その証拠というか、いろんなISOってPDCAサイクルを基礎としてます。
品質管理のISO9001だろうが、環境管理システムのISO14001だろうが、情報セキュリティ管理のISO27001、苦情対応マネジメントのISO10002だろうが。
そして、僕がたびたび紹介してる人間中心設計プロセスを記述したISO13407もしょせんPDCAサイクルが基本になってます。早い話、計画たてて実行してみて、なんか問題いかなかったら、最初の仮説に間違えがなかったか検討してやり直そうよってだけの話。
こんなの別に言われなくたってやってる人はやってるし、やってない人でもそうやってやれば成功に近づけるよといえば納得してやれることなんじゃないかと思います。ようは何かを成し遂げる際の標準のプロセスであって、何か特定の分野の手法だとはとても言えないと考えています。別にエジソンだけが何度も繰り返し失敗して発明をしてるわけじゃないですよね。人生そのものが多くは失敗の繰り返しで、そこから何かしらの成功をつかんでいく道のりみたいなもんです。それを特定の分野の手法に還元するのはどうか、と。
ISO13407の場合
人間中心設計(ユーザー中心のデザイン)においても、別にPDCAに基づくISO13407のプロセスが手法であるわけでもなんでもありません。プロセスの各段階(Pの段階だったり、Dの段階だったり)のそれぞれに応じた手法が用意されてるから、プロジェクトが扱う問題のなかで適宜つかってけばいいじゃんという話。で、その手法のうちにもユーザビリティ・エンジニアリングと呼んでもよいくらいに方法さえ身につければ、ある程度、おなじ答えが得られるユーザーテスト法もあれば、観察者やインタビュアーと対象となるユーザーの相互作用で結果が大きく変わらざるをえない観察法・インタビュー法も含まれます。つまり、そういう視点でみれば、ISO13407のプロセスに基づいて、ユーザー中心デザインを進めても、途中段階で用いる手法が必ずしも同一の手法で同一の対象を扱っても同じ結果が得られるものが含まれないので、最終的な成果物にもどうしてもバラつきが出てしまいます。ようするに現時点では同じプロセスに基づいて同じ手法を使ったとしても、別の結果(品質)のものが得られてしまうわけです。
当たり前ですけど、バラつきはクリエイティブでもオリジナリティでもありません
とうぜん、ここにクリエイティビティなんてものはありません。それをオリジナリティと呼ぶのも馬鹿らしい。極端な場合、求める品質に達するものができる場合もあれば、できない場合もある。これはなんとも心もとない。ただ、そこは個々の手法の不備をなんとか全体として吸収してやりくりする職人技で、なんとか最終的な品質を担保するしかない。これは工学的に見れば情けない話です。だって、品質の担保の大部分が職人技に託されているのですから。
で、問題はどういうわけか、そういうデザインにおける単なるバラつきをクリエイティブだとか、オリジナリティだとか思ってしまうケースが往々にしてあると思っています。っていうか、そもそも、クリエイティブティとかオリジナリティってそんなに立派なもんなの?と僕は思います。創造性は先のトライアンドエラーが生きていくうえで必要なのと同じように人の人生において必要だと思いますが、オリジナリティなんてそもそも何の意味があるかわかりません。そんなに他との差異が重要なの? これだけ世の中、共通言語を失い異なる分野間の会話がままならない状況で、なぜ、ひたすら差異をあがめてオリジナリティを追及するのか。
ミニマムのエレガント
むしろ、僕は物理学者が求めるエレガントな数式みたいなもののほうによっぽど美学を感じます。これ以上、削るものがないくらいに削られたミニマムな表現。とうぜん、ミニマムですから正しくやればそれ以外に解はない。削りに削られて、もはや誰がやっても同じ答えにしか辿りつかない状態。つまりバラつきはゼロ。いま勢いを失ってますが、シックスシグマの考え方は僕は好きです。あっ、ちなみにシックスシグマでよく参照されるDMAICだって、PDCAの変形です。組織や社会において求められる1つの価値がこのバラつきのなさであることは言うまでもないことでしょう。
デザインの方法自体には創造性を引き出すものはない
ところが、ミニマム化の極北を目指すだけではどこかで行き詰ってしまいます。それは以前書いたユニバーサルデザインが行き詰ったのと同じことなんでしょう。シックスシグマ的ビジネスのアプローチも行き詰って、そこでデザインという別のところに目が向いたのがいまの状況なのかもしれません。つまり、いままでバラつきとして除外してきたもののほうに着目しようなんてヘンな方向を向いている。でもね、一部のビジネス的成功はデザイン思考へのシフトで得られたとしても、結局、そんなところから創造性は生まれえないと思うんです。残念ながらデザインの方法がいくら成功につながっているように見えても、すでに明文化=形式知化されたデザインの方法のなかに、実は創造性を引き出すものなんてないのではと僕はなんとなく考えています。ただね、たまたまうまくいくケースが確率的に存在するような形では、いまのデザインの方法って創造性を引き出す何かを含んでいるとは考えます。なので、いちお評価されてるし、やって損ということはない。
何か重大な見落としがある
こうなっちゃってるのには、たぶん、何か確実に見落としてるものがあるわけです。なんとなくうまくいってるように思える方法が実践されるなかに何か答えはあるのでしょうけど、それを抽出し記述する方法はいまのところ見出されていません。だからこそ、大事な何かが見落とされたままになってしまっているのでしょう。そして、その大事な部分を射抜いて抉りだすことができないがゆえに、トンチンカンな個々人の手技やバラつきがあたかも創造性であるかのように勘違いされてしまっているのだと感じます。まぁ、その程度のざっくりとした創造性の把握でのほほんとやっていってもいいのですけど、なんかそれだと僕のこだわりはおさまらないんですよね。まぁ、これは僕の個人的なこだわりですし、いまのところ、それを摘出し記述する方法を僕自身もってないわけですから、それを誰かと共有することも残念ながらできません。でも、やっぱり僕自身はそこにこだわりたいので、のほほんとした創造性の理解だけだとなんとも腹の虫がおさまらないといった状態です。
これ、たぶん、一部の実験的に視覚的デザインをやってる人は身体的にしってることなんだろうなというところは目星がついてます。ただし、それはもはやデザインとは言わないような意味で。だって、それ、なぜカンブリア紀に生物種の爆発的な多様化をもたらす進化が起こったのかとつながる問題だと思うから。
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