2006年06月01日

Web2.0で変わるマーケティングと情報社会(後編)

さて、先ほどの「Web2.0で変わるマーケティングと情報社会(前編)」の続きです。

Web2.0を懐疑する視点が意味するもの

先に引用した箇所の続きにこんなやりとりがありました。
編集部
Wikipediaなんかそれの最たるものですよね。
武田
そう、でも、最も見たい項目、みんなが物申したい項目なんかは、議論が巻き起こっちゃって結局「編集中」ってなっちゃうじゃないですか。それくらい、ウェブに載せるデータっていうのはナイーブなものなんですね。実は。ホイホイ載せていいものではないんです。
オンラインマーケティングのMarkeZine:第1回 現場プログラマが見る、Web2.0:Page 3より
1つ前のやりとりが共感をひくものだとすると、こちらの発言はちょっと「はてな?」です。

Webに情報を掲載することが非常にナイーブになってきていることは理解します。
Wikipediaの例もそれが問題であることはわかります。
しかし、そこで導かれる結論が「ホイホイ載せていいものではないんです」となると、ちょっと待った!と思うんです。

まぁ、会話の中での発言なので、「ホイホイ載せて」というのは「何も考えずに載せて」という意味で、それが「いけない」ということを言ってるのであれば問題はないと思います。
しかし、ここで一瞬、読み違いをしてしまいそうな「Webでの情報掲載はナイーブなのでなるべく掲載は控えたほうがいい」といった意味と考えてしまうと、それは違うのではと思います。

同じページに、
Peer to Peerの考えかたって、実はすごいWeb2.0的。横のつながりを作るっていう意味で。で、amazonのなかみ検索然り、 GooglePublisher然り、超Web2.0なわけでしょう。でも実は、凄い危ういと思うんですよ。そうやってどんどん横に広がっていくことで、自分の会社の利益が、どこが出所かわからないデータによって、知らないところで圧迫される可能性が出てくる。オンラインマーケティングのMarkeZine:第1回 現場プログラマが見る、Web2.0:Page 3より
という発言もあるのですが、これも僕としてはそう断言してしまうのはどうかと思ったりするところです。

というのも、これはWeb2.0がもたらそうとしている社会的変化を、前時代から一方的に見るものであって、変化後の社会をいかにつくりだしていくかという視点を欠いたものであるように映るからです。

新しい技術は、新しい法、新しい組織、新しい暮らしを生み出す

これまでの歴史でも、新しい技術は、社会に新しい変化を生み出してきたのではないかと思います。

例えば、自動車技術は、道路交通法などの整備、自動車メーカーを中心とした自動車産業とそれを牽引する企業体を生み出し、さらにドライブや車での買い物などの新しい生活スタイルを可能にし、いわゆる車社会を生み出しました。
インターネット技術も同様に、プライバシーマークや個人情報保護法などを生み、インターネットプロバイダーなどのインターネット関連企業を生み出し、さらにメールやWebがなければ仕事がままならないようなワークスタイルなど暮らしの変化をもたらしました。

そうした新しい技術の登場が、既存のビジネスに打撃を与えたのも歴史が語るとおりですし、それまでまかりとおっていた常識(common sense)が通じなくなるなどの変化もあったはずです。
その意味で、いま起きているWeb2.0的技術の浸透による変化だけをことさら懐疑的に見るのはおかしくて、変化が起こるなら、その変化がもたらす環境に適応できるようにするためには、どんな法規制が、どんな組織が、どんな生活スタイルや常識が必要になってくるかを考えたほうが生産的ではないかと思うのです。

「Web2.0で変わるマーケティングと情報社会(後編)」の続き
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2006年05月29日

みんながおんなじじょうほうをみている

さて、昨日の長文エントリー「情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる 公文俊平」では、ちょっといろんなことを書きすぎて、要点が不明瞭なところが多々あった。

というわけで、このあとのエントリーですこしずつ分解していきたいと思う。
まず、その第1段。

おなじあーるえすえすをみて、おなじてーまのえんとりーをかいている

人間というボトルネック」でSW's memoの渡辺さんも触れていましたが、確かに最近のRSSの取得状況だとかを見てると、「皆が似たような情報にしかアクセスしない」ような状況が見受けられることがある。

例えば、現在、主要なRSSリーダーに数えることのできるであろう下記2つのリーダーのRSS登録状況をみると、上位を占めているものがほんとよく似てる。

こんだけかぶってるとブログで書くネタがかぶるのもある意味、当然かなと思え、実際、はてブの人気エントリーとか注目エントリーをみてると、当たり前のようにいまブロゴスフィアで人気のテーマみたいなものも見つけられる。

そのこと自体、僕はそれが祭りなどといった形でエスカレートしない限りは、よいもわるいもないと思っている。
おんなじネタで会話するのは、別にブログに限ったことではなく、普通に顔をあわせて話す友人、知人のあいだでもそういう会話のほうがきっと多いのだから。

なので、問題はむしろ、それが話に加わってない人にも、かんたんにわかってしまうくらい、そうした現象が可視化されていることのほうだったりするんじゃないかと思う。

「みんながおんなじじょうほうをみている」の続き
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2006年05月25日

思考過程は作業過程 − アトムとビットの重なる場所

read/write web.」の続編。

誰が見ても同じ情報はもはやこの世には存在せず、あらゆる情報が測定する側=読む側の創造性によって規定されることになる。
逆にいうなら、その世界では書くこと=測定することによってしか、読むことができないのだ。

なんて書いたが、「書くこと=測定する」という点は量子力学の「重ね合わせ」を前提にしている。
つまり、「測定前は、可能性を示した情報が存在する。そして測定後には、以前には存在しなかった明確で特定の1ビットの情報が作り出される」(ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー『量子が変える情報の宇宙』)わけで、アウトプットが出されるのは測定の時点であり、それは言うまでもなく、読んだ時点ではなく、読んだものを理解した時点である。

もちろん、厳密には、書かなくても理解できるのだが、それでも理解する際には、読んだものを一度、自分の中で反復する行為が脳の中で行われているはずだ。それを声のない発話といってもいいし、文字を記さない記述だといってもいいかもしれない。
声や文字という外界からでもわかるアウトプットがないまでも、少なくとも脳の中の信号という物理レベルでは読み書き=測定=理解が行われているとみていい。
そして、それはまぎれもなく自己責任が付随した創造的行為だといっていいはずだ。

「思考過程は作業過程 − アトムとビットの重なる場所」の続き
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企業におけるコンテンツの共有、そして、活用(「日本SGIが目指す“新境地”」の記事から)

なかなか面白い記事を見つけた。

Silicon Graphicsの破産法申請をどう克服するか−日本SGIが目指す“新境地”【後編】

米Silicon GraphicsのChapter 11申請により、少なからず衝撃を受けているであろう日本SGI社をめぐる記事だ。
最初に断っておくと、現在の日本SGI社は、はじめは100% Silicon Graphicsだった資本構成も、2001年9月のNECおよびNECソフトの資本参加を受けたことを皮切りに、2005年3月には、キヤノン販売(現、キヤノンマーケティングジャパン=キヤノンMJ)、ソフトバンク・メディア・アンド・マーケティング(現、ソフトバンククリエイティブ)、ニイウス(現ニイウス コー)など資本参加を受け、さらに2006年3月にはソニーからも約10%の資本参加を得て、増資しており、現在では、Silicon Graphics社の資本比率はかなり少なく、その意味でのChapter 11申請の影響はそれほど大きくはない。
その上、営業的にも「Silicon Graphics製品の売上比率は30%を切った」そうで、こちらの面でもすでに今回の事態(危機)への準備はできていたといえるのだろう。

さて、そんな話はさておき、僕がおもしろいと思ったのは、記事内の以下の部分だ。
すこし長くなるが、引用する。

 和泉氏はあるメディアのインタビューに答えるかたちで、コンテンツという言葉をこのように説明している。

 「コンテンツそのものの定義が広がっている。かつてはコンテンツと思われなかったようなものがコンテンツとして価値を持つようになっている」

 そして、その最たるものは「企業が持つコンテンツ」だという。企業はさまざまな情報を抱えている。これをITで処理し、データベースとして蓄積してはいるが、なかなか流通させ、全社員で共有する仕組みを作るのはむずかしい。さらに、情報としてとらえることができるできない社員のノウハウやスキル、経験、ナレッジといったものもある。それはそのまま個人に帰属していて、全社が共有するのは至難のわざだ。和泉氏はこれを、コンテンツとして蓄積し、共有することが必要だと指摘しているように見える。

なかなかこの視点はいいなと思う。
日本SGIというと、いわゆるWeb2.0的なところからは遠く離れたビジネスを行っている会社のような気がしていたが、ところがどっこい下手なWeb屋より目の付け所がよいではないかと感じた。

「企業におけるコンテンツの共有、そして、活用(「日本SGIが目指す“新境地”」の記事から)」の続き
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2006年05月21日

アンビエントに存在する情報たち

ピーター・モービルの『アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』を読んで以来、自分の中で「情報」というものに対する捉え方が変わってきました。

『ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け』『量子が変える情報の宇宙』でも触れられているように、量子力学をベースに量子コンピュータや両親暗号の実用に向けた研究が進められている現代の物理学では、「情報」はAtomとBitが対立するような古典的な段階を超えて、「宇宙は、文字通り、そして比喩的にも、コンピュータにほかならない」(『ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け』)と言われるように、情報を物質、エネルギーにつぐ第3の基本的な存在としてとらえるようになっています。

地下の街と3階のお店

Googleマップの登場以来といってよいと思いますが、一躍脚光を浴びるようになってきた地図情報サービスやGPSも絡めた位置情報サービスですが、単に地図情報、位置情報といっても、その地図や航空写真、あるいは路線図のようなものを、実際に私たちが歩いたり、クルマを運転したりながら、接している街の景色と重ね合わせるのは、想像するほど、単純ではないことは、ピーター・モービルが『アンビエント・ファインダビリティ』に書いているとおりだという気がします。

4月から東京を離れてすでに2ヶ月弱、名古屋で暮らしているのですが、名古屋周辺の巨大な地下街にはいまだに馴染めずにいます。
地図をみてもどこに何の店があるのかわかりませんし、最近ではすこし慣れてきたものの、一度、行った店に再び行くのも最初の頃はむずかしいほどでした。
名古屋の地下街を経験されたことがない方は、こんな風に書くと、僕が方向音痴なのかと思われるかもしれませんが、方向音痴どころか、むしろ、僕は他の人にくらべて結構、方向感覚には秀でたほうだと思います。普段なら地図と目的地を一致させるのもそんなに苦にしないほうですが、それはあくまで地上に限った話だったことに、名古屋の地下街を経験してわかりました。

実は似たようなことを京都に旅行にいったときにも感じました。
夜の食事をする店を地図を見ながら探していたのですが、なかなか目的のお店にたどりつけない。地図をみると、このへんだと思うところにそのお店は見つからなくて、何度もおなじところを行ったりきたりしました。
結局、そのお店がどこにあったかわかります? ビルの3階にあったんです。狭いとおりで両脇をいろんな美味しそうなお店が並んでいたこともあり、僕は地上のお店しか検索対象に含んでいませんでした。さらに目的にお店の1階が「江戸前寿司」のお店だったこともあり、「京都に来てまで江戸前はないだろう」と真っ先に除外対象にしていたせいで、余計に3階に目的のお店があったのに気づかなかったのです。
もちろん、地図のお店の住所には、店舗が3階にあることはきちんと表記されていました。しかし、地図上の位置情報ばかり気にしていた僕は、そのテキスト情報を完全に見逃していたのです。

「アンビエントに存在する情報たち」の続き
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2006年05月11日

タンジブル・ビッツ

『アンビエント・ファインダビリティ』の書評から端をはっしたs.h.さんとのやりとりは、さらに飛び火して、SW(渡辺聡)さんにも参戦いただいた。
SW's memo / 渡辺聡事務所: マシン−インターフェース−ヒューマン

個人的には「人間は、人間の脳みそは何を受け取れるのかというところ」っていうところにピンとくるものがあったのだが、そっちの話はとりあえず置いておくことにして、s.h.さんとのやりとりに関係の深いほうの
今あるコンピューティングのツールとその実装だけを見ていてはなかなかに出て来にくいポイント。”アンビエント”の議論でもありますね。
ユビキタスとアンビエントでは似たようなことを指していても、プラットフォーム側の役割としては、まったく違った思想が読み取れる訳で、表面上の類似性とは別に両者は全く異なるものと捉えてしまった方が早い。

の文脈で、今回は話を進めてみたい。

確かに、SWさんのいうとおりで、話をはやく進めるには別個の議論にしてしまったほうがいい。
で、今回は「ユビキタス」のほうは無視するとして「アンビエント」のほうに着目しておこう。
その際、参照するのは「タンジブル」というキーワードだ。

GUIとTUI

タンジブルといえば、やはり97年春に発表した論文「タンジブル・ビッツ」で、タンジブル・ユーザー・インターフェイス(TUI)という、GUIとはまったく異なる新しいヒューマンインターフェイスを提案したMITメディアラボの教授である石井裕さんのことを避けては通れない。
s.h.さんが「HIIにHCIのアプローチを取り入れる:『アンビエント・ファインダビリティ』を読んで思ったこと」で紹介してくれていたmoo-pongをはじめ、s.h.さんが学ぶSFC奥出研究室のプロジェクト紹介ページに掲載された数々のツールも具体的なTUIの例といってよいだろう(全部見てないので違うものもあったらごめんなさい)。

これらのツールを概観すれば、それらINPUT/OUTPUTが、普段使い慣れたGUIのスクリーン、キーボード、マウスといったINPUT/OUTPUTツールとは大きく異なるのはすぐにわかる。
Web2.0的なAjaxだったり、Flashアプリケーションがどんなにリッチ(RIA)だといわれても、それらは依然として、GUI的なインタラクションの可能性の中におさまっているわけで、その可能性の範囲内では、Googleがどんなにがんばって位置情報表示・検索アプリケーションを開発したところで、s.h.さんが「HIIにHCIのアプローチを取り入れる:『アンビエント・ファインダビリティ』を読んで思ったこと」で写真にとって見せてくれたような『アンビエント・ファインダビリティ』に掲載された地図のようなビューの域を出ることはない。

「タンジブル・ビッツ」の続き
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2006年05月10日

HCIとHIIの階層構造、生命情報/社会情報/機械情報の階層構造

いや〜、GW明けの反動か、妙に眠くて仕方ないので、今日はもう新しいエントリーは立てずにおとなしく寝ようと思ってたんだけど、こんな爽快なツッコミ(これは全然嫌味とかじゃなく本当に爽快)をいただいては、黙って寝るわけにはいかない。

んで本題に入るんだけど、DESIGN IT!さんの続きで、HCI(Human Computer Interaction)からHII(Human Information Interaction)へという記事のがあるんだけど、これは実はちょっと違うんですよ。多分。

HCIからHIIに行く、というより、HCIの方法論を取り入れないと、HIIはシンボル==データの、地図みたいなのしか扱えないという事だと思う。
s.h.log: HIIにHCIのアプローチを取り入れる:『アンビエント・ファインダビリティ』を読んで思ったこと

この素敵なツッコミを入れてくれたのは、SFCの奥出研究室でユビキタスコンピューティング&HCIを勉強中のs.h.さん。
実際にHCIを専門に勉強している方らしく素人の僕の情報不足を見事に補充してくれています。
こういうことが起きた瞬間ほど、ブログっていいなって思う瞬間はありません。
だから、ブログはやめられない

s.h.さんがどういう指摘しているかは、ぜひ「HIIにHCIのアプローチを取り入れる:『アンビエント・ファインダビリティ』を読んで思ったこと」を読んでほしい。
HCI、HIIの理解が深まるはずです。

ここでは、1.僕がなんでs.h.さんに指摘を受けたような誤解にいたったか、と、2.なんでそのツッコミによって爽快になったかを記しておこう。

「HCIとHIIの階層構造、生命情報/社会情報/機械情報の階層構造」の続き
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2006年05月08日

HCI(Human Computer Interaction)からHII(Human Information Interaction)へ

『アンビエント・ファインダビリティ ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』に関する話題でもう一丁。

われわれはHCI(Human Computer Interaction、人間とコンピュータ間の相互作用)の「C(コンピュータ)」をなくさなければならない。なぜなら、アンビエント・ファインダビリティはコンピュータの問題というより、人間と情報の間の複雑なインタラクションに関わる問題だからだ。
ピーター・モービル『アンビエント・ファインダビリティ ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』

HCIとは、@ITの「情報マネジメント用語事典」によれば、
人間とコンピュータ、あるいは人間と機械の接点におけるインタラクション(相互関係、対話型操作)に関する研究領域のこと。ACM SIGCHI (HCI に関する世界最大の学会)の定義では、「人間が使用するための対話型コンピュータシステムのデザイン、評価、実装に関連し、それら周辺の主要な現象に関する研究を含む学問分野」とされる。

Webサイトのユーザビリティ設計を考えてみても思い当たると思うが、従来はこのHCI的な発想に基づき、人間と機械(モニターに表示されたWebページのボタンなどを含む)との相互関係をデザインすることで、ユーザーがコンピュータを利用しやすい状況を作り出すことが重視されてきた。

それに対し「人間が情報に対して、その両者を結ぶ媒体は無関係に、どのように相互作用を及ぼし、関わりを持ち、処理を行うのか」を意味するHII(Human Information Interaction、人間と情報の相互作用)という用語が、Nahun Gershonによって1995年に生み出され、(人間と情報の)両者を結ぶ媒体としてのコンピュータをなくしてもその相互作用が成り立つようにすることが先の引用における「人間と情報の間の複雑なインタラクションに関わる問題」という意味と考えてよいだろう。

Web標準準拠によるファインダビリティの向上


こんな風に書くとわかりにくいところもあるので、すこし具体的にしてみよう。
適した例はなんといっても、Web標準に準拠した形でのWebページのデザインだろう。
Webページの制作に詳しくない人のために説明すると、Web標準に準拠した形のデザインでは、情報の構造、表現(見栄え)、動的なしくみ(振る舞い)がそれぞれ独立しつつ相互に関連したレイヤーに分離されている。
より具体的にいうなら、情報の構造をコントロールするのは(X)HTML、表現のコントロールはCSS、動的なしくみにはJavaScriptなどが利用される。
そして、そのことによって異なるデバイス(PC、携帯電話、プリンター、カーナビetc.)においてもHTMLに記述した情報へのアクセスが可能になり、見栄えや振る舞いなどは元からあったHCIのコンセプトに基づき、別にデザイン、管理することができる(ただし、HTML、CSS、JavaScriptは独立しつつ相互関連しているので、デザイン作業自体は同時進行的になるが)。
つまり、異なるデバイス=機械という人間と情報を結ぶ媒体とは「無関係に、どのように相互作用を及ぼし、関わりを持ち、処理を行うのか」を考え、デザインすることが可能になるのだ。
当然、そのことは機械の1つに過ぎない検索ロボットによる情報の可読性も高めることができ、結果的にSEOにもつながるし、より多くのデバイスでのアクセシビリティが確保されれば、その情報のファインダビリティは高まるというわけだ。

「HCI(Human Computer Interaction)からHII(Human Information Interaction)へ」の続き
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2006年05月04日

[memo]科学としてのコンピューティング、物としての情報

物理学はいまや「情報」を研究対象にしている。
情報(ビット)と物(アトム)の境界はそれほどあいまいになってきている。

宇宙は、文字通り、そして比喩的にも、コンピュータにほかならない。原子も、分子も、バクテリアも、ビリヤードの球も、すべて情報を保存し、変換することができる。(中略)世界がコンピュータであるなら、コンピューティングの科学は、真の意味での科学の科学である。
ニール・ガーシェンフェルド『ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け』

そんな時代に、ネットとリアル、あるいはオンラインとオフラインといった線引きをするのは時代錯誤じゃないでしょうか?
現実の情報検索、利用においてもオンラインとオフラインとの行き来は、ほとんど境界など意識することなく行われているんじゃないでしょうか?

他のブロガーの書評をみて、Amazonに行ったり本屋に行ったり、そのいずれかでその本と同時に他の本もいっしょに買って、さらにそれを読んで自分のブログで書評を書き、アフィリエイトで誰かが買ってくれたり、職場の同僚とその本をネタに仕事の話をしたり。
そんな風にオンラインとオフラインってつながってるんじゃないでしょうか?

あとお金はためて使わないよりまわしたほうがいいって昔からいうけど、最近は情報もそうだよなってつくづく感じます。

というわけで今気になってるのは、タンパク質の折りたたみとNP完全問題(謎

関連エントリー


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[memo]情報検索性とノイズ

さっき知人とメッセンジャーで話してたことをメモ。

  • 情報の検索性には、情報自体にセマンティックなメタデータを付与することと同時に、情報検索を行うユーザー側のコンテクスト理解が大事
  • で、その両者のコンテクストをうまく結びつけるのが検索性の向上につながる
  • しかし、その両者が完璧にマッチングすることはない
  • その時、重要なのは完璧を目指すことじゃなく、ないよりマシを作り出すこと
  • 例えばGPSでの位置情報を利用した検索。あれも位置情報はわかってもその時ユーザーが何をしたいかまではわからない
  • 当然、いくつか選択肢をリコメンドしておいて、そこから選ばせるという形になる
  • それを不完全なマッチングというのはやさしい。しかし、GPSなどはないよりマシの好例で、現在地情報なしに銀座の情報を探すのに携帯で日本全国から銀座を選択する手間を省いてくれるのはユーザーにとってはどんなにうれしいことか
  • でも、意外に開発者の側は"完璧"を目指そうとして、マシな状況をいちはやく実現することを躊躇したりする
  • それは開発者の側のエゴだ
  • で、完璧なマッチングとはいうが、実際、完璧なマッチングが実現されたらどうだろう?
  • 想像してみてほしい。Googleの検索結果に自分が意図したものしか表示されないシーンを!
  • 気持ち悪い
  • しかも、意図しないものが見つからないのも逆に不便だ
  • 実際、Amazonのリコメンドがもっと精度が低かったとき、その状況が実際にあって、当たり前のものしか出てこなくて使えないという批判があったはずだ
  • むしろ、検索結果には多少のノイズ(役に立たない情報)が混ざってるからこそ、有益な情報がキラリと光るのではないかと思う
  • すべてが必要な情報だったら逆にユーザーは混乱する
  • 静かなノイズのない部屋が逆に集中力を欠くように
  • とはいえ、検索性の向上のためには、まだまだユーザーの「いつどこで何もどうして」というコンテクスト理解に関する技術革新が必要だろう
  • 情報のコンテクストをセマンティックにする技術ばかりが先行して研究開発が進んでいる気がするが、ユーザーのインプット情報をいかに得るか、どう解釈するかといった側の技術に関してももっと研究開発を進めなきゃいけないんだろう
  • とりわけユビキタスコンピューティングが進んで携帯電話、カーナビなんかで情報検索がより必要とされる時代には

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2006年04月27日

プロジェクト推進における集合知の利用

集合知に関して考察した『「みんなの意見」は案外正しい』の中で、著者のジェームズ・スロウィッキーは、賢い集団の特徴として4つの要件をあげている。

  1. 多様性:それが既知の事実のかなり突拍子もない解釈だとしても、各人が独自の私的情報を多少なりとも持っている
  2. 独立性:他者の考えに左右されない
  3. 分散性:身近な情報に特化し、それを利用できる
  4. 集約性:個々人の判断を集計して1つの判断に集約するメカニズムの存在

この4つの要件を満たした集団は、正確な判断が下しやすい。なぜか。多様で、自立した個人から構成される、ある程度の規模の集団に予測や推測をしてもらう。その集団の回答を均すと一人ひとりの個人が回答を出す過程で犯した間違いが相殺される。言ってみれば、個人の回答には情報と間違いという2つの要素がある。算数のようなもので、間違いを引き算したら情報が残るというわけだ。
ジェームズ・スロウィッキー『「みんなの意見」は案外正しい』

いま、あるプロジェクトに関わっているが、そのプロジェクトメンバーからなる集団は、それぞれ優秀な人が集まり、環境としても1〜3の条件を十分に満たしている。
しかし、残念ながら4の条件はまったくといっていいほど欠けている。

個別での横のつながりで情報共有は行われても、それがプロジェクト全体として集約されることはない。
ミーティングなどで顔を合わせることがあっても、それぞれが異なる専門的な立場から意見を述べるため、集約機能のない集団では、最終的なアウトプットを出すことができない。

「プロジェクト推進における集合知の利用」の続き
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2006年04月23日

"2020年"に関する補足情報

Web2.0を2020年に向けた準備としてとらえる」で、唐突に紹介してしまった"2020年"というターゲット。その数字がどこから持ってきたかをいちお補足しておこう。

それはいわゆるムーアの法則と関係がある。

ムーアの法則と呼ばれる有名な格言によれば、1つのチップ上の部品数は約2年ごとに倍になるという。今世紀初めに登場したペンティアム4プロセッサには、1秒間に10億回以上オン・オフを静かに繰り返す微小スイッチが、何百万個も入っている。(中略)今後もムーアの法則が成り立ち続けるとしたら、理論的にはたった1個の原子からなるスイッチにたどり着くはずだ。
ジョージ・ジョンソン『量子コンピュータとは何か』

この「たった1個の原子からなるスイッチにたどり着く」時点が2020年と予測されている。
そして、もちろん、それに対する対応は半導体業界で進んでいる。

半導体メーカーの予測、および米半導体工業会(SIA)の技術ロードマップによると、CPUに集積されるトランジスター数は、現在の10億個から2年後には倍の20億個、4年後にはなんと40億個になるという。SIAのロードマップは、チップの小型化と集積度増大が2020年まで続くと予測している。


米Intelは10月22日、2020年に向けてトランジスタの小型化、高速化、省電力化を進める先進プロジェクトの一部を披露した。(中略)Intel研究者らは、カーボンナノチューブ、ナノワイヤなどの新しい素材や、トランジスタを原子レベルに縮小化する新技術を紹介した。

そう。ちゃんと2020年をターゲットにしているのだ。

「"2020年"に関する補足情報」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 13:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月15日

情報の指数関数的増加、対数的思考、そしてPageRank

情報は指数関数的に増えると予測されている。

80億以上の URL で構成される Google のインデックスは、他に類がなく、インターネット上の最も役に立つWebページの包括的な集合体です。

現在 55,521 件のFeedソースが登録されており、9,368,312 件のFeedがあります。
24時間以内に登録されたFeedソースは 293 件、最新Feedは 483,107 件です。


約80億(Google_URL)−約9400万(feedpath_feed)=約79億

しかし、24時間の最新Feed 483,107 件がそのままの割合で推移しても、
365日後には、 176,334,055 件の累積Feed数となり、

約80億(Google_URL)−約1億6千万(feedpath_feed)=約77億4千万

となる。

だが、話はそう単純ではなく、1日293件の登録Feed数を考えると、
同じく365日後には、登録Feed数は、162,466 件といまの3倍となる計算が成り立つ。
つまり1日の最新Feedも1年後には3倍になっていることが考えられる。
そんなことももろもろ加味して計算すると、
1年後のfeedpathの累積Feed数は、355,995,692 件くらいには軽く達する。

これは1日の登録Feed数や世の中の1日のFeed発信件数が変わらなかった場合である。
これから世の中的にFeedを発信するWebサイトが増え(例えばブログ利用者が増えたり、現在、Feed対応していないサイトが対応したり)、feedpathの利用者が増えれば、この年間3億5千万という件数が、簡単に10億くらいにはなるのではないかと思える。

ちなみに登録速度などが変わらなくても712日後には10億に達するが、おそらく現実的には、その数字に達するのにそんな時間は必要としないし、Googleの数値に達するのにも同じ計算で導かれるような2,321日後などということはないだろう。

これはまだ、それほど世間的には広く認知されているとはいえないfeedpathの数字である。
だからこそ、この情報の劇的な増加がいかにおそろしい速度をもっているかがわかるというものだ。

「情報の指数関数的増加、対数的思考、そしてPageRank」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする