『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:3.日本文化・ものづくり編

発売まであと20日をきった『ペルソナ作って、それからどうするの? ユーザー中心デザインで作るWebサイト』。おかげさまでアフィリエイトやランキングの推移をみていても、すでにamazonで予約をいただいた方がいるようです。ありがとうございます。amazonでも相変わらず書影の掲載はまだですが、こちらこちらに内容の紹介や目次など載せていますので、参考になさってみてください。
このブログを読んでいただいている方には楽しめる内容にはなっているかなと思いますので、ぜひ読んでみてもらえると光栄です。



さて、ちょっと間が空きましたが、「:1.デザイン編」と「2.認知科学・UCD編」に引き続き、『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献を紹介しようと思います。

今回の著書では「ユーザー中心設計の方法論を用い、その中心にペルソナ/シナリオ法を置き」ますが、「それを海外で用いられているそのままの状態で使うのではなく、日本型に変換」した形の日本型ユーザー中心設計プロセスを提唱しています。

もちろん、海外の技術を参照すること自体が悪いのではありません。日本ではそれは『古事記』が書かれる以前の時代からやってきたことです。というのも、『古事記』自体が文字をもたなかった日本が漢字という技術を導入して書かれたものなのですから。また、日本に限らず、海外の技術を自国に導入することはどこの国でもやっていることです。ただ、問題はその技術の導入が非常に表面的なところに終始している点です。『古事記』は漢字で書かれましたが、それは古来、日本にあった古語(ふること)によるオーラル・コミュニケーションを失わないよう万葉仮名による表記という方法を生み出すという配慮の元に行われたという意味で、現在のWebの技術をただ表面的に輸入している状況とは明らかに違います。
「はじめに 人びとの暮らしから考えるウェブデザイン」より

その日本型ユーザー中心設計プロセスというものを考え作るのにあたり、様々な日本のものづくりや文化に関する書籍を参考にさせていただいています。今日はそうした書籍のいくつかを参考文献として紹介していこうと思います。

松岡正剛さんの著作

「日本という方法」について考えるうえでは、松岡正剛さんの編集力と読書量・質によって編みあげられた著作は非常に力強い味方になります。松岡さん自身のものの見方もさることながら、著作に埋め込まれた様々なリンクを辿ることで読むべき本を見つける参考にもなるからです。

  • 花鳥風月の科学 [書評]
  • 日本数寄 [書評]
  • 日本という方法
  • フラジャイル 弱さからの出発 [書評]
  • 誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義
  • 脳と日本人/松岡正剛、茂木健一郎 [書評]
  • デザイン12の扉―内田繁+松岡正剛が開く/内田繁、松岡正剛 [書評]

『花鳥風月の科学』。松岡さんがこの本で取り上げている、日本文化の10のテーマとは、「山」「道」「神」「風」「鳥」「花」「仏」「時」「夢」「月」の10個です。こちら側に対する向こう側、アナザーワールドとしての「山」。そして山に入るための、田畑をつなぎ、都と都同士をつなぐものとしての「道」。道をとおして疫病や魔物が入ってこないように守るもの(道祖神)として、さらには道をとおっておとずれる(音連れる)まれびと(客人)としての「神」。そして、「風」や「鳥」も古来の日本では「見えない情報」を連れ運ぶメディアとして憧憬の対象として数多くの歌に詠まれます。古来、日本人はそうした「ウツロヒ」の時間のなかで花鳥風月というマルチメディア・システムを用いて、イメージを変遷させてきたことが、この400ページを超える本にはさまざまな形で記されています。

『日本数寄』。「複式夢幻能は世阿弥や観世長俊などの作家がつくったシステムであり、それをリリースできるのは演能者たちだけだった」。「能楽よりあとに出現してきた茶の湯などでは、そこにだれもが主客を入れ替えながら入っていけるようなシステムになってきた」。松岡さんはこうした能や茶の湯における茶室などをマルチメディアと呼びます。まさに茶室などは、床の間の花や置き物、茶器などのアイコンをクリックすれば、一連のコミュニケーションがはじまるユーザーインターフェイスです。茶室をマルチメディアと呼ぶ際に働く情報デザイン的視点は、いまの一般的な情報デザインが対象にしているものの範囲をはるかに超えた自由をもっていると感じます。

『日本という方法』。「日本の方法」ではなく「日本という方法」。キーワードとしての「うつろい」「おもかげ」。松岡さんの情報編集、情報デザインに関する視野の広さは、日本という方法に広く深く目を向けたその観察眼に由来しているように思います。漢字の導入からはじまる文字文化以前に、1万年を超えるオーラル・コミュニケーションの文化をもち、かつ漢字導入にいたってもその文化を完全には捨てずに、真名文字(漢字)から万葉仮名を経て仮名文字を生み出すことで1万年のオーラル・コミュニケーション文化を維持することにも成功した「日本という方法」。さらにその基盤となるプログラミング言語としての日本語に対する深い思考こそが、自由なシステム思考につながっている。「見立て」「アワセ」「キソヒ」など、様々な日本という方法を紹介しながら、日本のうつろう面影を紹介した一冊です。

『フラジャイル 弱さからの出発』。松岡さんはこの本で「葛藤」の生物学的な意味を探り、ネオテニー(幼形成熟)にまでたどり着きます。弱い存在である幼児のまま、大人になること。1920年にはL・ボルクが、チンパンジーの幼形が人類と似ているとして「人類ネオテニー説」を提唱しています。それはピーターパン・シンドロームと呼ばれるような意味での「いつまでも子どもでいたい=大人にはなりたくない」とは異なり、生物として幼形のままを選択すること=弱さを選択することで、なんらかのメリットを得ようとするものではないか、と松岡さんは考えます。木から降り二本足で立ち上がった裸のサルは、高くなった目線、より立体視に優れた顔の前面に並行して並んだ目をもつことで、開けた草原で距離感覚や場所の概念をもつことができる人間になった。いまいる場所から遠く離れた場所を見ることができるようになり、「ここ」と「むこう」の違いがわかるようになりました。「ここ」と「むこう」にはしきりが生まれ、ヒルコが舟で流されたのとおなじように、弱い者たちは境界の外へ追いやられました。境界には道祖神、境界神が立ち、悪疫が境界のなかに入ってこないよう守っていました。しかし、そんな彼岸はいつの間にか忘れられてしまいました。<彼岸に行く足腰がたりない>現代人は、そんなに窮屈な場所に自分を閉じ込めることでしか生きていけなくなってしまっているようです。

『誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』。近代とは何だったのか。現代人を<彼岸に行く足腰がたりない>状態に追い込み、うつろう自然に目を向けるよりもテレビやPCの画面に目を向けるようにさせた近代とは? あたかも世界中がおなじ暮らしをし、個々人が独立した確固とした個体であるかのような幻想を植え付けた現代とは? どんな歩みが僕らをここまで導いてきたのか? イギリスの間違い、そして、それが大きく広がっていった過程・歴史の流れを松岡さんはこの本でやさしく描き出しています。

『脳と日本人』。この本で松岡正剛さんと茂木健一郎さんは二人でとんでもないキャッチボールをしています。茂木さんが「現代人は足腰が弱い気がする」といい、松岡さんが「彼岸に行く足腰がたりない」と応えるのを読むとき、自分でみずからに負荷をかけて足腰を鍛えようという心意気のなさを、知識に対して貪欲となり、次々にわからないことはわかるようにしてやろうという姿勢の欠如を、彼岸へ渡る足腰の弱さとして感じます。文字文化のないところに漢字を輸入して独自の文字文化をつくった日本は、それ以来、二重の言語体系をかさねあわせてもつことになりました。アメと聞いた場合、雨も飴も天も思い浮かべるように、ナガメとあれば、眺めと長雨の両方に意味のリンクが伸びてしまうように、コトが事であり言であるように、日本語をあつかう人はつねに二重さらには多重の意味構造にさらされています。こんな言語はほかにあまりないはずです。かつては真似るだけでなくそこからオリジナルのものをつくったのが日本でした。漢字から仮名を生み出し、仏教も茶も庭も日本オリジナルをつくった。カレーライス、スパゲティ・ナポリタン、あんぱん、みんな和風にしてきました。なのに、Webにおいては、ただ、アメリカの手法をそのまま持ち込むのみで、多重の意味構造にさらされた情報文化に適した情報デザインの方法を生み出そうという気配がないのはどういうことか? 松岡さんは神の「もどき」をすることが日本の芸能の原型(アーキタイプ)だといっています。「もどき」による「うつし」をライトサイズ限定の組織のなかで有機的に行っていく。ドキュメントなどの形式化された知の伝達ではなくて、ゆったりとした時間のなかでの経験や場の共有による身体知の伝承。僕自身がユーザーの経験や行動などの目に見えない情報を相手にデザインの仕事をしているからかもしれませんが、そこには確かに小さなライトサイズの組織が必要です。

『デザイン12の扉―内田繁+松岡正剛が開く』。<社会を読むには、自分の量、速度、位置を可変状態に置かないといけないんです。社会の枠で自己を見た途端に自己像は固定されますから、変化の状態にないと個は活性化されない>と松岡さんは言っています。現在の日本では、なにかを相対的に評価したり、非構造的な価値観を追及したり、不確定性に加担したりすることができなくなっています。社会的枠組みや科学的客観性を用いることでしか語ることができなくなっていて、逆に個人的主観で語ろうとすれば、キレ気味のネガティブ発言になってしまったりすることもあるでしょう。そうではなく、いま必要なのは、自身の経験の<量>によって語る、非常に私的で、趣味的かつ主観的なセンスにおける語りでしょう。衣服や生活雑貨、食べ物や植物の成長や変化のようなごく当たり前の日常をどのように自分自身と照らし合わせて語れるか。それがデザインする姿勢に求められるものではないでしょうか。

   
  

日本のものづくり

日本のものづくりを考えるうえでは、すでに「:1.デザイン編」で紹介したような内田繁さんや深澤直人さん、奥山清行さんのような現代のデザイナーの著作も参考になりましたし、デザイン史を専門にする柏木博さんの著作も参考になりました。
ここではそれ以外に参照した本から代表的なものをいくつかピックアップして紹介します。

  • 鯨尺の法則―日本の暮らしが生んだかたち/長町美和子 [書評]
  • 庭と日本人/上田篤 [書評]
  • ふすま―文化のランドスケープ/向井一太郎、向井周太郎 [書評]
  • 千利休より古田織部へ/久野治 [書評]
  • 茶の本/岡倉天心 [書評]
  • かくれ里/白洲正子 [書評]
  • かくれ里/白洲正子 [書評]
  • お能・老木の花/白洲正子 [書評]

『鯨尺の法則―日本の暮らしが生んだかたち』。日本のモノには、折り畳んだり、重ねたり、丸めたりして、小さくコンパクトにしてしまっておけるものが多いそうです。屏風や掛け軸、入れ子状になった器や弁当箱、つかうときは多くのものを入れられるのにつかわないときは小さく畳める風呂敷など。着物をつくる際には、あまった部分の生地も切ったりせずに「おはしょり」して内側に縫い込んだりするそうです。だから、体格の違うほかの人用に仕立て直す場合でも<ほどいて洗い張りして縫い直せば>リサイクルできるそうです。古くなっても<染め直したり、痛んだ裾を裁ち落としたりして、蘇らせることができる>そうです。日本では西洋が近代においてモジュール・規格という概念を生み出す以前から、建物と衣服で異なるモジュールを完成させ、なおかつそれぞれのモジュールにあった計測の道具(建物は曲尺、着物は鯨尺)というのができていたそうです。

『庭と日本人』。この本は、平安期の天皇の日常のすまいであった清涼殿の東庭からはじまります。清涼殿の庭は東を向いていますが、公式行事が行われる紫宸殿の庭は中国の「天子南面する」の原則を受けて南に庭があります。清涼殿の庭が東面しているかという理由は、そこで行われた四方拝という行事が太陽の祭祀であり、天皇は太陽の超自然的な力をうけて先のさまざまなものの安寧をいのるものだったからなのだそうです。日本のすまいにおいては、露地口から庭を通って座敷に入るのが正式のルートだといいます。ふだん、僕らがそこが入り口だと思っている玄関は「ケの出入口」であって、日常つかわれる簡易的な出入口でしかないそうです。神を招くの正式なルートは庭から座敷へというルートでした。庭は古代においては神とともにあり、神と遊ぶ場所で、神は庭を通って座敷に入ってくるのです。現代のすまいには庭がなくなりつつあります。と同時に客間や応接間という招くための部屋もありません。

『ふすま―文化のランドスケープ』。平安時代の寝殿造りと呼ばれる住居は、基本的に板敷の床に柱が並ぶだけで屋根はあっても天井はない骨組みだけのがらんとした建物でした。<人びとはそのような開放的な空間を、日常生活の都合や季節の変化や年中行事などに即して、几帳や屏風や障子などによって柱間や内部を仕切り、帳台や畳やその他の調度を置いて、その都度適切な居住空間にすることによって、日常生活や儀式の場>として季節や時のうつろいを感じながら生活していました。「日常生活の都合や季節の変化や年中行事など」とのインタラクションによって変化する空間です。コンテキスト=状況に応じた空間が生み出される動的なデザインです。著者は<日本人にとっては、自然や世界を写す言語的表現も、図像的表現としての文様も、そこにはなんの区別もなく、二つはまったく一つのものである>といっています。言語も文様もおなじように<心を伝えることば>にほかならないといいます。

『千利休より古田織部へ』。豊臣秀吉が京都に聚楽第と呼ばれた豪華絢爛な邸宅を設け、町では女、子どもが「辻が花」と呼ばれる美しい色柄の衣を身につけ、戦いを忘れた武士たちが「傾き(かぶき)」と称して平和をうたい、出雲大社の巫女であった阿国の一座が京都で後の歌舞伎につながる「傾きおどり」をはじめたとき、そこに織部が登場する。利休が侘びの極北まで研ぎ澄ませた茶の湯を離れ、利休七哲にも数えられる高弟である武将茶人・古田織部が新たな茶道の革新へと進むのです。織部といえば、織部焼の大胆で力強い意匠があげられます。当時高付加価値を生み出す高価な商品であったやきものを製造することは経済的な富を増やすための手段でした。織部は織田信長が「瀬戸六作」を認定してやきものの製造を奨励したのにならい、「織部十作」を設けました。意匠の面だけでなく、生産効率の低かった利休の楽焼茶碗から生産効率を高める技術的イノベーションを促進したり、唐津や朝鮮などとの技術交流の推進、各地の大名に対する産業振興のすすめなど、まさに日本におけるレオナルド・ダ・ヴィンチとでもいえるような多才な才能を発揮して、やきもの市場の興隆や桃山文化の隆盛に一役を買うという総合的な役割を果たした点にこそ、グランドデザイナー・古田織部のすごさがあったのだと思います。

『茶の本』。「私たち日本人にとって茶道は単に茶の飲み方の極意というだけのものではない。それは、生きる術を授ける宗教なのである」。「主人と客が集い、この世の究極の至福を共に創り出す」。茶室における茶会の役割はこうした主人と客によるコラボレーションであるとみなされています。あらかじめ仕組まれたものを演じる場ではなく、あくまでその場における題材をもとに即興的に、かつ実践的に行われるコラボレーションであるということが僕がいまイメージしている新しいワークスタイルとしてのコラボレーションにぴったりです。「客のひとりひとりが自分自身との釣り合いを考えながら全体の効果を心の中で仕上げていく」。個々で自分自身との対話を行いつつ、場全体での効果の仕上げにたずさわっていく。誰かがサボれば場そのものが死に、コラボレーションが成り立たなくなる、そういう場が真のコラボレーションの場なのでしょう。

『かくれ里』。「昔の寺院は、自然を実にたくみに取入れているというか、まわりの景色の中にすっぽりはまりこんで、人工的な建造物であることを忘れさせる。神社も住居も、あたかも自然の一部のごとき感を与える。これは彼らがあらゆる物事に対して、敏感だったために他ならない。現代の生活は、人を神経質にさせるが、決して敏感にはしてくれない」。自然という「むこう」を失った現代は、外部を見失った「ここ」のなかののみで思考がはじまってしまい、すぐに自分探しや自分は自分だといって知識の詰め込みがはじまってしまう。そんなわけはないのです。ものに触れれば人は変わるし、そうやって変わることでしか人は自分を見出すことはできないのです。ものとの触れ合いのなかでしか、いや良いものとの触れ合いのなかでしか人間はそもそも自分を見出すことなんてできないのだということを、かくれ里を旅しながら白洲さんは教えてくれます。

『お能・老木の花』。世阿弥の時代から600年、能は変わることなく日本の舞台芸術として受け継がれています。<変わることなく>が可能なのは、能が型を第一にするからなのだそうです。能を舞う(演じるとは言わないそうです)能楽師は、型に忠実であることを第一に考え、芝居のように演じる人物になりきって表現するようなことはしないそうです。無心で型を舞うことではじめて能が表現できる。単に「覚える」のではなく「身につける」。結果としての幽玄にも重きを置きつつ、前身の1つである猿楽がもっていた人間の日常の所作の物まねを軽視せずに、それを型として決め、それをひたすら確実な練習によって「身につける」ことで<物まねあっての幽玄>が生まれるのでしょう。世阿弥が残した言葉は、すべて経験と結びついている。そして、能は現在まで<実地の経験に重きをおいた>からこそ、600年も経ったいまなお続いているのです。

   
  

何気なく、過去の書評を再編集して1エントリーにしてみましたが、こう並べてみると、僕自身、よりここまでの思考が整理されましたね。ブログでちゃんと書評を書いておくっていうのは大事かも。

さて、次回の参考文献の紹介は「脳科学、生物学」に関する書籍を紹介します。

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