「しきり」の文化論/柏木博

どう分けるか。あるいは、どう分かれていると認識するか。
それらは僕らがどう理解するか=分かるかに大きな影響を与えます。

仏教における「悟り」が通常の分割による「分かり方」とは別の分けずにあるがままの状態で認識することではないかという点については昨日の「空海の夢/松岡正剛」で書きましたが、そうした悟りの力を身につけていない場合での通常の「分かり方」では、どこに「しきり線」=境界を設けるかで、何を認識するかも変わってきます。
ものの見方とは、視線の位置を変えることで、このしきり=境界線をどこに見出すのかということなのかもしれません。複数の視点をもつということは、いくつものしきりを物事のなかに見出すことで、物事を異なる複数の軸で見ることなのでしょう

しきりとデザイン

僕らが見るモノには輪郭線があります。輪郭線の内側と外側で、モノとそれが置かれた環境は図と地の関係を成します。とうぜん、デザインをする際にはそれを理解した上で、様々なモノの輪郭を決めることになります。

深澤直人さんは『デザインの輪郭』のなかで、「デザインの輪郭とは、まさにものの具体的な輪郭のことである。それは同時に、その周りの空気の輪郭でもあり、そのもののかたちに抜き取られた、空中に空いた穴の輪郭でもある。その輪郭を見いだすことが、デザインである」と書いています。

モノ全体のフォルムだけでなく、パーツとしてのボタンや取っ手などの形体。あるいは、情報をどのように分類するかとかどういう順番で並べるかとか。はたまた、モノやヒトをどのような枠組みでどう配置するか。そうしたデザインを考えるうえで、どこにしきりを設けて、どのような輪郭を描くのかが、そのモノの機能や使いやすさ、そのモノの使い方の認識に関わってくることになります。

これまでも『近代デザイン史』『玩物草子―スプーンから薪ストーブまで、心地良いデザインに囲まれた暮らし』などを紹介し、ペルソナスクエアの連載では「バウハウスとユニバーサル・デザイン」などを書くのに大いに参考にさせてもらっている柏木博さんの『「しきり」の文化論』という本は、そうした人間の認知・理解にも大いに影響があり、物事のデザインにおいても重要な位置を占める「しきり」というものと文化の関係、歴史について、自己と他者を区分する免疫機能というしきり、ウチと世間のしきり、古今東西の建築におけるしきり、聖と俗、日常と非日常のしきり、など、様々な角度から考察した、デザインに関わる仕事をしている方には、非常に参考になることが多い一冊ではないかと思います。

分類するということ

<何かをしきるという思考は、少なからず、「何かを分類」する思考とかかわっている>と柏木さんはいいます。

僕らがWebサイトをデザインする際でも、組み込みソフトのインターフェースのメニューをデザインする場合でも、まず、中に含むコンテンツや機能のメニューのリストを、任意の分類法に基づいていくつかのカテゴリーに分けることから作業ははじまります。
「任意の分類法」と書いたのは、Webサイトや組み込みソフトのインターフェースなどの情報デザインにおいては、決まった分類法というものはなく、ユーザビリティの観点からいうならユーザーの世界における分類法と一致した形で分類を行うのが望ましいとしかいうことができません。もちろん、一致が望まれる「ユーザーの世界における分類法」そのものが常に社会の変化やユーザー自身の変化によって変わるものですから、完全に正しい分類などはそもそも存在しないと考える必要があります。

そのことを柏木さんは収納を例にあげてこんな風に書いています。

道具は使ったら、かならずもとの場所に収納する。収納場所が毎回、変化したら、道具はすぐには使えない。毎回、同じ場所に収納するためには、一定の基準を設定して道具類を分類することになる。調理用の道具、大工道具、衣服、さまざまな分類がなされる。もちろん、日常生活の中には、結局、どこにも分類できないものが存在している。しかし、わたしたちは、それすらも分類できないものとして、分類する。膨大なものを、何らかの基準で分類する(しきる)ことで、生活を安定させているのである。
柏木博『「しきり」の文化論』

これが個人における分類=しきりである限りにおいては大きな混乱は生じない。家族レベルの人数でも「お母さん、ボクの靴下どこ?」という問いで簡単に問題は片付く。ただ、これがより大きな集団あるいは集団間の問題となると簡単には問題は解決しなくなります。柏木さんはミシェル・フーコーが『言葉と物』の最初に引用するホルヘ・ルイス・ボルヘスの『シナのある百科事典』の例を出して、分類・しきりに対する集団間の相違がもたらす大きな混乱について言及しています。

それがノーマンがいうように「標準化する」ことで解決できるものであればいいのですが、標準化が別の問題を引き起こすことは「バウハウスとユニバーサル・デザイン」でも書いているように近代デザインを通過した僕たちには自明のことでしょう。

二重生活

また、柏木さんは日本が近代を迎えて、畳にじかに座る和式の生活から板張りの床に椅子を置いて座るようになる近代化の流れのなかでの「二重生活」に関しても紹介しています。

いまでも外国人が日本の家屋や靴を脱いで座る和食の店などに行くと、どこで靴を脱ぐのか混乱することがあります。日本人ならどこが靴を脱ぐ位置なのかは建築のデザイン上、設けられたしきりによって考えずとも理解することができます。ただ、そうしたしきりの意味に馴染んでいない外国人にとっては、視覚的にしきりを認識することはできても、それが意味のうえでのしきりとしては認識できず、そうした混乱をもたらすのでしょう。

そのようなことがいまでも残っているように、旧来の和式のすまいにおけるしきりと、西洋型の住宅のしきりは大きく異なる点がいくつもありました。これまでも何度か紹介してきたように、そもそも障子や襖で仕切られた日本の家屋は強固な壁というしきりを持たない形態の建築でした。そのうえ、土間、板間、畳の間という形で部屋ごとの意味も仕切られており、大正期に西洋風の住宅が導入された際には、板の間で食事をするのは使用人のようでふさわしくないということもあり、椅子での生活が提案されたともいいます。

ところで、先に書いた「二重生活」とは何かといえば、上流階級の人々の暮らしに見られた西洋風の住宅と日本風の住宅を両方持ち、それを用途によって使い分けていた暮らしを指します。どう使い分けていたかといえば、西洋住宅のほうは客人を招くゲストハウスとして、日本住宅の方は日々の暮らしのための住宅として使っていたのです。
以前、「旧岩崎邸庭園「金唐革紙」&根津神社「つつじ祭」」というエントリーで紹介した、三菱財閥の三代目である岩崎久彌がイギリス人・建築家ジョサイア・コンドルに設計させた旧岩崎邸庭園の洋館と和館などがその代表的な例といえるでしょう。


旧岩崎邸庭園の洋館と和館


生活の改良、文化の改善

ただ、これは単に住宅建築のみに見られたものではなく、人々の服装にも同じように見られた傾向でした。外出する時は洋装に身を包みながらも、家に帰ってくると和装に着替えてくつろぐという生活です。
こうした生活は上流階級へのあこがれから徐々に中産階級にも浸透し、洋館と和館を持つまでには至らないまでも客を招く応接間は洋風にするという形で取り入れられたそうです。

ただし、大正期にはこうした二重生活は非効率・不経済であるとして、「あめりか屋」という日本で初めての住宅専門の設計施工会社をつくった橋口信助による「住宅改良会」や、森本厚吉が中心となった「文化生活研究会」が西洋的な暮らしへの変更を盛んに提案するようになります。
もちろん、いくらそうした提案が試みられたとしても長い間の暮らしの形態がそんなにすぐに変わることはありませんでした。二重生活の和と洋のしきりはしばらくはそのまま残ったのです。

それが変わったのは戦後に2DKの間取りが数多くつくられるようになってからだそうです。食と住(寝室)の空間をしきり、さらに寝室は大人の部屋と子どもの部屋をしきったのが2DKの間取りです。
そこでそれまで1つの家に1つは洋間が欲しいとなっていたのが逆転して、家に1つは和式の間が欲しいという逆転が起こりました。いまでは和室がない家も数多くあります。

こうした例にも見られるように、世の中にある物事のしきりを変えることで、人びとの暮らしや行動は変化します。もちろん、その前提としての認識や理解の仕方もしきりによって変わるのです。

まさにこのしきりをどのように作りだし、「その輪郭を見いだすことが、デザインである」なのだろうと思います。ほかにも様々な事例でしきりと文化の関係性が紹介されていますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。



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