ただ、どんな言い方をした場合でも、そこに求められていることは2つある(あるいは3つ)のだと思います。
1つは、イメージすること(夢見ること、考えること)。
もう1つは、具体的な形にする力(イメージでも、夢でも、考えでも)。
そして、もう1つ加えるとしたら、形になったものが本当に自分がイメージしていた(夢見ていた、考えていた)ものだったかどうかを検討することでしょうか。
これはデザインに絞っていえば、コンセプトを詳細化していく上流設計とコンセプトを実現する方法を考える下流設計に対応するのではないかと思います。あるいは、前者がデザインを引っ張ればニーズドリブンなデザインになるし、後者がデザインを引っ張ればテクノロジードリブンなデザインになるでしょう。
イメージする力とそれを形にする力をせめぎあいのなかで
どちらが主になるのも当然ありなわけですが、片方に偏ってしまうのだけはいけないんじゃないかと思います。技術ばかり、あるいは売ることばかりでユーザーを見ないのも、ユーザーのニーズばかり見てどう実現するかやどう売るかを考えないのも、どちらもだめだと思っています。どんな世界を実現するために何が必要かをイメージする力と、イメージしたものをどういう技術で実現しそれを実際どう人びとが利用できるよう流通させるかを考える力は、本来、どちらも欠かせないものだし、両者がせめぎあうなかでいいものが生まれてくるのだと思っています。
個人で考えるなら再三書いているように「手を使いながら考える」ということが、イメージする力とそれを形にする力を拮抗させ、両者のゆらぎのなかで、よりよいものを生み出す原動力となっていくのだと思っています。
つくることがイメージをより膨らませ、イメージすること・考えることが技術を別の段階に導いてくれます。インプットとアウトプットの重ね合わせのなかで、ものってできてくるのかな、と。
イメージする力とそれを形にする力はどんな仕事にも必要。そして人生にも
それにはイメージする力とそれを具体的に形にする力の両方をともに磨いていく必要があるのではないかと感じます。理工系出身だから技術だけわかっていればいいとか、美術系出身だから視覚表現だけでよいとか、人文系出身だから哲学やヴィジョンだけ説いていればよいとか、そんな馬鹿な話はないと思っています。そういう意味不明な分業性が確実にものをつくる力を弱めているような気がする。
どれか1つが得意というのは悪いことではありません。しかし、どれか1つが得意だからほかはぜんぜんできなくてよいという話ではないでしょう。すくなくともイメージする力とそれを形にする力は、どんな仕事をしていても必要なはずです。いや、最初に書いたとおり、それは仕事のうえだけでなく、生きるために必要な力だと思います。
イメージする力
昨日は「言葉にするのを恐れちゃいけない。それは自分の財産をつくるために必要だから。」というエントリーを書きました。イメージするため、考えるためには言葉で自分の思いを整理する作業は欠かせないから。自分に正直に語るためには、他人にもおなじように自分の思いを自信をもって説明できないといけないと思います。自分を本当に納得させるのは他人を説得するよりもはるかにむずかしいと思うから。そのむずかしさがわからない人は本気で自分が何をしたいか、何を実現したいかを考えたことがない人なのでしょう。また数日前には「自分の暮らしに興味がないんだから、人の暮らしの提案なんか、そりゃできないよなという話」というエントリーも書きました。自分の生活に興味をもてない人が他人の生活に関わるものづくりにおいて、いいものをつくれるはずがないという主旨でした。生活のなかでそれがどう使われ、どう生活の空間や時間を占めるのかをディテールにおいてまでイメージするためには、まず自分の生活のなかでそれに近いものを具体的に形にする力がなければ、むずかしいと思うから。
自分で考え、自分で形にする力を養うための訓練
そうした訓練を具体的に学習の場、仕事の場でさせるには、1つには、自分の力で考えて自分の手を動かして1つの仕事をさせる訓練をさせたほうがいいと思います。できあがったものを見せて、これを見て自分で考えてつくってみろという教え方があっていいと思う。マニュアルやつくり方を示すのではなく、できあがりだけ見せて、それを再現してみろ、と。もちろん、難易度は考慮してあげる必要はあるでしょう。もう1つには、やはり異分野の人と交流できる場を用意してあげて、そこで話をさせ、話を聞かせる訓練も必要だと思います。おなじ分野の人とばかり話していたのでは、その分野の常識や用語をつかっていくらでもあいまいな表現でやり過ごせます。それではまったく考える力はつきません。そうではなく自分の分野のことをほとんど知らない相手に自分の分野の話をさせたり、自分が知らない相手の分野の話を聞いて、わからないところは適切な質問をさせ、なんとか理解できるまで話を聞かせる。そういう訓練が必要だし、それは何も学生や新人だけに必要な訓練というより、すべての向上心をもった人に必要な訓練だという気がします。
とにかく、こういうマニュアルや常識から離れたところで、自分の力で考え自分の力で何かを生み出すという経験ができる場が日常的にないと、どんどん考えない人、具体的なものは実現できない人ばかりが増えてしまうのではないかという危惧があります。
考えない、形にしない人たちばかりじゃ、世の中つまらなくなってしまうのでは、と。
さて、最初にイメージする力とそれを形にする力のほかに、形になったものが本当に自分のイメージしていたものだったか検討する力もあったほうがいいと書きました。で、検討してどうなるかといえば、ほとんどの場合、満足するものなんかできないんです。でも、それでいいんだと思う。満足なんかしちゃったらそれこそ、そこで終わりですから。でも、いまの問題は満足しちゃうどころか、最初からなんでもあきらめちゃってる感が漂うところなんですが。
独学のすすめ
みんな、正しいやり方や正しいことにこだわりすぎていて、独学で学ぼう、身につけようという姿勢がなさすぎるように感じます。間違えることをおそれて失敗を避けすぎるあまり、失敗から学べる多くのことを学ぶ機会を失っている感じです。もっとみんな戦ってほしいなって思います。いい子すぎるし、おとなしすぎる。もっと破天荒で、デタラメでいい。それが自分で精いっぱい考え、もがいた結果の自分に正直な破天荒さ、デタラメさであれば。
と、そんなことを考えたので、これを機に買ったまま読んでいなかった米本昌平さんの『独学の時代―新しい知の地平を求めて』でも読んでみようかと。
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- 自分は信じない。人を信じる。
この記事へのコメント
柚須
イメージを思いをかたちにということばを
いっぱいきいても
正直ぴんとこなかったけど
先生の言葉で
府におちました
しっくりきました
まずは相手に好きって言ってみたり
こうしたいという自分のvisionを描いてみたり
一辺倒じゃない感覚のdesignblogに
ウキウキします!
ここにくるとどうして?が
解きほぐされます
だから嬉しいです!
言葉にするのを恐れず自分なりに伝えると状況が
好転します
先生ありがとうございます☆
学校がんばります!