デザインプロセスはトータルで実践してはじめて意味があるということを。
観察を重視した方法だとか、ペルソナを使った方法だとか、部分的な手法ばかりがやたらと取りざたされていますが、そんな部分だけとってみてもハッキリ言って無意味です。
フィールドワークだの、エスノグラフィーだの、評価グリッド法だの、プロトコル分析だの、ワークモデリングだの、プロトタイピングだの、どれもそれぞれの部分だけとってみても価値はないんだということは忘れてはいけないと思います。
どんな手法を使おうが結果としてデザインが完成し、そのデザインがインプリメンテーションや流通・販売を通じて世の中で実際に利用されるようにならなければ価値はないわけです。どんなに調査の精度をあげようが、どんなに力をいれてペルソナをつくろうが、そんなことには意味がない。
だって、そんなところに力を入れたって、それだけじゃ誰も利用できないわけですから。それじゃあ、何のおもてなしにもなりません。
IDEOのデザインプロセス、再び。
前に「IDEOにおけるデザイン・プロセスの5段階」で一度紹介していますが、IDEOには基本的な5つの段階から成るデザインプロセスがあるそうです。- Understand(理解)
- Observe(観察)
- Visualize(視覚化、具体化)
- Refine(改良)
- Implementation(実行)
このプロセスは、イギリスのモグリッジ・アソシエイツおよびアメリカのID TWOの社長であり、後にIDEOの創始者のひとりとなったビル・モグリッジによって1980年代の後半に提唱されたものです。
いまではあちこちの企業でこのプロセスのバリエーションが参照されているといっていいでしょう。きちんとその意味するところを理解して参照しているかは別として。
5月30日の発売の『ペルソナ作って、それからどうするの?』でも、このIDEOのプロセスをはじめ、「デザインの方法:ブルーノ・ムナーリの12のプロセスの考察」で紹介したムナーリのプロセス、奥出直人さんが『デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方』で提唱している「創造のプロセス」、それから、ISO13407:人間中心設計プロセスなどを比較検討することで、8段階から成るユーザー中心のデザインプロセスを提唱しています(「『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』:amazonにて予約開始」の目次参照)。
どのプロセスを軸にするにせよ、当該プロジェクトの問題を解決するのに適したプロセスをそれぞれに応じて、プロセス自体をデザインすることからデザイン・プロジェクトというものははじまると考えますが、ただ、その場合でもプロセス全体を通じて適切なデザインを創造することに意味があるのであって、決して、そこで用いられる個々の手法に価値があるわけではありません。
そんなことを思うと、IDEOのプロセスというのはシンプルにまとまっていて、あらためていいなと感じたりします。
ビジュアライズする力
ところで、そのデザインプロセスのなかで、僕が最近あらためてその重要性を実感してるのがIDEOのプロセスでいうところの「Visualize(視覚化、具体化)」の部分なんです。まぁ、その理由はきわめて個人的なことで、2月に転職して周りにビジュアライズの能力をもった人がいなくなったせいか、最近自分がひどくビジュアライズの力に飢えているからではあると思うんです。ここ数年、僕自身は基本的に言葉を書く人・読む人、あるいは、情報を整理して構造的なデザインをする人にはなってますけど、それはこれまでの環境ではまわりにビジュアライズが上手な人がたくさんいたからなんだなといまさらながら気づきはじめているんですね。
それもあって、
良き映像、グッド・イメージを創りだせることへの信が失われ、良く見ること、グッド・ルッキングが大事な営みで、ぜひ涵養せねばならぬということを自信をもって言えていないのだ。バーバラ・マリア・スタフォード『グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ』
さすがにまわりにビジュアライズをしてる人がいないと、こういう言葉がぐっと刺さります。
グッド・イメージ、グッド・ルッキング。
そのパワーを知ってるだけに、最近では自分でビジュアライズまで手掛けてしまおうかと思うほど。もう10年近くビジュアライズの作業を自分ですることはしていないわけですが、なんとかなるんじゃないかと勘違いしてしまうくらい、ビジュアライズする作業に飢えていたりします。
トータルな視点でデザインをみることができる人
でも、デザインを狭義の意味でビジュアライズのことだと思っている人ほど、実はこのビジュアライズの価値を本気で信じていないんじゃないかなと思います。それゆえにデザインをおまけみたいなもの、もうすこし言葉を和らげれば付加価値みたいなものと感じてしまうのじゃないでしょうか。機能やモノの価値自体からビジュアルというものを切り分けて考えてしまっているのではないかという気がします。
これも産業革命以来、デザインが分業化されてしまった悪影響なのかな、と。それがさらに分業化されてしまって、最初に書いたようなペルソナや観察などの部分的なデザイン手法をことさら取り沙汰して強調してしまう傾向につながっているように思います。
デザインプロセスなんてトータルで考えないかぎり、デザインという統合力が求められる仕事はうまくいくはずないんですけどね。リサーチも、ビジュアライズも、エンジニアリングも、マーケティングも一体となって考えられてはじめてデザインになると思うんです。
だからこそ、IDEOのデザインプロセスって僕自身、評価できるし、社会的にも評価されているんじゃないでしょうか。
でも、そういうトータルな視点でデザインをみることができる人って、日本にはすくないのかもしれませんね。
いや、個人じゃなくても、チームなり、組織でもいんですけど、やっぱりすくないんだろうなと思います。
ビジュアライズの力を語る本
そんな危惧もあって、そのへんを整理しようと思って、読み始めたバーバラ・マリア・スタフォードの『グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ』ですが、期待どおりの内容です。何より18世紀において新たに生まれたビジュアライズの革命的な手法が近代を形作るのに大きく貢献したことが非常によくわかります。それと同時に現代の視覚化手法・イメージングの手法のお粗末さやビジュアライズのパワーに関する世間の誤解もよくわかります。まぁ、最近、日本人の書いたものばかり読んでいたせいか、文体はちょっと読みづらいんですけどね。
デザインについて、ちゃんと考えようとしたら、このへんもきちんと押さえておいたほうがよいだろうなと思いました。
とりとめないエントリーになりましたが、こんな感じで。
関連エントリー
- IDEOにおけるデザイン・プロセスの5段階
- デザインの方法:ブルーノ・ムナーリの12のプロセスの考察(a.概要)
- デザイン思考の道具箱―イノベーションを生む会社のつくり方/奥出直人
- ペルソナとISO13407:人間中心設計プロセスの関係に関するまとめ
- 『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』:amazonにて予約開始
- カオス/池田研介、松野孝一郎、津田一郎
- ユーザー中心設計における行動分析の重要性と、分析不在のペルソナの危険性
- 隠れた繋がりを見つけることも・・・
- 時間と仲良くやっていくには?
- ギリギリの経験が高めるアンテナの感度
この記事へのコメント
tmaeda
本エントリーについて思ったことをコメントさせていただきます。
【5ステップ×5ステップかもしれない】
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Observe(観察)
Visualize(視覚化、具体化)
Refine(改良)
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今後は、上記の3つのステップ自身なんかはソフトウェア的に実装されるてくるでしょうから、デザイナーには系というか、アルゴリズムを創造する能力が必要なんじゃないかと思っています。作ったものは、周囲の環境からデータを獲得するメディアにもなるということです。
Implementation(実装)で終わるのは言ってしまえば作りっぱなしであり、「永遠のβ版」なんて言葉が出てくるネット時代では古いかもしれないなと。SPIMEなんて概念もありますし。
その場合、もしかするとIDEOの5段階プロセスは、実は入れ子構造になる(例えば、実装したものを通じてさらに次に何を「理解」すべきか定義した上でそれを事前に実装する必要がある等)んじゃないかと思いました。
tanahashi
入れ子構造。これは間違いなくそうですね。階層的思考をしていれば、必ずそう見えてきます。そもそもデザインされる人工物のほとんどが階層構造化されているということもあります。
それと「Implementation(実装)で終わるのは言ってしまえば作りっぱなし」というのは、まさにそう。
僕はそれもあって自分の8つのプロセスの最後には「オペレーション・デザイン」を入れてますが、それとは別の意味で、ユーザー中心設計というものがそもそも反復デザインを志向するものだったりします。新しくモノが生み出されれば環境は変わり、そうなれば利用状況が変わるわけですから、さらにそれに適応する状況が生まれる可能性は大きいので。
それは脳と環境の関係として、以下に書いたのと同じことですね。
http://gitanez.seesaa.net/article/97404606.html
tmaeda
例えばAppleがiPhoneを出した後に、開発者向けにSDKを公開し、ITMS上に市場(いちば)を設けて、ユーザが好きにiPhoneのソフトをインストールしていけるようなエコシステムを構築しようとしていますよね(というかPCがそもそもそうでした)。
そのようなプラットフォームを構築し、ユーザのフィードバックに応じて適宜改善していくこともそうなのかなとイメージしました。
「脳と環境とが情報の意味ではもはや独立ではないことを意味する」
非常に面白いですね。
最近の僕の興味を一気に整理してくれるフレーズですした。
・(最近のJohn.MaedaのSimplicityから、)まっさらな携帯にプリクラ貼ったりするSimplicity→Complexityな動きは、ユーザが(広い意味での)環境との調和を求める現れだったりするんでしょう。
・最近のD.Normanの"The Design of Future Things"でも、Automationとユーザの協調がテーマになっています。
本当参考になります。ありがとうございます。