木に学べ―法隆寺・薬師寺の美/西岡常一

先に「ほんまに賢いゆうのはどういうこと?」でも紹介しましたが、『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』は、法隆寺、薬師寺の修復・復元に関わり、最後の宮大工棟梁といわれた故・西岡常一さんが77歳当時(1985年)に語った話を口述筆記した一冊。
これを単なる仏教建築に関する本だと思ったら大間違い。ものづくりをする集団をまとめる棟梁として、木のこと、人のこと、そして、神や仏のこと。すべてにおいて学ぶものがあります。

「棟梁は、木のクセ見抜いて、それを適材適所に使う」ことと語る西岡さんは、また「木のクセをうまく組むためには人の心を組まなあきません」とも言います。
ふつうの大工と宮大工の違いを「仕事とは『仕える事』と書くんですわな。塔を建てることに仕えたてまつるということです。もうけとは違います。そんだけの違いです」と語る棟梁は、「アニミズムすぎるくらいがほんとうのアフォーダンスでは?」で紹介した中世の庭づくりの技術書である『作庭記』に書かれた「石の乞わんに従え」という言葉そのままに、木と話をし、木のクセを活かして、さらにそれを組む人のクセを活かす方法を知っていました。
しかし、それは「自分が偉いんではない」、「遠い祖先からの恩恵を受けている」と語った西岡さんは1995年に86歳で亡くなっています。

それから、すでに13年。僕らは「遠い祖先からの恩恵を受けている」んでしょうか? また、受けようとしているのでしょうか?

技術と技法

ヒノキという木があったから、法隆寺も薬師寺も1300年もった、と西岡さんは言います。その法隆寺や薬師寺に使われているヒノキは樹齢1000年を超えるものだそうです。ヒノキもすごいが、ヒノキという木が優れた木であることを知っていた飛鳥の人もすごいと西岡さんは言います。それが時代が下がって鎌倉時代くらいになると修理にケヤキを使うようになってしまいます。ケヤキだと時間が経つとそっくりかえってしまったりする。
「木をクセで組んでないということや。自然から離れていったんや」と西岡さんは聞き手に法隆寺を案内しながら語ります。

技術というもんは、自然の法則を人間の力で征服しようちゅうものですわな。私らの言うのは、技術やなしに技法ですわ。自然の生命の法則のまま活かして使うという考え方や。だから技術といわず技法というんや。
西岡常一『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』

技術と技法。明らかに前者と後者では生命や自然のすごさに対する理解度が違います。いまだに台風もつくれなければ天気予報もできないのに、なんで「自然の法則を人間の力で征服しよう」なんてほうに賭けちゃうのかしら?

「自然の法則を人間の力で征服しよう」とする技術だと、建物の梁をまっすぐにしたり、格子に使われる木材の形を揃えてきれいに見せようとしたりします。しかし、自然に育った木には強いものもあれば弱いものもある。すべてを一律に組んでしまったら弱いところからダメになります。「適材適所」。弱い木はそれなりのところに使うし、格子の木材も無理やり形を揃えたりはしません。

それは人に対してもおなじで、

昔は、親方が見習いを親から預かりますと、どんなアホでも5年でだめなら10年かかっても、ちゃんとしてあげようとします。おまえはこの仕事にむかないからやめたほうがいいなんてことはいいません。
西岡常一『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』

という姿勢になります。
あるものを無理やり形を整えたり捻じ曲げたりというように「人間の力で征服」するという発想ではなく、「自然の生命の法則のまま活かして使うという考え方」だから、あるもののそのままの長所やクセを知って「適材適所」でそれを活かそうとするんですね。人間も型にはめようとしてそれができないと「お前はだめだ」というんじゃなくて、相手のクセを知ったうえで根気よく伸ばしてあげる。結果的にはじめは鈍感の人が伸びるというから考えさせられます。

ゆっくりと時間をかけるということ

民家の柱になる木1本育てるのにも60年かかるそうです。しかし、いまの木造建築では25年しかもたないといいます。それを在来工法でやれば200年はもつと西岡さんは言っています。100年もつコンクリートとか言ってますが、話になりませんよね。

古代の建築物を調べていくと、古代ほど優秀ですな。木の生命と自然の命とを考えてやっていますな。それが新しくなるに従って、木の生命より寸法というふうになってくる。
西岡常一『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』

薬師寺の再建をする際、西岡さんは台湾までヒノキを買いに行ったそうです。樹齢1000年を超えるヒノキがもう日本にはなくて最長で450年だそうです。台湾のヒノキは当時で2000年を超えるものがあったそうです。そりゃ、2000年も生きるヒノキの命の力を信じたほうがいいですわ。アホな頭をひねって計算のみで考えたやわなコンクリートや鉄を使うよりは。

ただ、鉄もいまのものはすぐにだめになるそうですが、古来のたたら踏みで砂鉄を溶かしてつくった飛鳥の鉄なら1000年以上もつといいます。法隆寺に使われている釘も飛鳥時代のものは打ち直せば使えるが、鎌倉時代以降はもうだめで、現在の釘なんかは10年たつと頭のところがもげてしまうそうです。
瓦もおなじで昔のものは天日乾燥して芯まで乾いたところで、ようやく焼成したそうです。その焼成も薪をつくってじっくり低温で長時間焼きました。「ほんまに賢いゆうのはどういうこと?」で紹介した僕の穴窯で焼かれた急須とおなじです。いまのものは熱風乾燥で表面だけ乾かして、ガスや電気で短時間で焼きます。とうぜん中が生乾きの状態で焼くので空気が膨らんで小さな穴ができてしまう。どっちが丈夫かは考えるまでもないですね。

形がよくて、安ければいいということですからな。形だけで、安ければいいというのは、堂や塔だけではなく、民家でも同じです。昔はよけいにかかったというのが自慢でした。(中略)昔だったらお金をたくさん使うて作ったら「元を入れたな」と感心しよったのだけれども、今は反対で安いのが自慢ですわ。住宅も使い捨てです。自分一代だけがもてばいいということです。
西岡常一『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』

作る側も使う側も、いまのことしか見えなくなっていて、せいぜい20年、30年先のことしか考えられなくなっているし、実際には下手すれば買う・売るときのことしか考えていないのでしょう。

似非エコロジー

薪での焼成ということに関しては、ちょっと話が逸れますが「ほんまに賢いゆうのはどういうこと?」のはてブのコメントに<「1度の焼成に10トン以上の薪が使われて焼かれ」っていうのはいくらいいもので長持ちするとしても近代の環境問題的にどうか、ってのはあると思う。>というものがありましたが、明らかにイメージだけで言ってますよね。

そもそも薪に使われる木っていうのは再生可能な材料で、計画的に伐採すれば、日本という恵まれた環境であれば伐った分だけ育てることが可能です。伽藍建築に使うような樹齢1000年の木じゃどうにもなりませんが、薪や住宅用に用いる木ならコントロールもできなくはありません。それを使って10年、20年以上ももつ日用品をつくるのであれば、使い捨てのものを使うのに再生不可能なガスや石油を大量に消費するのと比較してどれだけ環境にやさしいか。育てられる分だけ使う発想です。それができた文明とそうでない文明の運命が大きく分かれた歴史はジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』もいっしょに読んで勉強したほうがいいですよ。
それにね、環境問題って明らかに大量生産・大量消費のはじまった近現代の問題ってことを忘れてないでしょうか? イメージだけで似非エコロジーに陥らないようにしないとね。

僕らは古代からだんだんアホになってるんでしょうか? 「もののけ姫」で人語を解する猪神・乙事主さまが、一族がみんな小型化し、人語が理解できなくなってしまうことを嘆くシーンがありますが、それを思い出しますね。

別に必ずしもいいものばかりを使う必要はないけど、いいものと悪いもの区別もできない感性のなさがいけません。別にここでいう感性はいわゆるセンスがいいとかそういうのじゃないですよ。自然の力と人工物の力を比べて、この場・このシーンではどちらを採用するのが適切かを判断するための正しい見方をするための感性です。

自然というものを理解さえすれば誰でもできますわ

もうけを考えずに、神や仏に仕えるものとして伽藍を建てる宮大工の棟梁の仕事というのは、やはりなり手がなく、それゆえ、西岡さんは「最後の宮大工」といわれるのです。

日本には仰山木造建築がありますな。そうした建築物の修理をしてる人や新しく堂や塔を知作ってる人も仰山おります。しかしですな、みんな技術者ですのや。技能者がおりませんのや。仕事をする人がおらん。
西岡常一『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』

指導者がいないわけでもない。学ぼうとする人がいないわけでもない。ただ、技能者が育つ環境がないのだそうです。技能者は実際に伽藍を建てたり解体するなかでしか育つことができないのですけど、その「仕事」がコンスタントにはないそうです。西岡さん自身は昭和の20年にもおよんだ法隆寺の解体、修復の仕事が実に多くを学ぶことができたといっています。ただ、そういう仕事が頻繁にあるわけではない。法隆寺にしても、薬師寺にしても、今後200~300年はそういう大規模な解体・修復の必要はありません。そうなると、技能者が育つ環境はないわけです。

しかし、そんな西岡さんは、こんな風に言うんですね。

それでもなんでっせ。建てるものがなくても、飛鳥の技法みたいなものはなくなりません。今の電子工業のようなむずかしいもんと違いますさかいな。自然というものを理解さえすれば誰でもできますわ。
西岡常一『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』

読んでいて、この言葉がすごく印象的でした。
そして、最近になってようやく僕もこういう言葉の意味がわかるようになってきたのかなと思います。ようは頭で見るのではなく、直観で見るということが大切なんですね。知識や記号の集積としてものを見るのではなく、目の前の事物のありのままの姿、動きを見るのだと思います。そんなの本当は誰でもできることです。頭でっかちに考えずに、頭でわかろうとせずに、見たまんまを素直に受け入れられるようになれれば、いいだけなんですね。
僕もようやく絵などを見る場合に、頭で見ようとするのでなく、自然に描かれたままに見ることができるようになってきました。そうすると見えるものがまるで違うことにも気づきはじめています。ようは自分も対象もしょせん自然のなかの一部なわけです。その自然の法則に従って、どう見えるかにこだわればいいんです。それも一回で判断するんじゃなく、ゆっくり時間をかけて見ればいいだけです。

対象と一体化することで変われる

西岡さんは法隆寺や薬師寺の修復・再建の際に、学者と数々の論争をしたそうです。学者の様式論に対して、西岡さんは木を知る大工の立場から、そんな形はありえない、そんな組み方では長く持たないと戦ったそうです。ものの見方が大きく違うんですね。とうぜん見方が違えば見えるものは違います。

ただ、西岡さんのような見方は知識を詰め込むようなものと違って「自然というものを理解さえすれば誰でもできる」ものなんですね。対象を頭でわかろうとしたり、わかった気になったりして、対象をどうにかねじ伏せようとか征服しようとか考えるから、おかしくなるんだと思います。そうではなく対象のなかにあるものを発見したら、自分もそれと一体化することです。相手の言葉を聞いたら、自分もそのままそれに一体化することです。それをやたらと頭で他人の言ったことをこねくり回して批判めいたことばかり考えるから、いつまで経っても自分が変われないんですね。
変われないということは何もわかるようにならないということです。わかろうとすればかわれるのです。そして、何を信じているかという哲学そのものが行動を規定するのです。これは「日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで/土橋寛」でも書いたことですね。

僕なんかまだまだ近視もいいところですが、そういう見方はなかなか教えようと思っても、ただ口で教えるだけではどうにもならないというのがわかります。実際に自分でやらせながら、その人それぞれのクセを活かして、成長を助けてあげるということしかできないのでしょう。

でも、そういう棟梁が生きにくい時代なんですね、いまは。



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