2006年07月21日

クリエイティブと著作権

昨日、当ブログのエントリーと酷似する内容のエントリーを別のブログで掲載されているというご報告をある方からいただきました(ここで「ある方」が誰かは問題がその方に波及するのはいけないので伏せさせていただきます)。

私自身、自分の目で確認したところ、確かにその方の報告どおりでした。
調べてみると、そのブログは単なる個人のブログではなく、ある企業のブログでした。
(こちらから確認をとらせていただき、きちんと「影響を受けた」点をお認めいただいたので、ここでは該当する企業名もブログ名も表記しません)

クリエイティブコモンズによる当ブログの著作権表記

当ブログは、以下のクリエイティブコモンズの内容にあるとおり、「複製、頒布、展示、実演すること」「二次的著作物を作成すること」を第三者に認めています。
しかし、それは「原著作者のクレジットを表示しなければなりません」という条件のもとでの権利であり、私のクレジットを掲載してはじめて可能であることです。

Creative Commons License

クリエイティブコモンズによりcopyrightをsome rights reserved.にしているのは、ブログのような著作物において、ある程度の複製(ブログ記事の一部引用や書かれたアイデアの展開)はやむをえないと考えておりますし、それを禁じてしまっては、逆に他のブロガーの皆さんの創造性を不必要に規制することになってしまうと考えているからです。

「クリエイティブと著作権」の続き
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2006年05月06日

[memo]著作権、オープンソース、無形資産

昨日「INAのArchives pour tous 文化における見る価値と保存する価値」のエントリーを書いた後、たけくまメモさんの「ソフトがタダになる時代」やFIFTH EDITIONさんの「ネット時代の商業ソフト販売」なんかを読んで、「広告モデル」だったり、そもそも、そのあたりの話を全部ビジネスモデルの話にしてしまうことに対して、ちょっとした違和感を感じたのでmemo。

  • いや〜、でも、なんでなんでしょ。著作権がネットにおいて機能しなくなるって話になると、どうもすぐに広告モデルの話になっちゃうのは。他のブックマーカーたちもこめんとしてたけど(っていうか、コメントだけで済ませるんじゃなくて、エントリー立てなさい。君たち)、確かに僕自身、違和感感じて「う〜ん」とうなりたくなるところ。
  • ソフトが無料になるってことでは、やっぱりいわゆる狭義のオープンソースが先例となるわけで、それらが必ずしも広告モデルでやってるかっていうとそうでもないよなって話。
  • 広告モデルというビジネスモデル時代はいいと思うんです。でも、すぐにそこだけにつなげちゃうのは短絡的な感じがして、ちょっと味気ないなっていうのがこのエントリーの主旨。なので、広告モデル批判なんかではまったくないので、それを期待してる人には先にゴメンナサイ。
  • で、昨日の「INAのArchives pour tous 文化における見る価値と保存する価値」には、INAのアーカイブ公開について、こんなコメントを書いた。
  • 「フランスという国が、自国の文化を明確な形で自国のブランド価値、無形資産として位置づけ、自国の利益創出のためにマネジメントしようとしていることがよくわかります」
  • そうなんだよね。いきなりビジネスモデルの話まで跳んじゃう前に、それ(=情報。作品でも可)が無形資産であるということをバランスシート的に認識してみたらどうかと思うわけ。
  • つまり、それが「データは次世代のインテルインサイド」って話。
  • ちょっと前にはてブで人気エントリーになった404 Blog Not FoundのDanさんの「Googleは広告会社か?」ってまさにそういう内容だったわけで、すぐに広告モデルにいたる連想を開始するんじゃなくて、一旦「情報のネゲントロピーは、それ以上にうまい。そしてその油田を、どの産油国も成してないシェアでGoogleは押さえているのである--現在のところ」っていう部分に回り道してみたほうがいい。
  • といった意味で、もう一回、自分自身のもっている無形価値は何?っていう質問まで立ち返ってみないと、なかなかビジネスモデルの転換をうまい具合に進めることはできないんじゃないかって思ったりする。
  • とはいえ、いま、ここに答えを持ってるわけじゃなく、さっきも書いたように「著作権モデルの崩壊〜広告モデルへ」みたいな短絡的回路はどうかなというところを書くのがこのエントリーの主旨。で、それに対して無形資産という場所を迂回する道を描いてみたってのがこのエントリーのいちおのオチでしょうか。
  • オープンソースも決して無償ではない。無償の部分もあるけど、ビジネスモデルとして成り立っている部分もある。やっぱり、そういうところの成功を表面的なビジネスモデルを真似るのではなく、それが何を価値ある資産と捉えることで成り立っているかを考えるほうが、次のビジネスモデル構築への近道になるのかなと思ったりしたわけです。
  • まぁ、結局は新しいビジネスモデルの構築より、古いビジネスモデルからの脱却のほうが苦労しそうだなって思ったりするけど。


  • 関連エントリー
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2006年04月26日

村上隆、著作権侵害訴訟の件に関するブロガーの反応

ここここに僕自身の感想は書きましたが、他の人はどう感じているのかなと調べてみました。
いろいろ書かれていますが、軒並み評価を落としているといえそうですね。

「アレは僕のDOBのパクリですね。でも、DOBも元ネタはミッキーマウスですから偉そうなこといえませんね、わはは」くらいのこと言えば、今まで自分がやってきたことと筋を通せたかもしれないのに。
それがポップアートの精神じゃないの?

この2つのケースは当事者間の間で決着したのだが、両氏のような著名で社会的に影響力の大きい人だからこそ、自分の要求を通すことができたのではないかと思う。当事者間での決着では、力関係や社会的影響力などによって決着内容は大きく変わってくる。

「村上隆、著作権侵害訴訟の件に関するブロガーの反応」の続き
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2006年04月25日

村上さん、必要以上に"既得権益"をもちだすなら逝ってよしですよ

アートだと言い張る限り、"オリジナリティ"という主張はまだセーフなんだろう。

そんでものすごく大雑把にまとめると、「ゲージツ家が商業デザインをパクったりおちょくったりしてがっぽりお金儲けするのは、それは逆にすげえゲージツ的なことであり、単なるパクりを超えてオリジナルアートと化すわけだから許されるべきことだけど、企業がゲージツ的オリジナルアートをパクったりおちょくったりしてお金儲けすることは絶対許さないお! それは激しく著作権法違反だお! 損害賠償を請求するお!」ということかと。


しかし、1つ前のエントリーでも引用したように、村上氏自身が「キャラクターであると共にアート作品」と言った瞬間、つまりは「アート作品であるとともにキャラクター」であることを認めた瞬間、それは同じ商業デザインの文脈におさまることを認め、それが属するもののルールが適用されるのではないだろうか?
ようは「デゼニランド」さんに訴えられても文句は言わないと言っているのに等しいのではないだろうか?

かつては村上氏を指示してもいた批評家の東浩紀氏は「ここで問題なのは論理の一貫性」だと書いている。「彼の美術家としてのオリジナリティは、本来は、DOB君のデザインではなく、むしろ商業主義や美術の文脈の転倒というトータルな戦略にあった」と言っている。
その上で、

ところが、その彼がいまやデザイナーとして権利を主張している。少なくともそう見える。おそらく村上氏としては、デザインの借用そのものというより、自分のコンセプトに敬意を払わないままにデザインだけ借用された、そのことへの怒りのほうが大きかったのでしょう。それは分かりますが、それでもこの裁判はデザインの問題として理解されるはずです。著作権侵害で争うというのは、そういうことです。だとすれば、今後は、DOB君のデザインが本当にオリジナルなのか、商品としてどれほどの魅力があるのか、ほかの無数の商業主義的なキャラクターと同じ厳しい基準で検討されざるをえない。今回の和解で、DOB 君の権利は救われたとしても、村上氏の特権的な位置は怪しくなったのかもしれません。

「村上さん、必要以上に"既得権益"をもちだすなら逝ってよしですよ」の続き
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村上隆氏の著作権侵害訴訟の和解に関して

確かに、著作権侵害なのだろう。それは間違いない。

現代美術家でルイ・ヴィトンのデザインなどで知られる村上隆さん(44)が、自らのデザインと類似したキャラクターを勝手に使用され著作権を侵害されたとして、大手子供服メーカーの「ナルミヤ・インターナショナル」(東京都港区)に損害賠償などを求めた訴訟は24日、東京地裁で和解が成立した。

カイカイキキ:http://www.kaikaikiki.co.jp/
ナルミヤ・インターナショナル:http://www.narumiya-net.co.jp/

でも、なんだかしっくりこないのは何故だろう?
今回の訴訟で問題となった作品は、村上氏の会社「カイカイキキ」のページに掲載されている。

関連記事
「現代美術家 村上隆が訴訟提起した著作権侵害事件の和解による終了について」:
http://www.kaikaikiki.co.jp/news/list/murakamis_lawsuit/

その記事の中で村上氏はこう書いている。

これらのキャラクターは、キャラクターであると共にアート作品です。日本ではアートの社会的評価や理解度は低いままです。功利主義で、文化発展への尊敬の念乏しき,文化の民意が著しく低い国。それが日本です。
しかし,こうした現状に甘んじるのではなく、オリジナルアートの価値を社会に認識してもらうことが重要です。私は、これからもそのために精力を注ぎ続けていきます。

「村上隆氏の著作権侵害訴訟の和解に関して」の続き
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2006年03月17日

キャッシュは著作権侵害にあたらず

さすがに、元々デジタルで公開されているコンテンツを検索可能にするためのキャッシュは、フェアユースとして認められたようですね。

ある作家がGoogleを相手に起こした著作権侵害裁判で、このほど連邦裁判事が作家側の訴えを却下し、Googleの勝訴が決まった。


書籍デジタル化計画「Library Project」は、どう判断されるんでしょうね。

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2006年02月04日

引用可能を明確に打ち出したニュースサイト AFP BB News

ゲームポータルサイト「BB Games」の運営などを手がけるソフトバンクグループのMOVIDA ENTERTAINMENTは2月3日、フランスに本社を置くAgence France Presse(AFP通信社)、コンテンツの開発運営を手がけるクリエイティブ・リンクと共同で、ニュースサイト「AFP BB News」のベータ版を開設した。読者にAFP通信社の写真を自由に引用できるブログサービスを提供する点が特徴だ。


AFP BB News:http://www.afpbb.com/

ブログの著作権について考える。」のエントリーで、

ちなみに同第十条には「2 事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、前項第一号に掲げる著作物に該当しない。」という記述もあるので、ニュースサイトの報道記事の複製は大丈夫そうだ(コラム的なものは除外対象には該当しないだろう)。


と書いたが、正直、現在の著作権では著作権保持者の考え方によってはどうにでもなってしまうグレーな部分が多いため、たとえ、それが純粋な事実の報道だと思えるようなものでも「絶対、大丈夫」という確証をもつことはできない。
今回、正規引用を認めるという明確なメッセージは、実際にブログを書く人には非常にありがたいものだ。
「引用可能を明確に打ち出したニュースサイト AFP BB News」の続き
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2006年01月30日

経団連による著作権情報の登録、検索サイトの開設

ブログの著作権について考える。」のエントリーで、ブログの著作権に関して著作権法を見ながら自分なりに書いてみたが、同じエントリーをPOSTしておいたFPNのほうで、引用に関して記述された「第三十二条」に関する記載がないのを指摘いただいたので、あらためてここで補足した。

まず、著作権法の第三十二条はこういうものだ。

第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

これがまさに『FREE CULTURE』でローレンス・レッシグが問題にしていたもの1つ、フェアユースの問題だ。ようするに「正当な範囲」が非常にあいまいであるため、問題(例えば、著作権保持者が「正当な範囲」でないと主張して、あとから膨大な金額を請求される等)となりうる。
また、それを明確にしようとすれば、誰が著作権を保持しているのかを明確にする作業からはじめる必要があるので、弁護士費用などをはじめ、莫大なコストがかかるため、そうした費用が払える人(法人)以外のクリエイターはあきらめるしかないという意味で、著作権法の存在が創造性を規制してしまうことになってしまう。これに関して、レッシグは「アメリカにおけるフェアユースは、創造する権利を守るのに弁護士を雇う権利があるというだけの話だ」と書いている。(『FREE CULTURE』P223)。
日本では、判例としてどのように扱われているのかは勉強不足でわからないが、必ずしも「引用」が絶対に大丈夫ということではない気がする。特に、著作権にうるさい大手メディアを相手にする場合などはそうだろう。

「経団連による著作権情報の登録、検索サイトの開設」の続き
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2006年01月28日

ブログの著作権について考える。

価値とは差異のことである。」のエントリーで、「こんな時にブログの著作権など主張するのはどうかしてる」なんて書いてみたが、実際、ブログの記述に著作権があり、かつ、その範囲はどれくらいなのかと思ったので、簡単に調べてみた。
法律は詳しくないので解釈が正しいのかは責任がもてない。
以下の「著作権法」の引用は、下記を参照している。
著作権法:http://www.cric.or.jp/db/fr/a1_index.html
社団法人 著作権情報センター

まず、ブログの記事は、著作物に相当するか?

第一節 著作物

(著作物の例示)
第十条 この法律にいう著作物を例示すると、おおむね次のとおりである。
  一 小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物
  二 音楽の著作物
  三 舞踊又は無言劇の著作物
  四 絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物
  五 建築の著作物
  六 地図又は学術的な性質を有する図面、図表、模型その他の図形の著作物
  七 映画の著作物
  八 写真の著作物
  九 プログラムの著作物

を見ると、基本的には「一 小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物」に該当するだろう。

ちなみに同第十条には「2 事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、前項第一号に掲げる著作物に該当しない。」という記述もあるので、ニュースサイトの報道記事の複製は大丈夫そうだ(コラム的なものは除外対象には該当しないだろう)。

ちなみにこの記事は、「著作権法」のコピペだが、同第十条には、

(権利の目的とならない著作物)
第十三条 次の各号のいずれかに該当する著作物は、この章の規定による権利の目的となることができない。
  一 憲法その他の法令

という記述があるので、大丈夫だと思って、複製している。

「ブログの著作権について考える。」の続き
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価値とは差異のことである。

ローレンス・レッシグの『FREE CULTURE』を半分ほど読んだが、なんだか悲しくなる内容だ。
この内容がいま起こっていることだとしたら人間の文化は自滅するしかないのではないかとさえ感じられる。

価値とは差異である。そして差異は複製から生まれる。機械的な複製ではなく、人間的な複製によって。おそらく真似れば真似るほど、差異は目立つようになる。猿真似が稚拙に思えるのは肝心なところで複製性を欠いているからだろう。

「価値とは差異のことである。」の続き
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2006年01月21日

ブログ記事のミームを活性化し、情報の複製を促進する3つのレシピ

文化複製子であるミームが自己複製を行うのは、利己的な遺伝子が自己複製により種の延命を図るのと同じ理由だ。
そして、遺伝子に生物という宿主が必要なように、ミームにも自己の複製のたみに適切な乗り物が必要だ。
それがブログである。

ブログという乗り物はミームにとって都合がいい。トラックバックやRSSはミームの自己複製のためにあるようなものだ。ブロガー自身はトラックバックする側もされる側も自分のために行っていると思うかもしれない。だけど、それはミームの仕業なのだ。

「ブログ記事のミームを活性化し、情報の複製を促進する3つのレシピ」の続き
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2006年01月20日

ミーム伝達経路調査

ミームとブログ、複製による回覧、そして延命」というエントリーで、文化的複製子であるミームについて、すこし取り上げた。

あらためて、ミームとは何かを調べると、Wikipediaではこんな風に書かれている。

ミーム(meme)とは、文化が「変異」「遺伝(伝達)」し「選択(淘汰)」される様子を進化になぞらえたとき、遺伝子に相当する仮想の主体である。例として災害時に飛び交うデマ、流行語、ファッション、言語など、すべてミームという仮想の主体を用いて説明できるとする。

ミームは、「進化論というアルゴリズムに支配される遺伝子」というパラダイムの、文化への適用という形で提案された。「利己的な遺伝子」(リチャード・ドーキンス 1976)で始めてこの語が用いられ、定着した。ドーキンスは「ミーム」という語を文化伝達や模倣の単位という概念を意味する名詞として作り出した。模倣を意味するギリシャ語の語根 mimeme から遺伝子 gene に発音を似せてミーム meme としたという。以降、進化論・遺伝学で培われた手法を用いて文化をより客観的に分析するための手段として有用性が検討されている。

ミームとブログ、複製による回覧、そして延命」では、ミームに関するダニエル・C・デネットの説明を取り上げたが、それによれば、複製子といってもミームは完璧なコピーを作り上げるのではなく、自身の特性を延命させるためのレシピのように考えたほうがよさそうだ。
つまり、外部から何らかの原因でミームを宿した宿主は、元の宿主がミームとともに産出した創作物とまったく同じ複製を作らせられるのではなく、レシピに書かれた特性のみを複製した新たな創作物を産出することになる。それゆえ、たとえミームが創作の動機に関わっているとはしても、宿主がつくった創作物の責任は、ミームの側にはなく、創作を行った宿主にあることになる。
これは遺伝子でも同じだ。生まれた子供の運命をすべて遺伝子のせいにして、自身の責任を問わない両親はいないはずだ(ぜひとも、そう願いたい)。

「ミーム伝達経路調査」の続き
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2006年01月18日

ミラーニューロンという猿真似ニューロン、あるいは、創造の過程としての複製

ブログでこうした形で記事を書くこと。
僕はそれを自分の頭の中を整理するために使っている。

こういう風に書くと、なんだか自己満足な感じを受けるかも知れないが、そういう意味ではなく、もちろん、公開しているわけなのだから、人の目は気にしているし、他の人とのコミュニケーションのきっかけになればよいと思っている。
時折、コメントをいただいたりトラックバックをいただけるのは何より嬉しいし、所詮、自分1人の考えだけでいい考えなど生まれるわけはないと思っているから。

そういうことはあるのだが、ここでCui bono?(誰が得をする?)と発すれば、やはり、僕自身だと思う。
ユビキタスとWeb2.0」というエントリーでも書いたが、まず最初に、公開されるブログエントリーで宣言してしまうことが、その後の自分自身を変えると思っているからだ。

さて、この僕の行為の効用は、脳科学や認知科学の分野の研究でも、ある程度、実証されていることなのだ。
たびたび引用しているが、今回も茂木健一郎氏の著書『脳と創造性』から引用しよう。

 ところで、コミュニケーションというと、普通はそれぞれ独立にAさんとBさんが存在していて、その間に情報がやりとりされることだと考える。しかし、ミラーシステムの発見に象徴されるような現代の脳科学ないしは認知科学の知見を総合すると、独立した主体の間の情報のやりとりというコミュニケーションのメタファーは、あまりにも狭すぎて、生の現場において実際に起こっていることの本質をとらえていない。
 実際に起こっていることは、自己の中に他者がミラーシステムを通して投影され、他者の認識の中に自分の心の認識が反映される、きわめてダイナミックなプロセスである。その中で、自分自身も、自分の中の他者のイメージも作り替えられる。
『脳と創造性』


ミラーシステムとは、茂木氏による造語で、「あたかも鏡に映したように自己の行為と他者の行為を共通のプロセスで処理する脳内モジュール」を呼ぶ。
茂木氏のこの言葉の元になっているのは、ミラーニューロンというものである。
ミラーニューロンは、1996年にイタリアの研究グループによって発見された、猿の前頭葉の運動前野で、自分がある行為をするときにも他人が同じ行為をするのを見ているときにも活動する物真似ニューロンで、その後、人間の前頭葉でも見つかり、運動性言語野とされるブローカー野であったこともあり、「言葉は物真似から覚えていくというラマチャンドラン(Vilayanur Ramachandran)の理論展開によって注目されるようになった」ものらしい。

「ミラーニューロンという猿真似ニューロン、あるいは、創造の過程としての複製」の続き
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2006年01月17日

これもミームでしょ。

というのは、冗談だとしても、
CNETの「株式市場を襲ったライブドアショック--新興企業が軒並み安」の記事に掲載された「表2:1月17日のIT・インターネット関連株の動向」で示された株価の下落具合はちょっと異常だなって思う。

ライブドアに関係あるかどうかはともかく、この中の企業にもライブドア的な経営を想像するようなM&Aを行っている企業ではないところだって、いくつも見られる。
IT関連の新興企業ってだけでいっしょくたにされてる感があるのは、ある意味、これもバブルだよなぁって感じる。

ライブドア関連のコメントは差し控えようと思っていたが、あまりのことにびっくりして書いてしまった。

ミームだよなぁ。
posted by HIROKI tanahashi at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミームとブログ、複製による回覧、そして延命

プリンの真価は食べなきゃわからないと言うけれど、レシピがどんな形であれ物理的な複製を作ってもらえるかどうかは、そのケーキがどのくらい成功するかにかかっている。ケーキが何に成功するのかって? 宿主がレシピの複製を作ってそれを回覧させるのに成功するかどうかだ。Cui bono? ふつうはケーキを食べる者が得をするし、だからかれらはそのレシピをありがたがって、複製を作り、それを回覧するけど、でもその「宿主」が得をするかどうかとはまったく関係なく、ケーキがレシピを回覧させればレシピ自体はレシピにとって唯一の意味ある形で得をすることになる−つまり複製されて、その系列が延命するのだ。
ダニエル・C・デネット『自由は進化する』


上の『リング』を想起させる、ややこしい説明は、『利己的な遺伝子』でリチャード・ドーキンスがはじめて用いた、遺伝子と類似の文化的複製子ミームに関する解説だ。
ミーム(meme)という語は、模倣を意味するギリシャ語の語根 mimeme から遺伝子 gene に発音を似せて作られた言葉らしい。

ミームなんてものが本当にあるかどうかという議論は、実はあんまり興味はないのだけれど、何度か書いてきたように文化の伝播には、遺伝子的な複製の繰り返しが必要なのは確かだろう。

いまのブログ文化を見てると、この複製による伝播がすごいスピードで起こっているのがわかる。あるニュースが立ち上がると瞬く間にそれをトラックバックした記事がいくつも立ち上がり、さらにそれがトラックバックされていく。そして、遺伝子でも優秀な子孫を残したものが系列として延命するように、優秀な記事にトラックバックやソーシャルブックマークが集まる。

こうした状況がそれを系列の延命をはかったミームが宿主(ブロガー)の損得とは無関係に自己複製を行っているのか、はたまた、そもそも、ミームがよりその勢力、速度を強化するためにブログやWeb2.0なんてものに人間を導いているかなんて話はともかくとしても、この複製〜回覧を経ることで、○○を語る時には△△と□□もいっしょに的な社会的に認められた情報発信のレシピみたいなものが固まったりすることはある気がする。

ティム・オライリーのミームマップここ参照)には、Web2.0のユーザーポジショニングとして、「情報の自己コントロール」っていうのがあるけど、ホントにこれって人間にできるのかなって考えちゃったりもする。う〜む。

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2006年01月13日

美術市場における複製の歴史的意味

先ほどのエントリー「Web2.0時代の複製と著作権」を補足する為に、美術カタログを美術品の描写の歴史を見てみたいと思う。
参考にするのは、『美術カタログ論 記録・記憶・言説』(島本浣著)だ。

島本氏によれば美術カタログの歴史は17世紀にまで遡ることができる。美術カタログとは、競売カタログ、美術館の展示品カタログ、展覧会カタログ、そして画家のカタログ・レゾネ(作品総目録)などの呼称である。このうち、競売カタログと展覧会カタログを除いては、19世紀後半までカタログの名が書籍の表題につけられることはなかったという。

カタログの起源とも言えるのは、王族や貴族などの所有財の記録としての財産目録である。17世紀になり、相続者が故人の財産を売りに出すようになった時、財産目録は印刷されるようになり、目録はカタログになったという。
目録が単に数えられるものであったのに対して、カタログはある秩序によって分類することで、集積された財を表象する。つまり、カタログによる表象によって財は売り物になるのだ。

美術品が売り物として取り引きされるのは、フランスで競売カタログが飛躍的に発展した18世紀にぴたりと一致する。つまり、基本的に一点物である美術品が売り物になるためには、それを表象するカタログが複数部印刷されることで市場に美術品の表象を伝播する必要があったわけで、美術品競売という美術マーケットはまさにマーケティングツールである競売カタログと同時に発展したのだ。

「美術市場における複製の歴史的意味」の続き
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Web2.0時代の複製と著作権

ブログやソーシャルネットワークなどCGM(コンシューマ・ジェネレイテッド・メディア)の台頭は、いまやネット上に大量の複製情報を日々生み出し続けている。ネットに掲示されたニュースは瞬く間に個人のブログなどで複製され、個人的な感想とともに拡散していく。
もちろん、こうした複製の問題は何も最近になって表面化したわけではない。デジタル情報がインターネット上に置かれた時点からそれはすでに問題としてあった。ただ、CGMの台頭でその速度と量が過去とは比較にならないほど劇的に増したというだけの話である。

とうぜん、こうなってくるとネット上での著作権の問題が真剣に問われることになるであろう。もちろん、著作権は著作者個々の経済的な権利を守るために必要だ。これまでの経済システムが前提としていたのは、著作できる人とそうでない人の間の差異そのものを価値とする考え方で、それはすなわち分業だ。
「最初の分業は、子供を生むための男女の分業である」(『ドイツ・イデオロギー』)と言ったのはマルクスだったが、まさにいま起きている消費者主導のメディアの形成は、マルクス主義において搾取されていたものとされる労働者がその力の一部を取り戻しはじめたと言ってもいいのかもしれない。

「Web2.0時代の複製と著作権」の続き
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