直観とか感性とかについてもうすこし考えてみたい

この言い方は「なるほどな」と思いました。

柳は、美の本性に触れるには何よりも「直観」の力が不可欠であると説いた。この場合の「直観」とは、「主観」とは違う意味のもので、人間が本来持っている美を感受する本能的な力を意味している。
日本民藝館 監修『日本民藝館手帖』

個に属する美的価値判断とは別に、種としての人間に属する美的価値判断を考えるということ。
ここでいう「柳」は、バタフライスツールのデザインで有名な柳宗理さんのお父さんで、日本民藝の父ともいえる柳宗悦さんを指しています。

日本各地をまわり無名の工芸品を蒐集して、それらを収蔵した日本民藝館をつくった柳宗悦さんは、何より民衆が「用」のためにつくった工芸品に対して「直観」的に美を見出した人です。

1/fゆらぎと人が感じる心地良さ

「人間が本来持っている美を感受する本能的な力」としての「直観」。
それは、「アナログな刺激のある暮らしに憧れて」で紹介した佐治晴夫の研究する、1/fゆらぎと人が心地良さを感じるものとの関係にもつながっているのではないでしょうか。

佐治 プラスティックのものと木でできたものとを触ったときに、やはり感触が違いますね。それは温度の問題でもあるんですが、それを除いて考えてみると、やっぱり木の表面にはゆらぎがあるんですね。それを表面粗さ計という計器で表面の粗さを測定し、それをフーリエ解析をすると、非常にきれいな1/fゆらぎが出る。人造皮革を研究している人を知っていますが、夜遅くまで研究して、家に帰ると赤ちゃんのほっぺを撫でていたそうです。こういう革ができないかって。それでできたのが「クラリーノ」という人造皮革でした。
佐治晴夫、松岡正剛『二十世紀の忘れもの―トワイライトの誘惑』

おなじく佐治晴夫さんと対談集『「わかる」ことは「かわる」こと』で養老孟司さんが似たようなことを言ってらっしゃいましたが、森や林などに行くと、人工的に木々が植えられた場所と原生林って、その美しさというか神秘性というか、明らかに違うのを感じます。具体的にいうと、人工的に植えられた林や森は木々が揃いすぎてるんですね。
これは熊野古道を歩いたときにも感じたし、京都の鞍馬山に登ったときにも感じたことです。おそらく原生林には1/fゆらぎがあるんだと思うんです。そのゆらぎが美しさを感じさせるし、気持ちを落ち着かせてもくれるんだと思います。

ゆらぎのリズムを感じる力を人は本来もっている

最近、盆栽いじりをしているので余計にそれがわかるようになりました。芽や葉っぱが伸びていくリズムって明らかに僕らが規則的だと思うのとは違う規則性を持っているように感じます。
こう伸びるだろうと思って剪定したのとは違うんですよね。でも、明らかに自然と芽が出てきたところを見た方が「なるほど、美しいな」と思えるんですw。

そういうゆらぎのリズムを感じる力を人は本来もっているんだと思います。

柳宗悦さんのいう「直観」とは、そうした1/fゆらぎなどを意識せずに感じることができる人間の動物としての直感も含んだものではないかと思うのです。

ノーマンの脳機能の3分類

ここで思い出すのが、ドナルド・A・ノーマンが『エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために』で行った、脳機能の3つの分類とそれに対応したデザインの3分類です。

1つは自動的で生来的な層であり、本能レベルと呼ぶ。次が日常の行動を制御する脳の機能を含む部分で、行動レベルとして知られている。もう1つが脳の熟考する部分、すなわち、内省レベルである。

  • 本能的デザイン:外観
  • 行動的デザイン:使うことの喜びと効用
  • 内省的デザイン:自己イメージ、個人的満足感、想い出

最初の引用文で、「主観」とされたのは、この3分類のうちの「内省レベル」「内省的デザイン」に対応するものではないかと思います。
誤解があるかもしれませんが、いわゆる感性工学が主に相手にしている「感性」もこれだと思います。
ただ、最近、僕はそういうパーソナライズの方向性がどうもマーケティング的匂いがぷんぷんしているし、近代主義の個人主義やアイデンティティの魔法をひきずりすぎているようで、どうもいかがわしく感じています。
もちろん、感性には個々人で異なる部分があると思います。それを疑うつもりは毛頭ありません。ただ、そういう個人的な感性ばかりを大げさに扱いすぎているのではないか。そう思うのです。

あるいは、僕が仕事にしている、人間中心設計やユーザー中心のデザインは、主に「行動レベル」「行動デザイン」を中心に考える傾向があります。それはその根源にある認知科学(ノーマンも含め)が立脚しているのが行動中心の心理学や生態学だったりするからだと思います。もちろん、ノーマンはそれに気づいていたからこそ、『エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために』で行動レベルだけでなく、本能レベルや内省レベルも含めたエモーショナルな面を扱いました。

ただ、それでも柳宗悦さんのいう「直観」には届いていないんですね。

直観とか感性とかについてもうすこし考えてみたい

ここが明らかに課題だと僕は思っています。ものづくり、あるいはデザイン、あるいは認知や感性、思考というものを考えるうえでの課題かと。

先の「最近買った本(柳宗悦さんとか柏木博さんとか)」で紹介した、柳宗悦さんとかユングとかの本に向かっているのはそういう課題をどうにか解決するためのヒントを得ようと思っているからです。もちろん、佐治晴夫さんや、松岡正剛さんの著作にもヒントはあると感じます。

そういう方向から、もうすこし直観とか感性とかについてもうすこし考えてみたいなというのが僕の最近の関心の1つです。

   

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