2008年05月12日

空海の夢/松岡正剛

木から降り二本足で立ち、直立歩行ができるようになった裸のサルは、両手が自由になって道具を操ったり指折り数えることができるようになり、目線が高くなって遠くまで見渡せる両眼視を手にいれ、声帯筋が直立することで声の分節化が行えるようになり、その声の分節パターンが大きくなった脳に記憶されることで言葉を操れるようになりました。

しかし、

まったく「坐る」とは東洋の恐ろしい発見だったと思う。
松岡正剛『空海の夢』

今日、暗く冷たい伽藍のなかの如来像や阿弥陀像をみてもわかるように、仏僧たちは直立歩行で自由になった手を結びなおし、両眼をあえて半眼のソフトアイにして、繰り返し経を唱えることで自由な発話・思考から離れることで、進化を抑制しようとしていたようにさえ思えます。

土橋寛さんの『日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで』という本を紹介した際に、「呪術は人間が自然物や他者を直接的にコントロールすることによって、願望を遂げようとする行為であり、宗教は超自然的な存在としての神・仏の力に頼って、間接的に願望を遂げようとする行為である」という言葉を引用しましたが、必ずしも仏教においては仏は間接的に願望を遂げるために頼る対象というよりも、「自然物や他者を直接的にコントロールする」力を失いつつある状況を脱するため、あるいは、すでに失ってしまったその力を取り戻すために、その行為を模倣する参照点ではなかったのかと、松岡正剛さんの『空海の夢』を読んで思いました。

言葉を自在に扱えるが故に頭に渦巻く邪念、近くにも遠くにも焦点があってしまう視線をもつが故に視界に飛び込んでくる様々な事柄、道具や数字を扱えるがゆえに遠くなる自然との距離。人間が最初に手に入れたそれらの技術がもたらした世界の混乱に立ち向かうための方法が「坐る」ということではなかったのか。呪術ではどうにもならない自分自身の問題に立ち向かう方法を仏教は生み出されたのではなかったのか。そんな気がしました。

言葉の一族の出身

空海は、古代豪族・佐伯氏の出身といわれています。

佐伯氏は物部氏などと同様に、古代の祭祀を司る氏族で、文字のないオーラル・コミュニケーションの時代において古言(ふること)を司る力をもっていました。そんな佐伯氏も中国から文字が伝えられてきたことや、たびたび政争に巻き込まれて一族から処罰される者を出したことなども影響し、徐々に衰えていきます。

<雄略天皇が葛城山で異様な神に出会って「お前は誰か」と問う>と<相手は「オレは一言主神である」と答えて>、神の名を明かしてしまうことで雄略天皇に葛城山を征服されてしまうというのが古代の言霊の時代です。名を口にすることで相手の呪力を縛りあげ、言葉は行動を縛るのです。いたずらに言葉を使わないことがむしろ言葉の力を強めると考えられていました。

しかし、そんな時代も過ぎて、言葉はあふれかえるようになります。

空海は佐伯氏の最後期の生まれであり、日本に文字文化が定着しはじめた頃に生きました。774年に生まれ、835年に没していますから、712年の古事記、720年の日本書紀の編纂よりも後の時代の人です。
漢語、インド語に精通し、「弘法も筆のあやまり」と称されるほどでしたから高いカリグラフィー能力をもちました。

ブッダの頃の初期仏教には文字で書かれた経典などはとうぜんありませんでした。それが書かれるのはもっと後の時代です。言葉によって頭のなかを駆け巡る意識が梵我一如の状態を分かつのを「坐る」ことでどうにかつなぎとめようとした仏教も、テキストとして書かれた経典が増えるにつれ、諸派の対立も深まるようになります。空海が生きたのはそんな時代です。日本では、一時隆盛を誇った華厳仏教が勢いを失いつつある時代でした。

思考と感情のインテグレーション

そんな時代に空海は中国に渡り密教を授けられます。その後、密教は中国では廃れ、空海によって日本で花開くことになります。

空海は密教によってすべてを包含しようとしていました。華厳をはじめとする様々な仏教の宗派を。儒教や道教と仏教を。そして、意識と自然・生命を。密教において空海はそれらすべてを包含してインテグレーションしようとしたのです。マントラ(真言)、マンダラ(曼荼羅)という道具を使って。

このとき空海がインテグレーションを進行させるにあたって最もこころがけたことは、「思考の内容を感情の内容とすること」(シュタイナー)であったかと思う。新密教創出の当の担い手に分離や分断がおこってはならなかった。そのうえで、至高の存在にみずからが導かれているのだという確固たる信念にしたがって歩みはじめた。右脳に直観、左脳に方法をもって・・・。
松岡正剛『空海の夢』

そのようにすべてを包含した空海の密教構想が矛盾をもっていることは当時もいまも指摘されていることだそうです。

しかし、松岡さんはこんな風に言います。

おそらく空海の構想には遠慮がなさすぎたのだとおもう。日本人はたとえそれが真実であれ、あまりにあけすけに「構想の全体」が提示されることを容認したがらない。
松岡正剛『空海の夢』

正直、仏教になじみのなかった僕には空海の「構想」がどういうものかをつかめなかったし、それゆえ、その矛盾がどういうものかすら感じ取ることができませんでした。

「分かる」と「悟る」

ただ、進化の流れのなかで生まれた意識が人間を自然から離れさせてしまい、それゆえに数多くの苦悩を生んでいることはわかるし、それに対処する方法として仏教があることも理解できました。

というのも、松岡さん自身が、

本書は、空海の思索や活動を通して仏教の背後の秘密の一端に迫ろうとしたものであり、仏教の思想や活動がなぜ中国や日本において独自の密教性を急激におびるようになったのか、それをめぐって一人の空海という天才が展開した方法とは何だったのか、そうしたことの複雑なプロセスを解明しようとした拙い試みである。
松岡正剛『空海の夢』

と書いているように、この本はいわゆる空海の伝記的な書物でもなければ空海の思想について語る本でもなく、空海という人を通じて、アジアの動き、生命の潮流、そして、それらに対して挑んだ仏教の動向の織りなした「複雑なプロセス」を紐解いた一冊であり、その内容はとても示唆に富んでいたからです。
これまで仏教になじみがなかった僕にも、仏教への興味を十分もたせてくれたし、それを自分自身の問題として捉えることも可能にしてくれました。

そう。ここで書かれている問題は他人事ではなく、僕自身の問題でもあります。

ほんまに賢いゆうのはどういうこと?」で書いた飛鳥時代の人びとに比べて僕らはどんどんアホになっているわけだし、思考と感情の内容を一致させることもままならないから「身体の一部としての道具という発想」はないし、「アニミズムすぎるくらいがほんとうのアフォーダンスでは?」で書いたように石の声を聞いて庭を作る能力も失ってしまっています。最悪なのは、それだけ衰えて、まわりの環境から疎外されてある自分たちのことを認識しておらず、「日本の伝統/岡本太郎」で書いたような「法隆寺が焼けてなくなったのを嘆くのではなく、自分が法隆寺にになればいい」という気概も持ち合わせていないことです。

「分かる」ことは「分ける」ことといいます。何かと何かのあいだにしきりを差し込むことで、僕らはものごとを分かった気になります。しかし、その「分かる」においては実は、思考と感情の分離も同時に行われてしまっているのではないかとも感じるのです。「分かる」ことで思考は満足しつつも、感情はその区分からは置き去りにされる。言葉こそが思考と感情を引き裂いてしまうのではないでしょうか。

その意味で仏教的な「悟る」というのはもしかすると、「分ける」ことで「分かる」方法とは違った形で、ものごとをありのままで理解するということではないかと思うのです。人間の身体の皮膚のしきりも飛び越えてものとの関係、環境との関係も含めてまるっとわかってしまう。そんなインテグレートされたわかり方が、ものの側からのデザインと人間の側からのデザインを統合する意味でも重要だと思うのです。

「右脳に直観、左脳に方法をもって・・・。」

これはこの『空海の夢』を読んで感じたことというより、道元の『正法眼蔵』を読んで思ったことではありますが。

そんなわけで、いまのこの情報社会において必要なのは、もしかすると空海的な意味での思考と感情のインテグレーションの力ではないかと思った次第です。



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posted by HIROKI tanahashi at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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