2008年04月23日

「機を見るに敏」ってところが足りないよね

僕が他人を見ていて、よく感じるのは「反射神経が鈍いな」ということです。他人の話にパッと反応できないんですね。以前に「最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と」というエントリーも書いていますが、あまりに反応が鈍すぎて会話にならなかったりします。

反応が遅すぎない?

会話の場面じゃなくてもそう。街を歩いていると、何か手に持っているのを落としても、「あっ」という、落ちた物をみる、しゃがむ、ひろう、というひとつひとつの動作がすごく緩慢な人をよく見かけます。電車やエレベーターの扉の出入りもそうだし、道を歩いてきた人をよけるのもそう。なんで、そんなに遅いの?って目を疑うことが少なくありません。

動きそのものが遅いというより反応が遅いんですね。他人や自分以外のものの反応が読めないというか、推測できないというか。自分以外のオルタナティブを想像する力が著しく弱いんですね。

物を見るには物差など持出さずともよい」というエントリーで、人が生きる上で対話力が重要ということを書いたのですが、その対話の前提となる自分以外の他者を想像しつつ、自分の行動をそれにリンクさせるということが苦手なんです。すくなくともその反応が非常に遅いといえます。

反応の遅さは思考をむずかしくする

結局、これが思考の速度とか、そもそも、ものを考えられるかということに非常に関わってくるんです。人って自分の中だけじゃ考えられないし、もうひとつ言うと、普段の自分の普通の速度の中じゃ思考できないんです。

思考するには、外部の刺激が必要だし、普段と違う速度に加速することが必要です。だから、禅の公案なんかは答えを急がせるんです。早く答えろ早く答えろと急かす。ちょっとストレスかけないと思考が活性化されないからです。
思考するには、一気に自分の頭のなかを加速できるか、自分の通常のリズムより早めて、つんのめった状態にもっていけるかということが重要です。だから、人を育てるときにも、その人の能力からすればちょっと無理めなお題を出して、かつある程度アウトプットを急かすことが大事です。

「機を見るに敏」ってところが足りないよね

まぁ、教わる立場の人はそうやってお題をもらえるからいいかもしれない。じゃあ、そうでない人はどうすればいいかというと、やっぱり自分でお題を見つけなくてはいけません。

「機を見るに敏」ということが大事なんだと思います。結局、いつ考えればいいかという機会をとらえ、何をどんな機会に考えるべきかを機会という情報そのものにアフォードしてもらえる感性が大事です。
でも、はじめに書いたように反応があまりに遅すぎたり、機会そのものをとらえることができなかったりで「機を見るに敏」とは正反対なのが現状か、と。

理由を考えると、こんな風に分けられますよね。

  • そもそも「機」を見つけられない
  • 「敏」に加速できない
  • その両方

まぁ、3番目の「その両方」って人が多いんじゃないでしょうか? これは前に書いた「Fw:本当に考えたの?(それは「考えた」と言わない。)」や「スピードを上げたいなら速度を上げるんじゃなくてスタートを早めること」ともつながる話。結局、思考力を鍛えたければ、身体のもつ感性や想像力、敏捷性など、いろいろ同時に鍛えていかなきゃダメなんですよね。

「機を見る」力を身につける訓練

「機を見つけられない」ってのはなんなんでしょうか? 他人に関心がないといえばそれまでなんでしょうけど、やっぱり自分とは違う軸なり違う系なりを想像する訓練ができてないんでしょうね。物事をいろんな視点から見てみるということができてないんだと思います。「自分は自分」とか思い込んでいるのがいけないんですよね。

そもそも思考って自分のものだと思い込んでるのがダメ。思考って自分の側にあるのじゃなくて、自分と思考対象のあいだにあるってことを意識しないと

禅の公案に「指月の指」ってのがあるそうです。「あの月を指差したとき、月がどこにあるのか?」っていう話です。指に月があるのか? そんなことはない。月は指のずーっと先にある。ただし「ずーっと先」といえるのも月を指差す指があってこそ。
思考もそれとおんなじ。思考は自分の側にあるか、それともその先の対象の側にあるかです。
で、ここで重要なのは対象はじっとしてないってこと。じっとしてないのだから、対象が視界に入った機会を逃したら、その思考をする機会は二度と訪れないってことです。まさに「一期一会」ですよ。もちろん、昨日の「愛と青春のユーザビリティ(あるいは「デザイン、その統合的な視点」)」のなかでのデザイン作業のなかでの素材との対話において「人はデザイン的なものと非デザイン的なものとのあいだで葛藤する」ということもここに連動します。

また、対象と思考のインタラクティブ性に関連したところでは、才能って言葉ありますよね。これももともとは才能の「才」はものの側にあったそうです。
ものの側にある「才」を引き出す力が「能」だったそうです。才能は対象の側とそれを扱う側の両方がいっしょになってはじめて発揮されるものだったわけです。それがいつの間にか、人の側に才能がすべてあるように勘違いされてしまっているわけです。そうやって対話の重要性は見失われていったわけですね。

「敏」を身につける訓練

「敏に加速できない」っていうのは、これは量をこなす訓練ができてないんだと思います。とにかくアウトプットを乱発する、失敗をたくさん生みだすっていう訓練をしたことないんでしょう。
正解ばかりを求められて育ってきたから、失敗を堂々と出すっていう経験がないのでしょう。それもたくさん出すってことをさせてもらえなかったのかもしれません。
とはいえ、そんなことをあとで嘆いても仕方ないので、まわりからやらせてもらえなかったんだとしたら、いまからでも遅くないので自分ではじめてみるが必要なんじゃないでしょうか。

そうやって機会を見つけて一気にがっと加速する。それで加速していろいろ詰め込んだらちょっと休止する。やるときはやる、やらないときはやらないっていうメリハリ。ストレッチです。
そういう思考のインターバル・トレーニングが必要ですよね。普段からメリハリをもった動きをしていないと、どんどん反応が鈍くなって、まわりが見えなくなってしまうんじゃないかなと思います。

ところで、この話はもっとちゃんと丁寧に書こうと思ってたけど、ちょっと雑に書いてしまいました。これも最近の丁寧に書いたエントリーへの反応が鈍い影響もあるのかな。あーあ。

  

関連エントリー
タグ:反応 対話 思考
posted by HIROKI tanahashi at 23:08| Comment(0) | TrackBack(1) | ライフハックス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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