日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで/土橋寛

養老孟司さんが、佐治晴夫さんとの対談集『「わかる」ことは「かわる」こと』で、「思想が行動に影響するという考え方がまったくない」ということをおっしゃっていたのは「「わかる」ことは「かわる」こと/養老孟司、佐治晴夫」というエントリーのなかで、すでに紹介しました。
僕らはふだん自分の意志で自由に行動し、自由に考えているつもりかもしれませんが、所詮その自由も自分の信じる思想の範囲での自由でしかないことを忘れがちだし、そもそも、そのことに気づいていない人さえいるでしょう。

その意味では、「信仰」とは行動や感情を決めるシステムであるということを、もう一度見つめなおしたほうがよいのでしょうし、自分では見えにくい自分たちの信仰というものを別の信仰と比較することで浮かび上がらせることが重要かもしれません。

宗教に先行する呪術の時代

例えば、信仰といえば真っ先に思い浮かぶのは「宗教」なのだと思いますが、歴史的にみれば「宗教」の前には「呪術」が信仰における方法として先行しています。

呪術は人間が自然物や他者を直接的にコントロールすることによって、願望を遂げようとする行為であり、宗教は超自然的な存在としての神・仏の力に頼って、間接的に願望を遂げようとする行為である。
土橋寛『日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで』

古代における、呪術から宗教への転換。これはある時点で世界中でほぼ同時的な現象として起こったことです。

世界はある時点でほぼ同時期的に、ブッダ、ゾロアスター、ソクラテス、老子、荘子、孔子を輩出した。紀元前4、5世紀のことです。キリストだけがちょっと遅れている。とうぜん、これらの鉄人の教えをテキスト化したものを聖なる教義した宗教が生まれるのはそれ以降のことです。

ただ、それ以前の人びとが信仰をもたなかったかといえば、そんなことはありません。宗教以前に人びとは、神よりももっと怖ろしくもっと得体のしれない巨大な力をもった自然そのものを信仰していたはずです。いわゆる自然信仰です。

京都大学出身の古代文学の研究者で、古代歌謡研究の第一人者であった故・土橋寛さんの『日本語に探る古代信仰』は、この宗教以前の、日本の古代信仰の世界を『万葉集』などのテキストに書き遺された言霊から浮かび上がらせようとする1冊です。

2種類の霊魂

土橋寛さんは「霊魂は人間に属するものばかりでなく、自然物や人工物に属するものもある」と言っていて、かつ霊魂には2種類あるとしているのです。

  • 1つは遊離魂、自由魂と呼ばれるもので、時に身体から遊離したり、死後も存続するもの。こちらがアニミズムが扱う霊魂。
  • もう1つは身体と結びついた身体霊、生命霊や、自然物や人工物に結びついた霊質、霊力、呪力をもったものの霊魂。こちらがマナイズムが扱う霊魂。

日本古代信仰にみられる自然信仰、言霊信仰などは、後者のマナイズムにあたります。
アニミズムとマナイズムは混同されるか、すべてひっくるめてアニミズムとしてしまう傾向がありますが、実はすこし違うものです。

イギリスの宣教師であり民族学者でもあったR・H・コドリントンの著『メラネシア人』(1891年)によって広く知られるようになった「マナ」は、神秘的・呪的な力能と作用を意味する語として、タイラーが主張した「霊魂」(遊離霊)とは別種の霊魂(生命力、霊力、呪力)の存在を明らかにしたものであり、その意義は大きい。
土橋寛『日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで』

その意味では、昨日の「アニミズムすぎるくらいがほんとうのアフォーダンスでは?」というエントリーで「アニミズム」と表現しているところは、正確にいうなら「マナイズム」と表現されるべきだろうと思います。

生命力を強化する目的の花見・山見

呪術とか、霊魂とかいうと、どうしても僕らは胡散臭いものと感じてしまいがちですが、それは僕らが古代の人がそれらを信仰しそのシステムに従う行動・思考をしたのとは異なる、信仰・システムのうえで考え、行動しているからにすぎません。
二十世紀の忘れもの―トワイライトの誘惑/佐治晴夫、松岡正剛」で引用したとおり、「ついつい自分の思考パターンにだけ合わせて考える人が多いですからね。どこかに別の系があることを想定しないんですね(松岡正剛)」であって、自分たちが無意識に従っている信仰の世界でしか考えられなければ、システムの外を覗くことはできません。

例えば、土橋さんは、古代の人々が呪的イベントの1つとして、年中行事として行っていた花見・山見について紹介してくれていますが、これも現代人の奢った見方を離れれば、すこしもいかがわしいものではないことがわかります。

春の初め、山に躑躅(つつじ)や石楠花(しゃくなげ)が咲き始める頃、村の老若男女が近くの山に登って、共同飲食をし、歌ったり踊ったりする年中行事を「花見」というのは、山の花を「見る」ことが行事の中心であったからで、花見はタマフリの効果があると信じられたのであり、花見をすると、年寄りは中風にならぬという所もあった。
土橋寛『日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで』

また花見・山見は年中行事としてだけでなく、「日常的にも生命力を強化する目的で山の花や青葉を見、また幼児が泣きやまない時も、それを見せて泣きやませようとした」のだそうです。


皇居・二の丸公園のつつじ


同じようにマナイズムの視点から日本における庭園の意味を探った上田篤さんの『庭と日本人』でも、平安期に京都・嵯峨の大覚寺の大沢池で、神を招いて霊力をたまわるための舟遊びが行われていたことが紹介されています。


大覚寺・大沢池


神聖とは元来生命力に満ちた状態を言う

つまり、古代の人々は、自然の力、生命力を畏怖し崇め、その力が満ちる花咲く春や、生活にとっては貴重な資源を多くもたらしてくれる水場から、その霊力、生命力を分け与えてもらおうとしたのです。

呪力のある植物は呪的儀礼はもちろん、神祭りにも、祭場に立てたり、祭りに従事する人々の挿頭、鬘、手繦(たすき)として用いられた。それは儀礼の場や儀礼に従事する人を聖化するためで、神聖とは元来生命力に満ちた状態を言うのである。
土橋寛『日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで』

人びとは自然がみせる生命力の変化とともに時を刻んでいたのだといえます。それは時計が刻む時間とは異なる。ゆらぎのある時間だったのでしょう。

平安朝の宮廷では、毎年11月中の寅の日に鎮魂際=オホムタマフリが行われていました。

「タマ」(生命力・霊力)を振り動かして活力を与える「魂振り」の呪術を意味する語であるが、一つにはタマフリに該当する漢語がないために、二つには遊離魂の観念に基づくタマシズメの要素が混入するようになったために、漢字表現は「鎮魂」でありながら、訓にはこの儀礼本来の名称であったタマフリの語が施されているのである。
土橋寛『日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで』

霊魂を振ることでその力をみなぎらせること。それが自然の生命力が弱まる冬のはじめに行われて、そもそもその「フユ=振る」が冬の語源であるということ。そんな古代の人々が信仰していた自然とともに生きるためのシステムをこの本は浮かび上がらせてくれています。

呪術から宗教へ

最初に書いたとおり、こうした自然との相互作用のなかで生きた古代信仰の世界は、宗教が生まれ、それが普及するにつれ、徐々にそれにとって代わられます。
そこでは対象と自身の直接的な関係における相互作用の世界から、絶対的教義を対象と自身のあいだに置くことであたかも客観的にものごとを見ているかのような幻想が流布した世界に変わるわけです。

これは信仰の流通・交換可能性のはじまりといってもいいかもしれません。対象と自身の直接的相互作用の段階では、伝達・流通がむずかしかったクオリア的なものが、ある絶対的な教義という抽象化・情報化されたアイコンが生み出されることで、流通・交換可能なものが生まれたわけです。「これ、知ってる?」「ああ、それ知ってる」が成り立つようになったのです。
ただし、同時に、客観的な教義という外部のものさしをあいだにはさむことで、「事象のなかに自分を重ねることができなく」なったのだともいえます。もちろん、この時点では相互作用的なものの直観と、絶対的教義の客観の両方を使えたから問題なかったのでしょう。

そして、いまや宗教さえも信仰されずに、別のシステムが信仰され、そこではまったく異なるものさしが用いられています。しかし、そのものさしはもはや呪術が信仰されていた世界では測ることができたものを測れなくなってしまっています。

信仰はそれぞれ異なるものさしを人びとに提示します。
人びとはそのものさしを使ってしか世界を感じることができません。
だからこそ、信仰は人びとの行動や思考に制限を与えるシステムだということを、もう一度考えてみるべきではないかと思うのです。自分たちが何を信仰しているかもわからなくなっているいまだからこそ。



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