認してみたほうがいいと思います。批判されるのはそれなりに原因があるわけで、批判するほうも断崖絶壁をよじのぼって批判をするより、平坦な道をとおって批判するほうがラクに決まってます。批判者が集まるのはそれなりに批判者を受け入れやすくしている自分がいるわけで、そのことを棚上げしたまま、アホな批判が多いから「やめた」なんていうのは、どうなんでしょうか?

批判をもらったら、むしろ、その流れに身を任せて、批判を受ける自分をあるがままに見つめなおして、批判の責任を自分に問えばいいのではないかと思います。きっとどこかしら間違ってるところを「新たな事柄」として発見できるのでしょうから。

そここそ、膨大なゴミための中で金が見つかる場所だったりするんじゃないでしょうか?

一見、「終焉」にみえる只中にこそ「未来」は埋もれているということでしょう。
「「終焉」と「未来」」の続き
タグ:未来 物理学
posted by HIROKI tanahashi at 02:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 物理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月02日

興味のあること:自己組織化とベキ分布

これまでこのブログをはじめ、いろんな場所でWebのネットワークにおけるベキ分布について手近なデータの分析も行いつつ検証してみました(参照:MarkeZine「ロングテールを誤解していませんか?」)。

アルバート=ラズロ・バラバシは『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』の中で、

「ネットワークはベキ法則に従うことが明らかになった」などと言われて興奮するのは、一握りの数学者や物理学者だけだろうと思われるかもしれない。しかしベキ法則は、カオス、フラクタル、相転移など、20世紀後半に成し遂げられた概念上の大躍進の中核にある法則なのである。ネットワークと他の自然現象とのあいだに予期せぬつながりが存在する徴にほかならない。
アルバート=ラズロ・バラバシ『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』

と、記しています。
これが気になっていて、いろいろ調べたり、本を読んだりしています。

調べてみると、なかなか面白いことがわかります。
例えば、スチュアート・カウフマンは『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法測』の中で、以下のように書いています。

10種類の高分子を含み、触媒作用の確率が100万分の1であるような単純な系は、単に生命をもたない分子の集合でしかない。10種類の分子は、これらの分子間で起こりうるどの反応に対しても触媒となりえないことは、ほぼ確実である。非常にゆっくりとした自発的な化学反応を除けば、この活性のないスープの中では何も起こらない。分子の多様性と原子の複雑さが増加するにつれて、それらの間の反応が、次々と触媒作用を受けるようになる。その系の構成要素自身から触媒作用を受けるのである。多様性が閾値を超えると相転移が起こり、触媒作用を受けた反応の巨大な織物が「結晶化」する。触媒作用を受けた反応がなす部分グラフは、つながっていないクラスターを数多くもっている状態から、巨大なクラスターと孤立したいくつかの小さなクラスターをもつ状態へと変化する。
スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法測』

「多様性」と「複雑さ」が増すと「巨大なクラスターと孤立したいくつかの小さなクラスターをもつ状態へと変化する」というのは、いまのWebのネットワークの環境を想起させる記述のように僕には思えます。

この関連性が何を意味するのか? しばらく調べてみようと思っています。

 
posted by HIROKI tanahashi at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 物理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月01日

11の次元:認知のツールとその対象

あまりに小さいものの存在に、私たちははじめから気づくことができません。
小さな世界に私たちの知らない次元が存在していたとしても、そのことに私たちはまったく気づかずに過ごすことができるのです。

私たちが3つの拡がった空間次元にしか気づかないからといって、それ以外に巻き上げられた次元が存在しないということにはならないのである。少なくとも、ごく小さいものならありうる。宇宙には目に見えない次元があってもおかしくないのだ。
ブライアン・グリーン『エレガントな宇宙―超ひも理論がすべてを解明する』
実際に超ひも理論においては、私たちの知る3次元の空間(+1つの時間次元)のほかに7つの隠された次元が存在し、宇宙は11次元からなることを理論的には示しているそうです。

この超ひも理論が現代物理学においては、一般相対性理論と量子力学の矛盾を解消し、アインシュタインも夢見た宇宙の統一理論の解明に役立つのではと、物理学界では期待されています。

しかし、その対象となるもの(ひも)はあまりに小さすぎるようです。

「11の次元:認知のツールとその対象」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 物理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする