ウェブ人材として育つための3姿勢+5つの実践(前編)

こう書かれていたのですが。

機会あれば、Web人材の育て方お話させてくださいませ。

僕自身、何か教えられるのって得意じゃないので「育て方」より「育ち方」を。

ウェブ人材として育つための基本の3姿勢

まずは前編としてのこのエントリーでは抽象的なところの姿勢に関することを3つ。
なかにはウェブに限らない話もあるとは思うけど、どれも僕自身が、何かを突き止めようとしたら、こうするのがよいと経験上思ってる点です。

蛇行せよ
真っ直ぐ一直線に進むのじゃなく、あちこち余所見をしながら蛇行すること。これ、大事なんですよね。真っ直ぐ進めば一点からゴールは見えませんが、蛇行すればいろんな角度からまわりの景色とともに移ろうゴールの様々な形を眺めることができる。効率的にとか、ラクにとか、思ってるようじゃ、ハッキリ言ってダメ。時間なんてかかるものです。
様々なものの見方ができるようになるためにも、いろんな角度からものを見る経験の量を増やすことが必要。蛇行が身につけば自然とバランス感覚も養われます。まわりが(世の中が)何かに偏った意見になった場合でも、自然とその偏りのおかしさに気づいて、傾いたシーソーの反対側に移動してバランスをとるような行動ができるようになります。

ウェブがウェブが言わない
いまでこそウェブ業界の人ではなくなったわけですが(でも、ウェブデザインにはいまも関わってます)、ウェブ制作の会社にいたときも僕の口癖はウェブから離れて考えろでした。
ウェブサイトを設計するのに、ウェブのことばかりを考えても仕方ありません。ほとんどの場合、コンテンツがウェブのことを扱ってるわけでもないでしょうし、ウェブサイトのビジネス目的もとうぜんウェブそのもののとは別のビジネス上の効果を上げることにあるでしょう。もちろん、そのサイトを使うユーザー自体の目的がウェブサイトを使うこと自体が目的じゃなくて、何か自分の生活や仕事で必要な情報を探したり、誰かとやり取りしたり、何かを買ったりすることでしょう。どこにもウェブなんて存在しない。
まずはそっちに目を向けないで「ウェブがウェブが」言っても仕方がないでしょう。むしろ、ウェブサイトを設計する際に口にする必要があるのは、ユーザーやビジネスやコンテンツの内容に関する言葉であるほうが多いと思います。その会話についていけないのに、なんでウェブサイトが作れるの? タイトルに「Web」って書いてある本買うの禁止!って思います。あっ、それじゃあ、僕の本も買ってもらえないですねw

疲れるな!憑かれろ!
ウェブをちゃんとやろうとしたら知的体力が必要です。企業サイトをつくろうしたら企業経営やマーケティングのことを語れて、そのデザインについても考えられないといけないですし、ブランディングってどういうものか理解してる必要があるでしょう。UCDなんてやろうとしたら人間工学や認知科学について知らなきゃいけないし、そもそも人間っていうものを生物として、社会的存在として、経済的存在としてわかってないといけない。また、デザインする上ではデザインの歴史についてもわかってなきゃ、薄っぺらなデザインしかできません。情報というものについても、上っ面ではなく、DNA-RNA的遺伝情報って?とかアフォーダンス的なところからとか、テキスト情報と視覚情報ってそもそも同じように情報として扱ってればいいんだっけ?とか、根本的に見つめなおす必要があります。数学や科学の視点も必要だよね。
そんなわけでウェブをやろうとしたら結構、いろんなことを知り、いろんなことを考えられる知的体力が必要です。本を何冊か読んで疲れてるようじゃダメ。憑かれたように次々にいろんな本に興味を惹かれるようじゃないと。もちろん、本だけじゃなくて、実際に旅行に出かけたり、セミナーや展覧会に出かけたりして自分の目で耳でいろんなものを体験する行動力も必要です。とにかく疲れてる場合じゃない。もっともっと憑かれなさいって。

と、僕はこの3つがウェブ業界で生き抜けるよう育つための基本姿勢だと思っています。

ハードル高い? まぁ、ゆっくり時間をかけて飛べるようになってください。4つ目の姿勢を加えるとすれば、自分を磨き続けようとする持続力こそが大事だと思っています。

領域を超えて、トータルに

ついでに今読んでる高山宏さんの『表象の芸術工学』から、上で書いたことに関連している、こんな言葉も引用しておきましょうか。

アートが1つの全体としてあって、それはトータルにデザイニングの世界。その1つひとつを、たまたま「文学」と呼び、「建築」といっているにすぎません。
高山宏『表象の芸術工学』

キャラクターはデザインの中心にある観念です。(中略)人間もsignでありcharacterだ。だからデザインも根本的には人間に関わる意味の充填と解読全般を言う作業であるはずなんです。こう考えてみるとデザイン学こそ、既成のディシプリン(分野)を超えてしか成り立たないインターディシプリナリーな学問そのものだと知れてきます。
高山宏『表象の芸術工学』

いろんなものに憑かれたように夢中になりながら蛇行して、様々な道の様々な景色を目に焼き付けることで、ウェブというありもしない領域を超えたデザインを考えること。そうした姿勢がまずは重要なんじゃないか。そう思いますし、それが僕の基本姿勢だったりします。

後編では、もうすこし実践的なところを5つほど列挙してみるつもり。しばらくお待ちを。

P.S.
後編も書きました。→後編へ

 

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この記事へのコメント

  • える

    高いハードルで足や腕にキズをつくってばかりでしたけど、それでも少しは飛べるようになったかな・・・と思うときがあります。

    でも休んでいるとまた飛べなくなるので、これからもがんばります。
    2008年06月09日 23:54
  • tanahashi

    目に見えるハードルがなきゃ、人ってなかなか跳ばないしね。どこで跳べばいいかもわからないし。

    これからもがんばってください。
    2008年06月10日 09:27

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