思考のフレームワーク

たぶん、人間の脳がパターン認識をベースにしているからなんでしょうね。思考にもフレームワークがある状態とそうでない状態では、物事を理解したり、うまく整理するのにも、まったく効率が違うし、下手すれば、フレームワークがなければ理解もできないし、そもそも存在を感じることもできないってことがあると思います。 進化の過程において、脳がパターン認識により、物事を感じ、理解するような器官として発達してきていることの意味をもうすこしちゃんと考えないとダメですよね。 思考のフレームワークってでは、思考のフレームワークってどんなものなのでしょうか? 例えば、ビジネスだとかマーケティングの分野にもいろんな思考のフレームワークがあります。以下のようなものは全部、フレームワークと呼べるでしょう。 SWOT分析AIDMA(AISAS)マーケティングの4P5 forcesバリューチェーンSIPOC品質機能展開(QFD)プロダクトコーン製品ライフサイクルPDCADMAICPMBOK5M+1E などなど。 こういうフレームワークが頭の中に入っているかどうかで、結構、目の前で起きている問題や現状の課題を認識し、それをどう改善すればよいかを考える場合でも、まったく効率が違います。 とにかくフレームワークがあると、その枠組みにあてはめて目の前の事実の整理ができ、枠組みを埋めるために、どこの部分のインプットが不足しているのかもわかるので、具体的な取り組みなどもすぐに明確になるわけです。

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ヒトが認識する距離感

昨日、三連休に熊野に行ってきた話を書きましたが、今回、旅行に行って感じたのは、人間の距離感覚ってテキトーなんだなっていうことです。 時間で距離感を計る傾向まず下の地図を見てください。 今回、東京から名古屋を経て、緑の矢印部分の熊野まで行ったんですが、東京から名古屋までは新幹線で1時間40分ほどなのに対して、名古屋~熊野間は行きは3時間、帰りにいたっては4時間かかりました。東京~名古屋はそれほど遠く感じませんでしたが、その先の熊野までは異常に遠く感じました。 地図でみればわかるとおり、実際の距離は東京~名古屋間のほうが、名古屋~熊野間より長いわけです。 それだけでなく、新宮から熊野本宮までがまた2時間もかかる。東京から名古屋までより遠いわけです。 でもって、今日は出張で静岡県の磐田まで行ってきたんですが、これまた名古屋までより近いはずなのに、移動時間は2時間半。とにかく人間って実際の距離よりどれだけ時間がかかったかで距離感を感じるようです。 これってWebサイトに感じる距離感でも同じじゃないでしょうか? 頻繁に更新情報をRSSで伝えてくれるWebのほうが、めったに情報更新がされないものよりはるかに親密に感じたりすることってありますよね。Webまでの距離なんて実際は検索すればすぐにたどり着けるわけだから本来距離感は同じはずなのに、更新頻度が高いと身近に感じられるっていうのは、人間のもつ元々の距離感覚というのに関係しているんじゃないのかな?って思います。 これ…

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今日も食べられずに済みますように。

原因:ライオンが近くにいる 結果:食べられる もし、人間にシミュレーションする能力が備わっていなかったら、確かに結果は「食べられる」しかないのかもしれません。 私が専門としている理論物理学は、物事の究極の原因に関する科学の一分野だ。もちろん、究極の原因は物理学者の専売特許ではなく、誰でもある程度はそうしたものを気に掛けている。私が思うにこれは、はるか昔に人類がアフリカで身につけ、実際に原因(ライオンが近くにいる)と結果(食べられる)が存在する物理的世界で生き抜くために役立てた形質を、隔世遺伝によって受け継いだものなのだろう。我々は生まれつき、物事の間に因果関係を探そうとするものであり、連鎖的な結果をもたらす法則を発見すると、深く安堵するようにできている。 ロバート・B・ラフリン『物理学の未来』 自然のモニタリングから原因と結果の因果関係を類推し、仮説の構築と度重なる実験によってヒトは、生き抜くためのシミュレーション能力を手にいれたということでしょうか。 今日も食べられずに済みますように。それは自然の法則性に物理宇宙の原因と結果の因果関係をみる物理学者だけでなく、さまざまな分野の研究者たちによって、よりその予測能力を研かれ、種としてのヒトのサバイバル能力を向上させたのでしょう。 そして、「連鎖的な結果をもたらす法則を発見」して、「深く安堵する」のは、「今日も食べられずに済みますように」という願いがまったくの神頼みから、自らの力である程度コントロール可能になることによる安堵な…

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哲学的な問い:脳がアウトソーシングされてなおヒトはまだヒトと呼べるのか?

脳がアウトソーシングされてなおヒトはまだヒトと呼べるのか? そんな哲学的な問いが投げかけられたのは、今日の昼下がりの職場でのひとときでした。 想定されていたのは、ヒトの脳をロボットなどにアウトソースして、自分自身の考えや行動の制御が完全に外部に移行した場合の話です。 「それでもヒト?」といえるのかを僕は訊ねられたのです。 まずはロボットの定義についても話しました。 ロボット工学3原則についても教えられました。 ロボット工学三原則 - Wikipedia 僕は考えました。 古生物学では、一個の系統が、進化の各段階で違う名で呼ばれることがある-世代の異なるメンバー同士では、交配を考える選択肢などそもそもないのだが。たとえばホモ・エレクトゥスはホモ・サピエンスへと進化したが、一緒の時期に存在してはいない。彼らは、ときに「時種(chronospecies)」とも呼ばれる。 ピーター・アトキンス『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』 古生物学の伝統にならい、ホモ・ほにゃららって名前が与えられるのでしょうか? あるいは、 1984年、目をみはるほど保存状態がよく、880立方センチメートルの脳容量を持つ少年の標本がケニアのナリオコトメで見つかった。160年前の化石で、ナックル歩行と木登りを示唆する類人猿に似たアウストラロピテクスの体勢が、この時代には明らかに現代的な体勢に置き換わっていたことを示していた。ホモ・エルガステルは、現代の私たちと同じように…

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Webディレクターに備わる危機察知のパターン認識

PalmやTreoの生みの親として知られるジェフ・ホーキンスの『考える脳 考えるコンピュータ』は、そのタイトルから「人工知能」関連の本だと勝手に勘違いしていたために、しばらくその存在を気にしながら、手にしませんでした。 ところが、先日、ふとしたきまぐれで購入して読み始めたところ、それが僕の思い違いとはまったくの正反対で、「知能」をつかさどる器官としての脳の働きを理解することなしに、コンピュータが人間のように振舞うよう研究を進める「人工知能」研究に対し、脳そのものがいかに「知能」をつかさどっているかを調べることで「真の知能」を理解し、それを行う機械をつくろうという研究の概要を、わかりやすく説明してくれている本でした。 パターン認識例えば、人工知能やロボットの目の研究で用いられる「パターン分類」という処理と、脳の中の新皮質がおこなっている処理との違いをホーキンスはこんな風に紹介してくれています。 コンピュータに物体を認識させるとき、研究者はふつう、「テンプレート」と呼ばれるものをつくる。それは、たとえば、カップの画像であったり、典型的なカップの形状を記憶したものであったりする。 ジェフ・ホーキンス『考える脳 考えるコンピュータ』このテンプレートを元にコンピュータにそれに合致するものを探させ、それに似た物体が見つかれば「カップを見つけた」なり、「これはカップです」なりとコンピュータに答えさせるのが、人工知能における「パターン分類」なのだそうです。 一方で、ホーキンスは「脳にこの…

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名古屋というノイズと脳の戦い

名古屋に来て2週間。その前の東京と名古屋を行き来していた時期も含めると1ヶ月あまり。ものを書くこと、ものを考えることに集中できない日々が相変わらず続いている。 なんとかこのブログをはじめ、言葉を吐き出してはみているものの、どうも自分の書いていることに納得していない。完成度とかそういうレベルで納得がいかないという高いレベルの話ではなく、単純に、自分で納得できないまま書いている、思考が中途半端なまま言葉を紡いでいるという違和感が常にあるのだ。 その点、東京にいた頃は、決して完成度は低くても自分が納得したことを書いていたし、頭の中に書きたいアイデアが次々に浮かんできて、それが書くことのエンジンとなっていた。 そして、名古屋に来てそのエンジンは停止した。 それなりにこの状況を打破しようと試みている。 慣れない環境の気疲れで身体や頭が疲れているのも影響しているのかと思い、いつもより多く睡眠をとっているし、昨日はマッサージにも行った。 東京でやっていたように、一人で散歩したり、カフェに行って本を読んだりと工夫はしてみた。 今日も気晴らしに、栄の街に足を伸ばしてみたが、慣れない場所はよけいに思考の集中力をかき乱すばかりで、早々に退散してきた。 とにかく書くことと考えることへの集中力は、どうにも改善しない。

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ごくごく普通の人の既得権益

既得権益ってお金持ちやエライ人だけの話かと思ってましたけど、普通の人にも関係する言葉なんですね。 つまり、普通の人でも自分の常識を超えた意見が外から提示されることで、自分のこれまでもっていた常識が危ぶまれる状況になると、いともたやすくネガティブな反応を示しちゃうものなんだなって現象を最近、間近に実感できるような出来事に遭遇しました。 これだからイノベーションってうまくいかないんでしょうね。 でも、それってより一般的なエライ人系の既得権益とおなじように「進歩」っていう意味では単なる障害なので、ひとりひとりがもうすこし広い視野というかパースペクティブの自在性みたいなものを持てるよう、頭の使い方=設計を変更する努力をしていかないといけないんでしょうね。 かんたんな言葉でいうと、「人の意見に耳を傾ける」ってことです。 ヒトってまだまだ自分のことをよくわかってないようです。 基本、ヒトも動物で、逆戻りできない累積的な進化の過程でいまのデザインを手に入れたこと、さらにヒトにしか操れない言語、計算によって、自由を手に入れたことをもうすこし理解しないといけなさそうです。 倫理的にも、環境的にもサバイバル=環境適応する意味で。

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人の直感的認識力のすごさ

前にこのブログでも紹介したマルコム・グラッドウェルの『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』を読んで、あらためて人って本当はもっと動物的で、直感的に正しい認識ができる設計になっているんだろうなと思い直した。 ようは意識で認識するのとは別に、何年も会わなかった人の顔をみて、自分が知っている人と同一人物だと認識できるような無意識的認識が、思った以上に優秀であるってこと。 でも、いわゆる情報化社会って言葉による形式知的認識にどうしても加重がかかってしまう傾向があって、これには何らかの対処がないといけないんだろうなって思う。

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脳のリソース

今日から名古屋出張。 今週いっぱいの長丁場のなのでヒマを見つけて、会社のBlog原稿でも書こうと思っていたのだけど、ヒマはあったがいつものようにアイデアが浮かんでこない。 やっぱりヒトの脳にもリソース配分ってあるんだなって思った。 慣れない環境で周囲への注意に普段以上のリソースが配分されていると、平常なら周囲との関係を保ちながらも、バックエンドで自分の関心のある問題の答えを見つけようとしているから、ふとした刺激でアイデアのきっかけを意識がとらえてくれるんだけど、今日みたいな日ではその余裕は脳にはないらしい。 やっぱりリラックスした、脳にリソースの余裕がある状態でしか、アイデアって浮かんでこないんだなって感じた。

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割れた窓理論(壊れ窓理論)

犯罪学分野で人間心理を扱った「割れた窓理論」というものがある。 割れたまま修理されていない窓のそばを通りかかった人は、誰も気にしないし、誰も責任をとっていないと思い、まもなく他の窓も割られることになり、その無法状態の雰囲気がたちまち辺りに伝染していき、犯罪の呼び水となるというものだ。 発案者は、犯罪学者のジェームズ・Q・ウィルソンとジョージ・ケリングで、ウィルソンとケリングは、犯罪は無秩序の不可視的な帰結だと主張している。 ■TRUSTe「割れた窓理論」 http://www.truste.001.jp/keyword/16.html ■Wikipedia「割れ窓理論」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E3%82%8C%E7%AA%93%E7%90%86%E8%AB%96 人は、なんと周囲の環境に左右されやすく設計された生き物なのだろう。 それは進化の過程の淘汰圧の中に、そうした設計のほうが有利な状況が存在したのだろう。 マルコム・グラッドウェルは『なぜあの商品は急に売れ出したのか 口コミ感染の法則』で、人間は、ある判断を下した時、それが自分の性格のせいにする傾向があり、代わりに状況や背景を軽視する必要があるという。 犯罪を犯した人であれば、いかにも犯罪を犯しそうだったとか、あんなことをする人とは思わなかったと、犯罪の要因を性格やそれが育まれた生い立ちなどに求めがちだ。 しかし、実際には「割れた窓理論」のような外部…

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左右対象のパターンへの感受性

僕らは左右対象のパターンに対して特別な感受性を持っているらしい。 私たちの遠い祖先の自然界では、この世で左右対象を示すものと言えばほぼ自分以外の動物しかなく、しかもそれが自分に面と向かっているときと決まっていたからではないか。 ダニエル・C・デネット『解明される意識』 つまり食べられちゃわないための警報システムというわけだ。

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神経経済学ってこういうもの

このブログにも度々遊びにきていただいているsimfarmさんのブログ創 発 2.0で「神経経済学2.5」というエントリーを見つけました。 神経経済学ってこういうものってことを僕よりうまく紹介してくださっているので、ここでご紹介。 fMRI(機能的磁気共鳴画像)という人の脳の様子を直接のぞきこむことのできる装置を持ち込み、経済活動(情報処理)を脳神経科学で説明する、いわば神をも畏れぬ新学問である(かなり大げさだけど)。 僕も神経経済学って存在をはじめて知ったのは、実はこの「fMRI」って装置の存在を知ったのがきっかけ。 確か『心脳マーケティング』(ジェラルド・ザルトマン著)か何かで読んだんだと思います。 こりゃ、なんか面白そうな学問だななんて思っているうちに、茂木健一郎さんの本なども読んだりして、今にいたるという感じです。 もっと神経経済学について勉強したいと思ってますが、その前に、ようやく行動経済学について本を読み始めたところ。 茂木健一郎

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なぜ、神経経済学(neuroeconomics)がいいと思うのか

神経経済学(neuroeconomics)という言葉が気になっている。 気になりだしたのは、脳科学者で、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャーでもある茂木健一郎氏の著書『クオリア降臨』(文藝春秋刊)を読んでからだ。いまは『脳と創造性』(PHP研究所刊)を読んでいる。 神経経済学という言葉は2003年あたりから登場してきたばかりの言葉で、まだ参考になる文献などは少ない。 日本語ではほとんど皆無だ。 英語だと、 Kevin McCabeのブログ:Neuroeconomics http://neuroeconomics.typepad.com/neuroeconomics/ Zack Lynchのブログ:neuroecology http://www.corante.com/brainwaves/archives/001241.html この神経経済学という新分野が生まれる元となったのは、ダニエル・カーネマンらが進展させた行動経済学の成果であるとのこと。

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クオリア降臨

ひさしぶりのエントリ。 茂木健一郎氏の『クオリア降臨』(文藝春秋刊)を読んだ。 茂木氏は、脳科学者で、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャーでもある。 ソニーのブランド名QUALIAは、当然、その絡みでの命名だろう。 クオリアは、最新の脳科学用語の1つで、私たちが日々の生活の中で感じる感覚を構成する「質感」をあらわす語。 だけど、この本で扱っているのは脳科学的な意味でクオリアを論じているのではなくて、クオリアという概念をキーに文学の評論を行っている。 これがなかなか面白く、かつ新鮮な思考のヒントを提供してくれる。 偶然、見つけた本だけど、読んでよかった。

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